このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
番外 東濱町 関船 『八幡丸』 |
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関船が風流として秋季祭礼に出されるようになったのは太鼓台(御輿太鼓)と同じ江戸時代後期頃と考えられる。現在の関船は昭和9年建造で、船体の大きさは長さ約7メートル、巾約1.8メートル、高さ約3.3メートルで黒の漆塗りで仕上げられている。船体の中央には黒漆塗りの屋根が美しい「屋形」があり金糸と色糸で縫われた幕がめぐらされている。この幕の図柄は須佐之男命のおろち退治の物語で、前面に
八岐大蛇の頭部
、右舷側に
大蛇に組み付く須佐之男命
、左舷側に
奇稲田姫と酒壷
、後方には大蛇の尾の部分が刺繍されている。胴の「とり舵幕」には
武者
が、「おも舵幕」には
龍と武者
の刺繍がほどこされてある。これは源平合戦の源義経奮戦の図ということである。 「とも」の見送りにも幕が張ってあり、ここにも金糸と色糸で「 富士の巻狩、曽我兄弟 」などが刺繍されている。「みよし」の 舳先 は組綱で編んで覆われていてその綱のあまりを船首から垂らして束ねてある。その側面には桐紋と菊の飾り金具が打ち付けてある。 関船の運航時は 伊勢音頭海老屋甚句 を唄いながらゆっくりと練り歩く。川之江市誌によると「御輿の海上渡御を迎えて、宮入りの間、街中を練りながら関船だんじりを引くときその中で歌われる神迎・神送・宮入り歌で、特色として、ゆったりとしたテンポで明るい祭祝い歌として歌い継がれた。」となっている。 関船奉納歌 の由来についても次のような記述があった。すこし長文になるが記することにする。「…徳川中期、山内候の参勤東上に際し、川之江港を出帆するにあたってその船出を祝い、航路の安泰を祈って、住民がその船の一隅を借りて簾を下し、歌い手の身も顔も隠して合唱した。またお国帰りの際、川之江港に着船上陸する時も、帰国を祝って港の堤で同じように合唱してこれを迎えたという。 しかし、これらの行事も明治以後、中須町の通称「お伊勢さん」の夏祭りの奉納歌として、更に大正期からは川之江町八幡神社秋季大祭用の奉納祝歌に転化してしまった。秋季例大祭には神輿が塩谷から船で壮麗な海上渡御をし、西浜から上陸するのを迎えて(最近では港から船出して沖合を巡行して港へ)同じように関船の歌を合唱する。」 |
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平成7年 | 平成6年 | 平成5年 | 平成4年 写真 川之江N氏 | 平成2年 |
平成2年10月19日 国民文化祭(松山)にて | 平成元年 写真提供川之江N氏 | 昭和62年 | 昭和55年 写真提供川之江N氏 | 昭和50年頃 「観光かわのえ」より |
昭和30年 古町筋 | 昭和29年 古町筋 坂本屋前 | 昭和29年 古町筋 坂本屋前 | 昭和9年 新造船時の記念写真。 |
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