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広大なネットの海には無数の掲示板が散在する。様々な嗜好を持つ男女が集う掲示板の中には、技術が進歩しモラルが変化するのに伴って、時には目を疑うような内容の物が出現する。そんな掲示板のある日の書き込み。
57 :Y子◆8tnfz2gsNew!永康24年07月18日 23時16分45秒 ID:5xuw3sM4
こんにちは。Y子です。
18歳の1級障害者・義体化1級です。
東京府近郊の方希望。
詳細はメールにて。
うお何だこれわ18歳まじかよさばを読むにもほどがあるどうせ外観年齢はどうにでもなるんだし障害者手帳見りゃわかるんじゃねいくらだろ相場は時間3マソだが18歳だぜ5マソくらいじゃねーの義体化1級は超希少だぞせめて関東近辺なら突撃する勇者はおらんのか等。ひとしきり疑念と期待が半々の書き込みが続いたあと。
221:名無し New! 永康24年07月25日 00時59分57秒 ID:XY7m5iFQ >>57
かわいい女の子だったよ。時間5マソエン。
これを見て一気に沸き立つ掲示板。勇者キタ−−−(゜∀゜)−−−詳細キボンヌ自演乙写真up汁!5マソエンぼったくりすぎ可愛ければ10マソでもかまわん脳見せ可能ですかいや漏れは四肢離断プレイが外した腕での手コキも捨てがたい淫行は駄目だろ外すなら人工性器しかいっそのこと首外しをそれは義体技師資格がないとできんぞ交通費持つからこっちまで来てくれうんぬんかんぬん。最初の時とは打って変わった熱い書き込みで埋め尽くされていく・・・
カチャ、カチャ、カチャ…
狭い部屋の中にキーボードを叩く音が響く。セミの鳴き声が開け放った窓から聞こえてくる。長い長い梅雨が終わったとたん、気温はみるみる上昇し、今日の東京府の最高気温は37度だという。この部屋にはクーラーがない。扇風機も団扇もない。窓から熱い風が吹き込んでくるこの部屋の温度も、35度をくだらないだろう。でも、私には関係ない。どんなに暑くても汗なんかかかないし、熱中症になることもない。こういう時は、まったく便利な身体なんだよね。
カチャ、カチャ、カチャ…
暑さで頭がぼ〜っとするなんてこともない。だから、真夏の日中にクーラーもない部屋で2時間もメールを書くことだって、へっちゃらだ。ふぅ…。こんなこと、自慢しても空しいだけだけど。気を取り直して書き上げたメールを読み直す。うん、大丈夫。誤字はないし、伝えたいことはちゃんと書けている。今時、高校生ともなれば、友達や家族宛のメールを書くなんて、日常茶飯事だ。私の場合は、それに加えてタマちゃんや吉澤先生や、時にはイソジマ電工の総務の人たちにもメールを書くことがある。でも、全然面識のない人にメールを書くのは、そうめったにあることじゃない。特に、今みたいに、特殊な関係にある人へのメールは、気を遣うし頭も使う。昔の身体だったら、とてもじゃないけど、2時間も根気が続かないよ。
もう一度、内容をざっと見直して、送信ボタンを押す。これで、今日までに来たメールには全部返信した。別に肩がこったというわけではないけれど、思い切り伸びをして、椅子から立ち上がる。小さな窓から、夏真っ盛りな外の景色を見ながらあわただしかったこの2週間のことを、振り返る。
掲示板に最初の書き込みをしたのがちょうど2週間前。こんな状況でなかったら、存在すら知らなかった小さな掲示板。自分がこれからしようとしていることは、法律に触れることは何もないけれど、世間的によろしくないことには違いない。万一身元がばれることがあったらと、びくびくしながらの書き込みだった。数日間で沢山のレスがついたけど、やっぱり、あんな短い書き込みだけでは、みんな半信半疑の域を出ないのだろう。問い合わせのメールをくれた人はいなかった。連絡用にと用意したアドレスにメールが届くたびに、胸をドキドキさせながらメールを開いたけれど、全部スパムメールだった。
1週間待ってみて、もうこれ以上は進展しそうもないのがあきらかになると、私はかなりあせってきた。だって、18歳の女の子だよ? 日本にだってそう沢山いるわけじゃない義体化1級だよ? 普段は義体のことを知られないようにって、あんなに苦労しているのに、いざ自分の方からバラしたら無反応なんて、あんまりだ。
それで、2回目の書き込みをした。自分から誘うようなことを書くと、いかにも誰からも相手にされていませんと告白しているような気がしたので、すこし捻った書き込みをした。いわゆる自演カキコっていう奴だ。かわいい女の子だなんて、まあ、まるっきりの嘘というわけではないけれど、騙していることには変わりがない。良心がチクチク痛むけど、仕方ないよね。
最初の時とは対照的に、これは物凄い効果があった。期待通りどころか、それ以上の反応があってびっくりした。自演乙の書き込みを見た時は、ないはずの心臓がドキッとしたけれど、誰一人反応しなくてほっとしたよ。レスが100を越えた頃から一気に大量の連絡メールが来るようになった。きっと書き込みがヒートアップして、我慢しきれなくなったんだろうね。
さて、結果。
まともそうなお申し込み:62人
こちらからお断りした方:9人
冷やかしとか中傷とか:28人
スパムメール:92通
電波orz:15通
62人は、ほとんどが私と同じ、フリーメールのアドレスだったけど、内容からみて、たぶんまともな人の申し込みだろうと思う。さすがに、いきなり会いましょうって言う人はいなかった。まずは、私にしたいことや、私にして欲しいことを確認したいという内容がほとんどだった。値段の交渉から始めようとした人が若干名いたけど、文面がリアっぽかったので、全部丁重にお断りのメールを差し上げた。私だって高校生だから、何を偉そうにって言うかもしれないけど、お金のこと以外でもトラブルを起こしそうな雰囲気があまりにも強かったんだからしょうがない。
それから多かったのが、えっち関係。掲示板の性格上、えっちは原則無しってことのはずなんだけど、やっぱり、ほら、相手が可愛い女の子となったら、やりたくなるのが男の子ってもんだよね。私だって、その辺の心理はちゃんと分かってるつもりだよ。えっちなことをしたいってそれとなく匂わせていたけど、気がつかないふりをして全部スルーした。それ以上追求してこないから、きっと良識を働かせて諦めてくれたんだと思う。実際に会ったらどうなるかわからないけどね。ホントは、生で中出ししたって、私が全身義体である限りは、性行為にならないし、だからお金を貰っても売春にはあたらない。それを言い出されたら、嫌だからできませんとしか答えようがなかったから、誰も言ってこなかったのは幸運だったと思う。
こんな事をしたい、して欲しい系で書いてきたことは、それこそ千差万別。ニンゲン、いろんなことを考えるもんだと思ったよ。
Q:写真見せて。
A:会ってからのお楽しみにしましょう。221の書き込みを信じるかどうかはあなた次第です。
Q:本当に全身義体なの? 「脳見せ」してくれる?
A:はい。基本料金の範囲内で可能です。
Q:脳みそ触りたいな〜。
A:…死んじゃいます。脳ケースは完全密封で専用設備がないと開けられません。
Q:腕とか脚とか外して欲しい。
A:外すだけならいいですけど、動かすなら、専用ケーブルを用意するので追加料金が必要です。
Q:外した腕で手コキキボンヌ。
A:淫行は駄目ですってば。握手したり触ったりする範囲で我慢してください。
Q:人工性器の詳細観察希望。(ドキドキ)
A:あまり詳しく見られると恥ずかしいので駄目です。私の…を忠実に再現しているんですから!
Q:外した人工性器を使って僕が自慰するのは淫行じゃないよね?
A:………否定しませんが、料金高いですよ?
Q:首外しは、義体技師資格が必要ってホント?
A:本当です。医療用身体代替機器の製造と使用に関する法律第118条を見てください。
Q:メンテナンスハッチは開けられるの?
A:腹部のハッチでしたら。
Q:中身に触ってもいい?
A:手袋ごしですが触るのはご自由にどうぞ。万一、内蔵機器を損壊した場合、修理費用を全額負担していただくことになりますのでご注意ください。
Q:胸のハッチは開けられないの?
A:胸部には生命維持装置が入っているのでご容赦願いたいです。それに密閉構造なので、見てもつまらないですよ?
Q:腕か足を譲ってくれない?
A:腕1本400万、脚1本600万になりますが?
Q:じゃあ、腕1本でいいや。入金先教えて。
A:…さっきのは冗談です。いくら作り物とはいえ、私の大事な身体です。お譲りすることはできません。ごめんなさい。
たいていのことはそれなりに予想していたつもりだったけど、最後のやつは、さすがに驚いた。どうせ断るだろうと思って、100万円上乗せしてふっかけたのに、まるで子供のおもちゃを買うみたいに、あっさり承諾してくるんだもの。あんまりあたりまえって感じだったから、言い出したこっちがめまいがした。世の中お金があるところにはあるもんだって感心する気持ちと、たかが300万でこんなに苦労している自分はなんなんだろうっていう憤りとが半々かな。これだけで100万円。魅力を感じないわけじゃないけど、返事の通り、こんな機械の腕だって、私の大事な身体なんだ。それをまるでモノのように売ったり買ったりする対象にするなんて、私には絶対できないよ。他の人がするのを批判するつもりもないけどね。
それに、万一、この腕を売っちゃったら、代わりの腕ができるまでは、片腕で過ごさなくちゃならないんだ。義体の外観は、元の身体と同じにしなきゃならないから、標準義体の腕はつけられない。スペアを用意するお金なんてあるわけないから、無くなっちゃったら、イソジマ電工さんにお願いして一から作り直しってことになる。ただでさえ好奇の目で見られているのに、これ以上目立つ格好をするのは耐えられない。だいたい、失くした理由の説明はもっと大変だ。盗られたって言ったら警察沙汰だ。落としました置き忘れましたでは私が馬鹿みたいだし、そんなの誰も信じないだろう。だからといって、正直に、売りましたなんて言えるわけがない。義体の個人売買は法律で禁じられてはいないけれど、ほとんどの義体メーカーは、売買目的のための義体製作を極端に嫌っている。義体の一部でもなくしたら、その理由は徹底的に聞かれるんだ。やっぱり、自分の身体を切り売りする気にはなれないよ。私の腕なんか買ってどうするのか聞いてみたい気もしたけれど、怖い答えが返ってきそうなのでやめておいた。本当に、どうするつもりなんだろうね。この人とは、できれば会いたくないなあ。なんとか断る口実を見つけなきゃ。
最初のメールを受け取ってから今日で4日目。夏休みが終わるまでに、この62、いや61人の人たち全部に会うとしたら、結構厳しいスケジュールになってしまう。私は夏休みで時間があるけど、仕事のある人たちはそうもいかないもの。私だって学校が始まったら、こんなことはしていられない。期待した以上の金額になりそうなのはいいけれど、これから先のことを考えると気が重い。正直、まったく面識のない人に、機械の部分を晒すのは嫌だけどさ。あの人達は、私のことを機械女とか人形とか言うあるなのような奴とは違って、私を一人の人間として接してくれる。その上、えっちなことをゼンゼンしないのに5万円もの大金を払ってくれるんだ。たとえ、手足を外されたって、メンテナンスハッチの中を見られたって、我慢しなきゃバチがあたるっていうもんだ。我慢するのは、あるなの苛めで慣れっこだしね。
実は気になることはもう一つある。あるなの奴だ。私と同じく、機械のことなんかさっぱりの人なんだけど、義体に関しては私よりも詳しいくらい。その上、法律や、義体化の費用のことまで知っている。私なんて、リハビリの課程でタマちゃんのそれはそれは厳しい指導でようやく覚えたっていうのにね。それ以上に癪に障るのは、単なる知識として持っているだけじゃなくて、私が一番嫌がる時に一番嫌がる言い方をするってこと。これは、義体障害者の生の声を聞かなくちゃ思いつかないようなことなんだ。もちろん、知る方法がないわけじゃない。義体板。私もROMだけどたびたびお世話になっている。困った時、辛い時、同じような境遇で、同じような想いを抱いている人たちがいるっていうだけで、勇気づけられる気がするんだ。名前も顔も何も知らない人達だけど、どこかで繋がっているっていう気がするよ。義体の人達だけじゃない。家族や友達や、恋人が義体だっていう人達もいる。そういう人達も、種類は違うけれど、同じくらい深刻な悩みを抱えて苦しんでいる。義体板は、そんな人達の生の声が集まっている場所なんだ。だから、ここを見ればどんな言い方をすれば義体の人を傷つけずに済むかっていうのが分かるのと同時に、どんな言い方をすれば義体の人を一番傷つけることができるかっていうのも分かっちゃう。あるなも、そんな風に義体板を利用しているとしか思えない時がある。
でさ、もしも、もしもだよ。私が探すことができたくらいなんだから、あるなだってこの掲示板を見つけることができるんじゃないかって思うわけだ。名前こそ出していないけど、18歳で義体化1級で東京府近郊在住。これだけそろったら、私のことを知っている人が、あの書き込みと私を結びつけるのは簡単だ。あの62人の中に、もしもあるながいるとしたら…。考えただけで心臓をぎゅって鷲づかみにされて、背中から冷や汗が噴き出してくるっていうもんだ。もちろんそんな気がするっていうだけだよ。もしもあるなに、私がやろうとしていることが知られたら。また強請りのタネにされるだろうか。学校に密告されるだろうか。それとも…。そうなったら、私、一体どうなっちゃうだろう。考えたくもないよ。可能性はとても小さいから大丈夫だって自分に言い聞かせているけど、気が緩むとどうしてもその事を考え始めてしまう。でも、私にはあまり時間がない。どんな危険があるとしても、先に進むしかないんだ。
