▲ダージリン・ヒマラヤン鉄道の森林区間、2005年10月撮影。 ポジによる最後の鉄道撮影は2005年。本当は2006年にも行なっているが現像の機会を失って未完結に終わった。過渡期にはいろいろな事が起こる。混乱は避けられないと知った。
本当は2005年の遠征は総デジタル化する予定だった。で、EOS 10Dの予備にEOS Kiss D N(BK)を買いに行ったら・・・間違ってα-7Dを買って帰ってきた。で、α-9をメインに、デジタルはサブで、というシステムが組み上がった。
ちょうどコニカミノルタがαSweet Dを発売したばかりで、まさか逃げるとは思っていなかったのだ。私だってα-7Dの発表会で「勝たせてもらった」を生の声で聞いた身である。まさか〜。orz。
この写真はダージリンのお金持ちのお友達のロケにお邪魔した時のもの。当時、カルシャンで撮影していて顔を見知って、その後に豪華ホテルでお茶していたら再会という運び。彼にはいろいろ御世話になったが、今では仕事でずっと海外暮らしになってしまった。
この時は5コマ/秒の連写速度を優先してα-9を選択した。実は露出があまりに微妙だったので、ブラケットを使ったのだ。で、3連ブーストを繰り返す。一発目だけMF置きピン、その後C-AFで2回ブーストを繰り返した。
α-9はAF/MF切替スイッチがレンズマウント付け根に物理的に存在しているので、いろいろと便利だった。だから最高のパートナーでありえたんだと思う。
フィルムは富士プロビアF ISO100の2段増感。
この区間は通常はディーゼル機関車のみの牽引となっているので、当時としてもとても貴重なチャンスだった。この時はお金持ち、元グーム駅長、ビデオガイ、運転手+私で撮影した。全員本気組<笑
あの頃は楽しかったなあ。ネパール、ブータンからダージリンに帰ってきたらそのままレア・チャンスを引き当てたのは幸運。
その後、2009年の大規模土砂崩れでダージリン・ヒマラヤン鉄道は途中で寸断されてしまった。おかげでスイッチバック区間を走行する様子を見れなくなった。ループだけはバタシア村のものが辛うじて見れるんだけれど。
この風景を将来、もう一度撮影できるといいなあ、と思っている。帰国後、いろいろな事情が重なってAマウントを破棄することになる。で、主力撮影機を当時最新鋭だったEOS 5Dに置き換えて現在に至る。
でもα-9でという夢も捨ててはいない。何故ならSSM対応改造済みなので、ソニーのシステムも使えるのだ。考えてみればソニーのシステムでフィルムを使えるのは純正ではα-7/70だけ。純正改造機でα-9となっている。
ミノルタ残党の皆さん、ソニーのレンズでフィルム使ってますか?
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