このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
■蒸気機関車保存の意義■
多数の機材が保存されているにもかかわらず、蒸気機関車を保存する意義は、案外曖昧にされている。ここでは、なぜ蒸気機関車を保存しなければならないかを考えてみたい。主要な理由としては、以下の三点が挙げられる。
・技術体系を保存する。この中では第一点の比重が最も軽い。というのは、蒸気機関そのものは現在でも幅広く使われている技術だからである。極端にいえば、原子力発電も蒸気機関車も、エネルギー変換の原理は同根である。燃料が石炭か核燃料かという差があるだけで、熱を与えて蒸気を発生させ、回転として出力するという意味においては、異なるところはまったくない。違うのは、回転させる対象が発電機か動輪かという点にすぎない。
従って、蒸気機関車の技術体系を保存するといっても、それは鉄道という限られた範囲内でのものであり、普遍性があるとは必ずしもいえない。蒸気機関車は鉄道でこそ過去のものであるが、世の中を見渡すと、蒸気機関そのものは至るところに残っている。
技術体系の保存という名目は、鉄道というローカルなエリアに限定される。それは保存の意義を軽からしめるものではないが、これを正確に認識しないと、保存の意義を見失うことになりかねない。
第二点はさらに曖昧である。歴史を保存するといっても、いったいそれはなんの歴史であろうか。技術史ということならば、相応の意味はある。しかし、鉄道あるいは鉄道路線そのものの歴史となると、これを蒸気機関車の保存により代表するというのは、いささか無理があるように思われる。鉄道は複雑かつ多様な要素から成立している。これら諸要素を束ねたものを歴史とし、この定義による歴史を保存するならば、蒸気機関車などの実物よりもむしろ、文書資料の編纂の方が重要である。第三点は感情的なもので、名目として成立するかどうか微妙なところだが、その一方で最も支持されてきた名目であろう。公式の場では「歴史の保存」との表現が使われる例が多いにしても、実態は「記憶の保存」とみなすべき事例が圧倒的に多い。かつて存在した車両が消え去ることを惜しみ、その実物を保存するというのは、単なる感傷と呼ぶべきではないだろう。人間の感情として、今まで存在していたものがなくなるのを「さみしい/惜しい」と受け止めるのは、当然のことだからである。
問題はそこから先である。「記憶の保存」が本質ならば、保存の継続は至難といわざるをえない。なぜなら、その記憶を持つ人間が全てこの世から去った瞬間に、意義を失ってしまうからである。保存を継続するためには、その目的になんらかの普遍的な要素がなければならない。最低限でも「世代を越える記憶の保存」を訴求できなければならず、それを煎じ詰めたところが「歴史」に昇華するともいえる。
現在保存されている蒸気機関車、特に静態保存のものは、その大部分が「記憶の保存」という観点からの保存と思われる。これらが「記憶の保存」であるゆえんは、野ざらしのまま錆び朽ちていく機材が見受けられることからもわかる。記憶の持ち主が少なくなれば、保存機材に対する愛着は薄れる一方であろう。それでは、保存を続けることはできない。
しかし、蒸気機関車はそれでもまだいい方で、廃止となった鉄道や路面電車では、保存された車両の末路は惨憺たる状況になりがちである。せっかく保存したものの、荒れ放題の劣悪な状態になり、人知れず解体されたものも少なくないという。
■保存事業の典型■
筆者の私見では、保存事業として立派だと顕彰できるのは下記の三例である。
・大井川鉄道
・交通博物館
・三菱大夕張鉄道保存会
大井川鉄道は、蒸気機関車という対象物の保存に特化し、その歴史的価値よりも保存のしやすさを優先している点が特異である。動態保存機材はC10・C11・C12・C56と、比較的マイナーな小型機ばかりを揃えているが、いずれもタンク機・タンク機亜種であり、維持が大型機ほど難しくない。蒸気機関車そのものの価値にこだわらない一方、「蒸気機関車を本線走行可能な状態で保存する」という使命感は持っている点は素晴らしい。本格的な動態保存開始から四半世紀を経ようとしており、その息の長さも立派である。
交通博物館の機材は少なく、しかも全て静態保存である。それでも鉄道史の画期となる重要な機材が揃っている。1号機関車・弁慶号・善光号・9850・C57135と、いずれも鉄道史の一項に登場しえる存在である。鉄道史上に残る機材だけを集めるという姿勢は高邁であり、かつ理解しやすく信頼感が持てる。なお、9850のみはいささか小粒な存在であるが、そのかわり3枚におろされ、蒸気機関車の内部構造がわかる展示物となっている。いわば、蒸気機関車の構造を知るための教材になっているわけで、9850には気の毒ながら、これはこれでひとつの意義を満たすやり方であろう。
三菱大夕張鉄道保存会の保存対象は蒸気機関車でないが、ここでは敢えて特筆しておきたい。同会の活動は、鉄道車両・建造物保存の画期となる可能性があるからである。同会は非営利・非政府系で、ほとんどボランティア活動に近く、組織としては極めて小さい。とはいえ、その行動力たるや目覚ましいとしか形容のしようがない。雪害のため転倒した客車を復旧した件には、驚きのあまり瞠目したものである。補修・塗装など、保存車両のメンテナンスを地道に継続している姿勢も、まったく素晴らしい。
同会の活動主旨を要約すると、「三菱大夕張鉄道の76年間の歴史を後世に伝える」ことにある。そのための手段が車両保存ということであれば、「記憶の保存」に流れてしまいがちなものであるが、同会の活動はかようなレベルにはとどまっていない。車両の保存を通じて、それを「歴史の保存」につなげたいとの切々たる希求を感じとることができる。それはおそらく、「産炭地への鉄道も・・・・・・地域の歴史とともに風化していっているのが現状」との危機感があるせいであろう。北海道が石炭の宝庫であったとの事実は、当世の若者の記憶からは忘却されているのが実態ではあるまいか。
「記憶の保存」とは、ただの懐古趣味にすぎない。ところが、「自らの生きた証を残したい」と発起した瞬間に、主観は客観となり、「記憶」は「歴史」に変わる。同会の活動は、車両の保存をとおして「歴史」を紡ぐ試みといえる。三菱大夕張鉄道の事績、大夕張にて石炭を掘削していたとの事実、それぞれの「記憶」を集約することにより、「世代・地域を越える記憶の保存」へと高まり、さらに「歴史」へと昇華していく過程が、現在形で進行している最中である。
だから、同会の活動からは目を離せそうにない。筆者は自分ではなにもしない第三者にすぎないが、せめてかような一文を記すことにより、同会に声援をおくりたい。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |