このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
6月23日、東北のみの暫定ダイヤでの開業
11月15日、東北・上越両新幹線とも大宮始終着での本格営業開始。
1982年、東京以北に初めて向かう新幹線の開業スケジュールはこのように変則的なものでした。
6月暫定開業時、東北新幹線の陣容は盛岡行き「やまびこ」4往復、仙台行き「あおば」6往復のみ。
なんのことはない、同数の<やまびこ>と<ひばり>を切った以外、在来線はそのまま。空いたスジにはそのまま「新幹線リレー号」が入りました。
旧盆輸送、そして新幹線が初めて挑む長い冬に備えて初期故障は出し尽くしておこうという考えがあったのだと思います。
「営業しながら試運転」という趣での開業ですが、それでも在来線<やまびこ>は消滅するし、11月まで残る特急からも食堂車がはずされようとしていました。
これは、全盛時代の終わりを目前にした、民話の世界の住人のような名前をもった特急群の最後の記録です。
11月14日、東北・上越新幹線開業前日のたいへんな騒ぎになった上野駅に僕は行っていません。
82年4月、仙台に達した桜前線を追ってあと2ヶ月足らずの<やまびこ1号>に飛び乗りました。
大河原-船岡間の桜並木は満開でした。
葉桜の上野から約4時間、季節を逆行してきた<ひばり>です。
船岡を通過する上り<ひばり>
交流電気機関車のパイオニア、ED71も健在でした。
下り<はつかり>、たぶん5号。
盛岡以北の新幹線接続特急で愛称の存続は決定済みでしたが、上野に来なくなると聞いたときはやはり寂しかったものです。
特急待避
けっこう速かった東北本線の急行でしたが、追い上げてくる特急に時には2本まとめて道を譲ることがありました。
<やまびこ><ひばり>ダブル待避が済んだのを潮に車掌長さんはグリーン車の車掌室へ、運転扱いの専務車掌さんは後部運転台へ。
お待たせしました。急行まつしま号上野行き、間もなく発車です。
(1982.4 東北本線 大河原駅)
青葉したたる朝
6月12日早朝、上野からの夜行で降り立ったのは宮城県境ちかくの貝田駅。
一番手の<ひばり2号>が県境の峠道を駆け下りて来ました。
みちのくの朝
ワインディングロードに舞う
行き交う
貫禄では特急に負けていなかったメインラインの名脇役。
去るは長編成の鈍行、来るは急行荷物列車。
振り返る
貝田から藤田まで半日以上かけて歩きました。線路沿いの小道であちこち見回してアングルを探すのはじつに楽しかったです。
夏の光
午後の陽射しが上野駅地平ホームの奥までまだらに射し込んできました。
並べ直す
上野駅の象徴のような光景でした、中央改札の頭上に線区別に並べられていた発車案内板。
地平にあった赤羽駅を通過する<ひばり〉。大宮以南の新幹線工事も進みつつありました。
やたらに高い高架橋の最上段は新幹線、中段には「通勤新線」というものが走ると聞かされていました。こんにちの「埼京線」です。
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