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103系3000番代



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ウグイス色の103系は全部で6本。内訳は3000番代を名乗る編成が5本、3500番代が1本です。


1.はじめに
 昭和60年9月30日に川越線が電化してから平成17年10月までの20年間、JR川越・八高線で活躍したウグイス色103系3000番代車は、もともと仙石線で活躍していた旧型電車72系970番代車を改造して誕生した異端児的な車輌です。
 一方、平成8年3月16日の八高線電化時に増備された3500番代車は一般型高運転台車103系から扉を半自動扱いできるように1編成4両のみ改造された、これも異端な存在です。

 このページでは、103系3000番代・3500番代にスポットを当て、履歴を紹介します。


  
103系3000番代車の特徴は、客室扉の取っ手。バリエーションは5つ。 右写真:同僚Y氏提供


2.72系970番代車の概要
 時代は昭和49年に遡ります。この頃、首都圏および京阪地区の新性能化が進む一方で、地方地区では首都圏から捻出された旧型電車を使用している状況でした。このため、首都圏と地方地区との格差が目立つようになり、地方地区では乗客からの要望で客室の近代化が迫られていました。
 しかし、首都圏でも横浜線、南武線では一部新性能化を実施しただけであり、関西地区でも阪和線・片町線は旧性能電車が主力で活躍している状態でした。従って、地方地区では新製車を投入する状況になく、車輌基地の検修設備についても新性能電車を受け入れる能力が備わっていなかったのです。
 そのような状況下、改善要望が強かった路線のひとつ、仙石線に旧型車の車体を新性能車並にアコモデーション改良、つまり旧型電車の下回りに車体を載せ替えた車輌が登場することになりました。
 仙石線は沿線に日本三景のひとつに数えられる松島があり、観光路線として有名ですが、仙台地区の通勤・通学旅客の需要が増加し、朝夕の混雑が著しいため、それまで旧型の72系を利用していた乗客から改善の要望が強くなっていました。
 そこで通勤電車として活躍している4扉・ロングシートの高運転台車103系と同等の車体に更新を行うことになりました。
 まず、昭和49年度下期に郡山工場(富士重工業(株)宇都宮車両工場に委託)で72系電車12両の改造が行われ、車体更新されたモハ72970番代、クハ79600番代車が誕生しました。その後、昭和50年度末までさらに8両が増備され、最終的に4両編成5本の計20両が揃ったのです。
 こうして、車体更新車72系970番代車は昭和50年2月から運用を開始、『祝 新型電車運転』のマークを付けて華々しくデビューを飾りました。その後は仙石線内特別快速列車を中心に使用されました。
 登場当初の塗色は黄緑1号で、後に前面に視認性向上のための警戒色として白、赤、黄と試験の後、黄色の帯が付くようになりました。正式に帯が付いたのは昭和53年の10月2日ダイヤ改正からのようですが、その前8月末頃には既に黄色帯付きの電車が存在していました。
 当時の仙台の陸前原ノ町電車区では全般検査が可能でしたが、1両ずつのみ。しかし、これでは編成あたりの時間が掛かりすぎてしまう為、殆どは郡山工場へ外注していたようです。このため編成入場ではなく単体なので、回送時の反射板掛けが前面とともに中間車妻板にも設けられたものと思われます。
 また、塗色変更時には入場差の違いで3両青22号(最初の103系編成が入線してきた頃に青22号へ変更)で1両黄緑+黄帯という編成も存在しました。
 その後、仙石線は昭和60年3月に首都圏から捻出された103系の転属により新性能化が完了し、72系970番代車は運用を離脱し、休車扱いで陸前原ノ町電車区に暫くの間留置さ れました。


3.103系3000番代車の概要
 仙石線新性能化完了から半年後の昭和60年9月30日には、川越線大宮−高麗川間が電化することとなり、川越−高麗川間については当時の国鉄の財政悪化と旅客需要の兼ね合いから、新製ではなく改造による3両編成の電車が計画されました。
 そこで陸前原ノ町電車区に余剰となり留置されていた72系970番代車が利用されることになったのです。車体については経年が10年と比較的新しいことから、この車体を利用して下回りを新性能化する改造が行われました。

 改造工事の概要ですが、川越線用(川越−高麗川間)として仙石線Tc−M−M−Tcの4両編 成(5本)をTc−M−Mc´の3両編成(5本)へ改造することになりました。
 車体はなるべく改造を減らして種車のままとし、モハ72970番代のパンタグラフ取付台を利用して中間車がパンタ付M車(但しパンタグラフは取付台を再利用したため、一般形の103系と反対側に取付けられました)となり、ユニットを組む先頭車はMc´となって103系1200番代以来のクモハ102形が登場しました。
 側扉は単線交換待ちを考慮して半自動切替式のままとしました。台車、主回路機器等下回り装置については101系廃車発生部品および検査回帰見直しにより確保した予備部品のものに交換されました。
 改造後の車号については、半自動扱い可能な戸閉め指令や車体・台枠構造など従来の103系とは異なるために、3000番代として区別されました。
 こうして、首都圏で活躍したチョコレート色の72系旧型国電は仙石線に移り103系並の車体に更新されて活躍後、下回りを再度改造されて名実ともに103系となって首都圏に戻ってきたのです。なお、塗色は山手線と同じ黄緑6号となりました。

 ところで、仙石線の留置車4両編成(5本20両)は川越線3両編成(5本15両)へ改造されましたが、改造されず残った5両のモハ72系970番代奇数車については、廃車とはならずに昭和61年11月改正の首都圏輸送改善に伴う転用計画に盛り込まれました。そして、この5両は電装を解除されて車号をサハ103−3000番代となり、青梅線の3両編成から4両編成化へ向けた増結用として、朱色1号色に塗り替えられ昭和61年10月までに豊田電車区に配属が完了しました。

 電化時3両編成で使用開始された川越線103系3000番代車ですが、平成元年4月から毎週月曜日71運用の朝3往復に混雑緩和のため、一般形であるサハ車(サハ103−61非冷房車)を連結して4両編成で走る運用が登場しました。つまり、八高線電化で完全4両編成化の前に一部の運用で4両化が実施されていたことになります。
 改造当時は非冷房でしたが、平成2年〜3年度にかけ各電車区で冷房改造が施工されました。冷房装置は2分散式のAU712で、電源は各車に1基ずつSC24が取付けられました。同時に先頭車に側面行先方向幕が取付けられましたが、中間車モハ103については省略されました。また、サハ103−3000番代車については豊田電車区時代に冷房改造が行われ、側面行先方向幕はモハ同様に省略されました。
 その豊田電車区のサハ103−3000番代車が一般形より一足早く休車となり、青梅線の運用から離脱。一方、川越線では平成4年5月6日から前述の毎週月曜日朝3往復に豊田電車区の3005号車を借り入れる形で、使用を始めました。塗色は編成に合わせて黄緑6号に塗替えられました。
 また、平成7年9月30日・10月1日の2日間には、笠幡の霞ヶ関カンツリー倶楽部ゴルフ場で行われた日本オープンゴルフ選手権大会による多客に備えて、日中走る運用3編成を4両化しています。この時の増結車両は前述のサハ103−3005に加え、大宮運転所に長く留置されていたサハ103−3001、3003が充当されました。増結にあたって大宮工場で全検を受け、朱色1号から黄緑6号に塗り替えられました(ゴルフ選手権大会後はサハ車をはずして再び3両編成に戻されています)。

 そして平成8年3月16日に八高線が電化、209系3000番代車4両編成(4本)と103系3500番代車4両編成(1本)の合計20両が増備されました。3000番代車についても、残るサハ103−3002・3004が整備されて完全4両化となりました。
 余談ですが、この頃ATS−P増設入場の影響で車両不足が発生し、一般形高運車4両編成1本を習志野区から借り入れて(3000番代車と同色の黄緑6号に塗替えらました)57編成として1月6日から八高線電化後も3月24日まで使用されています(クハ103−769+モハ103−438+モハ102−594+クハ103−782)。
 その後103系全車に外幌の取り付けが行われました。
 八高線電化後の103系・209系は共通運用で、運用区間は川越〜八王子・立川となりましたが、立川乗入れは平成11年12月ダイヤ改正で廃止され、川越〜八王子間となり現在に至っています。


     
八高線電化の頃(画像提供:同僚Y氏)


4.103系3500番代車について
 八高線電化時に1編成のみ投入された103系3500番代車ですが、先頭車は昭和53年に落成後山手線で活躍。以後埼京線、京浜東北線、京葉線を経て3500番代に改造されました。
 中間車のモハユニットは昭和58年赤羽線10両化に伴い増備(103系の最終増備車)された車輌で、登場時の塗色は黄色5号でした。従って、こちらは山手線を走行したことがありません。そして、埼京線開通直前に黄緑6号に塗替えられ、埼京線に転属しました。後に埼京線205系化により京浜東北線へ転属、青22号へ塗替えられ活躍後、3500番代化されました。
 因みに、中間車においては先頭車と製造時期が開いている関係で、外観上若干の相違点があります。例えば、側面客室ドア戸袋窓のHゴム支持が製造時から黒色であったことや、クーラーランボードが長い等、マニアックな興味が尽きません。
 なお、帳簿上の改造落成は平成7年12月1日付けですが、実車の改造落成は10月に完了しています。


5.103系の終焉
 こうして、川越・八高線に安住の地を得た異端車103系3000番代車ですが、平成14年4月から山手線に新型車輌E231系500番代車が登場し、従来山手線の顔として活躍してきた205系が置き換えられ、各地へ転属または改造の上配置されることとなりました。
 これによってJR東日本所属の103系は平成17年度中に全廃されることが決まりました。
 川越・八高線の103系も置換えの対象となり、早速205系3000番代車4両×2編成が大宮工場で落成し、3001編成(81編成)が平成15年11月10日から75列車で運転開始されました。
 これと入替わる形で、故障の多かった103系3004編成(54編成)が11月12日で営業を終了し、翌日大宮運転区へ廃車回送されました。川越・八高線103系の廃車第一号です。なお、川越・八高線用205系は平成16年3月13日ダイヤ改正の増発に合わせて12月2日からは82編成が営業を開始しました。
 103系3004編成(54編成)の廃車後、しばらく安泰だった103系でしたが、平成16年9月22日に205系3003編成(83編成)が営業を開始すると、入替わりで103系3001編成(51編成)が10月6日に営業を終了、続けて11月7日に84編成が運転を開始すると3005編成(55編成)が11月12日に営業終了となり、一気に活躍が狭められました。
 そして、平成17年2月21日から205系の最終増備車85編成が営業を開始し、これと入替わりで3500番代車(56編成)が3月24日に営業を終了しました。
 3500番代車は営業終了後、大井工場へ回送されイベント展示後、川越には戻らず直接大宮へ廃車回送されました。
 また、4月17日からは、東京臨海高速鉄道りんかい線70−000系から改造された209系3100番代車(72編成)、4月23日からは71編成が営業を開始し、これで八高・川越線の103系置き換えが完了しました。これによって、3002編成(52編成)が5月17日に営業を終了し、大宮へ廃車回送されました。
 残る最後の103系3003編成(53編成)は、5月15日の63列車を最後に、南古谷の川越車両センターに7月まで留置され再び営業に就くことは無いと思われました(実際7月に廃車回送の手続きが取られていたようです)が、10月2日にさようなら最終運転が決定し、馴らし運転を兼ねて時々本線の運用に就くようになりました。
 10月1日には、川越車両センター開設20周年を記念して公開イベントが行われ、最後まで残った3003編成も展示されました。
 10月2日には終日運用の73列車に充当され多くのファンが訪れました。川越駅では電化20周年を記念した出発式が行われるなど、有終の美を飾りました。

 ところが最終運用後しばらく経った10月12日に、川越・八高線の車輌に不具合が発生し、車輌不足で当日の運用に支障をきたす恐れが出たため、まだ川越車両センターに残っていた3003編成が急きょ運用入りしました。
 当日は大回りローテーションの77列車に充当されましたが、夜になってから川越入庫の65列車へ変更となり、その日のみのイレギュラー運用となりました。これは推測ですが、77列車は南古谷出庫運用3本のうちの一番遅い列車で、故障車輌の修理をぎりぎりまで行ったものの間に合わず、最終出庫の77列車に充当されたものと思われます。2日が103系の最終運用として運転された後だけに、この日の運転は実施か中止か紙一重の状況だったに違いありません。
 さすがにその後の本線復活は無く17日に古巣を離れて大宮へ廃車回送されました。

6.最後に
 車歴50年、車体30年、103系20年を誇る103系3000番代車ですが、103系ファミリーのなかでも変り種であり、車歴だけ見れば現役最古の電車車輌であったに違いありません。晩年は故障頻発で老朽化が著しかったようですが、よく今日まで大きな事故も無く活躍してこられたと思います。個性豊なこの車輌が引退するのは残念ですが、通勤車輌として多くの人々を運び続けた功績に栄誉を称えたいと思います。

 長い間ご苦労様でした。情熱をありがとう。


103系3003編成(53編成)のサイドビュー
八王子←クモハ102−モハ103(P)−サハ103−クハ103→川越

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左:クモハ102 右:モハ103(パンタグラフ付)
 
左:サハ103 右:クハ103
 



103系3500編成(56編成)のサイドビュー
八王子←クハ103(3502)−モハ102−モハ103(P)−クハ103(3501)→川越

(画像をクリックすると、大きい画像が見られます)
左:クハ103−3502 右:モハ102
 
左:モハ103(パンタグラフ付) 右:クハ103−3501
 





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