このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
川之江の太鼓台は昼は鉢巻と幟の色で、夜は提灯に描かれた別号で容易に見分けることができます。それではその鉢巻と幟の色はいつごろから定められたのでしょうか。それについての記述が約用記に書かれてあったので紹介します。
この年(1847年)以前には色別のことは書かれていないのでこれが初見だと思います。御陣屋から町々の組親へのお達しで、「五町の太鼓のかき手の覆いは五色に分けること、荷駄(につける)印のようなしるしを立てること、すべて毛氈(もうせん)に限ること」とのことです。
ところが翌年になると「毛氈に限る事」としていた布地が「もちろん木綿の事」ともめんに替わってしまいます。やはり毛氈ではぜいたくだったのでしょう。 |
嘉永二年「祭礼申渡之覚」 |
翌年(嘉永二年、1849年)の「祭礼申渡之覚」にやはり太鼓台の青、黄、赤、白、黒のしるしのことが書かれてあります。(赤線内をクリックすると拡大します。青、黄、赤、白、黒の色の横に太鼓台の地区名が書かれています。)この色分けについては、弘化四年(1847年)に陣屋より「青黄赤白黒ニ別チ可申事」との通知があったことが記されてあります。
現在に続く太鼓台のかき夫の鉢巻(覆ひ)の色分けはどうやら弘化四年(1847年)から始まったようです。 |
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