このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
関越自動車道 上里SA
2011年3月11日 午後2時46分
この日、このときを私は生涯忘れることはないでしょう。
この災厄はわたしたちへのリセットボタン。「あの日」以前よりもよりよい日本を私たちは創っていかなければなりません。
日々の暮らしが一変した戸惑いの中でも、変わらぬものを変わらぬ気持ちで見つめてゆきたい。
そう・・・、
悲しみや焦り、不安や怒りだけでは生きていけませんから。
池袋駅 時計まで止める徹底ぶりに言葉を失った。
後楽園駅より。
1954年に開通したこの池袋〜御茶ノ水間は、東京の地形の複雑さを凝縮したようなところを走る。
丘陵地帯を浅い深度で走る丸ノ内線はあちこちで地上に出る。上は本郷三丁目(荻窪)方、完全に市街化しているがまさに山岳トンネルの出口のようだ。
下は茗荷谷(池袋)方。2階にホームが設けられた駅ビルを電車は貫通、すこし走るとまた丘をくぐり抜ける。
茗荷谷に向かって歩き始める。地図はあえて準備してこなかった。
春日通りを左に折れてつづら折れの路地を線路の方向へ。
とある角にいかめしい警察車両が。
「警視庁富坂庁舎」。重大事件の参考人や被疑者を隠密に取り調べる施設としてたまに聞く建物はここだったのか。
神田川から小石川の高台へ。坂道は勾配を保ったまま線路を越える。
「二葉亭四迷が幼少期を過ごした場所」、「徳川慶喜の屋敷跡」・・・。
街路のあちこちにそんな由来を示す看板が。まぎれもなく「都心」にいるのに、たまに見かけるネクタイ姿が場違いに見える街。
やはり「地下鉄」、のどかな地上でもガードは固い。フェンスの上に手を伸ばして。
菜の花は車窓からのほうが一瞬だからかインパクトあったなぁ。
第三軌条の地下鉄が「メトロ」の語感には似合う。パンタグラフのそれは「サブウェイ」だ。
パリかロンドンの住宅街にいるような・・・。行ったことはないけれど。
線路と並行する道はない。上がったり下りたり・・・。
こんなに気合を入れて地下鉄撮るのは生まれて初めてかも。
小石川の車庫と本線の間で道はうねる。
谷底を高架で。しかたなく昔ながらの路地はトンネルに。
文京区春日2丁目はここまで、ここからは小日向1丁目。
コヒナタ・・・なんと愛らしい町名か。
小石川検車区の入り口にタタミ3畳にも満たない小さな祠があった。
階段昇った庭から見えるであろう光景をイメージする。「こんにちは」と声をかけようか。
帰宅ラッシュに向けて出陣。
茗荷谷駅。ここも節電中だが今までがムダに明るすぎたのかも。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |