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2006年9月20日

餘 部 橋 梁 が 解 体 ! !

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★2006年9月20日書き込み

 ぐんまたてもの紀行( http://restauro.hp.infoseek.co.jp/ )より

 

 建物ではありませんが・・・JR西日本・山陰本線(兵庫県美方郡香美町)にある餘部橋梁が、平成19(2007)年3月に解体される事になりました。

 餘部橋梁は、明治42(1909)年12月に着工、明治45(1912)年3月1日に開通しました。長さ310.59m、高さ41.45m、総工費331,535円。11基の橋脚、23連の鉄桁を持つトレッスル橋です。

 餘部橋梁がある餘部集落付近は特殊な地形だったので、京都・鳥取方面からの線路を、集落を跨ぐ形でつながなければなりませんでした。古川晴一(当時の鉄道院技師)により、アメリカ人技師の意見を取り入れてトレッスル橋と呼ばれる方式で建設をする事になりました。橋脚の鋼材は、アメリカンブリッジ社のペンコイド工場から九州の門司港経由で餘部沖に運ばれ、明治43(1910)年8月に陸揚げされました。完成までには33万円を超える巨額と延べ25万人を超える人員を投入し、また大変危険な工事であったために作業員には2万円もの保険が掛けられていました。

 餘部橋梁の建設は山陰本線建設において西隣の桃観トンネル(桃観峠大隧道)に次ぐ難工事で、餘部橋梁と桃観トンネルの完成により京都駅から出雲今市駅(現在の出雲市駅)までが全通となりました。完成後90年を超えた現在でも、トレッスル橋としては国内最大であり、初期の鉄道建築としても高く評価されています。

 昭和61(1986)年12月28日の午後1時25分頃、お座敷列車「みやび」(香住駅から浜坂駅へ回送)が日本海からの突風(風速25m以上=時速90km以上)にあおられ、鉄橋中央部付近より機関車と客車の台車の一部を残して7両が転落しました。この列車転落事故は、餘部橋梁の初めての惨事でした。

 前記の列車転落事故により運行基準を強化した結果、冬の観光シーズンを中心に運休や遅れが続出し、定時運行が困難となった事を契機に、現鉄橋の南側にPC橋(コンクリート橋)を新たに設置する計画が浮上しました。PC橋では風速30m(=時速108km)まで運行可能な設計とされており、また保守も容易なことから、JR西日本では出来る限り早い着工を目指しており、平成19(2007)年春から架け替え工事が行われる予定です。一方、観光客や地元住民からは現在の餘部鉄橋が無くなる事を惜しむ声が後を絶たず、特に地元からは新しいPC橋が観光資源となり得るかについては疑問の声が多いとのことです。鳥取県議会は、寝台特急「出雲」の廃止に関連して、鉄橋架け替えへの資金提供をやめる可能性を表明しています。

 

参考文献一覧

◆ 餘部橋梁 –ウィキペディア-

( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%98%E9%83%A8%E6%A9%8B%E6%A2%81 )

 

                                                                                                    【 作成:2007(平成19)年8月18日 】

 

 

 

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