このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

  (目次に戻る)

八ッ場ダム/シリーズ4<2017.5.28>
ーダム建設に翻弄される長野原町ー

<初めに>
 シリーズ1から3までの個人見学に比べて、今回の見学はダム本体工事の特別見学である。可能な限り作業中の近くまで接近するという。その為に「八ッ場ダムファン倶楽部会員」として登録する必要がある。その上で参加の可否は抽選で決めるという。

<見学行>
 首尾よく当選し、集合場所の道の駅「やんばふるさと館」に向かった。参加者全員の服装・履物がチェックされて予定通り10時に国交省マイクロバスに乗車した。注意事項として立入禁止柵の扉をを開けて入門する前に、国交省の白ヘルメットをかぶり、全員が離れずに行動するようにと言われた。

 不動大橋を渡って右岸に向かう。


道の駅「やんばふるさと館」

左岸から見た不動大橋

 見学場所は、ダム下部(左岸下流)ダム上部(右岸天端)その他打設面近くである。

 最初の見学箇所に向かう。左岸側にコンクリートのプラントが見える。下の方から斜めに骨材運搬のベルトコンベアが上がって行く。その骨材は東吾妻町大柏木地区の骨材製造設備からベルトコンベアによって運ばれてくる。
 見学バスは立入禁止柵を入門してダムサイトに下りて行く。水没予定地にはゴロタ石が敷き詰められている。土が剥がれるのを防ぐ為だ。


左岸側プラント

敷き詰められたゴロタ石

 上流側に八ッ場大橋が見える。見学バスは右に折れ、下流側の堤体方面に向かう。道路の左側に茶色の太いパイプが見えるが、先ほどの骨材を運ぶベルトコンベアが内部を走っている。
 手前の広くなっている所は、旧JR吾妻線の川原湯温泉駅の撤去跡であり、白く見える道路は旧国道145号線の跡で、現在は工事用道路として使われており、見学バスはそちらに向かってダムサイトへ下りて行く。


上流側に八ッ場大橋

骨材を運ぶベルトコンベア

 ベルトコンベアは、旧JR吾妻線の鉄橋を渡ってから鉄構に支えられて崖上のプラントへ上がって行く。


ベルトコンベアはプラントへ

 左岸の全景でプラントと、そこへ向かうベルトコンベアが見える。


左岸プラントの全景

 ダムサイト右岸の天端から見える景観である。左岸天端に見えるブルーの小さな長方形は、同じものがこちら側(右岸)にもあって、これをダム軸という。ダムの位置を示すダム構造設計上の基本線である。重力式コンクリートダムの場合は、ダム天端上流端を連ねた線である。


ダムサイト右岸の天端より

 左岸と右岸の間はケーブルクレーンで繋がれている。プラントから上空をコンクリートバケットが走行して所定の位置で吊降ろす。下では各種の重機が動いてコンクリートを均し、圧接する。それらの一連の工程を繰り返しながら、ダム本体は次第に高さを増していくのである。これらの説明は素人には正確に説明するのが困難である。


ケーブルクレーンとローラークレーン

 ダム内部のコンクリートはRCD工法と呼ばれるもので、Roller Compacted Concrete Damの略である。セメントの量を少なくした、超固練りのダムコンクリートをブルドーザーで敷き均し、震動ローラーで締め固める工法で、コンクリートダムをいかに早く安く打設できるのかを研究して開発されたものだという。現在コンクリート打設は、堤高116mに対して17%の20mほど立ち上がっている。
 コンクリートに使用する骨材は、右岸の山を一つ越した場所にあり、トンネルを穿ってコンベヤで運搬されている。

 多種多様の作業が、あっちこっちで展開されているが、いったい何が行なわれているのか、さっぱり分らない。言えることは、全ての機械が無駄なく効率的に動いているらしいということだ。


多種多様の作業

 今やダム用コンクリート自動運搬システムは3次元の領域にあるという。あらかじめプログラミングされた打設手順に従って自動運転されているのだそうだ。全ての指令がクレーン操作室のホストコンピュータから各セクションの制御装置へサブコンピュータを通して伝達される。かつ、各セクションからの情報もホストコンピュータに集約されるという。


ケーブルクレーンとローラークレーン

 見学者は現場の複雑で狭いパイプ足場の手摺にしがみついているので、当然のことながら20人の列は縦長になる。技術者の説明はスピーカーでこれもまた一生懸命にしゃべるのだが、素人の我々には技術用語はよく分らない。分らないながらも、ダム工事とは日常生活とは桁の違うどでかい相手なのだと改めて感心するばかりだ。それをコントロールする技術者集団には改めて敬意を表したい。


技術者の説明

 ダムの下流側を見学。そこには仮排水トンネルの出口から、右側へ滝のように水が勢い良く飛び出している。そして画面の向うは浸食崖の切立った狭い峡谷である。青い水が流れている吾妻峡に接続されているのだ。
 なおダム建設の工程順を大ざっぱに説明すると、この仮排水トンネルが最初に造られる。と言うのは、ダムの堤体を造るためには川が流れていては工事が出来ないからだ。そのために川を迂回さる必要がある。そしてダムが出来上がってからトンネルを閉塞するのである。
 次に掘削工事>コンクリート打設>湛水試験というふうに進んでいく。


吾妻峡

 群馬県には全国一の郷土かるたがある。その「」の札はこうだ。

耶馬溪しのぐ吾妻峡

 耶馬溪は大分県中津市であるが、吾妻峡も観光資源として重要な存在である。現在、散策路が右岸の高みに設けられていて、春には新緑、秋には紅葉を楽しむ観光客が多い。

 ダム構想は当初、この狭い吾妻峡が狙い撃ちされた。ところが、吾妻峡は昭和10年(1935)国の名勝に指定されていた。当時の吾妻町は大反対。そしてダムの上流側には川原湯温泉がある。それが水没してはたまらないと長野原町も反対した。それから長い闘争期間を経て、吾妻峡を出来るだけ残すようにダムを上流側にずらした。漸く両自治体と調印し、関連事業の国道付け替え・水没者の代替地造成・県道の整備・JR吾妻線の付け替え等の工事に着手した。
 ところが、民主党政権に変って平成21年9月17日、前原国交大臣がダム本体の建設中止を表明。
 平成27年2月7日、自民党政権の復権によって、漸くダム本体工事起工式に漕ぎ付けた。ダム本体左岸で発破による掘削工事が始まったのである。この間6年以上の中断で川原湯温泉では多くの住民が離村する悲哀を味わったのである。

 ダムの下流側を一望できる場所から撮った写真がこれ。四つの水門下部工が次第に出来つつある。


ダムの下流側



ダムの最下流

<終りに>
 従来よりも間近に見られて勉強になった。近寄れば近寄るほどスケールの大きな国家プロジェクトであることを実感した。とは言っても全ての理解は不可能である。次回の見学が待ち遠しい。

  (目次に戻る)  

 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください