このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





賊来たる





 おれの名はハリヤ。今年で二十一になる。本来ならばそろそろ独立してもいい年頃なのだが、村長の家に居候している孤児の身とあっては、なかなかそうもいかない。

 村は隅々まで誰かの持つ土地になっている。新しく開墾する余地がないわけではないけれども、開墾に挑んだ先人は例外なく失敗している。常に水浸しの湿原、あるいは水気が全くない岩っ原。そんな土地の開墾に挑んだ先人たちの意気は素晴らしいとは思う。だが、いくら志が高くとも、その末路は悲惨だったという。乞食のようにぼろぼろになりながら、ついに報われることもなく死んでいくさまは、負けてばかりのばくち打ちによく似ていると村人たちは言う。

 負けたくない、とおれは思う。家を出て村と訣別するのは簡単だ。だからといって、いま家を出たところで食っていくあてはない。どこかの土地の開墾を始めても、数多くの先人たちのように、ぼろ屑のようになって死んでいくのが関の山だろう。

 そんなわけで、おれは家を出ていくことができない。村長の家の使用人としてこき使われるのは楽ではないけれども、おれに家を出ていくだけの勇気がないのだから、しかたない。それに、使われているのは案外気楽なものだ。理不尽でも命令に従ってさえすれば、日々を楽しく過ごせないこともない。

 村長の家は実は穏やかではない。八人の兄弟がいて、長兄のサクヤと次兄のイズヤはともかく、四兄のトカヤや五兄のハクヤあたりは自分の土地が持てるかどうか微妙なところだ。おやじの目が黒いうちにいいところを見せておかないと土地が貰えないものだから、対抗心を剥き出しにして毎日を送っている。しかも、六兄のアガヤ七兄のカザヤ末弟のサダヤが三つ子の団結力を発揮して兄たちを追い落とそうと虎視眈々と隙を窺っている。こんな兄弟が揃っている家の中には、常に不穏の空気が流れている。

 居候の孤児のおれは、まったく蚊帳の外だ。三つ子のアガヤたちからも年が離れているから、相手にされていないところは確かにある。

 ところが、村長はおれのことをかわいがってくれる。八兄弟の嫉視を買うから、正直なところ迷惑なのだが、いったいどういうつもりなのだろうか。

 かわいがられているといっても、甘やかされているわけではない。小さい頃は随分と手厳しく育てられたものだ。体も鍛えさせられたし、勉強もさせられた。辛くて泣いたことも一度や二度ではない。でもそのたびに、村長はおれのことをあたたかく叱咤した。そんな村長に育てられて、おれは大きくなったのだ。

 人によっては、おれのことを歯がゆく見る向きもある。おれの器量をもってすれば、八兄弟を追い落とすことも可能だというのだ。なるほど、その見方は間違ってないかもしれない。一対一ならば誰にも負けない自信は確かにある。

 だが、おれにはそんなつもりは毛頭ない。争いごとを好まないというよりも、人の倫に外れると思えるからだ。永年世話になったというのに、我を張ってはあまりにも申し訳ない。それに、八兄弟と張り合うのはどうにも気色悪く思えてしまう。どうせ張り合うならば、張り合い甲斐のある相手と張り合いたいものだ。

 まあ、そんなことはどうでもいい。今のおれは、八兄弟にこき使われながら、のんきに毎日を暮らしている。

 このままの毎日が続いていれば、おれは結婚することもなく、当然子をなすこともなく、ただの使用人として一生を終えることになるだろう。そんなのはいやだなあとおれ自身思っているし、村長もなんとかしたいと考えているようだ。でも、今までのところなんの手も打っていないし、これからも打つつもりはない。われながら、よくよくのんきにできている。

 それが昨日までのおれである。



 そいつらが現われたのは払暁のことだ。そいつらは不意を衝いて村を襲うつもりだったらしい。だが、その目論見は破れた。陽が出る前から山に入っていたサイガじいさんがそいつらを偶然に見つけたのだ。食事中のそいつらは襲撃の手順を相談していたらしい。剛毅なじいさんは連中の話の一部始終を盗み聞きしてから村に帰ってきた。よく見つからなかったものだと感心するしかない。

