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第2章 鉄道省による小名木川支線建設

 

 東武鉄道のターミナル立地に関して、重大な転機が訪れる。それは、総武鉄道の国有化であった。国有化当時の総武鉄道経営陣のうち、社長は東武の取締役、役員の半数が東武の(元)取締役もしくは創立発起人であって、両社の関係の深さがうかがえる。しかし、総武鉄道は国有化され、東武鉄道は国有化されなかった。自社ターミナルを確立するため、東武鉄道は新たな模索を試みなければならなかった。

 総武鉄道の国有化は明治40(1907)年 9月のことで、これに対応して、東武鉄道は明治41(1908)年 3月に吾妻橋−曳舟間の貨物営業を復活した。さらに吾妻橋を浅草と改称、ドックを併設し水運との結節を図った。明治43(1910)年 3月には両国橋への直通を廃止、浅草−曳舟間の旅客営業をも再開した。

 浅草(現在の業平橋)開業によって当面の問題は解消されたものの、越中島延伸の意欲は熾火のように残った。「北千住〜亀戸〜越中島間の免許線は、なお西へ進んで京橋から新橋までも視野に入れていた」というから気宇壮大であるが、この記述が全て本音であるかどうかは疑わしい。というのは、参考文献(01)には、越中島を起点とする路線の計画図が2葉掲載されている(鉄道院文書からの転載)一方で、新橋・京橋を起点とする路線の計画図は参考図しか存在せず(要するに当時の図面がなく)、計画の具体性に疑問が伴うからである。

 とはいえ、少なくとも越中島延伸の熱意は本物であった。免許失効直後の明治44(1911)年 4月の株主総会では、亀戸−西平井(現在の営団東西線東陽町付近)間の軽便鉄道法による路線敷設申請を決議しているというから、まさに粘り腰である。

 当初目的地の越中島ではなく、西平井であえて止めたということは、あるいは「すでに敷設予定地は市街と化し」たというよりもむしろ、海岸付近の工業地帯化が進んだ影響が大きかったのかもしれない。

 東武鉄道による越中島(西平井)延伸は、しかし、ついに実らなかった。西平井延伸に関しては免許取得さえできなかった。おそらく、江東区に発着する貨物の重要性を鑑みたのであろう。総武鉄道国有化後の次の段階として、東武鉄道の発起に委ねるのではなく、鉄道省自らが支線を引く計画があった。参考文献(02)には、以下のように簡潔に記されている。

 【新小岩操車場】

   大正15(1926)年 7月、取扱能力1日 600両の操車場として発足した。ここの使命は
  総武線対東北・常磐、東海道線等との中継を行うもので、その後常磐・東北線対策のた
  め金町線(新小岩・金町間 7.1km)、江東地区貨物取扱いのため小名木川線(亀戸・小
  名木川間 2.1km)および小名木川駅の開業とともに操車場の増強を行った。設備内容は
  着発線8線、引上線3線、仕訳線延べ5200m、信号扱所3か所等を有し、小名木川線の
  開業時の昭和 4(1929)年 3月には取扱能力1日1300両となった。

 注:距離の単位はローマ字に改めた。西暦年は原典になく、引用者が補った。

 小名木川支線の開業と同時に越中島線も開業している。越中島線は小名木川−越中島−晴海・豊洲埠頭間の臨港線として扱われ、本線格に昇格するまで時間を要している。さらに後年、総武本線の複々線化の際、小岩−新小岩操車場−亀戸間に関しても別線化されている。そのため、現在の小名木川支線は小岩−亀戸−小名木川−越中島貨物間という扱いになっている。

 小名木川支線は、全線に渡り複線分の用地が確保され、橋梁等構造物の一部は複線対応でつくられている。しかし、実際に複線になったことはなく、単線のままで営業を続けている。

 【小名木川支線略年表】

  昭和 4(1929)年 3月 亀戸−小名木川間開業/越中島線開業
  昭和33(1958)年11月 小名木川−越中島貨物間が総武本線支線に昇格
  昭和46(1971)年 7月 小岩−亀戸間別線化
                           参考文献(03)より

 

 

 

 現在の小名木川支線は、線路施設をJR東日本が保有し、列車運行をJR貨物が行っている。定期列車の設定は小名木川までしかなく、小名木川−越中島貨物の実態は、側線に近い。

 かつての小名木川支線は、さぞかし活況を呈したと思われる。沿線には木場などがあり、また臨港線沿線を含め重工業地帯も存在している。日本の経済成長を支えた源泉が、沿線に凝縮されている。

 しかし、小名木川支線には、残念ながら未来がない。ただいま進められている武蔵野線・京葉線の貨物列車運行(南流山−西船橋−南船橋−千葉貨物ターミナル間)対応工事が完了すれば、新小岩経由の列車は全廃される公算が大きい(神栖行の列車をどうするかという問題は残るが)。新小岩の操車場及び車両基地としての機能は既に廃止され、跡地は国鉄清算事業団の手により再開発されつつある。そして、小名木川駅が平成13(2001)年までに廃止されることは既に確定している。越中島にJR東日本のレールセンターがあるため、線路はしばらく残るにせよ、それとて存続を保証するものではない。

 貨物輸送の衰退は輸送体系の変遷にすぎず、沿線の経済が衰微しているわけではない。小名木川支線の貨物扱いが他拠点に集約され廃止になるのは、鉄道貨物の趨勢からして、やむをえない。とはいえ、小名木川支線の衰勢は、東武鉄道にとって悲しむべき出来事であるに違いない。

 

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