このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

武蔵高萩駅の魅力


<駅舎の歴史>
JR川越線武蔵高萩駅は、昭和15年7月22日、川越線開通と同時に開業しました。 JR武蔵高萩駅には、昭和天皇行幸の際に使用された貴賓室が設けられています。 昭和天皇は、豊岡(現在の入間市)の陸軍士官学校の卒業式に昭和16年3月28日、昭和17年3月27日、昭和19年3月20日の3回 お召し列車でJR武蔵高萩駅を利用し行幸されました。当時は、貴賓室を持つ近隣にない豪華な駅でした。 貴賓室の現状は、戦後50年以上貴賓室として利用されていません。シャンデリアなども撤去され、今ではかわらのふき替えや内外壁の 塗り替えなどがなされており、駅の倉庫として利用されていることから、内部には当時をしのばせるものはほとんど残っていません。

<駅舎の現状>
現在のJR武蔵高萩駅は、昭和15年の川越線開業時から一部改築はされているものの、基本的には当時の駅舎を使用し、60年以上経過 した今日では老朽化が進んでいます。また、駅が南側乗降口のみの地平駅でホームが2面2線となっていることから改札口から上り線ホーム へは、構内の踏切(渡線道)で上下線を横切る構造になっています。この渡線道は、警報機や列車接近の表示などは設置されているものの、 遮断機などの安全施設が設置されていません。このことから、旅客が進行中の列車や発車間際の列車の前を横断する光景がよく見受けられ、 危険性が高く早期に安全対策を講じる必要があります。

<橋上化および自由通路新設事業>
日高市では、JR武蔵高萩駅の橋上化及び自由通路新設事業について、平成9年度からJR東日本と話し合いを進めてきました。 平成13年7月5日に、JR東日本大宮支社とJR武蔵高萩駅橋上化等に関する覚書を締結し、駅舎の橋上化及び南北自由通路の建設に向 けて事業がスタートしました。そして、平成15年度には事業着工となり、現在の駅舎は取り壊されることになりました。

<駅舎及び貴賓室の取扱いについて>
事業を進めるにあたり、日高市では駅舎及び貴賓室の保存について、事業を推進しながら保存の可否を検討。検討の結果として現駅舎を 保存したまま、橋上化及び自由通路を設置することは困難であるとの判断をしました。 そして、取り壊しにによる事業着工前に貴賓室を一般に公開することになり、平成14年5月11日〜13日の3日間のみ公開されました。 今後は、現駅舎が日高市に近代化を促した駅舎であり、地元の歴史の一部として、市民の心に残っている建築物であることを踏まえ、郷土の 歴史のひとつとして、歴史から消えないよう詳細な資料を作成し、郷土意識の醸成や歴史教育等にも活かせるよう記録保存していく方針です。

以上、日高市広報より

桜の名所で、趣きあるJR武蔵高萩駅ですが、数年前から話題になっていた橋上駅化が具体的になってきました。 4年間駅の近くに住んでいた事があり、通勤にも利用してきましたので、この駅には特別な思い入れがあります。 駅舎の取り壊しについては大変残念ですが、橋上駅化事業に支障をきたすとのことで、仕方ない措置かとも思います。 一口に保存すると言っても、保存・維持のために掛かる経費もついてくる訳ですから、簡単に保存して欲しいとも言えませんし、難しい問題 です。ただ、市が謳っている”交通バリアフリー法に基づく周辺整備の一環として”のフレーズには、少し無理があるかなと思うのです。 僕は現状の駅設備の方がよっぽどバリアフリーに向いているんじゃないかと。どうせなら、この貴賓室を公開してギャラリーに開放するとか 一般の方々に利用してもらった方が、周辺地域への活性化がなされるのではないのでしょうか。そんな考え方もあって良いと思います。 そんな状況下での公開でしたので、もう二度と中を見学できないなとの思いから、画像公開も兼ねて出かけました。 さて、駅舎貴賓室内は、資材が置きっぱなしで扉を開けただけというような状態で公開されていました。ここで、市の保存に関する消極性が 伺われます。下手に掃除して当時の室内を完全再現なんて形で公開してしまったら、反対する人がきっと増えるでしょう。 軍隊の名残である駅前の桜並木とともに名所のひとつであった駅舎が無くなってしまうのは淋しい限りです。



JR武蔵高萩駅全景。サクラの葉っぱが上に見えます。サクラを絡めた駅の写真も来春が最後かもしれません。 左手が皇室用の入り口。右手が私たち一般用の改札口です。

画像をクリックすると、桜の咲いた時の駅が見られます(H15-4-7撮影)。

駅前の通りは桜並木です。軍隊の町であった面影が残っています。

皇室用の入り口は、立派な御影石の石柱が車寄せの屋根を支えモダンな印象。

貴賓室内部。資材が雑然と置かれ物置として使用されているようです。当時の備品は何も残っていません。

天井にはシャンデリアが吊るされていたそうですが・・・

鉄板のふたは防空壕跡です。地下へ下りるコンクリート製の階段があるはず。駅員さんの話では何にも無くて陰気臭いとのこと。

プラットホーム側から、駅舎を見ると、どことなく皇室用原宿駅に似ていませんか?

問題の踏切。遮断機を増設すれば、橋上駅に造り替えなくてもよさそうなものですが・・・

下り線ホームには屋根がついていて、良い雰囲気です。27キロポスト(大宮起点)が建っています。

上り川越方面ホーム後ろには、かつて、もう1本線路がありました。昭和天皇が行幸を終えて駅へ戻るまでの間、御召列車をここで待機 させていたそうです。



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