このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


 ざぶーん。ささーっ。ざざーん。ざわざわー。

 青い空。エメラルドグリーンの海。純白の砂浜。眩しい陽射しの下、海風が私の髪をそっと梳いていく。水際で楽しげに水遊びをする子供達。ビーチパラソルの日陰の下でそれを物憂げに見守る大人達。陽射しを一杯浴びながらオイルの塗りっこをするカップル達……。

 今日は私、栄浜の海水浴場に来てるんだよ。武南電鉄の最寄駅からバスで10分強。海も砂浜も綺麗なのに、芋を洗うような混雑というわけでもない。朝夕は無料のバスも走ってるけど、家族連れの人たちは、バスでの移動を嫌ってたいてい星ヶ浦海岸の方に行っちゃうから、やっぱり海水浴客は少ないね。結構穴場のビーチだよ。

 え? 機械の身体は水に浮かないだろうって? 海水に浸かったら身体が錆びるんじゃなかったのかって? 嫌なコト言うなあ。そうだよ、その通り。私の身体は機械の塊。身体の何倍も大きい浮き輪でも使わない限り水に浮くなんてことはない。海水が人工皮膚の継ぎ目から身体の中に入ったら、機械の部分が錆びることだってある。じゃあ、一体何してるのかって?
 泳ぎに来たんじゃないよ。もちろん日光浴でもない。人工皮膚は日焼けなんかしないからね。
 バイトだよ、バイト。みんなが楽しく休日を過ごすリゾート地だって、ちゃーんと働いている人がいるんだよ。ライフガードとか海の家とかアイスクリーム売りとかさ。じゃあ、私の仕事はって言うと……笑うなよ?

 空き缶拾いだよ。え? ヤギーにぴったりだって? うー、そんなこと言われるくらいなら笑われる方がましだよう。でも、確かにそうなんだ。泳げない、物を食べられない。そんな私が海水浴場でできる事なんて、そんなに沢山あるわけじゃない。
 炎天下、直射日光に晒されて熱い砂の上を歩きながら、空き缶を拾う。いかにも人気がなさそうなバイトだよね。みんなが日光浴やスイカ割りやビーチバレーを楽しんでいるのを横目に、ひたすら缶を探して砂を掘り返すなんて、私だってやりたくないよ。でも、嫌われている分、それなりに実入りがいいし、集めた缶のデポジット料も入ってくる。缶を沢山集めればそれだけお金を貰えるんだ。缶の重さなんて多少重くたって機械の身体の私には関係ない。そう考えると私には結構魅力的なバイトだということになる。

 そんなわけで、この2週間、ずーっとこのバイトを続けてきた。今日が最後の日でバイト代が貰えることになっている。それも現金の手渡しで。ここ何ヶ月か自転車操業なんだけど、それももう限界。明後日の定期検査で検査料を払ったらお財布の中には小銭しか残らない。今すぐ現金が欲しい私には、これはとってもありがたい。今朝見たテレビの占いによると、射手座は金運が最高なんだって。濡れ手で粟って言うのかな、何もしなくてもお金を手にできるみたいなことを言っていた。缶も沢山集めたし、いくら貰えるか楽しみだなあ。

 いつもの通り作業をしてお昼近くになったから、いったん事務所に戻ることにした。中に入ろうとして、建物の陰にトラクターみたいな機械が停まっていることに気がついた。確か、一昨日からこの海岸の空き缶拾いの作業に加わったロボットだ。
 人間みたいな格好はしてないけど、AIを積んだれっきとしたロボットなんだって。誰もついていなくても、ちゃーんと人を避けながら砂浜をくまなく走り回って空き缶を集めてくれるそうだ。本当はこのロボットが、この夏の空き缶拾いの主役のはずなんだけど、調整に手間取ってやっと今から仕事を始めるっていうことだ。実は、私はその間の繋ぎの臨時バイトだったってわけ。
 近くに寄ってみると大きな円筒に錆びた釘や壜の蓋や金属製のおもちゃの破片かなにかが沢山くっつていていた。ふーん。こんな物も拾ってくれるのか。私の足は釘なんか踏んでもへっちゃらだけど、フツーの人だったら怪我しちゃうよね。空き缶拾いのついでなのかもしれないけど、偉い偉い。明日からは私の分も頑張ってね。
 相手は人間の形すらしていないロボットなのに、同じ仕事をしている仲間だっていう気分になっていた。何気なく触ろうとして伸ばした右手が、円筒の方にすっと引き寄せられたかと思うと。

ぴたっ

手のひらが円筒にくっついた。

 え? え? どういうこと? 私の手がくっついちゃうなんて。まさか、この円筒の磁石の力に、私の機械の手が反応したってこと? うわっ、どうしよう! こんなとこ、誰かに見られたら大変だよう。早く取らないと。
 でも、磁石の力は思いのほか強力で右手だけの力じゃ離れない。逆に私の身体の方がロボットに引き寄せられそうになる始末。つい、左手を添えて支えにしようと思って手を伸ばしたら。

