このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

坂本屋平右衛門について

平右衛門は私から数えて8代前(1750年頃〜1813年)の人で、川之江村濱藏の御藏番をしていました。今でいう公務員で、文化7年(1810年)の川之江村大庄屋役用記に坂本屋平エ門(平右衛門)の名前を見ることができます。それによると「濱藏の御藏番を坂本屋平エ門に申し付ける」旨のことが書かれてあります。


一筆致啓上候 秋冷之砌 各様 弥御堅勝ニ 可被成御座 珍重奉存候 
然ば 御蔵番之義  当年も
坂本屋平エ門へ申付候間 
右之段 御承知可被下候 右得御意度 如此御座候 己上   

   九月十六日        讃岐屋平七   

 余木村 山田井村 下分村 三角寺村 新宮村   
 小川山村 平野山村 津根山村
   右村々  御庄屋衆中


先日ハ御状被下致拝見候 弥御堅勝可被成 御座珍重奉存候 
然ハ 御蔵番之義ニ付 回章差出候処 御両村は 友八へ御申付被成候由
右一件ハ 去歳御両寺様任御挨拶置  其せつ御同寺様よりも 
明年よりハ旧例之通  当村方にて取計相極候様との義ニ付 
坂本屋平エ門へ申付候間 左様御承知可被成候 
外村には 格別存寄之儀も有間敷候条 
廻章ハ 早々御順達可被成候 貴答 己上   

九月十八日       讃岐屋平七   

 下分村 梅蔵様   山田井村 喜太郎様

尚々 両人へ申付候義ハ 相成不申候間  此段御承知可被成候 己上




文中の「浜藏」と平右衛門の仕事である「御藏番」について調べたことを以下に記しておきます。

郷藏(浜藏)について

 各村へ割り当ての年貢を収納する藏で、川之江では船積みの便宜上、城山下の浜側へ建てていたので浜藏と呼ばれていました。この藏へは御領川之江組の、川之江村、余木村、下分村、山田井村、三角寺村、新宮村、小川山村、平野山村、津根山村、具定村の年貢米と、備荒備蓄の夫食米とが収納され、郷藏番人が陣屋手代の指図を受けて収納歳出に当たり、またほとんどの米は船で新居浜へ運ばれ別子銅山飯米に引き渡されていました。なお、この藏の一部は川之江村大庄屋の命令により処分された軽犯罪者用の牢屋としても使用されていたようです。

御藏番とは

 川之江村には浜番所があり、代々長野家が浜手役を勤めていました。浜手役は浜番所に詰めて出入港船や乗組員の取り締り、抜荷の監視、船鑑札の発行などに当たっていたようです。公式には松山藩御預り所川之江村浜手役で、その下に郷藏番が控えていました。ちなみに、文化・文政頃の御蔵番給米は壱石四斗弐升となっています。(一石は約150kg)



役用記の記述以外でも平右衛門の名前が出てきた書籍があったので一部引用して記しておきます。

角川出版、角川日本地名大辞典より

△平野山村▽ 江戸期〜明治22年の村名

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