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■貨物機■
【9600】
製造初年大正 2(1913)年。軸配置1D。製作 770両。
当時としては最大級のボイラーを搭載、牽引力の大幅向上を実現した。設計面では相当な困難があったようだが、見事に克服された。国産蒸気機関車の標準技術を確立した点において、歴史に残る画期的な存在といえる。
日本全国で活躍。末期には主に亜幹線で貨物列車を牽引。急勾配区間では旅客列車にも充てられ、米坂線などでは急行列車も牽引した。
道内の国鉄路線で、この機材が運転されていない路線は稀であろう。丙線以上の規格であれば、どの路線でも運転できる強みがあった。
そのため使い勝手が良く、最後までその姿が見られた。国鉄で最後まで残った現役蒸機は、追分での入換に従事していたこの機材3両である。
夕張鉄道など、私鉄発注車も多数存在する。
現存機は多いが、可動機は存在しない。
△ JR西日本×1(梅小路)
× 大井川鉄道×1(展示用)
青梅鉄道公園に保存されている9608
梅小路蒸気機関車館に保存されている9633
【D50】
製造初年大正12(1923)年。軸配置 1D1。製作 380両。
9600をアップグレードした機材。軸配置 1D1はミカド型と呼ばれ、いかにも「日本的」な趣がある。これは、軸配置 1D1機材を最初に発注した国が日本、との事実が尊重されたためといわれるが、まったく別のニュアンスが含まれている気配もある。ただし、これは筆者の直感にすぎず、確証はないので詳述を避けておく。他の機材の記述(特に軸重軽減に関する部分)とあわせて御推察頂きたい。
牽引力が向上したため、全国の幹線で活躍。ただし、軸重などの関係から、亜幹線への配転には制約が伴った。従台車を付加して軸重を軽減する改造を受けるものもあったが、その甲斐もなく早い時期に勢力を縮小した。
道内では室蘭本線などで活躍したが、後継の高性能車D51・D52に押され気味で、二線級の老朽機という印象があった。9600ほど融通がきく機材でなかった点が惜しまれる。
可動機はなく、現存機も少ない。
△ JR西日本×1(梅小路)
梅小路蒸気機関車館に保存されているD50140
【D51】
製造初年昭和11(1936)年。軸配置 1D1。製作 1,115両。
いわゆる「デゴイチ」。日本で最も多数製作された機材。初期型・標準型・戦時型の3タイプに大別される。戦時型は諸機材を簡略化したもので、のちに標準型と同様の装備に改造されたが、ドーム形状などで容易に区別できた。
牽引力では D52に及ばないとはいえ、使い勝手が極めて良く、全国の路線で活躍した。この機材が運用されたことのない路線の方が、少数派であろう。
鉄道車両の多数派は、往々にして不人気をかこつ場合もあるが、この機材には普遍的な人気があった。普通の人にも幅広く認識されたことが、人気を支える基礎だったのだろう。外観に特に優れた点はなく、地味な貨物列車に充てられてきたことを考えれば、世の人はこの機材に対して「普通の機関車」としての親しみを覚えたのかもしれない。
ボイラーを転用して旅客用に改造されるもの、軸重軽減改造を受けるものもあったが、大部分は原型を失うことなく天寿を全うした。
道内では専ら道央・道南で活躍。 C62入線前の函館本線では急行牽引も担当するなど、急勾配線区などでは旅客列車を牽引した。国鉄最後の蒸機貨物列車(夕張線の石炭列車)を牽引したのはこの機材。ただし、記念すべき最後の機関車は、追分機関庫の火災により焼失してしまった。
国内最大勢力を誇った割には、可動機が少ない。費用面は措くとしても、貨物機のため最高速度が抑制される点が、運転上の制約となっている可能性がある。現存機は多数。
◎ JR東日本×1
○ JR西日本×1(梅小路/構内走行のみ/D51200)
△ JR西日本×1(梅小路/展示のみ/D511)
肥薩線大畑ループにて混合列車を牽引する D51重連
青梅鉄道公園に保存されているD51452
上野−尾久間の「D51あゝ上野駅号」牽引の任を終え尾久車両基地で公開されたD51498
梅小路蒸気機関車館に保存されているD51200
【D52】
製造初年昭和18(1943)年。軸配置 1D1。製作 285両。
足回りは D51と共通設計で、ボイラーを極限まで大型化した機材。日本最大の蒸機でもある。牽引力は D51の 1,000tに対し 1,200tまで向上された。梅小路の車番はD52468だが実際の製作は 285両と、欠番が多い。製作目標数と実績が大幅に乖離しており、当時の時代背景が知れる事例といえる。
軸重があるため、東海道本線・山陽本線などの限られた幹線のみで運用された。亜幹線に転用されなかったのは不遇であるようにも見えるが、これだけ牽引力がある機材を需要の少ない路線に転用するのは難しかったと思われる。
ボイラーを転用して旅客用に改造されるもの、軸重軽減改造を受けるものもあったが、そもそも転用が難しい機材ではあった。およそ半数の車両に自動給炭機が設置されるなど、原型をとどめたまま改良され、無煙化の進行で転用されることなく置換された。
道内では専ら道南で活躍。函館−東室蘭間には単線区間が介在し、まとまった牽引力が要求されたためか、遅くまでその姿が見られた。
可動機はなく、現存機も少ない。
△ JR西日本×1(梅小路)
梅小路蒸気機関車館に保存されているD52468
D52468の運転室造作
【D60】
改造初年昭和26(1951)年。軸配置 1D2。改造78両。
余剰気味となった D50に従軸を追加して軸重を軽減、支線区での運用を可能にした機材。9600の置換が企図されたものの、両数が少ないため局地的勢力にとどまった。根室本線・磐越東線・紀勢本線・山口線・久大本線・筑豊地区などが主な活躍の舞台であった。
可動機はなく、現存機も少ない。
【D61】
改造初年昭和34(1959)年。軸配置 1D2。改造 6両。
余剰気味となった D51に従軸を追加して軸重を軽減、支線区での運用を可能にした機材。国鉄最後の新形式蒸機でもある。汎用性の高い D51を、さらに幅広い線区で運用することを狙った改造であるが、 D51の牽引力が必要とされる支線区は当時既に少なくなっており、極めて微少な勢力にとどまった。羽幌線・留萠本線(深川−築別間)での限定運用機材で、のちに D51と共通運用となり、なんのための改造か意義が見えにくくなった。
留萌市内に現存機がある。
【D62】
改造初年昭和24(1949)年。軸配置 1D2。改造20両。
D52に従軸を追加した機材であるが、支線転用を前提とした軸重軽減でなく、自動給炭機を装備するなど近代化改造に主眼が置かれていた。軸重軽減は牽引力を低下させるため、輸送力が逼迫してくると D52をそのままの姿で近代化改造する方針が採られ、 D62は少数勢力にとどまった。吹田→一ノ関に集中配置され、限定的に運用された。
現存機があるかどうか不明。
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