このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

キハ66・67九州色

 2001年。福北ゆたか線(篠栗線全線と筑豊本線の折尾〜桂川)が電化され、それまで走っていた気動車列車のキハ66・67は長崎に転属した。長崎は長崎市と佐世保市という2大都市を結ぶJR大村線が非電化のため、気動車列車が多く見られる地域の一つである。長崎転属後は翌春に控えたワンマン化に合わせてワンマン工事を施されたが、並行して全検入場時にこれまでの九州色からSSL色に塗り替えられていった。
 塗り替えが始まった頃はSSLが珍しかったのだが、塗り替えが進むにつれて九州色に希少価値が出てきた。あれだけSSL化を望んでいたのに、最後のほうは塗り替えが惜しくなってきた。そして2004年秋。塗り替えは完了し、キハ66・67九州色は絶滅した。

5号機(九州色)新旧の並び
夕暮れの九州色九州色4連

(左上)昨年の8月に佐世保駅で撮影した九州色の5号機です。当時、管理人は福岡に住んでいたのでお盆休みの帰省中に出会ったのですが、その後九州色が絶滅したので、この時は管理人にとって最後の66・67九州色となりました。それだけに思い出の作品です。ちなみに、この日のお出かけは往復九州色でした。もう2度と66・67九州色に会えない運命にあった管理人へのプレゼントだったのかもしれませんね。

(右上)昨年の6月。所用で長崎に行った際に長崎駅で撮影しました。青い車両がSSL(Sea Side Liner=シーサイドライナー)色ですシーサイドライナーとは長崎地区の快速列車の愛称名です。「シーサイド」の名の通り大村湾沿いを走り、これは長崎の鉄道の魅力の一つでもあります。塗色変更の最中はこのような新旧の並びをしばしばみることができました。

(左下)昨年の正月の帰省時に川棚駅で撮影しました。昨年の秋で九州色絶滅なので、この塗色で迎える最後の正月だったことになります。ちなみに後につないであるのがSSLです。このような新旧混色編成もよく見られました。夕暮れ時の撮影です。朝日の下ではありません。真冬の寒いのに朝から出て回るわけねぇ〜(コラコラ)

(右下)一昨年のお盆休みの帰省時に川棚駅で撮影しました。当時は九州色の数が多かったので、4両とも九州色なんてことはよくありました。逆に当初は今では当たり前のSSL4連が珍しかったですね…。末期には九州色4連の価値は格段に上がり、長崎地区の鉄道掲示板では盛り上がっていましたね〜。でも、管理人は66・67九州色が長崎にいた頃は、宮崎や福岡に住んでいたので滅多にお目にかかることはできませんでした。

 

最後に

 66・67九州色が長崎にいたのは2001年の秋から2004年の秋の約3年間だけでした。さらにその3年間、管理人は長崎にはいませんでしたから帰省時にしか会うことができず、持っている写真も非常に少ないです。まぁ、九州色の数が多かった頃は帰省時にちょくちょく乗っていましたけどね。ただ、当時住んでいた宮崎や福岡は地元の気動車はほぼ九州色だったので見飽きていましたが、なくなってみると寂しいものですね。
 ただ、この66・67はどんな色になっても希少価値はありますよ。なんせ、15編成しかないのですから。そしてそのすべてが長崎にある。てことは長崎でしか見られない車両です。今後はそのことを念頭において接していかないといけませんね。そして、他県にお住まいの皆さん。彼らに会いたくなったらぜひ長崎へお越しください。また、長崎に来たら彼らを応援してあげてください。

 

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