このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

山下茂太郎商店

 10年以上も前に知り合いの方からいただいた「昔々のチラシ」をなにげなく見ていたところ見覚えのある名前を発見した。このチラシは、昭和9年に川之江と阿波池田間に省営バス(国鉄バス→JRバス)が開通した時に印刷されたもので、うらおもて両面に地図やバスの時刻表、商工業者名などが印刷されている。
 さて、左の写真の商工業者名が書かれているほうの赤枠内に「縫箔業 山下茂太郎商店」とある。(赤枠をクリックすると拡大します。)裏面を見てみるとそれぞれの店の所在地が記されてある。そこで、「縫箔業 山下茂太郎商店」を捜してみると今の信用金庫の近く、新町に山下商店というのが見つかった。このチラシには他に山下という店は載っていないのでここが「縫箔業 山下茂太郎商店」だと確信した。(赤枠をクリックすると拡大します。)
 伊吹島の南部太鼓台の「雑費控帳」によると、大正15年に”伊予宇摩郡川之江町 山下茂太郎”商店でトンボ スミ房等の修理をしたとの記述があるのを見たことがあるので、山下茂太郎縫師は川之江町に住んでいたんだなとおぼろげには思っていたのだが、こんな町のどまんなか(昔の繁華街)に店をかまえていたとは。この場所は、昔より秋祭り
の宮入りのコースになっているので秋祭り最終日の17日(昭和36年までは10月17日)には店の前はさぞかし賑わっていたことと思われる。


 山下茂太郎縫師は1861年に池田町で生まれた。16歳から38歳まで京都で修行をしたのち池田に帰り「山下精縫舎」を出店し営業を始める。その後大正元年(1912年)に川之江町に定住し「縫箔業 山下茂太郎商店」を設立。1930年に亡くなっている。二代目の山下八郎縫師(1905〜1966)は愛媛県の無形文化財保持者として有名であった。八郎と同時期には梶内近一縫師や菅原林太郎縫師らが茂太郎に弟子入りをしており、この時期「山下茂太郎商店」は後世に名だたる縫師を何人もかかえ大山下工房をつくって川之江はもとより新居浜、伊予三島、豊浜などの太鼓台等の飾りを造っていたものと思われる。


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