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八ッ場ダム/シリーズ10<2018.6.30>
ーダム建設に翻弄される長野原町ー

<初めに>
 前回(シリーズ9)の見学は150名と多く、長蛇の列となり、かなりの不評を買った。ハンドスピーカーの声は一部の人にしか聞こえず、10kmの歩行に高齢者にはさすがにきつかった。
 今回は定員25名のマイクロバスで移動して、ダム左岸側のヤードで見学し、詳細な解説がかなり理解できた。

<見学行>
 天気予報では降水確率が高かったので雨具を用意をしたが、結果は帰宅するまで上天気に恵まれた。国道も順調に走り、集合時間前に独自の取材もできた。

 不動大橋の名前の由来となった右岸に不動尊がある。4,5台の駐車スペースがあり、そこへ車を停めて、橋上から湖底となる景色を眺めることにした。
 緑はすっかり濃くなっている。橋の中央に歩を進めると、「不動の滝」を真正面に見られるビューポイントがある。更に進むと吾妻川の上流が望める。はるか上流に八ッ場バイパスの丸岩大橋が遠望できる。


不動の滝

吾妻川上流

 橋の下を俯瞰すると、ダムコンクリートの骨材を運搬するベルトコンベアがの字を描くように敷設されているのが見える。こちらから向うへ旧国道145号の橋を渡っている。周囲には作業車が屯している。
 振り返って右岸側を見ると、橋のたもとに不動尊の堂宇が茶色に見える。


くの字のベルトコンベア

橋のたもとに不動尊

 不動大橋の下流側歩道に移動すると、ダム完成後の景観パネルが掲示されていた。完成後の春には湖畔の桜が観光客を楽しませてくれると思う。現在、見学者から苗木を植える資金の寄附を仰いでいる。


満水時の景観

 橋の下を覗くと、住宅や畑地があった場所で遺跡の発掘調査が続けられているようだ。
 そして右に目を転じると画面の左下に旧やんば館が見える。水を張る前には解体されるだろう。手前の白く見える道路は旧国道145号。やんば館の上に、こげ茶色のベルトコンベア、上に見える橋梁は新国道145号である。


遺跡の発掘か?

不動大橋下流左岸側の景観
<追記>
 7月9日、群馬県埋蔵文化財調査事業団は次のような発表をした。
 八ッ場ダム本体の吾妻川上流2.3km程の場所に、江戸時代に起きた浅間山噴火によって被災したとみられる人骨が見つかったという。
 6月下旬までに江戸時代のものとみられる地層から人の頭や足など3人の骨が見つかった。また、人骨に覆いかぶさるように、住居の一部とみられる木材のほか、近くには囲炉裏や竈(かまど)の跡も確認された。
 江戸時代の噴火といえば、天明3年7月8日(1783年8月5日)の大噴火のことである。
 まさに、写真の場所である。

 不動大橋から下流の八ッ場大橋、更にその先に工事中の八ッ場ダムが見える。


不動大橋下流側の景観

 不動大橋の下流を眺めた景観図のパネルが掲示されている。平成28.10.26撮影とある。


不動大橋から下流側の景観パネル平成28.10.26撮影

 目を右に転じると右岸側の高台に川原湯温泉駅が見える。川底に有ったJR東の吾妻線が移転した新駅が見える。ダムが満水したときには、景観が目の前に広がる好位置にある。もう供用されていて、列車が停車しているのが見える。列車の後方に鉄道トンネル、その上に見えるトンネルは県道375線の道路トンネルである。


川原湯温泉駅

 不動尊から車に乗って不動大橋を左岸に渡る。
 向かう先は長野原町立第一小学校。今日は土曜日だから校門は閉まっていて児童の姿は見えない。平成28年度の児童数は23名である。第一小学校というからには第二小学校もあるのかと錯覚するのだが、答えはNOである。長野原町立小学校は、他に中央小学校と応桑小学校の二つがある。因みに、中央小の児童数は80名、応桑小の児童数は44名である。
 いずれにしても群馬県の山間部は少子高齢化の波にさらされており、行く末が案じられる。八ッ場ダム完成後に観光地として少しでも復活することを願ってやまない。