2ヶ月前、おじいちゃんが過労で倒れたって聞いたときは、本当にびっくりしたけど、同時にとても悲しかった。だって、 おじいちゃんが、そんなに無理して働かなきゃならない理由はひとつしかないんだよ。それは私の義体の維持費用の支払いのため。おじいちゃんは、事故でおりた保険金は、私の将来のためにとっておくようにって言ってくれた。ということは、今、私の義体を維持するための月々の検査代は、おじいちゃんが汗水たらして働いたお金の中から出ているってことだ。義体に掛かる費用の半分は国が補助金を出してくれる。自己負担は残りの半分だけとはいえ、決して少ない額じゃない。私に無駄な心配をかけさせないために、おじいちゃんは、その額を教えてはくれなかった。吉澤先生もタマちゃんも、おじいちゃんに口止めされているためか、何度聞いても教えてくれなかった。私がまだ子供だから、みんな気を遣って保護してくれるのは嬉しいよ。でも、そのために、おじいちゃんはあんなに無理をしていたんだよ。
幸い、おじいちゃんの身体の方は、少し安静にしていたら回復したけれど、かかりつけのお医者様からは、2度とこんな無理をしないようにと厳しく言い渡された。おじいちゃんは、まだ元気とはいっても、かなりの歳だ。いつまでも無理がきくような身体じゃない。本当なら、自慢のりんご園で悠々自適の生活を楽しんでいたはずなんだ。それを私のために倒れるまで働いて…。きっと、おじいちゃんのことだから、お医者様に何を言われても、また同じように働くつもりだろう。義体の維持費用の支払いは待ってはくれないんだから。私が生きている限り、おじいちゃんの身体が動く限り、今までと同じように、年老いた身体に鞭打って働き続けることだろう。そして、それを止める力は私にはない。
だから、おじいちゃんに少しでも楽をしてもらうために、今の私に何ができるか、考えて考えて、最後に出た結論がこれなんだ。これは犯罪じゃない。法に触れることは何もしない。確かに世間的に言って、良いことではないけれど、私が何百万なんていう大金を手にする方法は他に思いつかないんだ。たとえば私がもっと美人なら、何か芸ができるなら、それを活かしてお金を稼ぐ方法はあったかもしれない。でも、私は、どこにでもいる、ごくフツーの女の子なんだ。武田のおかげで、ちょっとだけ速く走ることができるようになったけど、今のこの機械の身体では、それには何の意味もない。義体だっていうことでは、人よりはほんの少し力が強いし、車にぶつかってもビルの天辺から落ちても死なない程度に頑丈だ。義眼カメラで見たままの映像を写真に撮ることもできる。でも特殊公務員にでもならない限り、こんな力があっても何の役にもたちはしない。アルバイト先で、私は義体です、なんて言ったってお給料が増えるわけでもないし、かえって気味悪がられるのが関の山だ。18歳の私が、特殊公務員にならず、しかもこの機械の身体でお金をたくさん稼ぐことができる方法なんて、そんな都合のいいもの、常識で考えたらあるはずがない。
それでも何かないかと必死で調べ続けて、義体板のdat落ちしそうな過疎スレで、この掲示板のことを見つけた時は、藁にもすがる気持ちだった。掲示板を探しあてて、過去ログの中に1時間2万円とか3万円とか、高校生のアルバイトの時給の何十倍もの金額が書かれているのを知ったときは、もうこれしかないと思わざるを得なかった。書き込みの内容を信じる限り、義体の私も、私が相手をする人も、秘密をきちんと守ることさえできれば、危険なことは何もない。
私がこんなことをすると知ったら、おじいちゃんはきっと怒るだろう。こんな方法で手にしたお金なんか受け取ってくれないかもしれない。でも、私は、私のために、おじいちゃんが自分の命を削っていく姿を、何もしないで見ていることなんかできないよ。
おじいちゃん、ごめんなさい。あなたの孫娘はあなたのことを誇りに思っています。あなたのために、できるかぎりのことしたいのです。たとえ、これから起こることがあなたの目に適わなかったとしても、この気持ちだけは信じてください。
はぁ…。
溜息をつくのはこれで何度目だろう。私は楽観的過ぎた。何十人もの人を相手にしたスケジュール調整がこんなに難しいものだなんてゼンゼン考えていなかったよ。小さな机の上一杯に広げたA3の紙は、予定の書き込みやマーカーで付けた印でびっしり埋まっている。初めのうちは携帯のスケジュール帳を使っていたんだけど、何度も何度も予定のデータを入れ直しているうちに重複したり漏れたりするものがどんどんでてきて訳が分からなくなっちゃった。それで、こんな風に紙と鉛筆を使うことにした。人間の足が火星の土を踏むのもそう先のことではないって時代に、こんな原始的なやり方しかできないのは情けないけど、私には他にできる方法がないんだから仕方がない。
62人のそれぞれとメールのやりとりをしていくうちに、一人欠け二人欠け、今残っているのは半分以下になってしまった。掲示板の書き込みを見て勢いでメールを送ってきた人や、えっちなことを期待していたけど私がスルーしたので諦めた人達も結構いたんだろうね。実際に会ってからもめるのはいやだったから、結局全員にえっちなことは駄目ですよってさりげなく釘を刺したのが効いたのかも。あーあ。やっぱり、ただ会って機械の身体を見たり触ったりするだけで5万円も払おうなんて奇特な人は、そんなにいないってことなのかな。私も予想以上の反応があって一時は興奮したけれど、冷静に考えてみたら、世の中濡れ手で粟みたいなうまい話はやっぱりないんだよ。半分でも残ってくれただけでありがたいと思わなきゃ。
掲示板の書き込みもしばらく前から沈静化して、Y子が実在するかどうか詳細レポートをwktkして待ってるって状態らしい。もう自演カキコする気にはなれないから、新しくメールを送ってくれる人はいないだろうなあ。
半分に減ったとはいえスケジュール調整が大変な作業なことには変わりがない。みんな社会人なんだろうか、平日は夕方か夜に希望が集中してしまう。私の方はと言えば、まだ高校生だから、あまり帰りが遅くなるのもまずいんだ。だから平日はせいぜい一人か二人の相手が限界だ。お盆休みなら時間がとれるんじゃないかって、密かに期待していたんだけど、予定表のお盆休みの前後の1週間は見事に真っ白なまま。まとまったお休みを取れる機会だもの、もうずーっと前から旅行や遊びの計画が入っていて当然だよ。それをわざわざキャンセルすることまで、普通は考えないよね。だから、夏休みが終わるまでの間に、私が使える時間は2週間そこそこしかない。14日で30人。結構過密なスケジュールだ。もしかしたら、何人かの人には諦めてもらうことになっちゃうかなあ。病院の定期検査もまだ済んでないし、昨日はそれとは別の検査で1日潰れてしまったし、夏休み中の学生もそんなに暇なわけじゃない。
昨日、タマちゃんから突然電話があった時は、まさかとは思うけど、私がやっていることがばれたんじゃないかってドキドキした。タマちゃんがこんなことを認めてくれるはずがない。きっと、ものすごーく怒るだろう。タマちゃんが本気で怒った時の怖さは、普段の優しくて陽気な姿しか知らない人にはとても想像できないだろうね。でも、それも私のことを心から心配してくれているからなんだ。ケアサポーターにもいろいろな人がいて、担当患者に何かあったら自分の責任になるからという理由で、あれこれ口喧しく言う人もいるらしい。でもタマちゃんは、本当に私のためを思ってくれている。タマちゃんは、私にとってはただの担当ケアサポーターっていうだけじゃなくて、お姉さんみたいな存在かもしれない。私はずっとお姉さん役だったから、年上の兄姉に甘えたり叱られたりするのに憧れてたんだよね。
