このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
八ッ場ダム/シリーズ4<2017.5.28> <初めに> <見学行> 不動大橋を渡って右岸に向かう。
見学場所は、ダム下部(左岸下流)・ダム上部(右岸天端)・その他打設面近くである。 最初の見学箇所に向かう。左岸側にコンクリートのプラントが見える。下の方から斜めに骨材運搬のベルトコンベアが上がって行く。その骨材は東吾妻町大柏木地区の骨材製造設備からベルトコンベアによって運ばれてくる。
上流側に八ッ場大橋が見える。見学バスは右に折れ、下流側の堤体方面に向かう。道路の左側に茶色の太いパイプが見えるが、先ほどの骨材を運ぶベルトコンベアが内部を走っている。
ベルトコンベアは、旧JR吾妻線の鉄橋を渡ってから鉄構に支えられて崖上のプラントへ上がって行く。
左岸の全景でプラントと、そこへ向かうベルトコンベアが見える。
ダムサイト右岸の天端から見える景観である。左岸天端に見えるブルーの小さな長方形は、同じものがこちら側(右岸)にもあって、これをダム軸という。ダムの位置を示すダム構造設計上の基本線である。重力式コンクリートダムの場合は、ダム天端上流端を連ねた線である。
左岸と右岸の間はケーブルクレーンで繋がれている。プラントから上空をコンクリートバケットが走行して所定の位置で吊降ろす。下では各種の重機が動いてコンクリートを均し、圧接する。それらの一連の工程を繰り返しながら、ダム本体は次第に高さを増していくのである。これらの説明は素人には正確に説明するのが困難である。
ダム内部のコンクリートはRCD工法と呼ばれるもので、Roller Compacted Concrete Damの略である。セメントの量を少なくした、超固練りのダムコンクリートをブルドーザーで敷き均し、震動ローラーで締め固める工法で、コンクリートダムをいかに早く安く打設できるのかを研究して開発されたものだという。現在コンクリート打設は、堤高116mに対して17%の20mほど立ち上がっている。 多種多様の作業が、あっちこっちで展開されているが、いったい何が行なわれているのか、さっぱり分らない。言えることは、全ての機械が無駄なく効率的に動いているらしいということだ。
今やダム用コンクリート自動運搬システムは3次元の領域にあるという。あらかじめプログラミングされた打設手順に従って自動運転されているのだそうだ。全ての指令がクレーン操作室のホストコンピュータから各セクションの制御装置へサブコンピュータを通して伝達される。かつ、各セクションからの情報もホストコンピュータに集約されるという。
見学者は現場の複雑で狭いパイプ足場の手摺にしがみついているので、当然のことながら20人の列は縦長になる。技術者の説明はスピーカーでこれもまた一生懸命にしゃべるのだが、素人の我々には技術用語はよく分らない。分らないながらも、ダム工事とは日常生活とは桁の違うどでかい相手なのだと改めて感心するばかりだ。それをコントロールする技術者集団には改めて敬意を表したい。
ダムの下流側を見学。そこには仮排水トンネルの出口から、右側へ滝のように水が勢い良く飛び出している。そして画面の向うは浸食崖の切立った狭い峡谷である。青い水が流れている吾妻峡に接続されているのだ。
群馬県には全国一の郷土かるたがある。その「や」の札はこうだ。 耶馬溪しのぐ吾妻峡 耶馬溪は大分県中津市であるが、吾妻峡も観光資源として重要な存在である。現在、散策路が右岸の高みに設けられていて、春には新緑、秋には紅葉を楽しむ観光客が多い。 ダム構想は当初、この狭い吾妻峡が狙い撃ちされた。ところが、吾妻峡は昭和10年(1935)国の名勝に指定されていた。当時の吾妻町は大反対。そしてダムの上流側には川原湯温泉がある。それが水没してはたまらないと長野原町も反対した。それから長い闘争期間を経て、吾妻峡を出来るだけ残すようにダムを上流側にずらした。漸く両自治体と調印し、関連事業の国道付け替え・水没者の代替地造成・県道の整備・JR吾妻線の付け替え等の工事に着手した。 ダムの下流側を一望できる場所から撮った写真がこれ。四つの水門下部工が次第に出来つつある。
<終りに> |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |