このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
* I am afraid I might handle all Railways on our planet! |
Returned! with 地球の鉄道 |
タイ国鉄のディーゼル機関車 | file: //Thai Railways' diesel engines/DHL&DEL |
"ALS series", Europian Alstorm made Deisel Electiric locomotive. |
2016年現在、タイ国鉄の輸送力は貨物・旅客のいずれもディーゼル・エンジンに支えられている。いまのところ電化区間はゼロなので、そこに電気機関車が割り込む余地はまったくない。 ディーゼル動力車両はディーゼル機関車とディーゼルカーの二種に分かれるが、ディーゼルカーの方は台数が少ないので二大勢力の一方とは言えない。あくまでも補助勢力に過ぎないのだ。 結局、長距離線でも近郊線でも主力はディーゼル機関車牽引列車ということになる。そして、現在タイ国鉄が運用しているディーゼル機関車は主に2つのグループに区別できる。 主流は「電気式ディーゼル機関車(DEL)」と呼ばれる1960年代から導入が開始されたグループ。動輪を電気モーターで回転させるのが特徴だ。ディーゼル・エンジンは発電機の一部としての役割しか与えられていない。実際に動力を発生するのは直流式電気モーターだ。 非主流は「液体式ディーゼル機関車(DHL)」と呼ばれる1960年代以降は導入が控えられているグループ。ディーゼル・エンジンの動力を液体式変速機(hydraulic transmission system)を介して動輪に伝えるのが特徴だ。 |
▲アルヒル桟道橋にて、欧州製ALS系DELが普通列車を牽引中. タイのディーゼル機関には基本的に3段階の世代に分かれる。 第一段階はスイス※SLM社製のディーゼル機関車21〜2号から始まる第二次世界大戦中に連合軍の爆撃で消耗していったディーゼル機関車たち。1928年に製造された21〜2号は200馬力ディーゼル機関を搭載していた。当時の発展途上国では蒸気機関車以外の動力はめずらしかったはずだ。動力伝達方式はもっとも原始的な機械式(歯車式=ギアミッション)で、クラッチを擁する。パワーロスは少ないが低トルクなガソリンエンジンや初期の低出力なディーゼルエンジンにしか対応できない。無理なパワーをかけるとクラッチ板がすり減ったり歯車が欠けてしまう。当然ながら自動車より重いボディと乗客重量を坂道などで加速する必然があるので、トルク重視型エンジンが採用されている。だから、まだ冶金も未熟だった時代の工業力では、重量とエンジン出力の間に立つギアミッションはクラッシャブル要素=バッファーというかブレーカー扱いに落ち着いてしまう。結果として、10代の少年の心と同じくらいに壊れやすい変速機の取り扱いには運転には熟練を要し、蒸気機関車とは異なる名人芸が求められた。 ※SLM=スイス・ロコモティブ・アンド・マシン・ワークス=Swiss Locomotive and Machine Worksですよ。ヴィンタートゥールと行った方が通りが良いかな? スイスのリギ鉄の機関車製造で業界にデビューした。電気機関車の製造のドンガラ部分も手がけた。ラック式鉄道も手がけた。ニルギリ登山鉄道のX型蒸気機関車はSLM製だ。こちらの詳細はニルギリ登山鉄道のページをご覧ください。 戦後すぐに、戦前に注文しておいた400馬力越えの大型車両も4両も納入された。ディーゼル機関車651〜4号だ。スイスSulzer社主動でドイツのヘンシェル社などが製造したディーゼル機関車だった。これらは運良く戦火から逃れたが、それでも同時期に納入された蒸気機関車ほど長生きはしなかった。 第二段階は第二次世界大戦後に納入されたディーゼル機関車たち。これらのディーゼル機関車は基本的にDHL(=Diesel Hydraulic locomotive=トルクコンバーター)であった。