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第1章 能勢電鉄の近代化投資
■能勢電鉄の概況
能勢電鉄は独立した鉄道会社というよりむしろ、阪急電鉄宝塚線の支線という色あいが濃い。保有車両は全て阪急からの譲渡車であるし、梅田までの直通列車も運行されている。能勢と阪急の関係は、極めて濃厚である。
実のところ、能勢電鉄の株式の8割近くは阪急電鉄の保有である。支線どころの話ではない。能勢電鉄は阪急電鉄の子会社なのである。株式比率だけを見れば、能勢電鉄は阪急に吸収されてもおかしくないところだ。しかし、独立は未だ保たれている。
なぜだろうか。その真の理由は残念ながらわからない。しかし、両社の運賃を比較してみれば、背景がそこはかとなく読めてくる。
能勢電鉄川西能勢口−妙見口間は12.2km、運賃は 320円である。これが阪急電鉄の場合、梅田−石橋間は13.6km、ところが運賃は 220円で済んでしまう。賃率はおよそ5割増し、なんとも巨大な懸絶がある。仮に能勢電鉄が阪急電鉄に合併されたとして、かように極端な賃率格差をつけられるだろうか。答はおそらく「否」である。両社の収支を均衡させるという意味において、阪急電鉄は賢明な選択を行ったといえる。
能勢電鉄の賃率が高いのはなぜか。ひとことでいえば、昭和40年代以降の近代化投資の負担が大きいという点につきる。かつて能勢電鉄の規格は低かった。元来は軌道法準拠の路線で、全線が単線だった。半径 100m程度の急曲線が多数介在しており、 600V電化で、小型車両が運行されていた。信号などあらゆる施設が、旧かった。昔はそれでもよかった。しかし、社会の近代化と沿線開発の進捗は、旧態を保つことを許さなかった。能勢電鉄は近代化投資に邁進した。否、せざるをえなかった。
写真−1 山下駅南方の分岐点
複線化・高架化・線形改良・新線建設・大型車投入・・・・・・・・。能勢電鉄のこの30年間は、近代化投資に明け暮れた。
■能勢電鉄の近代化投資
複線化は昭和42(1967)年の川西能勢口−鴬の森間をはじめとして、昭和52(1977)年には川西能勢口−山下間( 8.2km)の完成を見た。
線形改良は昭和41(1966)年以来営々と続けられている。塩川曲線改良、鴬の森−鼓滝間曲線改良、平野−一の鳥居間線路改良、笹部−常盤台間曲線改良、川西能勢口付近連続立体交差化など、枚挙にいとまがない。
車両基地は昭和41(1966)年絹延橋から平野に移転され、昭和57(1982)年にはさらに増改築された。
昭和43(1968)年に通票閉塞が廃され、全線で自動閉塞及び自動信号が供された。
昭和51(1976)年には列車無線が供された。
昭和52(1977)年には軌道から鉄道に昇格した。
昭和53(1978)年には日生線山下−日生中央間( 2.6km)が開業した。この件については第2章に詳述する。
昭和56(1981)年には山下変電所が増設され、平成 4(1992)年には平野変電所の増強され、さらに平成 7(1995)年には 1,500Vへの昇圧がなされた。
なお、昭和56(1981)年には川西能勢口−川西国鉄前間( 0.6km)の営業も廃止されている。同区間の営業成績は極端に悪く、しかも川西能勢口付近の連続立体交差化・駅前再開発に支障する線形であったから、廃止は避けられなかった選択といえる。同区間を主題にした記事を望む読者諸賢は少なくなかろうし、また当館の運営方針からすればかような記事を興すべきかもしれない。しかし、ここでは敢えて同区間については詳しく触れない。本稿の主旨から大きく逸脱するからである。
昭和57(1982)年に ATSが導入され、平成 4(1992)年には全線で完成した。
昭和58(1983)年には初の大型車1500系が投入され、これ以後増備・増結・小型車置換が続いていく。最後の小型車が廃されたのは、平成 4(1992)年のことである。
平成 3(1991)年には全駅が無人化され、駅務は遠隔制御となった。
平成 6(1994)年には全踏切の自動化が完成した。
平成 9(1997)年には最高速度向上(妙見線60km/h→70km/h/日生線60km/h→80km/h)のうえ、ワンマン運転及び日生中央−阪急梅田間直通特急「日生エクスプレス」の運行が開始された。
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気が遠くなるほどの努力の積み重ねである。しかしながら、能勢電鉄の例は決して極端なものではない。都市圏輸送に携わる鉄道事業者は、程度の差こそあれ、似たような道を通り過ぎてきたのである。
写真−2・3 山下駅に発着する列車
能勢電鉄の車両は一昔前まで小型車であった。今では全て大型車に置換され、すっかり近代化が図られている。譲渡車の古くささは、少なくとも外観からは感じられない。
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