このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

600形一族 600・1600・2600形





















壬生車庫で休む600形トップナンバー601号。
1937(昭和12)年から製造された600形は京都市電スタイルを確立した電車である。601〜685の85輌は8個窓車で扉位置から前面にかけて車体が絞られていたが、戦時設計と言われている1942(昭和17)年製造(電装装備され出場したのは昭和22年)の686〜695の10輌は窓が9個になり絞りはなくなった。

20年更新前でテールライトと車体裾がオリジナル

五条坂
20年更新前

烏丸四条 1966/7
七条千本付近の国鉄山陰線交差部

1966/5
20年更新後

車体裾が真っ直ぐになる。

葵橋東詰 1966/5
17年製造の600形。9個窓の600形はワンマン改造(1600形)にされずに廃車された。その他601・603・605・606の4輌も1600・2600形ワンマン改造されずに廃車された(その4輌がワンマン化未改造のおかげで1601〜1604が欠番となっている)。

京都駅南口 1969/7





更新前の17年製造車。製造時より車体裾は真っ直ぐだった。

四条烏丸 1966/7
20年更新工事も一段落したところで次にワンマンカー改造が1966年から行われた。トップナンバーは1605号で1601〜1604番は欠番となっている。

錦林車庫
九条車庫持ちの1600形

大丸前 1971/7




烏丸線廃線で一部のワンマンカーがツーマン車にされた。1600形もワンマン表示とワンマン帯が撤去された

五条坂 1974/4
連結運転を開始するのにあたり2000形を6輌新造と合わせて600形の20年更新工事未完の車輌18輌を1964(昭和39)年より改造して製造されたのが2600形である。車体は斜めに切断され扉分の1mが延長されボギーセンターも伸ばされた。制御器等は全て新造され連結器も装備されたが、連結運転廃止で1971年に撤去された(連結器は京福電車嵐山線の電車に付けられた)。

また製造時は写真のように下半分がブルーだったがこの頃に塗装を他の電車とあわせてグリーン化された。

烏丸七条 1967/4
連結器撤去後の2600形。

2600形は2000形と同じく1977年9月の河原町線廃線で全車廃車された。


烏丸中学前
20年更新前の600形サイドビュー。
612号は20年更新工事と1600形ワンマン改造を同時に行われた。

四条西洞院付近 1966/7
1600形のサイドビュー。

元667号でこの車輌も20年更新工事とワンマン改造を同時にした車輌で排障器が他の1600形とは違った。20年更新工事とワンマン改造を同時にした車輌は4輌あった(612=1613・667=1647・662=1650・655=1654)。

錦林車庫

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