タマちゃんから何を言われるか、びくびくしながら電話に出たら、府南病院にすぐに来てって言うものだった。なんでも生命維持装置の緊急点検が必要になったんだそうだ。生命維持装置は、私に唯一残された生身の部分、つまり脳みそを生かしてくれている心臓や肺やその他の内臓の役目を果たす大事なものだ。もしこれが壊れたら私はたちまちあの世行きだ。だから毎月毎月高いお金を払って病院の検査を受けている。おじいちゃんの苦労を考えたら、なるべく受けずに済ませたいんだけどね。こればっかりは、どうしようもない。検査を怠って、ある日突然、生命維持装置の故障で死んじゃうのは、悲しすぎるもん。
タマちゃんの口から、生命維持装置なんていう言葉が出てきたから、何か問題でも起きたのかと、急に怖くなって、思わず大きな声で聞き返しちゃった。でも、タマちゃんは、いつもののんびりした調子で、ただの点検だって答えてくれた。胸のメンテナンスハッチを開けるから覚悟して来てね、と冗談めいた言い方をしてくれた。タマちゃんは、本当に問題があったらちゃんと話してくれるだろうから、心配するようなものではないんだろう。まったく、自分の臆病さが恥ずかしいよ。今月の定期検査はまだ先だから、また余分にお金がかかると思ったら溜息が出た。私がこんな身体なばっかりに、おじいちゃんに迷惑をかける一方だ。そんな私の気持ちを察したんだろうか、これはイソジマ電工の都合でやるものだから料金はかかりませんと付け加えてくれた。ホント、タマちゃんの気遣いには、いくら感謝しても足りないよ。この間、おじいちゃんが倒れた時も、おろおろするばかりで何もできない私を、いろいろ親身になって支えてくれた。ケアサポーターとは言っても、担当患者の私生活まで面倒見る義務はないから、あれは会社から見たら全部ボランティアみたいなものなんだろう。私なんかのために、タマちゃんにまで迷惑をかけてしまって本当に申し訳ないといつも思う。そんなタマちゃんの気持ちを裏切るようなことを、私はこれからやろうとしているんだ。病院でタマちゃんと顔を会わせるのは、辛かったなあ。
結局、昨日1日病院で過ごすことになってスケジュール調整は進まなかった。今日の私は焦り気味。そんな中で一人だけ、日にちも時間も私に合わせてくれるって人がいる。221の自演カキコの後、掲示板が異様な熱気で盛り上がり始めた頃に、最初にメールをくれた人だ。ご自身のスケジュールはいいんですかって聞いたら、誰よりも先に会いたいからあなたの都合に合わせますという返事が返ってきた。こんな時じゃなかったらとても嬉しい言葉だよ。ただ場所だけは自分に用意させて欲しいんだってさ。知らない場所じゃ落ち着かないし、ちゃんとした雰囲気の所で会いたいって。繊細な人なのかな。私も場所代が浮いて助かるけど、どんな場所を用意してくれるんだろう。まさか自宅ってことはないよね。そんなことされたら、私も変な期待をしちゃうよ。これからたくさんの人と会って身体を見せたり触らせたりすることになるけど、決してえっちな気持ちでするわけじゃない。私が相手をする人達は、私の女の子の身体じゃなくて、機械の身体が目的なんだもの。義体はニンゲンの身体じゃなくてただのモノ。私の元の身体そっくにに見えても、中身はただの機械の塊にすぎない。あるなの言葉を借りれば、この身体は人形で、私は人形の中に住んでいる脳みそなんだ。ただ、その人形がフツーの人では手に入れることのできない特別な物で、その分高い値段がついている。それをじっくり見たいという人がいたら少しくらいのお金をとってもおかしくない。そう、私がやろうとしているのは、ただそれだけのことなんだ。人形の持ち主の私が女で、人形を見たいという人が男だなんていう事実は、二人の間に特別な感情が生まれる理由にはならない。そう思っていないと、こんなこと続けられないよ。
私の都合に合わせてくれる以上、スケジュールを調整するまでもなく、この人が私の最初のお客様にということに決まってしまった。いったいどんな人だろう。会うのが楽しみなような、不安なような。
約束の当日、あらかじめ決めておいた目印のおかげで、お互いをすぐに見つけることができた。会ってみて、ほんと、びっくりしたよ。チュリー様にも劣らない美男子なんだもん。多分、世の中の女性のほとんどが理想的な男性像というんじゃないかっていうくらい端正な容姿の持ち主なんだ。ちょっと整い過ぎているくらいの容貌が玉に瑕かもしれないけど、背筋がぞくぞくするような美声を聞いていると、そんなこともゼンゼン気にならなくなってくる。おまけに、その声で、「予想通りの可愛い女の子で、会えてとても嬉しい」なんてセリフを囁かれたら、特別な感情が生まれないなんて言っていられなくなっちゃうよ。社交辞令なことはよーくわかっててもさ。
いつまでもぼーっと、この人の顔を眺めていても時間がもったいないから、さっさと移動することにした。こうなったら、ビジネスライクに徹しないと後で大変なことになりそうだよ。案内されたのは大きいけれど落ち着いた感じのマンションだった。最近ありがちな見掛けだけ豪華で中身が安普請の建売マンションなんかじゃない。細かい所まで配慮が行き届いている感じがする。建築関係の知識がない私でも、これは本物だってはっきりわかるくらいなんだ。エレベーターで最上階まで一気に上がる。最上階はペントハウスっていうやつだ。この人、こんな所に住んでいるんだろうか。このまま中に入っちゃっていいんだろうか。まだ自制が効いている間に、回れ右して帰った方がいいんじゃないだろうか。
彫刻がほどこされた重厚な1枚板のドア。広いリビングルーム。趣味の良い調度品。こんな部屋に住めるくらいの人なら5万円なんてたいした額ではないんだろうな。こんな恋人がいたら私でも幸せになれるだろうか。リビングの中央に立ち止まったまま、ぼんやりとそんなことを考える私。男性の呼び声で我に返ると、リビングの通じるドアの横に立って、私が来るのを待っている。いよいよだ。ドアの向こうは…寝室だった。一応、予想はしていたけど、いざ寝室で男性と二人っきりになると、ドキドキしてしまう。こんな状況でえっちなことを求められたら、拒みきれるだろうか。はっきりいって自信がない。とりあえず、ベッドの端に腰を下ろして、男性の言葉を待つことにする。会ってからのお楽しみといって、メールでは希望を教えてくれなかった。この人は、私に何をして欲しいんだろう。でも、男性は穏やかな笑みを浮かべて黙ったまま。これじゃ、先に進めないよ。
しばらくそうやって睨めっこする形になっちゃって、段々気まずい雰囲気になっていく。こんな風に見つめられると、まるで値踏みをされいるみたいで落ち着かない。あんなに熱心に会いたいって言ってくれたのに。お世辞でも可愛いって言ってくれたのに。ここ来て、私が相手じゃ気が乗らないってことなんだろうか。そりゃあ、こんなペントハウスに住むような人と私が釣り合うなんて思っていないけどさ。さっきまでの浮かれていた気持ちがしぼんでいって、さっさと事を済ませて帰りたくなってくるよ。やっと値踏みが終わったんだろうか。男性がにっこり笑う。私も釣られて笑顔を返そうと思ったとたん、男性の身体が私に圧し掛かってきた! とっさのことに、悲鳴をあげることもできず、そのままベッドに押し倒されてしまう。私は、こんなことをするために、ここに来たんじゃない。こんな人が恋人だったらって心の隅で考えていなかったわけじゃない。好きあって、えっちできたらどんなにいいだろうと思ってる。でも、こんな形で無理やりされるのは絶対嫌だ!
