このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

日豊鉱業武蔵野炭鉱と亜炭について



↑日豊鉱業(株)武蔵野炭鉱社屋


日豊鉱業武蔵野炭鉱は昭和19年創業し、現在の豊田社長で3代目。炭鉱としては比較的歴史が浅いのですが、 江戸時代から入間川流域に住む人々が亜炭中に含まれる木の皮などを燃料として採掘していたと伝えられてい ます。日本国内では亜炭採鉱自体が珍しいのですが、つい先日規模の大きかった石炭炭鉱である釧路太平洋炭 鉱が閉山となり、国内唯一の亜炭・炭鉱になってしまいました。創業当時は軍隊管理下で石炭の代燃用を目的 とした採鉱が行われてきました。戦後になると燃料が石炭から石油へと需要が変化し、もともと石炭の代用燃 料であった亜炭は黒煙が出る、石炭に比べてカロリーが低い等のデメリットが多く衰退の道を辿ります。ただ、 亜炭は天然資源ですから、日豊鉱業では時代のニーズに合わせて採炭を続けてきた訳です。現在は、肥料成分 をしみ込ませて有機固形肥料を作る素材として、塩分・ミネラル補給を目的とする家畜の飼料として、水槽水 の浄化作用の素材として、幅広く利用されています。
因みに亜炭とは、一言で炭化の低い石炭のことです。亜炭は100〜130万年前に樹木等が埋積し炭化した ものですが、海成層と陸成層が繰り返される地層の中で、海が干上がって湿地となり森林が繁茂して くる過程で、つくられたようです。石炭は2000〜3000万年前の炭化物とされていますから、その差は 歴然です。さて、この亜炭は、ここ加治丘陵のみならず関東西縁に所々分布する丘陵地帯に多く含まれます。 このことについては後述します。



↑亜炭を利用した製品。左2点有機固形肥料、右は多目的天然消臭剤(水の浄化用)


現在、武蔵野炭鉱での産出は最盛期よりも減少。日豊鉱業ではこの武蔵野炭鉱の他に宮城でも亜炭を採鉱し ています。ただ、こちらは露天掘り。武蔵野炭鉱は露天掘りよりもコストの掛かる坑内掘りで採炭しており、 産出量が減ったのは、宮城のヤマに主流を移しているためです。坑内掘りは高度な技術と熟練を必要とします。 坑内作業者は(1)採炭夫(2)支繰夫(しくりふ)(3)保線と、大きく3つの仕事に分けられます。特に、支繰夫はト ンネル上の岩盤を支えるための柱をつくる重要な役割を担っています。岩盤強度を見極められる高度な技術が 必要で、鉱山大工とも呼ばれています。このように、坑内掘りでは採算性問題がネックとなり、将来は露天掘 りのみ採炭を続け、武蔵野炭鉱では加工プラントのみ残し採炭をやめることになるそうです。



↑採炭した亜炭の山


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