このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

鉢巻の色など

 川之江の太鼓台は昼は鉢巻と幟の色で、夜は提灯に描かれた別号で容易に見分けることができます。それではその鉢巻と幟の色はいつごろから定められたのでしょうか。それについての記述が約用記に書かれてあったので紹介します。

 弘化四未八月八日申渡

   
五町太鼓かき手覆ひ 青黄赤白黒ニ別チ可申事 但し駄荷印之通 印ヲ立可申事 
  
 一切毛氈ニ限ル事
    中須 黒 、 川原町 黄 、 浦町 白 、 西濱  青 、 裏ノ丁 赤

 この年(1847年)以前には色別のことは書かれていないのでこれが初見だと思います。御陣屋から町々の組親へのお達しで、「五町の太鼓のかき手の覆いは五色に分けること、荷駄(につける)印のようなしるしを立てること、すべて毛氈(もうせん)に限ること」とのことです。
 

 弘化五申八月

   
五町より 太鼓かき手之覆ひ 青黄赤白黒 昨年相定り候通り 勿論木綿之事 

ところが翌年になると「毛氈に限る事」としていた布地が「もちろん木綿の事
」ともめんに替わってしまいます。やはり毛氈ではぜいたくだったのでしょう。


嘉永二年「祭礼申渡之覚」
 翌年(嘉永二年、1849年)の「祭礼申渡之覚」にやはり太鼓台の青、黄、赤、白、黒のしるしのことが書かれてあります。(赤線内をクリックすると拡大します。青、黄、赤、白、黒の色の横に太鼓台の地区名が書かれています。)この色分けについては、弘化四年(1847年)に陣屋より「青黄赤白黒ニ別チ可申事」との通知があったことが記されてあります。

  嘉永二酉八月

              祭礼申渡之覚

  一 太鼓出シ来り 町之儀は 昨年之通 青黄赤白黒之印ヲ 付可申事
    右は一昨年 御陣家より御沙汰ニ付 申渡候

              ー以下略ー

 現在に続く太鼓台のかき夫の鉢巻(覆ひ)の色分けはどうやら弘化四年(1847年)から始まったようです。

つづく


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