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「新型電車」の旧型化【国鉄→JR編】〜〜番外編

究極の異端児〜〜川越線の 103系3000番台

 

 

■たかが 103系されど 103系

 くどいようだが、敢えて改めて記す。筆者は 103系に対し及第点を与えられない。性能・内装・外観いずれも劣悪な水準にあり、現代はもとより登場当時に要求された水準からも乖離していると考えられるからである。しかし、それでも 103系を無視し続けるわけにはいかない。最大多数を誇る 103系は車両史に残る存在であり、歴史を顧みようとする者は必ず取り扱わなければならないからである。

 かように大きな存在である 103系が、及第点に達しない劣悪な水準の車両にとどまっていることが、苦痛のたねである。数両しか存在しないマイナーな車両であればともかく、最大多数の車両とあれば、無視して通り過ぎることなどできない。交通の世界にあって、数は力であり、存在意義そのものでもある。

 例えば、徳川家康が嫌いであっても、徳川家康を無視しては日本史の講義はできない。徳川家康には相応の事績と人格的魅力が備わっているから、嫌いであるという個人的感情を乗り越え、講義を準備することはできる。しかし、仮に徳川家康が小早川秀秋あるいは山名禅高なみのつまらない人物であれば、講義の準備はおそろしく苦痛が伴うものになるだろう。

 つまりはそういうことである。 103系について記述するのは、おそろしく苦痛が伴う。総武緩行線から 103系が消えると聞き、昨冬には写真を撮りに行かざるをえなかったが、何故こんなつまらない車両を追いかけなければならないのか、という苦痛はあった。寒さに震えながら数少なくなった 103系列車を待つのは、悲しかった。

川越線川越にて

 

■ 103系の異端児

 粗製濫造された 103系には異端児が少ない。旧型電車ならば、もともとバリエーションが豊富であるうえ、多様な改造が施されたものだが、新型電車はさほどでない。もっとも、JR西日本では多様な改造が施されつつあるが、これは旧型電車の末期と類似する状況といえる。車両の真の寿命まで使いこなすか、経済性を考慮しスクラップを進めるか、会社による方針の違いといえる。少なくともJR東日本では、改造を施して延命を図るより、全面的に新車に置換する傾向がある。

 そんなJR東日本の 103系にあって、3000番台車は極めつけの異端児である。その出自は「新型電車」でなく「旧型電車」であるから、異端中の異端である。

 仙石線はもと私鉄であり、交流電化一色の東北地域において離れ小島的な直流電化区間である。仙石線に新車が充てられたことはなく、転配により最古級の車両が流れていくのが常である。昭和40年代後半には、旧型電車の73系が集結したこともあった。

 仙石線において、そもそも寒冷地対応が考慮されておらず、しかも老朽劣化著しい73系の内装が、利用者の不評を買ったことは想像に難くない。なんらかの改善策を施す必要があった。

 上記を背景として、73系の台枠と電装機器を生かし、車体だけを 103系なみに更新した編成が生まれた。73系 920番台である。後に仙石線では 103系への置換が進んだが、これら編成だけはしばらく存置された。仙石線に転入した 103系は若番車が中心であったから、かえって新しく見えるほどであった。

 いくら見かけが新しくとも、基本的メカニズムは「旧型電車」のままである。保守に手がかかることから、置換が進んだ。しかし、解体はされなかった。

 埼京線が開業したのは昭和60(1985)年、南古谷に車両基地用地を求めたため、川越線もあわせて電化された。開業前の段階では、10両編成の列車が全て川越直通となる事態は想定されておらず、短い編成の列車が大宮−川越−高麗川間で運行される構想があったという。即ち、大宮−川越間で10両編成と短編成の列車が混在することになり、列車の性能を揃える必要から川越−高麗川間も電化されるに至った。

 10両編成の列車には、山手線への 205系投入により余剰となった 103系が充てられた。問題は短編成の列車で、もととなる車両はどの路線にも存在しなかった。

 そこで白羽の矢を立てられたのが、解体を免れていた73系 920番台である。今度は車体と台枠を生かし、検査周期の見直しから発生した台車及び電装機器を搭載し、「新型電車」として生まれ変わったのである。 103系3000番台は、台枠だけが「旧型電車」で、その他は全て「新型電車」という、異端中の異端車となった。当初は3両編成でMc-M-Tc 編成となり、のちの増結改造によりMc-M-T-Tc となったのも異端であった。

川越線武蔵高萩−笠幡間にて

 

■今ではありえぬ改造

 上記のような改造は、専ら国鉄の得意とするところであった。実際のところ、国鉄末期の車両改造には凄い内容のものが多々あった。車両の真の寿命がつきるまで徹底的に使いこなすというのが、いわば国鉄流であった。

 JR西日本には今もその気風が残るようだが、しかしJR東日本は別の価値基準を持ちつつある。旧い車両がまだ使えても、安価な新系列車に置換していく傾向が認められる。 103系は、経年劣化が進んだという以上に、保守整備に費用がかかるという理由で消えていくだろう。 103系3000番台のような極端な改造は、おそらく二度とないだろう。

 川越線川越−高麗川間の電化は、当時としては驚くべき事件だった。その後の相模線・八高線(高麗川−八王子間)の電化は、電化の意味が変わったことを示している。車両が転配でなく、新製投入というあたりにも変化がうかがえる。需要があるから電化、という方程式ではない。保守整備費用を抑制するための電化なのである。鹿島線が全線電化されようとしている今日、首都圏に残る非電化路線は八高線(高麗川−倉賀野間)及び久留里線しかない。この両線とて、いつまで非電化のままであろうか。

  103系3000番台は、じきに消えていくだろう。それは、国鉄の痕跡が消えていく象徴であるかもしれない。

川越線的場−西川越間にて

 

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