 サイガじいさんの努力は報われたとはいえなかった。報せを聞いた村長は半鐘を叩いて、村人たちを起こしてしまったからだ。連絡の手段としては手っとり早かったかもしれないが、そいつらにも村には備えありと知らせてしまった。不意を衝こうとする相手の不意を衝けば効果は絶大だというのに、ばかなことをしたものだ。

 集まってきた村人たちは意気軒昂だ。賊の襲来に遭うなど久しくなかったことだけに、誰もが興奮している。村長の家のように土地の相続でごたごたしている家ほどその傾向が強い。賊との戦いで少しでも得点を稼ごうと、互いに鎬を削るからだ。

 おれも村人たちの中にいる。興奮の中心から距離を置いて。坩堝の真ん中ではトカヤやハクヤが手下を集めて盛んに鬨を上げている。賊を迎え撃つ作戦を立てるわけでなし、いたずらに功名に走ってどうしようというのだろう。

 賊が、来た。馬に乗っている。数は十五人。思ったほど多くはない。かといって、凄い得物を持っているわけでもない。賊が手にしているのは棒だけだ。何人かが腰に鉈を帯びている他は、ほとんど丸腰に近い。

 村人たちの意気はいよいよ騰る。人数と得物からして彼我の差は明らかだ、これなら勝てる、そう思ったに違いない。

 おれには賊のあまりな無防備がかえってこわい。これから村を襲うことがばれてしまったくせに、人数が断然に少ないくせに、たいした得物を持っていないくせに、堂々と村人たちの前に姿を現わした度胸は並のものではない。

 賊の先頭に立っている山吹色の鉢巻をした男が連中の首魁だろう。この男、口許に不敵な笑みを浮かべている。負けることなど最初から頭にない風情だ。

 なめてかかれば痛い目に遭う、と直感せざるをえない。しまった。八兄弟のばかさ加減を斜に構えて見ているんじゃなかった。

 村人たちをかきわけて前に出ようとした時、ハクヤが賊に向かって名乗りを上げる。遅かった。もはやこのまま戦に突き進むしかない。

「やあやあ、この村の朝寝を妨げるは、そもどこの鼠か。よほど食に窮しておろうが、我が村には貴様らのような薄汚い鼠に与える米は一粒たりとてないぞ。強いてそれより前に進まんと欲すならば、このハクヤが相手をせん」

 口上だけは朗々としたものだ。その口に、はたして腕前がついていけるか、どうか。

「わっはっは」

 山吹色の男は高々と笑う。

「口だけは達者なようだが、小僧、身の程を知れよ。雀はかえって鳳を恐れずというが、まさにその通りだわい。貴様のように弱々しい奴を痛めつける悪趣味は俺にはない。潔く兜を脱いで、我らが前に米を差し出せい」

「なにっ」

 ハクヤは顔を真っ赤にして山吹色の男に飛びかかる。結果は勝負にもならない。一合を交えることなくハクヤは突き倒される。棒でやられただけだから死にはしないが、ハクヤは泡を吹いて気を失っている。

「わっはっは。おまえらはこんなひ弱な奴を一騎討ちに出すのか。やめろ、やめろ。無駄な抵抗をはたらいて怪我をしてもつまるまい。諦めてとっとと米を差し出せい」

 山吹色の男はどこまでも不敵だ。

「くそっ」

「ハクヤと俺とを一緒にするな」

 トカヤと隣家のミカルが血相を変えて進んでいく。格好としては挟み討ちだ。しかし、山吹色の男の棒にはなお余裕がある。一方を避け、一方をかわし、焦る二人を簡単に薙ぎ払う。

「わっはっは。どうした。このダケマ様の相手になる男はおらんのか」

 ダケマ。この名前は聞いたことがある。辺境で最も腕が立つ男の一人で、かつては西の都で軍の師範をしていたとの話もある。その真偽はさておいても、おれたちのような戦の素人がまともに戦って勝てる相手ではないことは、目の前の光景を見れば明白だ。

