このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
「新型電車」の旧型化【営団編】
■伸び伸びた「マッコウクジラ」
東武伊勢崎線にて(昭和52(1977)年頃の撮影)
営団3000系は「マッコウクジラ」とあだ名された。広いおでこは、まさにそれらしい。デザイン的には洗練されているとはいいがたいが、あだ名のおかげで救われた観がある。昭和36(1961)年の登場当時、3000系は2両編成だった。つまりその程度の需要しか想定されていなかったわけだが、東武伊勢崎線→営団日比谷線の需要は急進を続け、3000系はおおいに増結され、8両編成にまで成長した。日比谷線北千住口は6両編成対応のホームしか用意されておらず、地下鉄には珍しいホーム延伸工事が行われたほどである。
写真は伊勢崎線での撮影で、ガラス窓越しのため鮮明でないが、8両編成であることがわかる。「マッコウクジラ」は、その名にふさわしく大きく成長した
■高度化する営団車両
西新井にて(平成10(1998)年)
営団はもともと優秀な車両を揃えていた。そして、「新型車両」を置換する際にはさらに優秀な車両を投入した。日比谷線においては03系、落ち着いた外観を備えた車両である。編成の分割を考慮しない8両編成が投入され、3000系は駆逐された。
■長野電鉄への移籍
信濃吉田にて(平成13(2001)年)
営団の車両は他社へ移籍する例が少なくない。地球の反対側まで渡った車両さえある。3000系の場合は、大挙して長野電鉄に移籍し、先輩の「アカガエル」こと元東急5000系を置換した。「アカガエル」は確かに優秀な車両であったが、モノコック構造の軽量車体であるため鋼板が薄く、腐食には弱い。厳寒豪雪の長野に転じたことは、その繊細な車体にとって酷な試練であった。
その点、3000系はステンレス車体であり、腐食のおそれがない。もともと地下区間での運用が多く、風雨にさらされた履歴も少ない。長野に移籍するにあたり、最もふさわしい車両であったといえようか。
長野電鉄に移籍した「マッコウクジラ」の中には、冷房が搭載された編成も存在する。いずれ全編成が改造されるという話もある。屋根の上にエアコンが載せられた姿は、営団時代よりも都会的かつ近代的に見える。
■登場時への回帰
田上−信濃安田間にて(平成13(2001)年)
長野電鉄の「マッコウクジラ」の多くは、2両編成である。これは登場時の姿に帰ったといえようか。朝ラッシュ時には2編成をつなげた4両編成もあり、地下区間での走行とあわせ、日比谷線での全盛時代を想起させる。
■原型車
須坂にて(平成13(2001)年)
部品とりのためか、倉庫代用か。1両ながら原型車が存在する。「8」号車のプレート、シルバーシートのステッカーに、営団時代の雰囲気がある。赤帯がないだけで、まったく違う車両に見えてくるから、不思議なものではある。
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