このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

■タンク機■

【C10】
 製造初年昭和 5(1930)年。軸配置 1C2。製作23両。
 旧型機関車を置換するため製作されたタンク機。 C11の先行試作車的な意味あいが強く、製作両数が極端に少ない。
 大都市近郊の区間列車などに充てられたようだが、後継機 C11の陰に隠れ、活躍の事績はほとんど伝わっていない。この機材のようなマイノリティーは、早い時期に廃車されてしまいがちである。実際、国鉄路線上からは早い段階で消えている。
 廃車された1両C108は岩手県のラサ工業専用線に譲渡され、これは昭和50年代まで可動状態だった。C108は引退後も大切に保管され、宮古市でのデモ運転を経て、大井川鉄道で復活した。たった23両しか製作されなかったマイノリティーに現存機があり、しかも本線上での営業運転も行っているとは、蒸気機関車保存史上の奇跡である。
   ◎ 大井川鉄道×1

【C11】
 製造初年昭和 7(1932)年。軸配置 1C2。製作 381両。
 前項 C10を改良した量産車。技術的にめぼしい要素がないため、かえって完成度が高く安定した機材となった。性能が一線級でないのは、幹線での本格的運用を前提していないためと思われる。普及型の廉価な機関車を目指した、と考えればわかりやすい。
 大都市近郊の区間列車のほか、支線での貨客輸送に活躍した。道内では専らローカル線を中心に運用された。
 扱いやすい機材のためか、可動機が多い。梅小路の1両は本線運転から退いたものの、近年になって復活が相次ぎ、可動機中の最大勢力となっている。
   ◎ JR北海道×2
   ◎ 真岡鉄道×1
   ◎ 大井川鉄道×2
   △ JR西日本×1(梅小路)

青梅鉄道公園に保存されているC111

 

梅小路蒸気機関車館に保存されているC1164

 

【C12】
 製造初年昭和 7(1932)年。軸配置 1C1。製作 293両。
 前項 C11を簡素にした機材。 C11は亜幹線や短区間に限定した幹線での運用もある程度考慮されているが、この機材は純然たるローカル線用といえる。簡易線規格の路線で運用可能な蒸機は、事実上この機材しかなかった。
 以上のことから、両数が多い割には運用された路線が少ない。筆者が思いつく限りでは、足尾線・明智線・神岡線・高森線・日之影(高千穂)線など。道内では、積雪期の牽引力を確保するため、 C11や9600にかなわなかったようで、入換用に充てられたらしい。
 真岡鉄道の可動機は、小山までの直通運転を始めるにあたり、水・石炭搭載容量の不足から C11に任を譲り、第一線からは退いた。その後NHKドラマ「すずらん」のロケ撮影のため留萠本線に出張するなど、本線運行される機会も多く、人気を博している。
 大井川鉄道の可動機は、「トラストトレイン」として在籍。半ば据置状態の機材を復活させた意義は大きく、寄付を募って機材を維持するという仕組みも素晴らしい。しかし、機材そのものの価値より「復活させやすさ」が優先されたきらいはある。保存事業の理念と実際が整合していない事例と思われるが、「保存」を「事業」として成立させるためには受容せざるをえない妥協かもしれない。
   ◎ 真岡鉄道×1
   ◎ 大井川鉄道×1

 

【B20】
 製造初年昭和20(1945)年。軸配置 B。製作15両。
 構内入換専用の機材で、最高速度45km/hという性能に見られるとおり、本線運転は前提されていない。戦時下での製造であることに加えて、任務が軽かったため、極度に簡素化された設計が特徴である。特にボイラーからシリンダーに蒸気を供給する配管が裸で剥き出しになっている造作などは、他の国鉄制式機には見られない特異点といえる。
 正直いって、筆者はこの機材を敢えて梅小路で保存する意義を見出せない。なぜなら、同じタンク機でも C10や E10の方が歴史的価値がより高いと考えられるからだ。技術史上の画期でもなく、輸送に大きく貢献したともいえない機材(もっともこれは全タンク機と C56即ちローカル輸送向け機材に共通する属性なのだが)に、梅小路の一隅を与えることには強い疑義を呈さざるをえない。
 ただし、このような小型機材が「動態保存しやすい」ことは確かであり、現に B2010もボランティア活動の助力を得ながら動態保存への復活を遂げている。その点が蒸気機関車保存の二律背反であり、おそらく永遠の課題になるのであろう。
   ◎ JR西日本×1(梅小路)

梅小路蒸気機関車館に保存されているB2010

 

【E10】
 製造初年昭和23(1948)年。軸配置 1E2。製作 5両。
 勾配線区で運用されていた4110の経年劣化が著しいことから、これを置換するため新製された機材。5つの動輪の上に寸詰めした D52のボイラーを載せた超大型タンク機。国鉄最後の純新製機材でもある。バック運転が定位という、珍しい形態を備える。
 当初は奥羽本線の板谷越えに投入された。新製された主旨はよく達成されたが、かような急勾配線区は電化の進行も早く、残された非電化勾配線区を転々とせざるをえなかった。その意味において、境遇に恵まれているとはいえない機材であった。北陸本線米原−田村間の交直接続運用をもって引退。
 製作両数はごく少なく、現存機が1両あるのは奇跡に近い。
   × 青梅鉄道公園×1

青梅鉄道公園に保存されているE102

 

 

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