 頭に血がのぼった連中はそんなことにも気づかない。男どもは無謀にもダケマに挑んでいく。ハヤマが、オオクスが、キヂが、ジャアンが、ハツが、アガヤが、カザヤが、サダヤが、いとも簡単に倒される。ダケマは息を乱してさえいないというのに。

「どうした、どうした。まだ貴様らは目が覚めないのか」

 ダケマの大音声に村人はすっかり呑まれている。皆、声も出ない。

「いたしかたあるまい。一人ぐらい殺しておかないと、素直にはなれぬようだな」

 馬から飛び降りると、ダケマはハクヤの髪をむんずと掴み、喉許に鉈をかざす。

「ま、待て」

 ようやく村人の先頭に出られた。イズヤから棒を奪って、おれは叫ぶ。

「今度はおれが相手だ。おれが負けたら、米でもなんでも持っていくがいい」

「ほう、これはこれは」

 ダケマの顔がほころぶ。おれのことを小気味よく思ったか、それとも片腹痛く思ったのか。

「名を名乗れ」

「ハリヤ」

 名乗ると同時に懐に飛び込む。馬に乗られては不利だ。地面の上で手合わせなければ相手にもなるまい。ダケマは馬に乗ろうともしない。馬に乗らなくとも勝てると思っているのか、おれの突きを真正面から受け止めてくる。

 突いて突いて突きまくる。どこまで通じるかはわからないが、とにかく突く。ダケマの姿勢は揺るがない。おれの突きを全てかわし、かすりもさせない。

「なかなかやるな。だが、これまでだ」

 ダケマの姿勢が流れる。その行方を目で追った時にはもう遅い。強烈な突きがみぞおちを襲う。迅い。おれは二間も後ろに吹き飛ばされている。

「くっ」

 起き上がろうとする鼻先に棒を突きつけられる。

「観念するんだな、坊や」

「まだまだ」

 拳を固めて殴りかかってみる。案外油断があるかもしれない。

「おっと」

 あっさりとかわされる。ダケマには油断も隙もない。ダケマにしてみれば、おれをねじ伏せるのは赤子の手をひねるようにたやすいことなのだろう。

「見上げた根性だ。その根性に免じて、とことん叩きのめしてくれん」

 ダケマの笑顔はどこまでも不敵だ。おれの襟元を掴んで、拳固を見舞ってくる。

 一発、二発と、鈍い音をたて、ダケマの拳がおれの顔にめり込んでくる。もう、なす術がない。朦朧とする目でダケマを睨むのがやっとだ。

「うおーっ」

 逆転を狙って繰り出した拳も簡単に止められる。所詮、かなう相手ではなかったのだ。

 その後何回殴られたかは覚えていない。



 気がつくと、村長の顔が目の前にある。

「村長」

 起き上がろうとしても体が動かない。全身がじんじんと痛む。

「まだ動くな。かなりこっぴどく殴られたのだ」

 言われてようやく思い出す。おれはダケマにしこたま殴られて気を失ったんだっけ。あれほど無様な負け方をしたことなど記憶の片隅にもない。

「悔しいな」

「相手が悪すぎた。私も、まさかおまえがあれほどまでにやられるなんて思わなかった。村の衆はおまえのやられ方を見てすっかり脅えあがったわ。奴らに命じられるまま、米を差し出すしかなかった。情けない話だが」

「皆は無事かい」

「ああ。怪我はしているが、死ぬほどのものじゃない。皆無事だ」

「そうか」

 村の衆の無事を聞き、かえっておれは不安になる。ただ米を奪うだけなら何人村人を殺しても飽きる奴らではあるまい。誰も殺さなかったということは、おれたちを生かしておく必要があるということだ。

「村長、奴ら、また来るぜ」

「私もそう思う」

 村長もまた気づいているようだ。

 奴らは必ず舞い戻ってくる。おれたちを殺さなかったのは単に米をつくらせておくだけのことにすぎない。ずるいやり口だ。自分たちではなにもせず、腹が減った時だけ村人を搾りにやってくるつもりなのだ。

