▲ハジャイ分岐点改札口で見かけた子、1998年3月撮影。 ハジャイ。昔は良く行ったのに最近はぜんぜん縁のない街。タイに住み始める切っ掛けになった時も、実はマレーシアのKLからタイのハジャイに到着してたりする。ある意味、始発の街なわけだ。
初めてハジャイに到達したのは1996年の3月。シンガポール人の友人に危ないところだと言われていたけれど、到着してみると何の変哲もない街だった。むしろ、ここで何をしろ! という暇そうな街だった。
正直、危ない! というのはタクシン政権発足後だよなあ。確かに昔もいろいろあったけれど、今みたいにカーボムや学校の襲撃みたいな内戦一歩手前の状態からはほど遠かった。だから、今と比べれば楽園みたいなところだった。
そして1998年3月、何度目か分からないハジャイに帰ってきた。この時はスンガイ・コーロックのマレーシア国境を観光した帰りだった。そして、ランカウィー号でやって来る古い友人のお出迎えでもあって。
で、先に着いたので一足先に駅で撮影を。その時の想い出の写真がこの幼女だ。なんか不思議そうな目でこっちを見ていた。他の大人がまったく無関心だったと言うのに。この子ももう大人になっていることだろう。時の流れは速い。とても残酷で、時々優しい。
これはニコンF50+AFニッコール35-80mF4.5-5.6という激安コンビで撮影している。カメラをキヤノンEOS750QDから移行させた直後のシェイクダウン。こんなことならオリンパスOM-10を手放さなければ良かったと後悔中である。確かプラス補正1.5EVの絞り優先モードで撮った筈。フィルムは3本100バーツの特売のアグファのネガ、ISO200だ。金無かったんだよ。ポジは本番だけだ。
この時は三脚置いて適当にシャッターボタンを押していた。まさか連写できないとは想定外だった。よく調べずに買った<笑 他に選択なかったし。
その後で駅の反対側に回ってハジャイ分岐点の全景も撮影してみた。ソンクラー廃駅へ行ったのもこの直度である。あら、独逸製のKP形ディーゼル機関車がいるよ。
▲ハジャイ分岐点改札口で見かけた子、1998年3月撮影。 転機になった撮影だったと思う。この後でタイ国鉄友の会に本腰を入れたわけで。それまではHTMLを書きたいけれど書く物がない、という理由でやってただけだった。今も昔もここがブレイン・ストーミングの残骸という事実であることは変わらないけれど。
当時、まだ英語版のMacitosh関連のページと二股で、どっちも継続する気がなかったのは事実。今と違ってアクセス・ゼロだったし、タイ国鉄関連の検索をする人なんか文字通りの皆無だった。
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