ぴたっ

……あ。馬鹿、馬鹿、私の大馬鹿者っ! 一体、何やってるんだよう。これじゃ身動きとれないじゃないか。さらに焦って無理やり引き剥がそうとしてじたばたもがいているうちに。

ぴたっ
ぴたっ

……両手とも肘から先がくっついた。もう、こうなったら押せども引けどもびくともしない。

「八木橋さん、そろそろお昼休に……何をやってるんですか?」
 事務所から出てきた斉藤さんが、ロボットの傍に立っている私の姿を見咎めて近寄ってくる。うー、まずい。まずいよう。
「機械に勝手に触っては危険……えっ!?」
 私の両手が円筒にぴったりくっついていることに気がつくと、怖い顔をして駆け寄ってくる。
「なに馬鹿なことしてるの! 怪我をしないうちに離れなさい!」
 斉藤さん、私がロボットに悪戯してると思ってる。そりゃそうだよね。金のがちょうじゃあるまいし、ニンゲンの身体がこんな物にくっつくはずがない。
「斉藤さん、私、ふざけてるんじゃないよう! 手がくっついて取れないんだ。お願いだから手伝ってよう!」
 この際、斉藤さんに何て思われるかは後回しだ。とにかくこのロボットから離れなきゃ。
「八木橋さん、いいかげんになさい! いつまでもふざけていると本当に怒りますよ!」
 そう言って、斉藤さん、無造作に私の手を円筒から引き離そうとする。
「えっ、何これ!?」
 私の力でも離れないんだ。斉藤さんの力でどうなるものでもない。
「八木橋さん、あなた、一体……」
「説明は後でするよう。だからこの手をなんとかしてよう!」
 哀れっぽい声で懇願する私。でも、斉藤さんは、私を何か得体の知れないバケモノでも見るような顔をしてる。
「今、高沢さんを呼んでくるから、待ってなさい」
 斉藤さん一人ではどうにもならないし、私と二人っきりというのが怖くなったみたい。急ぎ足で事務所に戻りかけたけど、途中で振り返ってこう付け加えた。
「機械に変なことしちゃ駄目ですよ!」
 斉藤さん、私のこと、ゼンゼン信用してないよ。こんな状態で、何かできるわけないじゃないか……。

 斉藤さんに連れられて事務所から出て来た高沢さんは、私の姿を見ると急に険しい顔つきになる。円筒に張り付いている私の手にちょっと触ると、何か考え込んでいる。身体のことを聞かれるだろうか? 半ば覚悟を決めていたけど、高沢さんは黙ったまま私の手に自分の手をかけて力を込め始めた。斉藤さんも嫌そうな顔をしながら手伝ってくれて、私を含めて3人がかりでようやく円筒から開放された。

 事務所の中で、私は二人に障害者手帳を見せて身体のことを説明した。もうこうなったらごまかすことなんてできるわけがない。斉藤さんは、お決まりの同情と憐憫と嫌悪の表情を浮かべて私を見たけれど、高沢さんは違ってた。眉をしかめて一層険しい顔つきになると、黙って部屋の奥の机の方に行って、どこかに電話をかけ始めたんだ。距離が離れているから、よく聞き取れなかったけど、サイボーグとか労災保険とか契約違反とかの言葉が出ていたようだった。
 私は臨時のアルバイトだけど、何か事故があった時のために労災保険に入る義務がある。普通の人と義体の人では保険の条件が違うから、義体の人は予め申告するのも義務付けられている。大学に入ってバイトを始めた頃はそれに従っていた。でも、担当の人に障害者手帳を見せるたびに決まって嫌な思いをすることになるし、職場の人達にまで身体のことが漏れちゃって働きづらくなったことが何度もある。だいたい、この頑丈な機械の身体が壊れることなんてまずありえないんだ。だから悪いことだとは思いながらも、いつの頃からか義体のことは黙っているようになっていた。このバイトを始めた時も、私は何も言ってない。

 高沢さん、しばらく電話で話をしていたと思ったら、急に黙り込んじゃった。電話の相手の答えを待っているらしい。3分か5分か、高沢さんが再び話し始めるまでの間が、物凄く長く感じられた。
 電話が終わると、高沢さんはFAXで送られてきたらしい紙の束を持って私の所に戻って来た。険しい顔つきは変わらなかったけど、目には憐れみの色が浮かんでいた。