 なんとかしなければならない。とはいえ、奴らの力は強すぎる。あのダケマを倒すことなど、はたしてできるものなのだろうか。

 おれの様子を見て、村長は言う。

「おまえ、またダケマに挑むつもりなのか」

「あたりまえだ。へこまされたままでいられるか」

 口を尖らすおれの頭に村長は優しく掌をかざす。この優しさに、かえって不安がよぎる。

「残念だが、おまえではダケマには勝てない」

「なぜ」

「考えてもみよ。あいつらはほとんど丸腰だった。それなのに、奴らの強さはおまえたちの及ぶところではなかった。鍛え抜かれたおまえですら、ダケマの体に触れることができなかった」

 悲しいことに、それは事実だ。おれの拳はついにダケマの体には届かなかったのだ。

「いくら上には上があるとはいっても、奴らはあまりにも強すぎる。それに、得物が貧弱だったのが気になる。ハクヤは太刀を持っていたというのに、ダケマは気にする風がまるでなかった。奴は棒しか持ってなかったというのに」

 村長の言う通りだ。ダケマの強さと余裕は尋常なものではない。特にあの余裕ときたら、どうだ。常に自分が勝つという確信に満ちた態度はどこに根ざしているものか。

「私が思うに、あれは魔法に違いない」

「あっ」

 腑に落ちた。あれだけの強さ、あれだけの余裕。魔法を抜きにしては考えられない。

「どこかで強力の魔法でもかけてもらったのだろう。魔法が籠められた奴を相手にして、勝てるものではない」

「だからといって……」

「ああ、このまま引き下がれとは言わぬ。だが、槍を持とうが弓を持とうが、魔法には勝てっこない。魔法には魔法で立ち向かわければならぬ」

 村長の言いたいことがようやくわかってくる。

「アルジュばあさんのところに行けって言うんだね」

「御名答。早速、と言いたいところだが、おまえはひどい怪我を負っている。ゆっくり休んで、明日にでも出かけてくるんだ」

「ああ、そうするよ」

 目を閉じかけて、おれはげんなりする気分を支えることができなくなる。

「村長。ゆっくり休みたいのはやまやまだけど、そうも言ってられないようだ」

 どかどかと乱暴に床を踏みしめる音が次第に大きくなる。荒い音をたてて戸が開くと同時に、ハクヤは部屋に飛び込んでいる。おれの襟を掴み上げ、ありったけの力で拳固を見舞ってくるとは、なんと強暴なのだろう。

「余計をしおって、この野郎」

 あまりなことに村長には制止することができない。

「ハクヤ、やめんか、こら」

 後を追ってきたサクヤとイズヤが止めるまでの間、おれは都合十一発の拳固を浴びている。

「ハリヤ、貴様ぁ、おれが負けたら米を持っていけと大口叩いておきながら、おめおめと負けたそうだな。なんてことをしてくれたんだ」

 サクヤとイズヤに押さえられながら、ハクヤは猛然とまくしたてる。やれやれ、一合ともたずに失神させられたのはどこの誰のことだったか。だが、おれには言い返すつもりはない。ハクヤの手前勝手さは日頃からよく知っているつもりだ。今さら逆らったところでどうしようもない。

 おれは我慢できても村長の堪忍袋の緒は切れたようだ。目を吊り上げてハクヤをなじる。

「いい加減にせい、ハクヤ。おまえは実にだらしなく賊に負けたではないか。その点、ハリヤはあの賊を相手によく戦った」

「おやじ、それは違う。俺は負けたけど、奴らに米を渡すとは言わなかった。ハリヤなんだぞ、奴らに米を渡した張本人は」

 なんという姑息さ。どう発想すればこんな言葉が吐けるのか。

「もう気がすんだか」

「ハリヤは孤児の味噌っかすなんだ。味噌っかす相手に本気になったら、男を下げるぞ」

 口々になだめられて、ようやくハクヤは部屋から出ていく。村長が肩を震わせている。怒りもあるのだろう、情けなさもあるのだろう。

「あんなのが自分の子かと思うと、いやになる。どいつもこいつも出来損ない。しっかりしてるのは、血はつながっていないが、ハリヤ、おまえだけだ。村の衆だっておまえの力をよく知っている。村一番の使い手はおまえだと、みんなが認めていたからこそ、おまえが負けたのを見て、奴らに米を差し出したのだから」

