このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




北海道命名の地
中川郡音威子府村字物満内




音威子府村から国道40号線を中川町方面に北上すること約8キロ

カーブの途中に「松浦武四郎 北海道命名の地」入り口という看板ある 

北海道命名の地 入り口


本当なのかよ?と、まゆつば物だがとりあえず行ってみる ダートを少し進むといきなり分岐があり、

とっちだ?と思うが川の方へ右折するともう着いた 国道から100m位のすぐの場所だ



北海道命名の地北海道命名の発想

北海道命名ゆかりの地 〜北海道命名の発想

安政四年、武四郎はアイヌの人達と共に天塩川を探査し「天塩川日誌」として書き残しました

天塩川探査の帰途中、オニサッペ(鬼刺川付近)で、事故に詳しいアイヌのアエトモ長老から話を聞きました。


アイヌの通称である「カイナ」の「カイ」とは、この国に生まれた者ということで、「ナ」とは、貴人をさす尊敬の言葉である。

これを聞いた武四郎は、「アイヌの人々は、自らその国を呼ぶとき、加伊(かい)と言い、アイヌはひげがながいところから、

蝦夷(かい)の字を用いたが、もともと蝦夷地の蝦夷(えぞ=かい)とは加伊(かい)のことである。」と考えました。


明治二年七月十七日、武四郎は道名に関する意見書を提出。

候補に、日高見道(ひたかみどう)・北加伊道(ほくかいどう)・海北道・海島道・東北道・千島道の六道を提示、この中

から「北加伊道」が採用され「加伊」の字に北方の海に通じる「海」をあて「北海道」名が誕生しました。

現在の「北海道」の名は、まさにこの地でアエトモ長老とであったことから生まれたのです。

と右写真の看板に記載されている


それでもここが本当に北海道命名ゆかりの地なのかと疑問に思うが、そういうことにしておこう


北海道命名ゆかりの地天塩川


京都ナンバーの車が停まっていた そこは河川敷になっており川の方へ行くと、全裸のおじ様が

水浴びと言うか風呂代わりに体を洗っていた かなりワイルドだ!! こっちよりも向こうの人のほうがあせった

かもしれない 凝視するとかわいそうなので、あまり気づかないふりをしておいた

この日の音威子府村の最高気温は28.4℃気持ちも分からなくはない








国道40号線、音威子府村と中川町の間に2箇所くらいあった SOS非常電話

まるで高速道路に有るかのような電話BOX 公衆電話と違い、道路維持事業所直通なのだ

この辺は人家も無く、携帯も圏外な為か?もしもの時はこちらへどうぞ










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