運転も第一世代の機械式ディーゼル機関車と比べれば容易だったことから、これらの機関車は幹線から徐々にSLを駆逐していった。それでもトルクコンバーター内の液体=油漏れなど強力なシールが必要なため、整備には熟練の技が求められた。またエンジンの出力の向上に伴い、限界が見えてきた。 ディーゼル機関車の世界的な流れは以下の通り。タイだって例外じゃないので一応書いておきます。 第一段階のギアミッションから第二段階トルクコンバーターへ移る途中に、一時的に電気変速式=DELが採用された時期があった。歴史の足踏み。三歩進んで二歩下がる。理論に対して技術が追いつかないコンフリクトが原因。 第一段階のギアミッションだと運転の難しさだけでなく、総括制御が不可能という問題があった。そこで電気変速式で総括制御をやってしまおうとアイデアを閃いてしまった。発想自体は悪くなかった。しかし、電子機器がまだ信頼に足りなかったりコストが高かったり。突然に電子装置がコアパーツになったことで、それまでトンカチとレンチを振り回してきた鉄道工場の現場ではハード=施設もソフト=人もマネージメント=保守パーツの定期的な確保が対応しきれなかった。 ドイツの作りきれなかった重戦車ポルシェ・ティーガーのイメージですよ。理想と現実の乖離とも言えますね。 そういう整備面での難しさに直面して困っているところにトルクコンバーター=液体式変速=DHLが登場して・・・美味しいところを全部さらっていった。しかしながら、それでも本当の最後に笑ったのは時代が追いついた電気変速式=DELだった。整備面の問題も解決して、むしろDHLがめんどくさがられる事態に。不思議なものである。 エンジンとトルクコンバーターが一体式っても扱いが大変。ユニット交換用に2つの機器を1セット用意しなくてはいけない財政面で辛い(戦車のパワーパックみたいなもんです)。DELならエンジンだけとか変速用電子機器だけ降ろして整備することもできるわけですから。日本だとDF200なんだとエンジン降ろした後は整備工場は手を付けずに、整備担当のメーカー直送なんて荒技もしてますよ。その運用方式はソ連式の軍用ジェットエンジンみたい(あっちは連続使用時間がとても短いので純粋な比較はできないけど)。 第三段階はDHL以降の機関車の出力の増大を目的にした大型化した機関車たちである。基本的にこれらはDEL(=Diesel Electronic Locomotive)であった。動力伝達方式はめんどうな物理的な変速機を使わなず電気的に行われるため、整備性が高い。何かあればユニットごと交換。しかし、交換部品がないとどうにもならないので予算がしっかりとある鉄道組織が運用することが望ましい。物理的なパワーが掛かるところがない=負担がないので、エンジンの大出力化にも余裕で耐えられる。 DELの普及は当時世界中で起こっていた『書記長』達の指導によるストライキ対策にもなった(若い人であっても日本で起こった国鉄労組によるスト権ストの混乱を知っておいても損はないです)。特に蒸気機関車の時代だと生え抜きの鉄道員なしではスジ1本も動かせなかった。しかし、DELの場合はそうでもない。なお、武力闘争などやっていた彼らに対してタイ政府もキレて、それいらいずっと長い間、彼らの組織は法律上許可されていない(その割にイサーンに潜伏した後、ばからしくなって投降してきた若者とかは寛容に対処してたけど)。つまり逮捕理由になりえる。別に今のタイが軍事政権だからってことでなく、それが長い伝統です。タイに入国したらインターナショナルとか歌っちゃ駄目ですよ。 タイ国鉄が保有するDELは電気式ディーゼル機関車としては第一世代だ。車輪を回すモーターが直流式でまだ無駄がある。日本国内のDELは第二世代で車輪を回すモーターは交流式で、変速機としてVVVFを採用している。インバーター制御+三相交流モーターの日本製DELを続けて買ってくれなかったことが非常に残念だ。 タイ国鉄のは今後は方針の大変換を実施することになる。 従来のサポートメーカーだった米国、日本、ドイツ、フランスと手を切り、中国北車(CNR)と手を結ぶ契約にサインをしている。これはタイ国鉄の歴史の中でもっとも大きな契約だ。ディーゼル機関車だけでなく、客車なども大人買いするそうだ。 最後に、戦前〜前後のディーゼル機関車というのはたいそうな最先端技術だった。その証明として、英国の鉄道車両製造業界はディーゼル化の並に完全に乗り遅れてしまった。蒸気機関車の時代の名門だった英国NBL社は一発逆転を狙って英国の幹線輸送を支えるための大型ディーゼル機関車を開発した。しかし、その後に壮大な不具合が発見されて回収する技術も資産もなかったことから、そのまま歴史からフェイドアウトしてしまった。その穴を埋めたのは戦後復興中だったドイツ製ディーゼル機関車だったとか。その頃は日本だってドイツ製のディーゼルエンジンを輸入してディーゼル機関車製造のノウハウを獲得中だった。そういう意味で買ってきただけとは言っても、タイの先進的すぎる野心だけは高く評価したいなあ、と。 大型船舶では2つの主要な動力方式として、ターボ・エレクトリック方式とギアを使う蒸気タービンエンジン方式がまだ併存している。ギアレスだから静粛性も高い。一長一短だから。船体設計上ではターボ・エレクトリック方式の利点は大きいけど、複雑になってメインテナンスが難しい。専有スペースも大きくなるから船体のコンパクト化には無理がある。一方、ディーゼル機関車の世界では世界的な流れではすでにDELが勝利を決めている。 今後はDELとしての構成内容の争いになる模様。果たしてタイ国鉄は前身の王室鉄道局の様に最前線で活躍するプレイヤーなれるんだろうか? |
タイの鉄道上の主役は電気式ディーゼル機関車。安定した出力が得意なディーゼルエンジンが発電機を回して整流器と抵抗が電流を調節して駆動用モーターを再び回している。この方式の利点は部品交換を怠らない限り、そして経験の浅い技術者でも規定出力を維持しやすいことがタイ人の心を捉えた(タイだけでなく日本でもそうだったと思うよ)。 日本の蒸機から電機への世代交換に近い事情があたったわけだ。1960年代から始まる電気式ディーゼル化の普及期とタイの共産+労働運動が盛んであった時期が重なることに気付くと面白いかも知れない。 電気式ディーゼル車には2つの世代が存在する。 実験的要素が多かった前期世代(第一世代)の電気式ディーゼル機関車。 SUL形 サルツゥァー社製 1947/1951年製造 DA500形 ダヴェンポート社製 1952年製造 DA1000形 ダヴェンポート社製 1955年製造 HI形 日立社製 1958/1961/1962年製造 以上は全機が引退済みです。地方の駅で車両入れ替えしてるなんて話はあっても旅客・貨物のスジへの投入はないですね。s 現在の主力機に上り詰めた後期世代(第二世代)の電気式ディーゼル機関車。 GE形 ジェネラル・エレクトリック社製 1964〜1966年製造 ALS形 アルストーム社製 1975年製造 -AHK形 アルストーム・ヘンシェル社製 1980年製造 -ALD形 アルストーム・アトランティック社製 1983年製造 -ADD形 アルストーム・アトランティック社製 1985年製造 HID形 日立社製 1993年製造 GEA形 ジェネラル・エレクトリック社製 1995年製造 | ▲電気式ディーゼル機関車 (DEL) ▲液体式ディーゼル機関車(DHL) ▲機械式ディーゼル機関車(DL) |
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▲GEA形電気式ディーゼル機関車
▲HID形電気式ディーゼル機関車
▲ALS系電気式ディーゼル機関車
▲GE形電気式ディーゼル機関車
▲KP形液体式ディーゼル機関車
▲HE形液体式ディーゼル機関車
▲DA.500形電気式ディーゼル機関車
▲HI形電気式ディーゼル機関車
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