このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

上 越 国 境(1978年8月、上越線。主に土樽‐越後中里)

 まさか旅先に住むことになろうとは夢にも思っていなかった28年前です。

 

鏡の中の上州路

 

鉄道写真の奥の深さに気づいた最初の1枚かもしれません。敷島‐津久田にて。

 

 

 

 

 

 

今昔物語

 

越後湯沢駅北側の高台に建つ旅館の窓から。

新幹線もマンションもない湯沢の町並みをあとに<とき>は新潟へ急ぎます。

 

 

 

 

 

 

涼風献上

 

この滝と上越線の間に現在は関越自動車道が割り込んでいます。

高速道路の橋桁が気になる窮屈な撮影場所になってしまった毛渡沢橋から上り急行<佐渡>。

 

 

 

 

 

 

迂3001M

 

この年の初夏、妙高高原駅付近で大規模な土石流災害が発生し、信越線は長期不通に陥っていました。

北陸へのアシを守るべく<白山>は迂回運転を行なっていました。松川を渡る金沢行きです。

 

 

 

 

 

 

力の象徴

 

<とき>に夢中だったから、当時の僕にはこんな貨物列車は合間の存在でしかありませんでした。

でも撮っておいてよかった。いまどきの機関車と比べたらばまるで非力だけれども、それはそれは重厚な走りでした。

 

 

 

 

 

 

<とき>俯瞰

 

松川のループトンネルを抜け出し、越後路への最終着陸態勢に入った下り<とき>です。

冬なら車内を埋めたスキーヤーから大歓声が上がるあたり・・・。

 

およそ30年後、いまやスキーブームは跡形も無く・・・。

この2枚は中里スキー場のゲレンデを登りつめて得たものですが、ここはこんにち炭鉱ではありませんが「閉山」の危機に瀕しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏は小駅

 

「特急」「急行」の号車位置案内札が通過してゆく一陣の風に揺れました。

181系のコックピットは暑かったのでしょうか、開けた窓枠に肘をついて乗務中ですね。

「あれ?電車は左ハンドルじゃ」。かつて特急は2人乗務が基本でした。そんなこともキャプションを書きながら思い出しました。

 

日本一コンビニエントなスキー場のある駅、いや正確には線路脇からスキー場がはじまる越後中里。

冬のにぎわいが偲ばれる1枚です。

 

新幹線ができたのはこの4年後。東京からでは乗り換えてすこしバックする形になりました。その時から中里の凋落は静かに始まっていたのかも。

 

 

 

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