このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
坂本屋忠兵衛は江戸末期から明治時代の人で魚の仲買や仕出しを生業としていたようで川之江村大庄屋役用記や中須の旧「お伊勢やさん」の棟札、八幡神社の狛犬の台座などに名前を見ることができます。 先年、我が家のお墓を整理したときには「忠兵衛の子 馬治」と彫られた小さい墓石が見つかったので忠兵衛はウチの人に間違いはないのですが過去帳に名前が載っていません。庄蔵が養子のかたちで坂本屋を継いでいることを考えると、記録に残っている明治3年以降に他所の土地に移り住みその土地で亡くなってしまった為こちらのお寺の過去帳に名前が載っていないのかも知れません。なので忠兵衛の生年、没年ともに不詳ということにしておきます。忠兵衛さんのご子孫で詳しいことのわかる方がいらっしゃいましたらご連絡ください。 |
天保11年、この年忠兵衛は船稼ぎ(魚の仲買い業?)を始めるため「八幡丸」という名前の三十石積みの小舟を手に入れました。親戚の庄六や庄蔵などが自分の持船で廻船業をしていたので自然と船稼ぎの世界にはいったのだと思われます。 30数年前に96歳で亡くなった曾祖母が「昔、坂本屋には大っきな舟が何艘もあった…」と夢のような話をしていましたが、あながち全くのホラ話でもなかったようです。 |
天保11年(1840年) 川之江村大庄屋役用記より 奉願上口上覚 八幡丸 一、三拾石積船 壱艘 持主川之江 忠兵衛 右は此度 船稼相始申候ニ付 御鑑札頂戴仕度奉願上候 以上 天保十一子年十月 中須町 忠兵衛印
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弘化3年(1845年)、船稼ぎを始めて15年。ようやく商売も軌道にのってきた忠兵衛ですが、突然降ってわいたような事件がおこります。(編集中です…) |
安政4年(1857年)、中須の神明神社(お伊勢さん、お伊勢やさん)が老朽化したため建替えをすることになったのですが、そのときに中須町の世話役として忠兵衛の名前がでてきます。 | ||
明治3年(1870年) 川之江村大庄屋役用記より 乍恐奉願上候 一 私儀 数十ヶ年来 魚仲買渡世ニて 是迄取続申候処 御陣屋所 并 御己屋中 未御用御肴屋 無御座 入込ニて 時々 御用支ニも 相成可申哉と 奉恐察 何卆向後 御用御肴屋 私へ 被仰付 被成下候はば 難有仕合奉存候 尤 魚類之外 御料理向 御用一切 被仰付被下候はば 御上様 御為筋ニ 相成候様 精々 尽力可仕 猶又 外肴屋より 御買取 被遊候魚類代銭等も 私へ 差配被仰付 私より払替 追て 御下渡 被仰付被下候はば 売上之魚類 其時々 値段等 吟味仕 不正之義 御座候はば 急度 取掃仕候間 此段 宜御聞届 被仰付度 奉願上候 午十二月 願 人 高原 忠兵衛 五十人頭 谷井 清十郎 右之趣 宜敷御取成 被下度奉存候 惣組頭 三好 清吉 猪川 平七 殿 |
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