私の身体は機械の塊だ。重さは120kgもある。このおもーい身体を支えるために、普通の男の人よりも強い力を与えられている。そっちが力ずくで私を自由にしようっていうなら、私だって同じやり方をするだけだよ。いくら酷いことをされても、怪我をさせるわけにはいかないから、一応、力は加減するけど、こんなことをするんだ。多少痛い思いをすることになっても自業自得だよ。私は、男の身体を押しのけるべく、腕に力を込めた。でも、結果は私の予想とは全然違ったものだった。
私がいくら力を込めても私を押さえつけている男の身体はびくともしない。平然と笑みを浮かべたまま、私を見下ろしている。なんで!どうして?こんな大事な時に力がでなくなっちゃうなんて!
その時やっと気がついた。ベッドの軋み音が尋常じゃない。頑丈な造りのベッドなのに、私が身体を動かすたびに、大きな軋み音をたてている。私の体重のせいだけではこんな音がするはずがない。それに、私の鈍感な身体でも、圧し掛かっている男の体重がはっきり感じられる。普通の人の体重くらいだったら、なにも感じないはずなのに。…わかった。この男、私と同じ全身義体なんだ! 相手が普通の人だと思っていたから、こんなことをされてもまだ余裕があったけど、こうなったら話は違ってくる。男性型義体の方が、体重もあるし、その分力もずっと強いはず。私が力でかなう相手じゃない。どうしよう。どうしよう!
パニックに陥って動きが止まっている隙に、私の両手はベッドの柱に縛り付けられてしまった。その上、口をこじ開けられて、丸めたタオルが喉の奥まで押し込まれる。私の舌はただの飾りだから、こんなことをされたって苦しくなんかないし、息ができなくなることもない。でも、喉の奥のスピーカーを塞がれたら声を出せなくなってしまう。もう、私には男を罵ることも、救い懇願することもできない。こうなったら私の身体はただの人形と変わらない。
男の仕打ちは、それだけでは終わらなかった。大きな鋏を取り出すと無造作に私の服を切り裂いていく。ちょっと待ってよ!これはいくらなんでも酷すぎるよ! 私の一番お気に入りの服なんだよ! あんなに熱心に会いたいと言ってくれたから、私も嬉しくなって精一杯のおめかしをして来たんだよ。用があるのは私じゃなくて私の機械の身体だっていうことはよーく分かってる。この2週間ずっと自分に言い聞かせてきたんだもん。でも私だって女の子だよ。少しでも可愛いとか綺麗だとか思って欲しい気持ちは、どうしたって出てきちゃう。でも、そんな気持ちは、この男に切り裂かれた服と一緒にバラバラになってしまった。男の仕打ちの酷さと自分の馬鹿さ加減に、悔しいやら悲しいやら、負の感情が入り乱れて頭の中をぐるぐる渦巻いている。下着だけになった時は、もうたまらずに抗議の叫び声を上げようとしたけれど、スピーカーを塞がれた私の喉からは、くぐもった音が漏れるばかり。男は、そんな私にかまわず残った下着もむしりとる。男の前にさらけ出された私の裸身。これから一体何をされるんだろう。私は確かにえっちが好きだ。気持ちがいいからだけじゃない。私に残された数少ないニンゲンらいし感覚だから。でも、こんな扱われ方じゃあ、ダッチワイフと何も変わらない。身体の自由を奪われ、言葉を発することもできず、一方的に犯されるだけなんて、そんなのただのセックスのための道具じゃないか。どうしてこんなことになっちゃったんだろう。私がやろうとしていたことは、こんな結果にしか繋がらない、つまらないことだったんだろうか。こんな男に会って浮かれていた自分が悔しいよ。
鋏を持った男の手が、今度は私の頭に向かって伸びてくる。何をされるか分からなくて、反射的に目を閉じて身をすくめてしまう。車にぶつかったって、ビルの屋上から落ちたって、身体が滅茶苦茶に壊れるかもしれないけど、死ぬことはない。こんな鋏なんか恐れる必要はゼンゼンないのに、昔と変わらない反応をしてしまうのが情けない。毅然とした態度を取らなきゃと思って目を開けると、これ見よがしに数房の髪の毛を握った男の手が頭から離れていくところだった。髪の毛?
…髪の毛!!
