このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
施設名称 旧日光田母澤御用邸
(きゅうにっこうたもざわごようてい)
設計者名 御用邸創設時の基本設計
宮内省内匠寮(たくみりょう)の
技師 木子清敬(きこ きよよし)
大正時代増築部の設計
宮内省内匠寮の技師 木子幸三郎(きこ
こうざぶろう・木子清敬の子)
施工者名 宮内省内匠寮
建 築 年 明治20(1887)年頃 〜 大正8(1920)年
構 造 木造
所 在 地 栃木県日光市本町8−27
(日光田母沢御用邸記念公園)
備 考 床面積:1352坪(4471m2)
室 数:106室
日光観光のシンボルである神橋から大谷川(だいやがわ)を1kmほど上流
にさかのぼったところに位置する。
御用邸の創設は明治32(1899)年。病弱であった皇太子嘉仁(よしひと)親王(後の大正天皇)の、夏の静養所として設けられた。建物はすべてがこの時に新築されたものではなく、もともとこの土地にあった民間住宅(日光出身の銀行家・小林年保(ねんぽ)の田母沢別邸)に、明治天皇が仮御所として使用された紀州徳川家の江戸中屋敷の一部を移築し、新たな部分を加えて造営された。
大正天皇の即位後は、御用邸で公式儀礼を行う機会が増えたことから、謁見所(えっけんしょ)や御玉突所(おたまつきじょ・・・ビリヤード場)を造るなど大規模な増改築が行われた。
旧日光田母澤御用邸は、江戸・明治・大正の各時代の用途の異なる建物が混在しているが、全体として見事に調和がとれている貴重な建造物である。
国の重要文化財に指定されたのは
1 御 座 所 赤坂離宮から移築。江戸時代の建物。
2 御 食 堂 赤坂離宮から移築。明治時代の建物。
3 皇 后 御 座 所 もとから田母沢にあった銀行家の別荘。明治時代の建物。
4 謁 見 所 大正時代増築部
5 内 謁 見 所 大正時代増築部
6 皇族及び臣下休所 田母沢御用邸開設時の新築。一部大正時代に増築。
7 御 車 寄 赤坂離宮から移築。明治時代の建物。
8 主 殿 寮 田母沢御用邸開設時の新築。
9 調 理 所 一部は田母沢御用邸開設時の新築。大部分は大正期の増築。
10 女 官 部 屋 田母沢御用邸開設後、明治〜大正期の増築部分。
の10棟である。
● 御 座 所 ●
1階 御座所、御次の間、御学問所
2階 御日拝所、御寝室、劔璽の間
3階 御展望室
天保6〜11(1835〜1840)年、紀州徳川家江戸中屋敷として赤坂(現在の東京
都港区元赤坂・迎賓館のある場所)に新築されたもの。江戸時代後期の建築様式を伝える。
この建物は明治5(1872)年に皇室に献上され、赤坂離宮となった。明治6(1873
)年には皇居西の丸御殿の炎上に伴い、この建物が仮皇居となった。明治22(1889)
年、明治新宮殿の完成によりこの建物は再び赤坂離宮となり、皇太子嘉仁親王の住む東宮御
所(別称:花御殿)となった。明治31(1898)年に解体され、明治32(1899)
年、現在の田母沢に移築された。
【御座所】1階にある、大正天皇の執務室・居間。床(とこ)・棚を設けた和室だが、床(ゆか)にはじゅうたんが敷かれ、天井からはシャンデリアが吊るされており、和洋折衷形式となっている。この部屋と御学問所、謁見所のじゅうたんは20色のアキスミンスター織である。
【御学問所】1階にある、天皇の書斎。床の間の壁などに梅樹が描かれていることから『梅の間』とも呼ばれる。
【御日拝所】2階にある、天皇家の祖先を遥拝する場所。床には、20色のアキスミンスター織のじゅうたんが敷かれている。
【御寝室】2階にある、天皇の寝室。御座所・御学問所と異なり、畳敷きである。また、この部屋のみ電灯ではなく燭台が置かれている。
【劔璽の間】2階にある、3畳の小部屋。天皇位継承の象徴である剣と勾玉を安置するための部屋である。安置所には、繧繝縁(うんげんべり)の畳が置かれている。
【御展望室】3階にある、畳敷きの部屋。他の部屋と異なり、数寄屋風のくつろいだ造りになっている。
● 御 食 堂 ●
紀州徳川家江戸中屋敷が東宮御所(花御殿)となった後の、明治22(1889)年に赤坂の地で増設された部分。御食堂・御次の間・御化粧の3つで構成されている。御食堂や廊下には、4色のウィルトン織りのじゅうたんが敷かれている。
● 皇 后 御 座 所 ●
1階 皇后御座所、高等女官詰所、皇后呉服棚
2階 御学問所、御次の間
御用邸の創設(明治32・1899年)以前からこの敷地にあった、小林年保(ねんぽ)(日光出身の銀行家)の田母沢別邸を再利用したもの。明治20(1887)年頃の建築である。
柱や長押などには、栂(つが)材が用いられている。天皇の御座所とは異なり、じゅうたんではなく畳敷きである。
● 謁 見 所 ●
天皇が、来客と公式に面会する部屋である。大正7(1919)年以降に増築された部分。
床(とこ)・棚・書院を設け、天井は格天井(ごうてんじょう)とした書院造りを基本としているが、床(ゆか)は畳にじゅうたんが敷かれており、和様折衷となっている。
● 内 謁 見 所 ●
皇后が、来客と公式に面会する部屋。大正7(1919)年以降に増築された部分。
● 皇族及び臣下休所 ●
皇族休所のほか、宮内大臣・侍従などの控えの間で構成されている。御用邸の創設時(明治32・1899年)に現在地に新築されたが、一部は大正時代に増築された。
● 御 車 寄 ●
紀州徳川家江戸中屋敷が東宮御所(花御殿)となった後の、明治22(1889)年に赤坂の地で増設された部分。唐破風造。
● 主 殿 寮 ●
主殿寮・調度寮・内蔵寮・侍医寮などから構成されている。御用邸の創設時(明治32・1899年)に現在地に新築された。
● 調 理 所 ●
大部分は、御用邸の創設時(明治32・1899年)に現在地に新築された。
西半部は、大正7(1919)年以降に増築された。
● 女 官 部 屋 ●
高等女官部屋や物置などで構成されている。
大部分は、皇太子(後の大正天皇)御成婚に伴い、明治33(1900)年以降に増築されたもの。北半部は、大正7(1919)年以降に増築された。
◆ 栃木県営都市公園「日光田母沢御用邸記念公園」について ◆
栃木県は、旧日光田母沢御用邸の保存と公開のため、平成9(1997)年から第一期整備工事を行い、平成12(2000)年8月より一部を「日光田母沢御用邸記念公園」として開園した。平成14(2002)年からは第二期整備を実施。女官部屋と調理室があった棟を研修室とホールに改装し、平成15(2003)年10月から利活用施設として一般開放している。なかでも、和室の研修室は茶室として利用できることから、人気の施設となっている。
なお平成13(2001)年には天皇・皇后両陛下が来訪され、天皇陛下が皇后陛下を導きながら疎開時の思い出などを語っておられた。また来園の記念として、園内にイチイの木を植樹なされた。
「栃木県営都市公園 日光田母沢御用邸記念公園」概要
所 在 地 栃木県日光市本町8−27(JR日光駅、東武日光駅から約3km)
開館時間 9:00〜16:30(本邸受付は16:00まで)
休 園 日 火曜日(祝日の場合は翌日休館)及び12月29日〜1月3日
入 園 料 大人500円 小・中学生250円
敷地面積 39390m2(建築面積4471m2、部屋数106室)
問 合 先 日光田母沢御用邸記念公園管理事務所(電話 0288−53−6767)
ホームページ 日光田母沢御用邸記念公園 ( http://www.pref.tochigi.jp/kouen/tamosawa/index.html )
備 考 研修室(全7室)と研修ホールが利用可能です。
参考文献一覧
◆ 旧日光田母澤御用邸
( http://www.tochigi-c.ed.jp/bunkazai/bunkazai/LIST/H15/151017.htm )
◆ 旧日光田母澤御用邸
( http://prw.kyodonews.jp/prwfile/release/M000425/200508011321/press/ichigo_14.html )
◆ 日光田母沢御用邸記念公園
( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%AF%8D%E6%BE%A4%E5%BE%A1%E7%94%A8%E9%82%B8%E8%B7%A1 )
【 作成:2007(平成19)年9月22日 】
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |