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"おおぞら"とともに

1986年 北海道 グリーンシーズン

 

1980年に開業した「千歳空港駅」は現在の「南千歳駅」。

国道を挟んで千歳線と向かい合っていたターミナルビルから300m余りの連絡通路は

はるかに小奇麗な点を除けば青森や函館の乗船通路を思い起こさせる。

 

いずれも北海道への架け橋に違いなく・・・。

 

二日酔いで舞い降りた8月末、ここからレールで狩勝をめざした。

 

 

 

 

 

 

 

1986.8.25 広内信号場-西新得信号場

 

 

 

 

 

 

 

 

 1980年代はじめ、新得駅に途中下車したときのこと、「鉄ちゃんの入山届」なる大学ノートが待合室の片隅にぶら下っていた。

 頁をめくってみれば真冬のどこそこから俯瞰を撮った、どこそこのカーブにテントを張って星空バルブに挑戦した…など狩勝への熱い記述が。

いまのように瞬時に自宅や職場に居ながらに情報が手に入る時代ではない。旧線時代も含めた断片的な写真を脳裏に刻み、ぼくは五万分の一地形図だけを頼りに峠に向かった。軟弱だし歩いて回る時間も装備もなかった僕は帯広駅頭からレンタカーである。結論を先に言えば絶景まで行き着かずにその手前をうろうろしていたに過ぎなかった。それでもそのときは狩勝を満喫したつもりでいたのだから、改めて峠のスケールの大きさを帰京後に再確認したのである。

  

 

きなスノーシェルターの下には入らずに上り<おおぞら>をやりすごす下りのローカル。

タラコ色のキハ22はまるでキタキツネのように愛くるしい。

(1986.8.25 広内信号場)

 

 

 

 

 

 

 

1986年夏、キハ82系の<おおぞら>はたった1往復、それも帯広折り返しの軽めの運用。

キロはあったがキシはない6両編成。西日を浴びて狩勝にアタックする姿はまさに最後の輝き、だった。

(1986.8.25 広内-西新得)

 

 

 

 

 

 

広内から西新得へのΩカーブを回り切った釧路行き<おおぞら>、こちらは新鋭の183系。

快適ではあったが200系新幹線やキハ40系などと共通する故障対策の重装備化の結果、デッドスペースの多いのが残念だった。

(1986.8.26 広内-西新得)

 

 

 

 

 

 

 

畜産試験場の放牧地の中を駆け抜ける。

電柱ひとつない爽快なサイド・ビュー

 (1986.8.26 広内-西新得)

 

 

 

 

 

 

 

<まりも>で早暁着く人のためのご休憩プランもあった帯広ステーションホテルに投宿していた。

狩勝を訪ねた次の日、こんなところに寄り道。

 

 

広尾線幸福駅。

人は大勢、でもほぼ全員が貸し切りバスで乗りつけたツアー客か、バイクで道内を飛び回っていた「ミツバチ族」。

人は途切れることなく・・・、駅という名の観光地。

到着したこの列車に乗った人はひとりもいなかった。

(1986.8.26)

 

 

 

 

 

 

 

幸福駅に軽いめまいを感じてから狩勝を越えた。

「北の国から」の、ラベンダーの、FISワールドカップの富良野は近いようで実に遠い。

途中に横たわる「南富良野町」という広大な町が曲者だった。

 

根室本線と「狩勝国道」はほとんど並行していたが、南富良野町内の「かなやま湖」の部分だけは両岸に別れる。

国道を逸れてのどかな地方道を進めばダム湖を望むこんな素晴らしい景観が待っていた。

3年早ければここを駆け抜ける<おおぞら>が見れた筈、残念至極。

(1986.8.26 根室本線 金山‐幾寅)

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくにとっては遅めの夏休みだったのに、

美瑛の丘は秋の眺めになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

美馬牛。なんと美しい駅名か。

学生時代の冬、途中下車して歩くことを志しながら猛烈な地吹雪に断念したのは何年前?

それがレンタカーで乗りつけるようになるとは、なんとイージーな・・・。

 

でも忘れられなかった。

 

 

美馬牛駅前での感激。

 

 

 

 

 

独身貴族だったね、ホント・・・。

11月1日、国鉄最後のダイヤ改正の日、再び北へ。

 

羽田3時頃だったかのANA67便、そして千歳からはピカピカの183−500<おおぞら>。

車内で貰った新ダイヤを祝う乗車記念券はいまでも大切にアルバムに収まっている。

 

 

 

 

日付変わる頃、でも明朝の出区に向けたお色直しは始まったばかり。

(1986..11.1 帯広駅)

 

 

 

 

 夏に彷徨した畜産試験場のさらに奥へ。「熊に注意」の古ぼけた木札が目に焼きつき離れない。

未舗装の道は険しさを増し、やがて増田山トンネルの真上へ。当たり前だがそこは増田山の頂。

これだったのだ、憧れていた風景は・・・。熊に喰われてもいいや・・・、そのときの本心。

 

 

孤 走

 

 (1986.11.2 広内信号場-西新得信号場 -下も-)

 

 

 

かすかに、だが確かに<おおぞら>の鼓動は伝わってくる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後の一閃は、目の前に迫った白い季節に抗うかのよう。

 

 

 

 

 

 

 

クマザサが風にさわぐ音が増田山でのゆいいつの音。ちょっとテンポが乱れれば熊か、と怯えていた。

 

 

 

夏は西に向かった。今度は東に向かう。十勝川を越えると38号線沿線の風景は凄味を増した。

夕方釧路着。ここに来れば必ず寄る炉辺焼きで夕食後、再び駅へ。夜風はつめたい。

 

 

 

 

札幌からきょう最後の<おおぞら>が到着した。

反対ホームには札幌へ発車準備を整えた<まりも>。

 

黄昏からの旅を終えるものと、朝をめざすものの出会い。

(1986.11.2 釧路駅)

 

 

 

 

 

 

 

 海跡湖と湿原と段丘と砂浜と・・・最後の休日は音別‐古瀬で朝から過ごす

天と地の境は<おおぞら6号>の純白が縁どって見せてくれた。

(1986.11.3)

 

 

 

 

 

 

 

冬はもう、その波打ち際まで・・・。

 (1986.11.3 音別‐古瀬)

 

 

 

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