私の頭の天辺には変な形の癖毛がある。私の髪型には合わなくて、いっつも扱いに困るけど、切ってしまうわけにはいかないモノだ。これは髪の毛そっくりに作られたアンテナだから。もしも義体が故障して身動きできなくなったり、生命維持装置が正常に働かなくなって私の命が危険に晒された時は、このアンテナからイソジマ電工のスタッフに救援メールが送られ
るんだ。生身の身体と違って、義体の故障は素人には直せるものじゃないから、アンテナは全身義体ユーザーにとっては、生命線ということになる。それが今は切り取られて男の手の中にある。もう私の身体に何が起きても誰からも救いの手が差し延べられることはない。もしもの時に頼るすべを失ってしまった私は、毅然とした態度を取るどころか、暗闇の中に取り残された子供のように、身体が震えだすのを止めることができなかった。
抵抗する気をなくした私は、もう男のなすがまま。両足も縛られて身動きもできずにベッドに横たわるだけ。それを確かめると、男は携帯で誰かと話し始める。切れ切れに聞こえてくる男の言葉はとんでもない内容だった。
「型落ちのCS-20型だが状態はいい」「イソジマの電合成リサイクルなら25は堅い」「骨もバラすからレーザー鋸を持って来い」
聞いているうちにだんだん恐怖がこみ上げてくる。これって、私の身体を分解するってこと? バラバラにして部品として売り払うってこと? 冗談じゃないよ。そんなことされたら、私、死んじゃうよ! そうか、この人の希望は私の命だったのか。それじゃ希望を話せないのは当たり前だ。あんなに熱心だったのも、ちゃんとした理由があったんだ。こんな見え透いた罠にひっかかっちゃうなんて、ホント、私って馬鹿だよね。はは。
無理やりえっちなことをされるだけなら少しの間我慢していれば済むと思っていたけど、命に関わるようなことを黙ってじっと待っていられるわけがない。こんなことなら、もっと抵抗しておくんだった。でも、もう後悔しても手遅れだ。きつく縛られた手足は私がどんなに力を入れても動かせるようになりはしない。駄目だ。私、このまま、この男に分解されてしまうんだ。胸のカムフラージュシールが剥がされて、メンテナンスハッチの存在を示す人工皮膚の継ぎ目が露になる。男は、手馴れた手つきで人工皮膚の下に隠されたハッチの開閉スイッチを操作する。私なんて、ハッチを開けるのが怖くてリハビリが終わった後は一度も触ったことがないから、どこにスイッチがあるかさえ忘れていたっていうのに。あんた、一体、何人にこんなことしてきたのさ!
メンテナンスハッチが、胸の真ん中から左右に大きく開いて、生命維持装置を包む保護パネルが剥き出しになる。これを外されたら、私の命を守ってくれる物は何もなくなってしまう。脆いチューブや、細いコードが切れただけで、私はあの世行きだ。保護パネルを外すための工具を手に私に近寄ってくる男の姿は、私の目には大鎌を手にした死神に見える。もう、私には、なすすべもなく、死神の鎌が振り下ろされるのを見ていることしかできない。嫌だ!こんなところで死にたくない!助けて。誰か助けて!!
男の手が保護パネルにかかろうとした時、寝室のドアが派手な音を立てて開いた。ドアの向こうには、小さな人影がたっている。ほの暗い寝室からでは逆光になって、どんな顔なのかよく分からない。義眼のズーム機能が働いて、視野一杯に広がった顔を見て、私は思わず息を飲む。どうしてこの人がここに? 予想外の人物の登場で、私の頭は一層混乱する。
それはタマちゃんだった。私の担当ケアサポーターのタマちゃんだ。男にとってもタマちゃんの姿は意外だったのだろう。低い呻き声を洩らすと、ドアに向かって突進する構えを見せた。危ない!タマちゃん、逃げてっ! そう叫んだつもりだったけど、出てきたのは意味不明な雑音だけ。タマちゃんは、素早く部屋の中を見回すとさっと身を引いた。入れ替わりに、黒ずくめのごっつい装備に身を固めた男達が部屋の中になだれ込んできた。男を取り囲む者、男とベッドの間に割り込む者、背後に回って窓の前に立ちふさがる者。部屋の中は、一瞬のうちに黒ずくめの男達で一杯になった。まるで、アクション映画のクライマックスシーンみたいな光景に私の頭がついていかない。黒ずくめの男達、多分警官なんだろうけど、その警官達に男が取り押さえられるのを見て、ようやく自分が助かったことが分かってきた。
生命維持装置が壊れたら死んでしまう。当然のことだけど、実はあまり実感がない。17年間生身の身体で生きている間に何度も怪我をした。小さい頃は、血が出るような怪我をしたら死んじゃうんじゃないかって思って、ホント怖かった。そういうのは大きくなってもあまり変わらない。でも、機械の身体が壊れた時はどうだろう。壊れた瞬間は痛みを感じるように作られているけど、その痛みはすぐに消えてしまう。痛みは身体が壊れたことを私に知らせるだけのものだから。壊れた部分も、病院に行って部品を交換すればすぐに直っちゃう。たとえ身体がめちゃめちゃに壊れたとしても、治療のために長期間入院する必要なんかない。義体になってから、私の肉体や死との関係は大きく変わってしまった。だからさっきまで死ぬかもしれないって思いながら、恐怖はあまり感じていなかった。今、こうして救いの神が現れて、自分が置かれていた状況を振り返る余裕ができたとたん、じわじわと本当の恐怖が心の中に広がってくる。私、死ぬところだったんだよ。でも、助かったんだ!
警官が男の手足に拘束具を付けるころになって、私は自分が丸裸なことを思い出した。しかも胸のハッチが開いて私がフツーのニンゲンじゃない姿を晒している。手足を縛られていることは分かっていても、なんとか隠そうとしてしたばたする私。でも、そんな努力をする必要は全然なかった。警官達はベッドの上の私の存在に気づいている素振りをまったく見せないんだ。裸の女の子の胸が開いていて、金属光沢の保護パネルが剥き出しなんだよ。少しくらいは好奇心を示したっていいじゃないか。じっと見つめることはできなくても、チラ見くらいはすると思うんだ。だから警官達の様子を見ていて、まるで自分が透明人間にでもなったみたいな不思議な感じがした。義体バレした時の、あの嫌な反応がなくて拍子抜けすることがあるなんて、思ってもみなかったよ。
拘束具でがんじがらめにされた男が警官達に担ぎ出されていく。そういえば、いくら人数が多いといっても全身義体の男をこんな簡単に取り押さえることができるんだろうか? 私でさえ大の大人が3〜4人がかりでなきゃ、押さえ込むことができないっていうのに。この警官達が着ている服は、私がいつも通学の途中で通っている駅前の交番にいるおまわりさんの物とも、いつかテレビで見た機動隊の物とも、全然似ていない。普通の警官とは違う特殊な仕事をしているからじゃないだろうか。もしかしたら、この警官達も全身義体なのかもしれない。私の身体に誰一人関心を示さないのは、そういう理由もあるのかもね。それでも、裸だっていうことまで無視されちゃうのは、女のプライドが傷つくなあ。
警官達が出て行って、部屋には元の静けさが返ってきた。死の恐怖も、捕り物劇の緊迫感も消え失せて、今は私とタマちゃんの二人きり。タマちゃんの手で、手足の戒めが解かれる。口の中のタオルも取り除かれた。でも、手荒な扱いでスピーカーが壊れてしまったんだろうか。私の声は戻らなかった。身振りでそれを伝えると、タマちゃんはとっても悲しそうな顔をした。タマちゃんのせいじゃないのに。これ以上、この寝室にはいたくない。私の希望で、リビングのソファーに場所を移して、他にも障害がないかタマちゃんに調べてもらう。幸い胸の生命維持装置に異常はなかった。縛られた手足も人工皮膚に傷がついただけで機能には問題なかった。点検用の器具を鞄にしまいこむと、タマちゃんは私の目をじっと見つめる。私もタマちゃんにいろいろ聞きたいことがあったけど、タマちゃんの目を見つめ返す勇気はない。タマちゃん、私がこんなことをして怒っているんだろうな。
あの男は何者だったのか。どうしてタマちゃんがここにいるのか。どうしてあんなにタイミングよくドアが開いたのか。もう少し遅かったら、私の生命維持装置はバラバラに分解されていた。そして、タマちゃんは何をどこまで知っているのか。分からないことだらけだ。このまま服を着て、このマンションを出たら、今日の出来事はなかったことにできるだろうか。強姦も殺人も、何も起こらなかった。そんな風に思うことはできるだろうか。駄目だ。私にはそんなことはできない。タマちゃんにどんなに怒られようと、私は全てを知らなきゃならない。勇気を振り絞ってタマちゃんの顔を見る。絶対に怒っていると思っていたけど、タマちゃんの顔に浮かんでいた表情は、少し違っていた。なんとなく、昔見たお母さんの顔を思い出した。
私のお母さんは優しくて陽気な人だった。いつも冗談を言って私達家族を笑わせてくれた。私が悲しい時、辛い時には、優しく慰めてくれた。元気がない時は、好きなだけタコ焼きを食べさせてくれた。だからと言って甘やかすだけではなかった。いたずらをした時は厳しく叱られた。一緒になって笑ってくれることもあったけど、人を悲しませるようないたずらをしたら、お尻が真っ赤になるくらい叩かれた。人としてして、やってはいけないことがある。お母さんは、私が小さい時から、そのことをきちんと教えようとしてくれたんだ。いたずらをしないのは、叱られるのが怖いからじゃなくて、自分でしてはいけないと思うから。小さな子供には難しいことだったけど、お母さんは、私が理解できるまで、ちゃんと話してくれた。そういう時のお母さんの顔は、とても真剣だった。今のタマちゃんは、その時のお母さんと同じ顔をしている。私はしてはいけないことをした。だからタマちゃんの話を聞かなければならないんだ。
タマちゃんが静かな声で話し始める。
「八木橋さん、怖い思いをさせてごめんなさい。私達は、八木橋さんを利用しました。八木橋さんの命を危険に晒しました。どんなに謝っても許されることではないけれど、必要なことだったことは理解してください」
声を出せない私は、必死で首を横に振る。タマちゃん、私の命の恩人じゃないか! タマちゃんが来てくれなかったら、私はここで死んでいたんだよ。
「詳しいことは話せないけど、八木橋さんがいなかったら、この計画は成り立ちませんでした。八木橋さんのおかげであの男を捕まえることができました。あの男のために、こんな目にあう人はもういません。みんな、本当に感謝しています」
私のおかげって何だろう。私が、こんな馬鹿なことをして、誰かの役にたったんだろうか。分からない。
「もう一つ、あなたに謝らなければならないことがあります。あなたに無断で身体に仕掛けをしました。私がどうしてここにいるのか、どうしてタイミングよくドアを開けることができたのか、不思議に思っているでしょう?」
……タマちゃんは何でもお見通しだ。タマちゃんは鞄の中から小さな機械を取り出す。携帯型のテレビ受信機のようなその機械のディスプレイには不思議な映像が映っていた。その機械自体の映像だ。私が今見ている光景そのままの。これって……!?慌ててタマちゃんの顔を見る。きっと機械のディスプレイにはタマちゃんの顔が映っていることだろう。タマちゃんがゆっくりと頷く。
「八木橋さんが見たり聞いたりしたことは、全てこのモニターに送られます。八木橋さんが送ったメールから、今日、あの男と会う事を知りました。二人が寝室に入った後は、ここでずっと二人のやり取りを監視していました」
そういえば、先週、急な点検が必要ということで府南病院に呼び出されたっけ。珍しく胸のメンテナンスハッチまで開けられて、何か部品を取り付けられたけど。ということは、あの時からずっと、私の行動はタマちゃんに見張られていたわけか。62人とやり取りしたメールも全部見られちゃったんだ。でも、どうしてアンテナが無いのに映像が映っているんだろう?
「可哀想に。アンテナも切られてしまったのね。心細かったでしょう? 八木橋さんの身体に取り付けたのは、アンテナを内蔵したギガテックス社製のモニター送信機なの。髪の毛アンテナは目立つから、万一切られてしまった時のことを考えて、特別にお願いして使わせてもらったんです」
ギガテックス社はイソジマ電工のライバル会社だ。そんな簡単に自分の所の製品を貸してくれるものなんだろうか。タマちゃんはお願いしたって言うけれど、きっともの凄い苦労があったに違いない。
「こうしなければ、八木橋さんの身の安全を保障できなかったから、仕方なかったの。でもプライバシーを侵害したことには変わりはありません。本当にごめんなさい」
タマちゃんが深々と頭をさげる。確かに日常生活を全部見られたことはショックだけど、タマちゃんだって好きでやったことじゃない。それに私の大切なケアサポーターのタマちゃんだったら、嫌だって思う気持ちはあんまり湧いてこない。
「八木橋さんが書き込みをしたような掲示板は、私達が把握しているだけでも、50以上あります」
タマちゃんが口調を改めて話を続ける。
「大抵は金銭が絡まない出会い系の掲示板です。そういうのは定期的に内容をチェックするだけで、こちらから行動を起こすことはありません。でも、中には売春や援助交際を目的とした人が集まるものもあります。私達、ケアサポーターは義体ユーザーを精神面で支えるのが仕事だけれど、私生活に干渉するようなことはできないし、望んでもいません。でも、犯罪にまきこまれるようなことも望みません。だから、状況によっては、荒らしの書き込みをして掲示板上でのやり取りを邪魔したり、連絡用のメールアドレスに大量のスパムメールを送ったりすることがあります。今回も、本来ならそうなるはずでした」
タマちゃんは、ここまで話すと口を閉じて私の顔を見る。どう続けようか迷っているのかもしれない。
「掲示板が盛り上がり始めて、他の掲示板にも情報が流れていくのを見て、これが絶好のチャンスだと思った人達がいて、私達もそれに協力することが適切だと判断しました。掲示板の書き込みやメールの中には、私達が書いたものも結構ありました。八木橋さんが途中でやめてしまわないように、八木橋さんを含めて、みんなの気持ちを煽るような内容のものでした。その結果、今日、八木橋さんが経験したようなことになりました」
私を利用しようとした人達って誰なんだろう。説明を聞いても肝心な部分が分からない。でも、その人達に協力することがどんなに辛い決断だったかは、タマちゃんの顔を見ればよくわかる。タマちゃんの手をとって、しっかり目を見ながら首を縦に振る。タマちゃんの顔が少し明るくなったような気がする。私の気持ちが伝わったと思いたい。
