このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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国道275号線沿いからも見える朱鞠内湖は本名「雨竜第一貯水池」といい、発電を目的としたダム(最大51,000w)
による表面積日本一の人造湖です。湖の遠くには立ち枯れした木の幹が湖面からいくつも出ているのが見えます
このダムの建設にあたっては昭和3年から調査だけで10年、工事には6年の合計16年という長い年月がかけられました
工事にかかった費用は8千万円といい当時では巨額なものであったようです。
ここから10km位離れた、道道279朱鞠内風連線沿い(日向温泉付近)に見える巨大な配管と発電所も
同じ関連施設だと思います 湖の東側(名寄市風連側)に取水口らしき施設もある
朱鞠内展望台です 上の写真の撮った場所から後ろへ振り返ると、左写真にある鉄骨の展望塔があり、
その上からダム側を撮ったのが右の写真です。手前にある巨大な塔はダム建設の際犠牲になられた方々の慰霊碑です
この地はタコ部屋労働とよばれる強制労働により、多くの犠牲者が出ている悲しい過去を持つ場所でもあるのです
「朱鞠内は1935年(昭和10年)から1943年(昭和18年)まで名雨線(のち深名線現在廃線)鉄道工事・雨竜ダム
(朱鞠内湖)工事が行われ数千人の日本人労働者と、3千人余といわれる朝鮮人・韓国人強制連行労働者が使役され
200人以上の犠牲者がでた 犠牲となった死者は一夜この本堂に置かれ朱鞠内共同墓地の奥に埋められた」
旧光顕寺本堂案内看板より
旧光顕寺本堂は上記の歴史を経て、現在は笹の墓標展示館として残された犠牲者の位牌、遺骨遺品が置かれ、
ダム建設や鉄道建設、強制労働の歴史資料、遺骨発掘の資料などが展示・開放されている
場所は国道275号線から湖畔や展望台までに行く途中にあります
実際のお寺ですから近代的な資料館とは違います 黒い木の壁、昼間でも薄暗い室内は当時の暗い過去を物語っているようです。
こちらは展望台から車で数分の湖畔 貸しボートや遊覧船、キャンプ場や食堂などがある
以前友人6人位とツーリングで来て手漕ぎボート3台で競争??した事もあったなぁ
焦るとよけい真っ直ぐ進まないのが楽しかった
国道275号線沿い、朱鞠内と母子里の間にも湖が見渡せる駐車場付き展望地がありますが
以前に比べ木が成長したせいか湖が見えにくくなってきたような気がします
朱鞠内は1974年(昭和49年)4月30日に道立自然公園に指定されました
自然公園とはすぐれた自然を守り誰もがその自然を楽しめるように法・条例で定められた地域です
灯油タンクはかなりの足長 ここ朱鞠内は豪雪地帯でも有名 冬は積雪2mを超える!! |
湖畔の道路沿いに咲くコウリンタンポポ
小学校の頃、たくさん咲いていた場所があり、先生にその名を教わった事を思い出しました
こちらは朱鞠内神社 体験学習&宿泊ふれあいの家「まどか」(旧朱鞠内小学校)付近にある
細い階段の先に小さな無人の神社がある 絵に書いたような里山の風景
こちらは朱鞠内駅跡地 朽ち果てつつある駅前の看板にはまだ深名線が記されている
ようこそ”森と湖と最寒のロマン”幌加内町へ
線路のオブジェがありますが、実際の線路は道路の所に通っていました
深名線は1995(平成7)年に廃線となっています
昔「朱鞠内市街とラッセル車」旧光顕寺本堂展示写真と、今
犠牲者を出しながら作られた深名線も現在は廃線
建設の苦労はおろかそこに鉄路が有った事さえも草木に覆われ薄れつつある
駅前の朱鞠内唯一の商店だと思います 店内にはレトロなレジがまだ置いてありました
また鉄道の写真も数点飾っており、そこには先代の店主さんの写真も
現在は娘さんがお店をやっているそうです
セミの音だけが響き渡る朱鞠内中心部 時が止まったようなそんな場所です |
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