このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


 イソジマ電工本社ビル6階ビデオライブラリー閲覧室。一般公開されているビデオは、閲覧の申請をすれば、誰でも視聴できるようになっている。義体に対する差別的な意識がなくなったと言われてずいぶん経つけれど、未だに人々の心の中から完全に消え去っているわけじゃない。だから、義体ユーザーの境遇が少しでも改善されればという目的で、所蔵ビデオを公開しているのだそうだ。
 ネットから使える検索システムでライブラリーを調べたら、義体ユーザー自身の希望で収録されたビデオが何本か見つかった。概要説明によれば、その内の1本は、16歳で全身義体化手術を受けた女の子のものらしい。外見上は人間そっくり。それでも、人々の冷たい視線を受けざるを得ない。そんな境遇に置かれていたこの女の子は、一体何を想って日々を過ごしていたんだろう。1人の人間として受け入れてくれる人がいたんだろうか? 人を好きなったり、好きになってもらえたりしたんだろうか? 僕は今、それを知りたいと思っている。閲覧申請を出したら、一昨日、許可通知のメールが来た。そして、日曜日の今日、ようやくここに見に来ることができた。

 受付で手続きをして、閲覧室の椅子に座る。モニターの中で、僕と同じ位の年頃の女の子が話始める。どんなことを聞かせてくれるんだろうか。

『私の持ち物は脳みそだけ。この身体は元の私の身体に似せた作り物なんだよ。でも、見ただけじゃ、そんなこと分からないよね。よくできてるでしょ?』

 16歳くらいにしか見えないこの人は、自分の歳が23歳だって言っている。義体の外見は、元の身体と同じでなければならない。それは昔も今も変わっていないはずだ。もしそうだとしたら、どうして歳相応の姿にできないんだろう? 加齢処置の料金が高額だったらしいけど、それでは「元の身体と同じ」ということと矛盾するんじゃないんだろうか? 検査に多額の費用がかかるのも、今じゃとうてい考えられない。生きていくだけで沢山のお金が必要だなんて、それじゃ一体何のために生きていけと言うんだろう? 自分自身のために生きていく権利を奪うなんて、そんな酷いこと、誰にも許されることじゃない。

『でもね。世間一般では、まだまだ義体に対する風当たりが強くてね、普段は義体だっていうのは、なるべく隠すようにしてるんだ。万一、義体だってバレた時は、決まって同情と憐憫と嫌悪感が入り混じった目で見られことになる』

 ビデオの中の女の子が義体だなんて全く思えない。直接会ったとしても、そう言われなかったら分からないだろう。それでも、やっぱり、義体っていうだけで、人々からは冷たい目で見られていたんだ。この人は、それをどう乗り越えたんだろう。

『そんな世の中でも、私を好きになってくれた人がいた。藤原っていう、私より2歳下の男の子』

 そうか。この人にも、好きになってくれる人がいたんだ。

 僕は今、蒼崎さんっていう全身義体の女の子と付き合っている。付き合うと言っても、手を握るのが精一杯。キスすらさせてくれないし、えっちなことなんて、とてもじゃないけど口に出せそうもない。はっきりとは言ってくれないけれど、自分が義体だってことを気にしているためらしい。
 僕は蒼崎さんのことが好きだ。ずっとずーっと一緒にいたいと思っている。蒼崎さんも、僕のことを嫌ってはいない、と思う。でも、なかなか次の一歩が踏み出せない。食事に誘っても、映画に誘っても、アミューズメントパークに誘っても、手を握るところから先に進めない。この夏は、二人っきりで泊りがけで海に行くという機会まで作ってみたけれど、それでもやっぱり駄目だった。どうしても、友達以上恋人未満の一線を越えることができずにいる。蒼崎さんが義体だからっていうのが理由だとしたら、昔の、もっと偏見が強かった頃の人がどんな想いを持っていたかを知ることが、役に立つんじゃないかと思ったんだ。

『栄養カプセル以外何も口にできないし、暑とか寒さとか季節の移り変わりを肌で感じ取ることさえできやしない』

 このビデオが収録されてから、義体技術も大きく進歩した。今の義体も機械でできていることに変わりはない。蒼崎さんの身体だって、胸やお腹の中には機械が詰まっているはずだ。でも、身体の作りは違っても、できる事に関しては、生身の身体と違いがないくらいにまで義体技術が進んでいる。

 お昼はいつも一緒だし、食べてる物にも違いはない。お互いのお弁当のおかずを交換することはしょっちゅうだし、たまには蒼崎さんがお弁当を作ってくれることさえある。味も香りも舌触りも、僕のお母さんが作ってくれるものと遜色ない。

 暑さ寒さに関して言えば、蒼崎さんは暑がりだし、寒がりだ。真夏は、僕の方が勘弁してって言いたくなるくらいの薄着で、露出度の高い格好だし、冬場は炬燵の中から出ようとしない。機械の身体になっても、そういうところは全然変わらないんだよって、笑ってた。雨に濡れれば冷たいし、花の香りは気持ちいい。何度もデートした経験から、二人が同じ世界を見ていることに間違いはない。だとしたら、蒼崎さんは、この人のようなことでは悩んでいないっていうことだろうか。

『えっちはできるけど、子供を生み育てるっていう幸せを分かち合うのも不可能だ』

 うん。こればっかりは、今の義体でも実現できていない。技術の問題というよりは、法律や倫理の問題が解決されていないせいだ。義体は人間の身体か、それとも持ち物か? ただの持ち物に過ぎない機械の身体から、人の命が生まれてきてよいものか? 何年も議論が続いているけれど、一向に解決の兆しが見えそうにない。どんなに完全な義体ができても、やっぱり作り物の身体は作り物でしかないんだろうか? 生身の僕と、義体の蒼崎さんとの間には、越えることのできない溝が残るんだろうか?

『こんなつまらない機械女と一緒にいて楽しいの? そう何度も聞いたけど、そのたびに、そんなの当然って感じで、明るい笑顔を私に向けてくる』

 それでも、この人には、愛してくれる人がいた。そして、その愛を受け止めることができたんだ。人を愛する心の前には、身体の違いなんて関係ないっていうことだろうか?

 その後も、ビデオの中では、辛かったこともあるけれど、自分を受け入れてくれる沢山の人とめぐり合うことができて幸せだという話が続けられた。世間の人々の偏見に晒されながら、それでも自分が幸せだって思うことができるこの人は、なんて強い心を持っているんだろう。そして、この人を愛することができた藤原って人は、きっととても幸せだったに違いない。
 ここには、悩んだり苦しんだりする日々の中で、幸せを掴んだ人の姿がある。これほど、人に勇気を与えてくれるものはないんじゃないだろうか。

『じゃあね。このビデオを見ているあなたが、生きていて幸せだって心から思える日々を送られる事を祈ってます』

 ビデオの最後に、とびっきりの笑顔。

 決めた! 今度は蒼崎さんを連れてきて、このビデオを一緒に見よう。その上で、蒼崎さんに僕の気持ちを伝えるんだ。蒼崎さんが何て言うかは分からない。でも、この人の笑顔を見ていたら、きっと全てがうまくいく。そういう想いが心の底から湧いてくる。

 閲覧室を出る時に、電源が落ちて真っ暗になったモニターを振り返って、そっと呟く。

 勇気をありがとう。そして、あなたが末永く幸せな日々を送れたことを心から祈ります。


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