「八木橋さんの身体は普通の人とは違います。だから、特殊な犯罪に巻き込まれる可能性があることを知っていて欲しいの。全身義体を自力で開発できる国は、世界中でもほとんどありません。日米欧あわせても、両手の指で足りるくらい。ほとんどの国は、部分義体を作るのがせいぜいで、全身義体までは手が届きません。宇宙や深海で自由に活動できる全身義体の人は、これからの世の中ではとても貴重な存在になっていくでしょう。全身義体の人が沢山いれば、その国は国際社会で強い発言力を持つことができます。だから、どの国も、全身義体の技術開発に必死になっています。逆に、すでに技術を持っている国は、自分の技術を守らなければなりません。全身義体に関する技術のほとんどは輸出禁止になっています。製品も技術も、海外に持ち出すことができません。唯一の例外は、全身義体の人自身の海外旅行だけれど、これも渡航できる国が限られています。万一の時の対応が必要というのが理由だけれど、全身義体の技術を狙ったトラブルに巻き込まれないようにするためでもあるの。どんな手段に訴えてでも、技術が欲しいと思う国も結構あるんです」
……知らなかった。私の身体にそんなに価値があるなんて。世間の人達から冷たい目で見られていると、こんな機械の身体なんてどうでもいい物のように思ってしまう。
「あなたの身体には、沢山の技術が使われています。公開されている技術も多いけれど、ブラックボックスとして企業秘密になっているものも同じくらいあります。たとえば、義体の体内に内蔵できる小型の電合成リサイクル機構は、イソジマ電工だけの技術です。宇宙や深海で作業する時にはとても有利になるから、どこの義体メーカーも開発に必死だけど、当分は実用化まで漕ぎ着けるところはないでしょう。だから、その技術を狙って、あの男のようなことを考える者が出てくるの」
確かに、あの男は電合成リサイクルのことを言っていた。25って単位は何だったんだろう。
「だから、もう、あんなことはしないでね。八木橋さんが義体だと知った上で近寄ってくる人には、十分注意しないと、危険な目に遭うことになりかねないわ」
タマちゃんの言うとおりかもしれない。高校生の私には想像もできない世界だけど、自分の身体がいろいろな意味で特別だということは、きちんと考えておかなければならない。この世界で生きていく限りは、望むと望まないにかかわらず、知っていなければいけないことがあるんだ。私は、タマちゃんの言葉に、力強く頷いた。
「最後にもう一つだけ。さっきも言った通り、私達ケアサポーターは、私生活には干渉できません。だから、これから言うことはケアサポーターとしてではなく、八木橋さんの身近にいる友人としての言葉です。嫌だったら聞き流してもいいけれど、話だけは聞いてください」
タマちゃんは私が挫けそうになった時、いつも私を支えてくれた。タマちゃんの言葉は、私にとっては誰よりも信頼できる。
「八木橋さんがこんなことを始めたのは、青森のおじいさんのためなのよね?」
おじいちゃんが倒れた時はタマちゃんにもずいぶんお世話になった。そのことと、今回のことを結びつけるのは、タマちゃんにとって難しいことではないだろう。
「身体を壊すくらい無理をして働いているおじいさんに何かしてあげたいと思ったから、こんなことをしたんでしょう?でも、本当にそれでいいのかしら? 八木橋さんがこんなことをしているとおじいさんが知ったら、悲しむことも分かっているでしょう。それでもやりたいと思うのかしら? 私も八木橋さんがこんなことをするのは悲しいわ。八木橋さんが誰とどんな形で付き合おうと、それは八木橋さんの自由です。でも、それは八木橋さんが幸せになれることが前提です。こんな形のお付き合いでは、幸せになることはできないわ」
確かにそれは分かっている。でも、他に方法を思いつかないんだ。
「おじいさんは八木橋さんのために、八木橋さんが望まないことをしています。八木橋さんもおじいさんのために、おじいさんが望まないことをしようとしました。賢者の贈り物は美談だけれど、お互いが望まないことをするのが、本当にいいことなのかしら?」
賢者の贈り物の話なら私も知っている。お互いに相手をことを想って贈り物を用意するけれど、結局無駄になってしまうっていう話だ。相手を想う気持ちは、モノよりも大切だっていうことなんだろう。それじゃあ、私とおじいちゃんの場合はどうなんだろう。
「おじいさんがしてくれていることも、きっと八木橋さんの幸せのために、いろいろ考えた結果だと思うの。でも、それが八木橋さんの望まないことなんだったら、きちんと伝えるべきじゃないかしら。幸せはみんなで掴むものよ。誰かの幸せのために自分が犠牲になるのは、自分にとっても相手にとっても、幸せなことではないと思うの。どうすればいいか、もう一度、よく考えてみて」
そう言って、タマちゃんは部屋を出て行った。私は、おじいちゃんが無理をしているなんて全然知らなかった。保険金は将来のためにとっておくよう言われた時も、その言葉をそのまま受け入れた。それが、どんな意味を持つかなんて考えなかった。そして、おじいちゃんが過労で倒れたと聞いて、初めて、私の存在がおじいちゃんにどれだけの負担になっているか知って混乱した。今度は、私がおじいちゃんのために何かしなくては。そればっかり考えていた。こんなことでは、私も、おじいちゃんも不幸にしかならないんだろうか。
タマちゃんと入れ替わりに、イソジマ電工のスタッフが部屋に入ってくる。私の身体に取り付けたモニター装置を外すため、府南病院まで来て欲しいという。壊れてしまった喉のスピーカーや傷ついた人工皮膚の張替えもあるので、作業は夜中までかかるらしい。今夜は、病院に泊まってゆっくり考えよう。おじいちゃんと私が幸せになれる方法を……。
翌日、府南病院を出る時に、タマちゃんから小さな封筒を手渡された。開けてみたら中には結構な額のお金が入っていた。関係者一同の謝罪と感謝の気持ちだからぜひ受け取って欲しいと言われた。お金が必要な事に変わりはないけれど、それは自分の力で解決しなければいけないんだ。このお金を貰うわけにはいかないよ。そう言って封筒を返したら、タマちゃんは、八木橋さんらしいと笑って受け取ってくれた。その後いろいろな手続きがあって、結局、家に帰ったのは夕方近くになっていた。昨日、部屋を出てから1日とちょっとしかたっていないのに、その間にいろいろなことがあった。しばらく窓の外を眺めて気持ちを整理してから、昨夜決めたことを実行に移す。
おじいちゃん、あなたの孫娘は、あなたのことを誇りに思っています。あなたも、私のことを誇りに思ってくれますか?
突然のメールでごめんなさい。
今年の夏も暑いですね。元気でお仕事に励まれていることと思いますが、この暑さで体調を崩されないようお気をつけください。
この夏のお盆は、田舎に帰ろうと思います。受験勉強をしっかりやるようにおじいちゃんには言われたけど、やっぱり家族のことだから、私もおじいちゃんと一緒に送り迎えをしたいです。
あの事故にあってから、おじいちゃんがこっちに来てくれたことは何度もあるけれど、私が帰るのは初めてですね。1週間くらいおじいちゃんの家に泊まっていきたいと思います。お話ししたいことがたくさんあります。これからは、もっと会ってお話しする機会を作りたいです。
詳しいことは、また後日。
感謝と愛を込めて。 裕子
八木橋裕子18歳。いろいろあったけど、ちょっぴり成長したような気がする高校3年の夏休み。
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