このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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稚内市内から岬に向かう 左写真の先端が宗谷岬、もうちょっとで到着だ
到着するとお盆ということもあり、宗谷岬は大勢の人が居た 右写真が日本最北端の地の石碑
よく観光雑誌にも載っているが意外とあっさり
日本最北端の石碑は北緯45度31分41秒に位置している
晴れた日には遠くサハリン(43km先)の島影を望むことができる
これでは観光雑誌と変わらないのでさらに詳しく! とりあえず360度回ってみました
中央よりの白い三角屋根の建物は最北端のトイレ
奥の青い建物は最北の土産物店で、最北端到達証明書が購入できる
この建物は2006年11月19日、火災が発生しており
消防車が出動した日本最北端の火事と言えるのでは?
さらに奥は最北端給油所
左奥の建物は「日本最北端の店」、「食堂最北端」などこぞって最北を強調していた
左上の丘には大岬旧海軍望楼
稚内市内方向 ライダーも多い この日は気温27度で最高のツーリング日和
何回かここに来ているがTシャツで走れたのは初めて!
いつも風が強いのだがとても穏やかでした
ここでは埼玉から来たという若い人と出会い、石碑をバックに写真を撮り合い、少しの間話をした
中央は間宮林蔵の立像 1808年初めて宗谷から樺太へ渡り、樺太が島であることを発見した探険家
サハリン西岸とロシア本土の間の海峡は「間宮海峡」と命名され、
日本人で唯一、世界地図に名が刻まれました
さらに詳しく!!
最北端の石碑の裏の様子 ここまでくるとどうでも良いのだが 右写真が究極の最北端アップ画像
給油すると日本最北端給油証明書と貝殻の記念品がもらえる
「あなたは日本最北端の給油所で給油したことを証明いたします」
岬からすぐの丘の方へ行くと稚内視程文化財第十九号 史跡 大岬旧海軍望楼がある
明治七年、樺太千島交換条約が成立し、樺全千島はロシア領となりましたが、
宗谷海峡における日露の緊張は高まるばかりでした。
当時の日本海軍はこうした情勢下で、明治三十五年(1902)宗谷岬に望楼を建設しました。
この望楼は、宗谷海峡を一望のもとに見渡せる位置にあり、その形も船のブリッジを形づくる異色のもので、
石材をコンクリートで固め、いかにも国境の備えにふさわしい監視所でありました
建設いらい、風雪に耐えて、当時のおもかげを今につたえる重要な文化財です (案内看板より)
右写真はそこからの眺め
こちら国道238号線 稚内市と猿払村の 堺付近にある雪崩注意標識 落石注意とちがって、ごっそり落ちてる |
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