このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


 今日はノー残業デー。親睦を深めようということで、課のみんなとカラオケボックスに来てるんだよ。
 ことの起こりは先週の飲み会の時。私の身体は物を食べられるようにはできていない。唯一口にできるのは小さな栄養カプセルだけ。だから、私の周りだけお酒も料理も置いていない。寂しいと言えば寂しいけど、もう、そういうのは気にしないことにした。 アルコール入りカプセルで酔うことだってできるし、みんなと賑やかにお喋りできるのは楽しいよ。まあ、最初のうちは目立たないように隅っこの席に座るようにしてるけどね。その日も、そんな感じで2個目のカプセルを口にした時、先輩が隣の席にやってきた。先輩、しばらく私が歓談する様子を見た後で。
「ねえ、八木橋さん」
「はい、先輩?」
「カラオケは好きかしら?」
「はいっ、大好きですっ!」
「うふふふ、いい返事ね。次の親睦会は、カラオケボックスでやろうと思っているんだけど」
「え…?」
「たまには趣向を変えてみるのもいいわよね?」
 先輩、もしかして私が飲食できないのを気にしてくれたんだろうか? 私は十分楽しんでいるつもりだけど、やっぱり、傍から見ると気になるんだろうか? 先輩は、何かにつけて私をからかうけれど、その分、気配りもしてくれる。今は先輩の好意に素直に甘えさせていただこう。
「じゃあいいわね。八木橋さんの歌、楽しみにしてるわよ」

 その後、先輩に3次会まで付き合わされて、アルコール入りカプセル5個という新記録を樹立した。翌日、定刻出社した先輩が、遅刻して課長に怒鳴られている私を楽しそうに眺めてた。先輩、あれだけ飲んだのに二日酔いの欠片すらも見せないって、一体どんな身体してるんですか……。

 まあ、そんなわけで今日の親睦会の会場は、会社近くの小さなカラオケボックスということになったんだ。これなら私もみんなと一緒に楽しめる。先輩のためにもバリバリ歌いまくっちゃおう!

 一曲目、課長がいきなり99点という神スコアをたたき出した後、先輩達も、それぞれ十八番の曲を披露する。みんなさすがにうまいなあ。私も、そんなにヘタなわけじゃないと思うけど。
 私の声は電気合成音。生身の身体みたいに声帯から出る音を、喉や口の中で共鳴させるなんて複雑な造りにはなっていない。喉の奥にある小さなスピーカーから直接声が出てくるんだ。どんな低音でもどんな高音でも自由に出すことができるし、呼吸とは無関係だから、ずーっと声を出し続けるのもカンタンだ。歌うのにはぴったりの仕掛けだと思うでしょ。身体を動かすのもそうだけど、生身の身体よりも便利な機械の力を使うのって、初めのうちはなんだかずるい気がしたよ。でもね、私の歌を聴いてみんなが楽しんでくれるなら、それでもいいかなっって考えるようになった。今日この場にいる課長や先輩達も、私の声が作り物だって知っている。はたして、私の歌を喜んでくれるだろうか。
「八木橋さん、次はあなたの番よ」
 ぼんやり考え事をしていた私に先輩が声をかける。
「あ、はい、すみません」
 歌い終えた先輩が差し出すマイクを受け取って、勢い良く立ち上がる。
「八木橋、行きま〜〜〜す!」
「待ってましたあ!」
「ヤギー、がんばれー!」
 みんな口々に声援を送ってくれる。そういえば、ここに来てからみんなと一緒にカラオケで歌うのは初めてなんだ。

 私も十八番の歌を選んでる。みんなに引けはとらないはず。生身の頃の癖で大きく息を吸い込みながら、おもむろにマイクを構えて歌い出す。
「本当のkキイィィィィ〜〜〜〜ンッ!」
 え?
「ただ涙gキイイイイィィィィィィ〜〜〜〜ンッ!!」
 なんだ、なんだこの音は!? 私が口を開くたびに、異音が部屋の中に響き渡る。
 みんな耳を塞いで顔をしかめてる。音はどうやら私の喉のスピーカーから出ているらしい。な、何なんだよう! 私の身体、どうしちゃったんだよう。せっかくのカラオケなのに、これじゃ歌えないじゃないか! マイクを握り締めたまま、茫然と立ち尽くす私。
 突然の出来事に驚いた課長や先輩達が、私の周りに集まってくる。マイクを使わなければフツーに歌えるのに、マイクを持つと駄目なんだ。今までこんなこと無かったのに……。
 私とマイクを見比べていた課長と先輩が、ヘンな顔をして私を見てる。
「あ、あの、課長、先輩、何か?」
 原因を思いついたんだろうか? 私の身体、どっか壊れちゃったんだろうか?
「これはアレだな」
 先輩が頷く。
「ええ、アレですね」
 何なんだよう。何が分かったんだよう。もったいぶらずに教えてよう!
 焦る私にせかされて、課長がくらーい顔をして喋りだす。
「八木橋君。君の声は電気合成音だろう? 声は喉の奥のスピーカーから出ているね。それがカラオケのマイクとハウリングを起こしているんだよ」
 先輩が同じ調子で後を続ける。
「そうそう、スピーカー式人工声帯の欠点ですよね。八木橋さん、学校の放送機材とかでも、こんなこと起こらなかったかしら?」
 そんな、そんな……。それじゃ、私、ここのカラオケで歌えないってこと? 私の数少ない楽しみがなくなっちゃうなんて酷いよう! 困り果てた私は、藁にもすがる思いで二人の顔を交互に見る。ねえ、課長、先輩、何かいい知恵は……。

 あれ? 二人とも真剣そうな顔をしてるけど、口元が引きつってる。必死に笑いを噛み殺しているみたい。あ、そういえば、この間、先輩から借りた漫画本にそんなお話があったような。まさか……。
 二人とも、とうとう堪えきれなくなったのか、大声で笑い出す。
「あははははっ。八木橋さんの顔ったら!」
「くっくっくっ……いや、すまん、八木橋君。だが……はははははっ」
 あー、もう、二人してからかうなんて酷いよう!
 もちろん、そんなハウリングが起こるなんてことはない。私の身体とカラオケの機械は繋がっていないんだから。でも、調べてみても原因は分からない。結局、私だけマイク無しで歌うことになっちゃった。カラオケでマイク無しなんて、なんだかとっても味気ない。まあ、歌えるだけましなんだけどね。みんなには思った以上に好評で、特に課長も先輩も絶賛してくれたのが、唯一の救いかなあ。

 いつまでもこれじゃ困るので、松原さんに聞いてみた。
「八木橋さん、お知らせメール、ちゃんと読んでますか?」
……すみません。ここしばらく読んでません。
「義体の内部にある電子回路はとてもデリケートです。外部からの磁気や電磁波の影響を受けて変調をきたすことがあります」
 松原さん、言ってることは間違ってないけど、その言い方って身も蓋もないよう。
「国内で製造されているカラオケ装置は、厳しい認定基準をパスしてます。他の電子機器に影響を与えるような磁気や電磁波を出さないようにするためです。これは義体にも影響を与えないということです」
 そうか、日本は義体が実用化されているから、そういう配慮もされてるんだ。じゃあ……。
「外国製のカラオケ装置には、まれに基準を満たさない製品もあります。最近、そういう装置が多くなって、トラブルの問い合わせが増えてます」
「それって、私、あの店じゃ歌えないっていうこと?」
「問い合わせが多くなったので、シールドを強化した改良製品ができてます。旧タイプの人工声帯を使っている義体ユーザーは、定期検査の時に希望を出せば、無償で改良製品に交換してました。お知らせメールで通知済みのことですよ」
「あの、松原さん、”してました”って……?」
「無償交換期間は、先週で終わりましたっ」
 そ、そんな〜〜
 なんとか無償期間を延長してもらえないかと松原さんに頼んでみたけど、八木橋さんにはいい薬だと言って、きっぱり断られた。あーあ。また貯金が減っちゃうよ。会社の近くのカラオケボックスはあの店しかないし、まさか義体が変になるからカラオケ装置を入れ替えてくださいなんて言えるわけがない。みんなと一緒にカラオケを楽しむためには、自腹を切って人工声帯を交換するしかない。
 でも、松原さん、まだ何か考え込んでいる。も、もしかして、救済策を考えてくれてるんだろうか。
「第1開発部のスタッフが、新型人工声帯の試作品の耐久テストをすると言ってました。それに協力したら、そのまま試作品を使わせてくれるかもしれません」
 ああ、みんなと一緒に歌えるようになるんだったら、この際多少のことは我慢するよう。
「テストベッドには身体を置くスペースはありません。必要なのは首から上だけです。その状態で48時間歌い続けてもらいますっ」
 松原さん、言葉を切ってニヤリと笑う。
「それでもよかったら、開発スタッフに志願者有りと連絡してあげます。八木橋さん、どうしますか?」
……松原さん、あんた鬼ですか……orz

 一週間後。試作品の人工声帯は、私の喉の中にある。
「八木橋さん、今日のカラオケはどうするの?」
「あ、先輩。今日は遠慮しておきます」
「そう、残念ね……。じゃあ、私達はこれで帰るから、後はお願いね」
「はい。私の分も楽しんできてください」
 笑い声を交わしながら、部屋を出て行く先輩達を見送って溜息をつく私。
 この間のカラオケの後、うちの課はちょっとしたカラオケブーム。毎日のように誰かしらがカラオケボックスに行っている。私はといえば、毎回毎回、先輩のお誘いを断り続けている。だってさ、あれだけ歌い続けたら、当分歌いたくないって気分になってもしかたないよね。せっかく新しい人工声帯に交換して、どんなカラオケ装置だってどーんと来い状態だっていうのにさ。あー、私ってば、いったい何やってるんだろうなあ……。

拝啓
義体ユーザー各位

 このような事例もありますので、弊社からのお知らせメールには(ry


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