このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

                 Nゲージの世界へようこそ


C59蒸気機関車


C59 42(戦前型)               
C59は、C53の後継機として昭和16年から18年までに100輌、さらに戦後の昭和22年から23年にかけて73輌が新製されました。戦前型と戦後型に分けられ、両者の大きな違いは、箱型と呼ばれるテンダーを備えた戦前型と船底型と呼ばれるテンダー付けた戦後型で区別が出来ます。42号機は、広島第一機関区に投入され山陽本線で活躍しました。模型は、同社の他の窯と同じくやや腰高になっていますが、その細かいディテールは相変わらず走行性能もまずまずと言ったところです。C59は同社からはなんと9種類もの製品が発売されています。(とてもお金が足りませんネ)


C59 127(重油専燃機)             
127号機は、重油を燃料とするための試作改造を1954年に鷹取工場で施された。テンダーは石炭庫が重油タンクとなり、燃焼室も火格子を撤去するなど大規模な改造となった。改造後、直ちに準急「ゆのくに」専用機として、京都- 米原間で使用された。専任の機関助士を置いて運用にあたり、他の石炭焚きの機関車に比べ圧倒的に楽な乗務で、なおかつ出力も増大し、EF58形と平行ダイヤが組めるとまで評された。東海道本線電化の後、盛岡機関区に転出し、東北本線の盛岡 - 一戸間で補機として試用されたが、ほどなくして鷹取工場へ戻され、1960年に廃車・解体されました。C59は、特急牽引機として人気があります。(そういえば1979年頃のKATOのカタログには予定品として載っていましたがいつのまにか消えてしまいました。)127号機はこのモデルが出るまで全く知らなかった重油専用の窯です。形式的には変わったテンダ−付の窯で珍しく、また本線急行用の窯でさぞ人気が高いと思ったのですが、一般的な姿でないので嫌われたのか、お店にいつまでも売れ残っていたのが思い出されます。



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