▲国鉄EF55形電気機関車( EF55 1 ) 元JRグループ最古の牽引可能な電気機関車だった「国鉄EF55形電気機関車」の通称は「ムーミン」。国鉄誕生以前、鉄道省によって製造された。
作られた時代が流線型万歳だったために片側だけ空力特性を考慮したデザインが施されたらしい。蒸気機関車もC53形とかで無意味に流線型が採用されてみたりした、ハッタリ重視の時代だった当時の文化を考慮すれば・・・まあ、そういうのもありだよね、と。
お陰様で逆側の運転台は従来通りの角形なので往路が流線型運転台が先頭なら、復路は角形運転台が先頭になるという結果に。あの頃は蒸気機関車用の転車台も多かったからそれを使えば・・・みたいのはあったかも(ただし、転車台上では架線が無くなるので動力車の補助が必要。まさかイ号潜水艦みたいにバッテリー積んでて自力走行なってことは・・・ない)。
流線形という形状自体は理論的に無駄ではないけれど、たかだか時速100キロくらい(運用上の最高速度の設定は時速95キロだったと思う)の走行では施す労力を施すほどの意味が無い。それが当時すでに出ていた結論だったらしいよ。まあ、やってみたくなるもんなんだよ。世界的な流れだったんだから。
車買ったら無意味にスポイラーとか付けてみたくなるのと同じリビドーによってやらずにいられないのは分かる。タイヤ予算ケチってフルエアロ仕様にして第一カーブで散るってのも潔くて男らしいよね。
花形特急列車の「富士」や「つばめ」などの先頭に立ったそうだけど、やっぱり使い勝手が悪くて製造はたった3両で打ち切られてしまった。後にC53形も流線型をとっぱずして外観を通常型に整え直したわけだし仕方ない。
タイ国鉄のダヴェンポートDA.500形みたいに2両セットのユニットにすればよかったのに!
男は無駄と分かっていても自分で確認しないと前に進めない生き物なのさ。映画・レナードの朝で故ロビン・ウイリアムズが「不可能であることを証明しました!」と冒頭で誇らしく宣言するあれみたいな。共感できるのは当会だけでしょうか?
この1号車は一回車籍を失うも準鉄道記念物としてめでたく馴染み深い高崎機関区に復帰できた。しばらくイベントなどで活躍してたんだけど老体にむち打つのも限界が来て再び車籍を失った。仲の人曰くもう部品が・・・。そりゃそうだ。
なんか、大宮の鉄道博物館に入るとか・・・いう噂があるけど。ま、入るよね。常識的に考えて。碓井鉄道文化村の時代にまだ車籍があって良かった。あそこで青空駐車してたらと思うと。今でもボディぼろぼろなんだから。あそこは部品の盗難とかもあったし。
▲国鉄EF55形電気機関車
▲国鉄EF55形電気機関車
▲国鉄EF55形電気機関車 |