 ここまでが小生独自の取材である。〜〜〜〜〜〜〜〜

<八ッ場ダムファン倶楽部見学会>
 今日の見学は集合場所の道の駅八ッ場ふるさと館に13時に集合、マイクロバスに乗って八ッ場ダムに移動。

 左岸のダムヤードに降り立つ。とにかく目の前にワイヤークレーンの巨大な構築物が天を突き刺している。足元は舗装されているが滑りやすい。右の写真はやたら重機が多く、見たこともなく、何をするのか全く分らない物ばかりだ。作業工程が順調に進み、狭くなった打設現場から不要になった重機をワイヤークレーンで吊り上げてこの混雑になったのだそうだ。
 後方に、こげ茶色のサイロが五つ並んでいる。セメント・大中小の骨材・砂が入っている。それを調合してコンクリートを練るのである。


ワイヤークレーンの巨大な構築物

ヤードに群がる重機

 コンクリートを練り、バケットに投入してワイヤークレーンで打設ヤードに運搬する。


バケットに投入

バケット吊り上げ

 指定の場所に着いたらバケットを下降し、コンクリートを排出する。打設チームはそのコンクリートを敷きならす。


バケット下降


打設現場

 コンクリートを敷き均し、バイバックという重機でコンクリート締め固めする。4本のバイブレーターをバックホーの先端に取り付けた構造である。コンクリートの性状変化を内部から計測し、リアルタイムで解析し締め固めが完了したことを判定すると同時に完了位置のデータを記録できるという優れ者である。


バイバック

見学の終盤になって、たまたま入場してきたトラックがあった。見学の引率解説者が、「いいところに出会った」と言って下方を指したのがこの写真。積んでいるものは監査廊のPCaだという。つまり、予め工場などで製造されたプレキャストのセグメントで、これを現場で組み立てて設置するのだという。


監査廊のPCa

 最後の見学がこのトンネル。ダムは頑丈な基礎岩盤の上に造るのだが、岩盤は均一ではなく割れ目が存在する。その状態でダムに水を貯めると割れ目から水漏れが起こる。そこで岩盤にセメントミルクを注入し割れ目を埋めることで岩盤の改良を計る。これがクラウチングという工事である。ここではカーテンクラウチングという工法である。つまりダムの左右にトンネルを掘りトンネルの中からクラウチングを行なっている。左岸と右岸合わせて約300mである。
 トンネルが岩盤に到達した上で、床の中央が10cmほど低い溝になっており、垂直等間隔に挿入されたビニールパイプに、セメントミルクを注入圧搾する。そうすると岩盤の割れ目にセメントミルクが沁みこんでいく。沁みこんだセメントミルクが、恰もカーテンのような形状になることから「カーテンクラウチング」という名前が付けられたのだという。


トンネル突き当たり


女性解説者のパネル図解

 これで見学会が滞りなく終了して、マイクロバスで集合地点に戻った。例によって募金箱に思い思いの金額を投じてダムカードを貰った。これを道の駅の売店でソフトクリームを50円引きで食べられるのであった。

<独自の取材>
 道の駅からマイカーで不動大橋を右岸に渡り、一つ下流の八ッ場大橋を右岸から左岸に渡る。橋の中間で撮ったのがこの写真。高台に移転した川原湯地区の住居や旅館、そしてダム建設に携わっているJV(ジョイントベンチャー)の宿舎がある。


高台の景色

 次に先程見学したダムサイトが一望できる見放台という展望台に昇る。一段と高い小山の上にあり、360度の景観が楽しめる。吾妻川の拠水林と先程渡った八ッ場大橋が見える。


ダム一望


吾妻川拠水林と八ッ場大橋

 この日の取材はすべて終わった。ダム天端の最終打設までもう少しだ。

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