 高沢さんの話を一言で言うと「バイト代は払えない」ということだった。高沢さんが持ってきたのは私のサインが入った契約書。それには、私が義体障害者だった場合は事前に申し出ることが義務として書かれていた。そして、それを怠った時は契約が無効になることになっていた。この条件に従って、私がこの2週間働いたことは初めから無かったことになってしまった。細かい文字がびっしり書いてあったから、内容をろくに読まずにサインしちゃったんだ。まさかそんなことが書いてあったなんて……。
 高沢さんは同情してくれたみたい。でも、斉藤さんは、そんな大事なことを隠していたってとても怒ってた。サイボーグの人は嘘をついても平気なんですか、身体が機械だと心まで冷たくなってしまうんですね、とまで言われたよ。何と言われても大事な決まりごとを破った私には、返す言葉がなかった。その場にいても辛いだけなので、謝罪の言葉とともに頭を下げて事務所を出た。高沢さんが何か言っていたみたいだったけど、立ち止まる気になれなかった。

 とぼとぼと重い足取りでバス停に向かう途中で気がついた。今日貰えるはずのバイト代をあてにして、電車賃くらしか持ってきていない。栄浜駅までは朝夕に運行される無料のバスを使うしかない。海水浴客で物凄く混むからあまり乗りたくはない。とは言っても、バス代さえ無い私には他に選択肢がない。とてもじゃないけど、駅まで歩く気にはなれないよ。
 海に入れるわけじゃなし。日光浴も意味がない。お金がなくちゃ何もできない。無料バスの時間まで、ぼーっとして時間を過ごすしかないだろうなあ。防波堤の端に腰かけて足をぶらぶらさせながら、夏のリゾート地そのものの光景を眺める私。楽しげな人々の様子を見ていても、憂鬱がつのるばかりだけどね。

 夕方。バス停には長い長い行列ができていた。疲れを知らない機械の身体の私は座席に座る必要はない。バスに乗れさえすればいい。適当に並んで、ほどほどに混んだ車内に入って手摺の前に立つ。私の120kgの重い身体で、万一よろけたりしたら誰かに怪我をさせちゃうかもしれない。カーブや急停止した時に備えて、いつでも身体を支えられるようにしておくことが必要なんだ。入り口の方を見ると、もう人が乗ってきそうにない。そろそろ発車するだろう。
 そう思って右手で手摺を握ろうとすると、すっと手のひらが手摺に吸い寄せられるような感じがして。

ぴたっ

……これ、ただの金属製の手摺なのに……。おそるおそる右手の指に力を入れてみたけれど、指は手摺に張り付いたままぴくりとも動かない。まさか、あの円筒の磁石の力が私の手に移っちゃったの? そんな馬鹿な……。

 さっきの二の舞になるのは嫌だから、左手で張り付いた指を剥がそうとする。その時、扉を閉めるブザーの音がしたと思ったらバスが急発進した。不意を突かれてよろけそうになった私の左手が、支えを求めて手近な手摺に向かって伸びていく。あっと思ったけど、もう遅かった。

ぴたっ

 見事に左手もくっついた。もうこうなったら私の力ではどうしようもない。バスが駅についたら運転手さんに事情を話して手伝ってもらわなきゃ。

 あーあ。1日に2回も障害者手帳を見せて嫌な思いをしなきゃならないんだ。今日はなんてついてないんだろう。あの朝の占いもだよ。金運最高だなんてさ。バイトのお金、入らなかったじゃないか。おまけにこんな手摺にくっついて……。ん?この手摺って「金」製だよね。金運の「金」って、まさかこれのこと?

……神様、冗談キツイですよう……。

 後日、事務所から1通の手紙が来た。差出人は高沢さん。手紙には、空き缶のデポジット料はバイトとは関係ないので為替で送ります、と書かれていた。バイト代には及ばない額とは言え、今の私には大金だ。電話で事務所に呼びつけることだってできるのに、わざわざ手間をかけて送ってくれたんだ。”決まりを破ったことを認めるわけにはいかない。でも気持ちは分かる。手続きさえきちんとしてくれれば、働いてもらうことに何の問題もない。真面目に働く人はいつでも歓迎する。”短い文面だったけど、体面を取り繕うためじゃない、心のこもった内容なことが感じられた。
 もう引越しのバイトを見つけて、明日面接することになっている。残念だけど、お礼の返事だけを出しておこう。高沢さん、私が義体だって分かっても、また働くよう誘ってくれた。今まで、こんな風に言われたことはない。高沢さんとはあまり話す機会を持てなかったのに、それでも私のこと理解してくれていたんだろうか。
 正直、明日の面接で身体のことを言うかどうか迷っていたんだよ。でも、高沢さんのおかげで決心することができた。きちんと身体のことを話そうと思う。そうして、仮に職場の人達に身体のことがばれたとしても、受け入れてもらうことができるように頑張るんだ。
 自分で努力しなくては何一つ始まらない。今までは、ずーっと嫌なことから逃げていた。それでは自分にとっても、相手にとっても、いい結果をもたらさない。そんな風に思うことができたなら、きっと明るい明日が来るに違いないよ。
 タダ働きだと思ったけど、お金なんかよりもっと大切なものを得られたのかもしれない。高沢さん、ありがとう!


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