このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

八高シーサイドライン



↑日豊鉱業武蔵野炭鉱で発掘されたアケボノゾウの臼歯


日豊鉱業武蔵野炭鉱周辺を含む入間川流域には加治丘陵があり、関東西縁に広がる丘陵地帯のひとつです。
この加治丘陵中に存在する仏子層では、地質学研究が盛んに行われています。仏子層は、飯能市阿須から狭山市笹井の入間川沿いと加治丘陵に分布しており、東〜北東に数度傾斜し、約110mの厚さを持ちます。主に泥の地層か ら成り、”れき”や火山灰、亜炭などの地層を挟んでいます。仏子層は100〜150万年前に積もったとされていますが、この地層からアケボノゾウの牙や臼歯の化石が発見されています。この他、メタセコイアの化石林をはじめ、動植物の化石も含まれています。
これらのことから、当時の地質時代(前期更新世と呼ぶ)、関東平野の生い立ち、気候変動を知る上で重要な役割を担っているわけです。

加治丘陵に存在する亜炭の層は1〜3mとされ、採炭するほど厚い亜炭層は、加治丘陵の他には知られていません。しかし、関東平野西縁丘陵のうち、岩殿丘陵(岩殿観音のある東松山市と鳩山町にまたがる丘陵)以南の丘陵に分布する前期更新世の地層(上総層群)の中には、50〜60cm程度の亜炭層があちこちに挟まれています。

          アケボノゾウ化石産出地表
産出地種類
・飯能市阿須 日豊鉱業武蔵野炭鉱臼歯
・仏子の切り通し開削現場臼歯
・入間市大字仏子字宮ヶ谷戸の入間川右岸のガケ象牙
・入間市前堀川の河床臼歯
・新豊水橋工事現場臼歯
・狭山市大字笹井字東八木の入間川左岸のガケ臼歯ほか
・入間市野田足跡

アケボノゾウの化石は、亜炭層またはその付近の層から発見されたものと、洪水時の堆積物と見られる泥あるいは泥質の砂の地層から発見されたものとがあります。
アケボノゾウは、およそ100万年前に絶滅し、ムカシマンモス(シガゾウということもある)に置き換わっています。アケボノゾウの食性については、よく分かりませんが、おそらくメタセコイアも食べていたことでしょう。
アケボノゾウと一緒に発掘される植物化石は、メタセコイア・オオバタグルミ・オオバラモミ・フウ等で、これらを総称してメタセコイア植物群といいます。絶滅の原因ですが、気候の寒冷化や大陸の動物の流入など、いろいろなことが複合されていると考えられます。
アケボノゾウの化石は、入間川流域のほか、東京都昭島市多摩川河床からも発見されています。また、八高線の多摩川橋梁直下で昭和36年に発見されたアキシマクジラ化石が有名で、アケボノゾウと同じ時代に生息していたということがわかっています。さしずめ、八高線は前期更新世時代の海岸沿いを走る「シーサイドライン」ということになるわけです。

そこで、日豊鉱業武蔵野炭鉱周辺における前期更新世時代の海と陸地の様子(大雑把な推定)を考えてみると、三浦半島と房総半島の南半分が陸となり、関東平野の大部分は、東の鹿島灘に開いた海だったようです。そして、関東平野西縁丘陵辺りには海岸が接していて、入間川流域に存在したと思われる海岸線は、入間市牛沢町にある牛沢貝層と呼ばれる地層から発見された化石から考えると、泥質ないし砂質干潟で、藻場もあったようです。また、沿岸は砂底の遠浅であったようですが、岩礁性の生物の化石も見られるとの事で、一部には岩礁もあったと思われます。

さらに、この海岸に流れる川についてですが、加治丘陵の礫層(子石まじりの非常に堅い層)を構成する礫の種類を調べてみると、砂岩が圧倒的に多くなっています。これは、今の多摩川の河床歴とよく似ています。現在の入間川の礫には、砂岩の他、チャート(陸から離れた深海底で堆積した放散虫というプランクトンの殻が固まった岩石。非常に硬いため昔は火打ち石として使われていました)が多く見られるのですが、このような傾向は、高麗丘陵の北半分から北の丘陵の礫層に見られます。また、多摩丘陵の礫層の構成から、今の相模川のものに似ています。
このように見ると、前期更新世の川の流路は、現在に比べ、全体的に北寄りであったと考えられています。

日豊鉱業豊田社長から亜炭や加治丘陵に関する歴史をお聞きして興味を持ち、インターネットを中心に地質学サイドの見解をさわり程度に調べただけですが、100万年もの期間を挟んでいるとはいえ、地質調査でここまで分かることに大変驚きました。

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