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■第1章 名古屋鉄道美濃町線について 1.1 まえがき 平成10(1998)年度の末日をもって、名古屋鉄道(以下名鉄とする)美濃町線の新関−美濃間が廃止された。 同区間には単線軌道が道路の片隅を走る箇所もあるなど、軌道と鉄道の趣が渾然とした雰囲気を醸しており、幅広く認知されている路線であった。しかしながら、その輸送量は極めて少なく、収益を確保できないばかりか路線の維持そのものが難しく、長良川鉄道を代替交通機関として廃止されたのである。 趣味として面白い対象ではあっても企業経営が成り立たないという、典型例といえる。美濃町線を語る際には、この点を配慮しなければならない。 新関−美濃間を廃止するな、と叫ぶことはやさしい。しかし、どのような施策を打っておけば廃止まで至らずにすんだかの検証がなければ、机上の空論に終わってしまう。 あるいはまったく逆に、これは時代の流れ、と諦観してしまうこともできる。しかし、これは思考の放棄になりかねない。 本論においては、昭和40年以降の美濃町線の輸送改善施策に対して検証を行う。それにより得られた知見を基に、利用者数減少の原因の抽出を試みる。さらに、なんらかの対策により利用者数減少を抑制し、新関−美濃間の維持が可能であったか否かについて、考察を加えることにする。
1.2 美濃町線(田神線を含む)の沿革
美濃町線は長大な路線ながら、一時にして全線の開業が実現している。初期投資負担は大きかったはずだが、全線開業することによりはじめて意味を持つ路線であることの象徴といえる。途中の大きな市街地は新関付近にしかない。美濃町線はその名のとおり、美濃に通じてこその路線として成立した。 開業後の美濃町線には、起終点付近の移設を除き、大きな動きは久しくなかった(終点付近の移設については不明な点もあるので上の年表には表示していない)。一度完成形ができあがった以上、手を加える必要が少なかったのかもしれない。 昭和45(1970)年の田神線開業に伴い、新岐阜−新関間の直通運転が開始された。起点の立地は徹明町と比べ格段に良くなったものの、利用者はかえって減少したとされている(参考文献(18))。 昭和56(1981)年には複電圧連接車モ880 が投入され、新岐阜−新関間の毎時4本運行ダイヤが確立された。その一方、新関を境とした系統分割が行われた。 おそらく、新関−美濃間の廃止が模索されはじめたのはこの時期以降からと推察される。平成 4(1992)年、名鉄から地元自治体に対する廃止の正式な申し入れが行われた。長い準備期間を経て、同区間が廃止されたのは平成11(1999)年である。 廃止の代償措置として、新関−関間が延伸(一部区間で旧線を流用)され、関における長良川鉄道(旧国鉄越美南線)との円滑な接続が実現された。鉄軌道の廃止に伴う措置としては極めて珍しい事例である。
1.3 沿線の人口 美濃町線の沿線自治体の人口は、下記のとおりである。
1本の軌道路線を維持するためには決して充分でないものの、少なすぎる水準とまではいえない。また、人口の推移は概ね横這いであり、関市では増加傾向にさえある。 美濃町線沿線の人口の特色は、その分布にあると考えられる。沿線の有力な市街地は、新岐阜・徹明町・新関・美濃の4駅のみしかない。 徹明町−競輪場前−日野橋間には人口の集積が認められるが、これは市街地というよりも居住地の性格が濃い。同区間にしても北側に山地が控えており、後背地は薄い。その他の区間においては、人口密度が低くないかわりに集積もない。いわゆる「散村」の形態に近く、視野の全方向に宅地がありながら、人口は集積していない。 かような人口分布に対して最も適合する交通機関は自家用車であり、集約性を旨とする公共交通機関がその特性を発揮するのは難しい。即ち、美濃町線をはじめとする公共交通機関が自家用車に対抗しようにも、人口の集積がないという悪条件を背負っているため、対等な競合はもとよりありえないと考えなければならない。 人口に関しては、地形から受ける影響も無視できない。美濃町線の近傍には、長良川・津保川などの河川、金華山などの山地が控えている。そのため、駅の後背地(駅勢圏)は通常考えられる範囲よりも狭められている可能性が高い。
1.4 駅の立地 美濃町線の各駅は、立地に恵まれていない。前項に記した市街地4駅のうち、新岐阜を除く徹明町・新関・美濃は市街地の端部に立地している。利用者を誘致するうえで有利な立地とはいえない。 関に発着する利用者の誘致に重点を置くならば、新関からさらに東方1〜2km程度は延伸したいところである。「鍋弦」の如き迂回線を構成するとか、新関から支線を伸ばすとか、いくつかの選択肢もないわけではなかった。 美濃に関しても同様で、あと 0.5kmほど北方に延伸できれば、市街地の中心にまで入りこめたはずである。 しかし、かような工夫はなされなかった。美濃町線は「軌道」というより、都市間連絡を旨とする「鉄道」としての性格が濃い、といえる。「鉄道」であれば、少なくとも明治・大正の独占時代においては、利用者の方から駅に出向いてくれたので、駅の立地が重要視される例はほとんどなかったからである。あるいは、用地取得に強い制約が伴ったなど、別の条件があった可能性もある。
1.5 競合する交通機関 美濃町線と競合する交通機関のうち最有力のものは自家用車である。自家用車に関しては、競合交通機関ではなく脅威と形容する方がむしろ適切であるかもしれない。 もっとも、自家用車が公共交通機関を圧倒するという図式は、当地に限られたものではなく、全国に広く認められる現象である。さらにいえば、自家用車を競合交通機関と認定したところで、前項にも記したとおり、公共交通機関が自家用車に対抗するための手段は極めて限定されている。 自家用車を利用する層を公共交通機関に誘導するための対策は、美濃町線の個別問題に帰着させるよりも、普遍的な研究課題として取り扱うべきで、本論からは除外するつもりである。 美濃町線の実質的な競合交通機関は、バスである。岐阜市内におけるバスの運行本数は稠密であり、美濃町線の影はごく薄い。ところが、岩田坂あたりを境にこの状況は逆転しており、郊外部では美濃町線の本数の方が多い。しかもパターンダイヤであるため、さらに利用しやすい状況が整えられている。 大雑把にわければ、岐阜市内ではバスのネットワークを美濃町線が補完しており、郊外部の(というより岐阜−関−美濃間の都市間)輸送は美濃町線が主に担い、バスが競合的に補完する、という関係が成立している。 バスには支線系統も多く、結果として幹線系統区間での運行本数が卓越するため、岐阜市内の輸送では優位に立っているといえる。その一方、美濃町線には専用軌道区間があり、バスよりも確実な定時性を備えているため、都市間輸送では優勢を保っていると考えられる。 特筆すべきは岐阜−美濃間である。同区間のバスは短絡路を経由しており、本来競合的な関係になるはずであった。ところが、バスの運行本数はごく少なく、競争力を云々する水準にまで達していないのである。美濃町線新関−美濃間は結果として廃止されたものの、バスに対しては充分な競争力を備えていた点に留意する必要がある。 この他の交通機関としてはJR高山本線・名鉄各務原線などが存在するが、競合関係にあるとはみなしにくいので、ここでは取り扱わない。長良川鉄道は関−美濃市間において美濃町線と並行していたものの、競合と呼べるほどの関係だったとはいいにくい。補完とも異なる関係で、性格の異なる2本の路線が並行していただけとの観さえある。
1.6 利用者数の推移 公表されている美濃町線の利用者数データは、昭和55(1980)年度以降のものしか存在していない(参考文献(02))。それ以前の状況がわからないとの憾みは遺るが、それでも興味深い現象が見出される。 昭和56(1981)年度、新関−下有知間の利用者数は激減している。その後、利用者数は回復傾向を示したが、昭和60(1985)年度に再び激減する。利用者数の減少はなお続き、特に普通旅客の激減は生半可な水準でない。 日野橋−岩田坂間及び新田−新関間の利用者数は、漸減傾向に転じたとはいえ、横這いで推移しているとみなせる水準である。それと比較して、新関−下有知間の利用者数減少はあまりにも激しすぎる。 ここで、いますこし詳細な分析を試みてみよう。 新関−下有知間の利用者は、新関以西まで(から)直通する定期・普通客、新関発着の定期・普通客の4タイプに分類される。昭和55(1980)年度時点で、それぞれの利用者数はほぼ同数であった。ここで、4タイプを以下のように定義する。 タイプⅠ:新関以西まで(から)直通する定期客 タイプⅡ:新関発着の定期客 タイプⅢ:新関以西まで(から)直通する普通客 タイプⅣ:新関発着の普通客 タイプⅠの利用者は、昭和55(1980)年度から現在に至るまでその数が一定しており、漸増傾向をも示していた。ところが、タイプⅡの利用者は平成に入ってから減少が著しく、廃止直前の段階では皆無に近い水準にまで達している。タイプⅣの利用者は、タイプⅡと比べ傾きが緩いものの、やはり大幅に減少している。タイプⅢの利用者もまた半減以下である。 つまり、新関−下有知(即ち美濃)間においては、足の長い定期客を除き、ほとんどの利用者が消滅してしまったことがわかる。賃率が相対的に高いタイプの利用者が大幅減少したことは、ほとんど致命的なダメージといえるだろう。
グラフ−1 名鉄美濃町線各区間の輸送密度の推移 (積み重ねグラフではないので御注意) グラフ−2 名鉄美濃町線新関−下有知間の輸送密度の推移 (こちらは積み重ねグラフ) |
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