 村長の言はほんとうだろう。おれが勝負に米を賭けても、文句をはさんできた村人は誰もいなかった。

「おまえを次の村長に据えて兄弟を使用人にするのが、村のためには理想なのだが」

「さあ、どうかなあ」

 話がいきなりきわどい方角に逸れては、口ごもるしかない。村長の言いたいことはわからないでもないが、とてもできることではあるまい。妙なところで誇り高いあの八兄弟はおれの下風に立つことを潔しとはしないだろう。だいいち、おれ自身、八兄弟には辟易しかけているのだ。

 否、さっきの拳固を受けて、おれは家を出ようと切実に思うようになった。おれと家とを結ぶ絆は、もはやか細い。



 鏡の中のおれは青黒く顔を腫らしている。一晩休んでこの有様だから、昨日はもっとひどい顔をしていたのだろう。

 このままやられっ放しでいるものか。だが、おれの力がダケマに遠く及ばないことには疑いもない。無闇に猪突したところで、結果は目に見えている。

 誰かの手助けが要る。手がかりは夕べ村長が教えてくれたアルジュばあさんだ。

 アルジュばあさんは魔法使い。この村に居ついてもう八十年になると聞く。その間、村人たちはばあさんに随分と助けられたらしい。とりわけ、ばあさんが二十代の頃、辺境を席巻した青嵐団とたったひとりで渡り合い、村を守り切った武勇譚は、おれのような若者でさえ知っている。

 そのアルジュばあさんも今ではすっかり老いてしまった。後はもう死ぬばかりである、老いた醜い姿を見てくれるな、そう言い残して山奥に隠れたのは今年の初めのことだ。山に入るその時まで、ばあさんは二十歳前の乙女のような瑞々しさを失わなかった。そして、美しかった。あれもきっと魔法の作用だったのだろう。

 わしが死ぬ時には白き狼煙を掲げて皆に伝えん、ばあさんはそうも言っていた。村人たちの中に白い狼煙が上がるのを見た者はいない。ばあさんは、まだ生きている。

 生きているとはいっても、ばあさんにはもはや魔法の力は残されていないかもしれない。あの村人思いのばあさんが村が襲われているのを黙って見ていたとは、よほど老い衰えているものと考えざるをえない。猶予はできない。すぐにでも山に入ってばあさんを探し出さなければ。

 玄関口が騒がしい。誰かが注進にきたようだ。急いで駆けつけてみると、ハクヤの手下が肩で息をしながらおれが現われるのを待っている。

「大変だ。ハクヤの兄貴がやられた」

「やられた、とは」

 おれは、ごくと唾を飲み込んでいる。

「殺されちまったんだ。あいつらに」

「詳しく話せ」

 夕べおれを十一回殴ってもなお、ハクヤはおさまらなかったようだ。誰が相手であろうと一合も支えられなかったのは恥だ。汚名を返上するために賊に夜襲をかけることを思いついたらしい。手下たちは全員でハクヤを引き止めた。ハクヤは手下たちの弱腰にはなはだしく憤慨し、単身闇に消えていったという。

 いいところを見せようというつもりだったのだろうが、無茶を極める行為だ。敵も知らず己も知らない男がダケマの相手になるはずがないというのに。

 ハクヤを追って手下たちは八方を探した。夜を徹した手下たちの努力もむなしく、いましがた、ようやくハクヤは見つかった。見るも無惨な死体となって。

 ばかな奴でも死んだとなれば悲しい。なによりも、ハクヤのばかさ加減が悲しすぎる。

「場所は、どこだ」

「村はずれの一本松でさ」

「案内しろ」

 ハクヤは全身を滅多打ちにされ、素裸にされたうえ、一本松に逆さ吊りにされていた。苦しげな表情を残したままで、死んでいる。

 いつの間にか、村人たちのほとんどが集まっている。誰もがおれのことを見ている。

「ハクヤを降ろしてやってくれないか」

 変わり果てた亡骸がゆっくりと地に降ろされる。おれはその枕許にひざまずき、祈る。ハクヤへの最初で最後の敬いがこんなかたちになるとは、皮肉としかいいようがない。

 馬蹄の音。村の方からではない。奴らだ。村人たちの間に動揺が走る。ある者は逃げようとし、またある者は立ち向かおうとする。おれは必死になって叫んでいる。

「みんな、落ち着け。この場はおれに任せてくれ」

 村人たちの動きがぴたりと止まる。そこまでおれが信頼されているとは。うれしくはあるが、正直、痛いほどだ。

 やってきたのは三騎。先頭はやはりダケマだ。

「なにしにきた。米ならば昨日差し出したばかりではないか」

 冷静を保とうとしても、どうしても声がうわずる。その点、ダケマの方が一枚も二枚も上手だ。堂々とした大音声を張り上げてくる。

「米は確かに領収した。だが、どうも昨夜から、うるさい蚊蜻蛉がしきりにやってくる。これは頂けぬ」

 いやな予感がする。ハクヤひとりだけのことではない。しきりにと言うからには、他にも誰か夜襲を企てた者がいるに違いない。

「折もよし、この村の者どもはこぞって集まっていると見ゆる。皆、しかと哀れな蚊蜻蛉どもの末期を見よや」

 ダケマが放り投げたのは三つの生首。アガヤ、カザヤ、サダヤではないか。

「我らに逆らわんとするものは全てかくの如し。ゆめゆめ忘れるでないぞ」

 高々に笑い捨てると、ダケマらは風のように去っていく。村人たちはすっかり恐慌している。恐怖の色を浮かべながら、口々に叫ぶ。

「ハリヤ、わしらはどうすればいいんだ」

「このままでは村は破滅ぞ」

「奴らを退治する手だてはないのか」

 もみくちゃにされていては話もできない。おれは懸命に声を張り上げる。

「待て、待て。まずはおれを離してくれ。これではみんなに話ができぬ」

 ようやく村人たちが静まっていく。頃を見て、おれは続ける。

「おれは昨日奴らにぼこぼこになるまで殴られた。夜襲を企てたハクヤたちもあっさり殺されてしまった。奴らは強い。特にあのダケマという男は抜群に強い。おれたちが束になってかかっても、ダケマには勝てないと思う」

「そんな」

「俺たちはいつまでもあいつらに米を貢がにゃならんのか」

 村人たちは泣き出しそうな顔だ。

「今のところは奴らに服従するしかないだろう。だが、そういつまでも奴らをのさばらせておくわけにはいかない。近いうちに、おれは必ず奴らをやっつけてみせる」

「意気込むのはいいがな、ハリヤ、おまえだって昨日はこてんぱんにやられたんだぜ。いったいどうやって奴らを倒すんだい」

 イズヤの疑問ももっともだ。おれ自身、おれひとりだけで奴らに匹敵できると思ってはいない。

「助けを借りようと思う。おれは奴らを倒せるような助っ人を探し出してくる。おれが助っ人を連れてくるまでは、みんな、奴らになにをされようとも耐えていてほしい」

「ああ」

「おまえの言う通りにするよ」

 全員がうなずくのを見て、目が眩むような思いがする。否も応もおれにはない。おれは全ての村人の生活を背負い込んだのだ。

「おれは行く。待っていてくれ」

 山に向かっていくおれの背中にイズヤが訊く。

「おまえ、どっちに行くつもりなんだ」

「まずはアルジュばあさんに会う。全ては、それからだ」

 おお、とどよめきがあがる。おれの意志は、今、村のみんなに伝わった。

 先の辻に村長が立っている。村長は唇を引き締めておれのことを見つめている。

「行ってくるよ、村長」

「生きて帰ってこい。必ず」

「ああ、必ず」

 走り始めると、もう後ろを振り向く気にはなれない。こんな悲壮な気分になったのは生まれて初めてだ。おれは涙を拭いながら、山に向かって走り続ける。





次章に続く

表紙に戻る





このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください