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「よし、ブロック構成終わり。ロジック問題なし、うー」
橋本が、デバイスシミュレータの論理チェックプログラムを起動する。はじめのうちはチェックするたびに、論理不整合によるエラーが出ていたが、ここ数日の奮闘のせいでなんとか、ゼロにまで追い込むことに成功した。
はふう、と机に突っ伏し、橋本のブースの向こうにいる、部下の横田と三沢に手で合図する。
「何とかなったよー、回路起こしお願いしまーす」
「はーい、もう主任遅いっす、俺何時に帰れるんだか」
横田がファイルを回路設計プログラムに送り込みながら、間延びした声で橋本を非難する。
「ごめーん、そのうち埋め合わせするからねー」
「まだ埋め合わせしてもらってないの、たくさんありますよー」
「へーい、そのうちねー」
へろへろと、コーヒーでも注ぎに行きながら、適当に受け流す。この緊張感のない開発風景は、義体サポートコンピュータのメイン基板設計の風景であった。
何度もの方針決定会議を得て、サポートコンピュータの機能、性能、そのほかの要求項目が決まり、一次試作が開始される。橋本の担当は統括認証とメイン基板設計。二人の部下とともにメイン基板を設計するのに加え、それぞれの部門から上がってくる設計に齟齬がないかを確認する。試作終了後各種試験と修正を行い、問題がなければ、イソジマ電工に送り、義体搭載試験に入ることになっていた。そのため、サポートコンピュータのサイズは現行機器のサイズに押さえられている。消費電力、発熱、大きさは既存義体に搭載できるように、今の仕様を越えないように制限されている。
耐衝撃性は2000G以上、脳が損傷するほどの衝撃を十分越えるまで壊れてはならない。サポートコンピュータは可動部分がないため、それ自体は頑丈に作れば技術的にはそれほど問題ではない。衝撃に弱いのは液体搬送などの可動部を持つ生命維持装置などである。これも、モータやダイアフラム式ポンプを廃し、電磁搬送ポンプに移行することで、衝撃に対応するよう考慮された。
コンピュータ関係が問題となるのは、むしろノイズや放射線による誤動作である。電子的ノイズはシールドを施すことで軽減される。しかし放射線は、ある一定の確率で微小なトランジスタに誤動作を起こさせる。CPUは高性能になるほど、高精細な回路になる傾向にあるため、相対的に放射線に弱くなる欠点を持っていた。それを防ぐには回路パターンを太くし、トランジスタのサイズを大きくすればよい。放射線によって発生する電荷は、サイズの大きいトランジスタ内のほかの電荷によって薄められ、相対的に電位の変動は小さくなる。
「橋本主任、大日本電気の方がお見えです」
受付からの連絡で、橋本がコーヒーを置く場所にちょっとあわててから、立ち上がった。専用CPU、それも高性能を求めるサポートコンピュータ用CPU、絶対の信頼性を重視する脳との通信、環境管理を行う制御CPU、これは生命維持装置の制御コンピュータにも用いられる。これらのCPUはそれぞれ製造プロセスが違うため、NTL.EDの関係会社、NTL.ED九州シリコンでも作ることが出来ない。そのため多額の費用がかかるが、半導体製造では世界一の規模を誇る大日本電気のような有力メーカーに発注する必要があった。そのほかにも他社でないと入手できないものは多い。
「その次は、神三井化学の方もいらっしゃる予定になってます」
「何で私なのよ、生命維持装置は私の担当というか、うちの担当ですらないけど、制御基板だけよ」
神三井化学からは電合成リサイクル用の合成電界フィルタが納入されている。合成電界フィルタは合成血液の中のブドウ糖反応物質である二酸化炭素を選択的に分解し、高分子触媒とカーボンナノチューブによる電界加圧でブドウ糖に再合成するものである。基本原理の特許はイソジマ電工が、合成電界フィルタの製造特許は神三井化学が持っている。
「一応、統括担当ということで、ご挨拶にうかがったようですね」
「それ、いやだー、課長に投げてよお」
「そんなこといわれても、向こうが主任を指定して下さっているんですから」
「いやー」
などとわめきながら、受付嬢に引きずり出される橋本であった。もちろん、引きずり出された以上、きちんと営業スマイルで応対する橋本である...というか、そう信じたい。ちゃんと応対しる。
「主任、お客様です」
「はいはい、今度はどちらさま」
来客が頻発する日ってのは確かにある。必死こいて集中力を高めようとする橋本が、何度目かの集中を破られて、ぞんざいに聞き返す。
「イソジマ電工の高橋様と、」
「汀さんじゃないの?」
「いえ、それとN市消防局だそうです」
「は?、なにそれ」
橋本が頭をひねる。
「さあ、私にはわかりかねますけど」
「RS関係かな」
「関係なさそうですよ」
受付嬢はきっぱりとそういって、さあさあと橋本を追いやる。
「むー、なんだかなあ」
状況が見えない中、橋本はちょっと鏡を見て、髪を指で梳いてから応接室へ向かった。
消防局などと少しでも関係があるとすれば、NTL.RS 位しか思いつかない。救難支援センター、NTL.RS はNTLの社会貢献事業の一つであり、NTLグループの売り上げの1%を予算とする組織である。その業務は救難、災害支援事業となっている。地震や台風、大雪などの災害に対し、警察、消防、自衛隊などに協力して、支援物資の輸送、配給、緊急災害復興の重機搬送などを行うことを主な業務とする。そのための輸送船舶やヘリコプター、重機などを保有し、災害発生時には政府、地方自治体と協力して、災害状況の情報収集、分析を行い、必要な機材を送り込むことになる。状況が把握できない自治体には迅速に情報を提供し、災害支援に役立てる。典型的な例としてF県海域地震があった。
F県海域地震では、普段余り自然災害が起こらない場所だったこともあり、地震直後から情報網が寸断され、被害状況がつかめない状態になっていた。NTL.RSではスーパーコンピュータによる災害状況の予測を実施、近隣地方自治体及び政府に予測情報を報告。被害が大規模と予測されたことから、大型救難輸送船スーパーホエールに重機、ヘリ、食料、水を満載して出航した。
その情報を受けて、航空自衛隊が被害状況の航空観測を行い、被害状況確認と同時に、陸上自衛隊、海上自衛隊が災害支援に乗り出した。そのため、地震は早朝であったが、がけ崩れ、崩壊した建物に閉じ込められた人命の多くが救出されたのである。警察、消防もがけ崩れ、道の崩壊に伴い、消防レスキュー隊などの移動が困難を極めたが、輸送した重機による道の修復、ヘリによる輸送を実施し、警察、消防の救助支援を行うことが出来た。
橋本が、応接室に入ると、よく打ち合わせで顔をあわせる、イソジマ電工営業課の高橋と制服で決めた女性消防官がソファから立ち上がった。
「橋本です。イソジマ電工の高橋さんですね。よろしくお願いします」
「高橋です。こちらこそよろしくお願いします。こちらがN市消防局の高田恵子さんです」
「はじめまして、N市消防局で消防司令補を勤めさせていただいております高田と申します。これがこちらの名刺です。お納めください」
「あ、丁寧に申し訳ございません。高田様ですね。はじめまして、よろしくお願いします」
高田恵子のほうを向いて挨拶しながら、橋本はソファを勧める。二人が座ったことを確かめて、橋本も腰を下ろした。
「それで、きょう伺ったご用件なのですが、...」
「はい」
「貴社と弊社で共同開発させていただいております、新型義体の件についてです」
橋本が軽くうなずくと、高橋が話し始めた。
「今の計画では、開発に目処がついて、実用試作段階に入ると、何人かのお客様にお願いして試作機を換装して頂き、実用試験に入る予定になっております」
「はい、存じております」
「その際、耐久試験など、効率的にデータを取れる環境にいらっしゃるお客様として、消防や自衛隊に奉職されているユーザー様に主にお願いしております。で、こちらにおられる高田様を含め数人の弊社義体ユーザー様にも今回打診をさせていただきました」
橋本が高田のほうに視線を送る。高田はかすかに頭を下げて肯定した。
「その際に、新型義体の製作状況をご見学されたいというご希望のため、こちらに伺わせて頂いた次第です」
「なるほど」
橋本は、高田に顔を向けた。
「えー、当社では試作開発段階でのサポートコンピュータを含む計算機関連の開発を行っております。量産を行っていないので、製造段階をお見せすることは出来ませんが、それぞれの部門での開発状況ならお見せすることが出来ると思います。なにか、ご希望はございますか?」
聞かれて高田が口を開いた。
「希望もありますが、それよりもすこし前提をお話してよろしいでしょうか?」
「はい」
高田は、きちんと座りなおして、姿勢を正す。女性にしては少し高めの身長と肩幅、橋本から見れば、とんでもないプロポーションである。顔もきりっとしていて美しい。義体化前もこんな体格だったんだろうなと考えながら橋本は話を聞く。
「恥ずかしながら、私も全身義体化一級として、義体のお世話になっています。全身義体化のため優先的にレスキュー隊に配属され、3年間仕事をさせていただきました。本年度からはその経験もあってか、レスキュー隊の編成、管理業務に携わっております」
「はい、ご苦労様です」
「それで、自分の経験についてお話させていただきます」
高田がすっと正面を見据えた。
「私はもともとN市消防局に勤めさせていただいておりましたが、基本的に事務業務に従事していました。細かいことは省きますが、病気による身体問題で全身義体にならざるを得なくなり、今のような状況になっています」
「全身義体化手術を受けてから、レスキュー隊への参加を要請されました。すでに皆様もご存知のとおり、全身義体化のかたがたの多くが、自衛隊やわれわれ消防などの危険任務について、仕事をされております」
「私も、その例外ではなく、もともとが消防局の人間であったものですから、優先的にレスキューに配属されることになりました。レスキューの隊員で今、3名の全身義体の人がいます」
「実際に危険業務を行ってみるとわかりますし、おそらくはイソジマ電工さんのほうにも報告書が回っていると思うのですが、たしかに物理的には全身義体の人は、普通の人間より強いです。環境的にも、義体の馬力としても。火事や災害、ガスなどの環境で、普通の人が突入できない環境でも、われわれは救助作業を続けることが出来ます。しかし...」
高田がちょっと言葉を切る。
「このような状況では、義体の異常発生率もある程度上がってしまうことはやむを得ません。それは仕方ないと思います。異常な高温、汚染環境などがあるのですからうまく稼動できないこともあるでしょう。しかし問題なのが、異常が発生した際に、安全な場所まで退避する。または異常が起こっても異常の状況をコントロールして、ぎりぎりまで救助を続けるという面で、問題があると思います。つまり、壊れても、壊れていない部分は正常に稼動させ続けられるようになっていなければならないと思うのです」
「つまり、」
橋本が口を挟んだ。
「ロバスト性ということですか」
「そういう用語があるんでしょうか?よくわかりませんが、レスキューの業務上、ビル火事の中に突入する例があります。私の経験した例では、高温環境中でサポートコンピュータが誤動作を起こした例がありました。生命維持装置は正副二系統ありますので命には別状ありませんし、その間は他の隊員が炎の中から引きずり出してくれたこと、そしてサポートコンピュータは再起動した後は正常に動作したために、脱出には成功しました。しかし、その間の30秒ほどは義体との接続が切れ、要救助者の救助は出来ずに亡くなられました。もし、他の隊員がいなければ、その30秒で私も燃え尽きていたでしょう」
「なるほど」
「つきましては、ですね」
「はい」
「新型義体が、どのような対策を採っているかを見たいのですが、そして出来ればご説明いただきたいのですが、よろしいでしょうか」
「はい、わかりました」
橋本はうなずいた。
「基本的に、私の担当は回路基板の設計なので、ソフトウェアは別の担当に説明させます。ある程度のことは理解しているつもりですので、わかる範囲については説明させていただきますが、わからないことは担当に遠慮なくご質問ください」
「ありがとうございます」
橋本は高田に頭を下げる。
「貴重なご意見ありがとうございます。今のお話、十分に考えて製作したいと思いますので、問題があればびしびしいってやってください。うちの連中に、あ、もちろん私も含めて」
「はい、見学お願いします」
橋本は高田の手を引いた。
「あ、その前に」
橋本が電話をとる。外線ボタンを押して、受付につなぐ。
「第4開発の橋本です。はい。ええっと、第4関係の研究室関連全部と、開発計画室関係に放送お願いします」
「ああ、そうだ、その放送にこの電話流せる? OK?」
「それじゃ、放送流して、お願いしまーす」
「ぴんぽんぱんぽん、...えー、開発計画室、副室長です、義体開発関係のグループにお知らせします」
どことなくざわついていた棟内が一瞬しんとなる。
「義体のテストをする関係者が、イソジマ電工とそのほかからおいでになっています。今から、開発状況の視察を行いますので、関係部署各位は、協力をお願いします。ついでに、私が問題点のチェックも行いますので、逃げないで真摯に対応してくださいね。はあと、詳細は視察のときにでも説明しますのでよろしく。...ぴんぽんぱんぽん」
少し遅れて、うめき声のようなざわめきがもれる。
高田がそのやり取りを見て、くすっと笑った。
「そんなに硬くならなくていいですよ、基本的に変人の集まりですが、仕事はちゃんとする連中ですから」
「はい、お世話になります」
感情をあまり見せない、高田であったが、表情ははじめと比べてずいぶんとやわらかくなっていた。
橋本は、高橋、高田をエスコートして開発現場の案内を開始した。そして...
その夜、義体開発関係のグループで、悲鳴とともに再設計2件、修正3件の残業が行われたことは、いつものことなので、省略する。
新型義体の試作サポートコンピュータ、及び生命維持装置用制御コンピュータが完成し、各種試験が行われた。衝撃、高温環境、連続稼動、腐食性ガス環境、防水、不安定電圧、高電磁波環境などさまざまな試験が、行われていく。イソジマ電工の開発するパッケージに基板を収め、一週間連続稼動の状態で、さまざまな状況が与えられていくのである。
何度かの修正の後、サポートコンピュータはこれらの試験に耐えることに成功していた。耐久性の確認後、厚生労働省による審査が行われ、全身義体搭載の許可を得ることが出来た。そして、全身義体協力者への換装試験が始まる。
換装試験協力者は全部で5名、消防関係からは高田恵子を含む3名、自衛隊からは2名であった。
「それでは、換装手術始めます」
吉澤医師はなれた手つきで、高田恵子の義体胸部のハッチを開ける。胸部ハッチは生命維持装置などの重要な機材が詰まっているため、特別の場合を除いて、本人の許可を得なければ開かないようになっている。
豊かな胸を保持している胸部ハッチはあっさりと開けられ、生命維持装置がむき出しとなる。透明で頑丈に作られている生命維持装置のケースの中で、ガス交換装置、電合成リサイクル装置のポンプがかすかに回っていた。
「外部生命維持装置接続します」
シリコンゴムに包まれている接続口のふたを静かに外して、外部の生命維持装置がつながれる。人工血液が還流し、接続時の泡が取り除かれると、外部生命維持装置は静かに新しい酸素と栄養を含んだ液を流し始めた。
「外部生命維持装置問題なし、外部に切り替えます」
「はい」
看護婦が、脳波とバイタルのモニターを監視する。吉澤医師が手動のコックをひねると、内部生命維持装置から、外部生命維持装置に人工血液の流れが切り替わっていく。
「切り替え大丈夫だね」
「はい、今のところ異常はありません」
「換装機器をこちらへ」
イソジマ電工のエンジニアが、これも手術着となって、サポートコンピュータ、生命維持装置を運んでくる。
「接続は任せます。問題があれば、いってください」
「はい、わかりました」
吉澤医師がイソジマ電工のエンジニアに場所を譲る。エンジニアは手早く、膨大な線を外し、タグをつけ、間違えないようにチェックする。基本的にはほぼ同様の形状と配線構造になっているが、若干の修正の際の違いが見受けられる。エンジニアはその違いの部分をマニュアルでチェックしながら、慎重に接続していった。
作業時間はおよそ1時間、接続終了後、サポートコンピュータを起動する。
橋本はサポートコンピュータの動作を見守りながら、チェック状況を記録していく。基本的には橋本は何もすることがない。自己起動チェックの後、接続されたパソコンから生命維持装置やセンサ、人口筋肉駆動回路等がチェックされ、すべてOKとなったところで、また吉澤医師が生命維持装置を、外部から内部側生命維持装置に切り替える。その後のチェックで問題がなければ、作業は終了する。
「手術終了です」
吉澤医師は、穏やかにそう宣言した。ここからが汀の仕事になる。パソコンのモニターを見ながら覚醒するのを待つ。
サポートコンピュータは、大脳の覚醒状態に合わせて、必要な刺激を取捨選択し、大脳に送り込む。意識レベルが覚醒していき、やがて、まぶたが薄く開き始めた。
「おはようございます。高田さん」
まだ意識の覚醒が低いのか、薄めのまま、時々まぶたを動かす程度。汀がじっと高田を覗き込んで、再び静かに高田を呼んだ。
「おはようございます。高田さん」
それで気がついたのか、高田が大きく目を開く。目を上下左右に動かして、再び目をつぶった。
「あ、おはようございます、ちょっとまってください」
「はい、急がなくていいですよ」
汀は穏やかに待ち続ける。感覚遮断後の再覚醒時にはどうしても感覚が混乱する状態に襲われる。
まもなく、落ち着いたのか高田が口を開いた。
「ああ、なんとなく、いつもより意識がクリアーな感じがします」
「そうですか、基本的には変わってないはずですが、微妙な違いはあるかもしれませんね」
「..........」
しばらく黙ったままの高田、汀は高田の顔を覗き込む。
「どうですか、体調がよければ、機能のレクチャーをしたいと思うんですが」
「うん」
高田はそのまま、虚空に目を這わせながら、うなずく」
「うん、うん」
状況がわからずに、汀が首をかしげた。
「反応が早いですね。汀さん」
「はあ」
「いま、すこしサポートコンピュータを操作してみました。視覚の動画を記録したり、状況モニターを表示させて見ましたが、反応いいです。すごく」
「今までは、コンピュータに負荷をかけると、身体機能まで、若干遅れるような感じがしていましたが、そんなことがなくなりました」
涼しげな微笑が高田から漏れた。それを聞いて、思わず橋本も横から口を出す。
「身体制御用のCPUとアプリケーション用のCPUは別に積んでいますから、メインCPU が重くなっても身体や神経の動作が影響されることはないはずです」
「たしかにそんな感じがします。複雑になって、故障が増えないといいのですが」
「少なくとも、私がわかる範囲では故障率は下がるはずです。それと、高田さんのご意見を取り入れて、完全とはいきませんが、多くの部分が、故障しても動作を続行できるように構成されています。だから、一部が故障しても、最低限の動作は続けられるはずです」
「ああ、それはありがたいことです。救助現場で危険な状態になったときにこの機能が役に立つと思います」
高田が、礼をする。しかしそれをさえぎるように、汀が高田を制した。
「でも、あまり無理をしないでくださいね。致命的な状況になってしまったら、どんなに義体が対策しててもどうしようもないんですよ」
「プロの方に言っても仕方がないことかもしれませんが、そもそも危険な状態にならないようにしてください。助けられない状況になってしまったら、どんな対策も水の泡です。いいですね」
「はい、そのとおりです」
「私は、高田さんの生活の内部に立ち入ることは出来ませんし、その能力もありません。私は高田さんが義体を使って仕事や生活をする、心と体のサポートをするのが役目です。無理をするなとはいえませんが、義体の性能の範囲をよく理解して、その範囲でお仕事をされるように希望します」
「そうですね。肝に銘じます」
汀は表情を緩めた。ぱんっと両手を合わせると、笑顔になる。
「えー、それでは、機能の説明をしたいと思います。大体の構成は以前と変わらないはずですが、細かいところで追加されている機能や、変更がありますので、その説明をしたいと思います。まず、生命維持装置の....」
汀が新しいサポートコンピュータの説明を始める。モニター用のパソコンは安定稼動状況を示していた。
橋本は、何も問題がないことを確認すると、静かにうなずく。そして、汀の説明を聞き流しながらそっと部屋を後にした。
「N市消防から各局、火災予告N市A造船所入電中、火災予告N市A造船所入電中、以上N市消防」
高田の待機する消防署に通信が入る。隊員たちは、一瞬、動きを停止して連絡に備えた。高田も、義体のバッテリー状況を確認する。本来ならば30時間程度は十分にある容量であるが、待機時は6時間ごとに充電を行う。
「N市消防から各局、N市A造船所出火報A造船所第2岸壁出火、N市A造船所出火報A造船所第2岸壁出火、終わり」
「A造船所ですか、たしか第2岸壁は、貨客船が艤装中でしたね」
隊員の一人が、手早く準備をしながら高田に言った。以前に高田は立ち入り検査まで行ったことがある。
「もし船舶の火災だったとしたら、延焼はかなり早いわね。小さい規模だったらいいけど」
「あの手の材料は難燃材使っていると思うんですが、規模が大きくなるとあまり役に立ちませんから」
隊員の作った夕食の名残がテーブルに残っている。ほとんどの隊員はすでに夕食を済ませ、当番の隊員が後片付けを始めたところであった。
「臨海中隊 N市A造船所第2岸壁火災現場 どうぞ」
「臨海中隊 N市A造船所第2岸壁火災現場 N市消防、了解」
臨海署の部隊の到着が無線から流れる。
「臨海1 認知報告 船舶黒煙確認 延焼中 どうぞ」
「臨海1 認知報告 船舶黒煙確認 延焼中 N市消防、了解」
「ビー、救助機動隊出場要請、救助機動隊出場要請」
ブザーとともに出場命令のランプが点灯する。隊員がいっせいに走り出した。高田は装備を装着しながら、あらかじめ事情を説明しておいた、当直でない隊員に耳打ちする。
「イソジマへの連絡をお願いします、その後はあなたの判断でお願い」
「了解」
隊員は敬礼して、その後イソジマ電工への連絡を始める。高田はその姿を見ることなく出場した。
義体運用の情報収集のため、出場の際の、イソジマ電工の社員による視察が要望されていた。素人が現場にいると、それだけで現場が混乱する要因になる。高田はこちらの隊員が随伴しているときに限り、その要望を受け入れた。高田から連絡が入ると、イソジマ電工の最寄の営業所から社員が派遣されることになっている。
「現着報告、周囲確認」
高田が、火災現場に到着すると、隊員に無線連絡と、周囲の目視調査を命じて、指揮隊本部に駆け込む。
「救助機動隊、現着しました」
ぴしっと敬礼をする高田、これを受けて指揮隊大隊長が手を上げる。
「ごくろうさま、現在の火点は船舶後方部、中層階の工事現場、A造船所の職員によれば、火災発生時は十数人の職人が工事中とのこと、現在、脱出が確認された人数は8名、まだ5名から8名が内部に残っていると予測されます」
「臨海中隊はこのまま第2岸壁から船舶後方の出火点を制圧、中央1は船舶乗船後、甲板の延焼を制圧、中央2は救助機動隊の支援、救助機動隊は船舶中央部の船橋から突入、船底を通り、要救助者の捜索と救助をお願いする、以上」
「了解」
「造船所から出された船舶の見取り図です」
指揮隊の隊員が見取り図を渡す。高田は手早く見取り図をスキャンし、映像を義体の記憶装置に取り込んだ。構造を短時間で把握し、頭に叩き込む訓練は、義体でなくても積み重ねている。しかし、細かい部分まで記録できる義体の機能は、正確さを確保できる点でありがたい。同時に突入する3名のうち、一名は同じ全身義体者である。自分を含めた3人全員が見取り図を頭に叩き込むと、船に上がった。
レスキュー3名と、支援に当たる消防士2名、消防士2名は消火ホースを伸ばしながら、レスキューについていく。
船橋の階段から船底に入り、様子を伺う。激しい火災の振動が低い響きとなって伝わってくるが、気温は上がっていない。
「空気確認」
高田が、隊員に空気ボンベの残量を確認させる。高田自身はほとんど呼吸しないため、軽量の小型ボンベしか付けていない。まだ、ここでは呼吸可能である。有毒ガスのセンサーも反応しない。
「ぴ」
かすかな音が脳内を掠めた。視覚の端に小さく赤点が点灯する。テレメトリー通信中のマークであった。
イソジマ電工のスタッフか現場に到着したのであろう。そして、高田の身体状況をモニターするための、通信回線を開いたと思われる。
船底の端に着いた。上からは火災の振動が大きくなっている。
「救助機動隊より本部」
「救助機動隊、どうぞ」
「船底、最後部に到達、中層部に到達後、捜索を開始」
「船底、最後部に到達、中層部に到達後、捜索を開始 本部了解」
高田は全員に向かって言った。
「面体装着、突入する」
バックドラフトに耐えるために、全員が物陰に身を隠しながら、ハッチを開ける。爆発は起こらなかったが、開けると同時に黒煙が船底に流れ出す。まさに暴れまわる炎がハッチの向こう側でオレンジ色の光となって照らし出す。
「火点鎮圧、放水開始」
消防士が放水を始める、ハッチの中に、そして一度抑えられた炎が再び息を吹き返すところを、精密に押さえ込む。
炎の勢いが治まってきたところで、高田はレスキューの二人に合図する。
「ありがとう、消防士2名はここで火災の鎮圧、われわれは、捜索に入ります」
消防士は面体のままで表情はわからない。それでも頭を軽く下げて応えた。
「右通路、人命捜索」
高田の指揮で、船舶右側の通路に面した区画を一つ一つ調べていく。焼け焦げたハッチは熱で変形し、容易には開かない。専用の大型工具と義体の力で、強引にこじ開ける。
「要救助者なし、次」
義体の視覚センサーで捕らえた映像から、室内全域をスキャン、炎などの熱画像成分を分離して、室内の様子を探る。
炎が無ければ、そのまま闇となる領域は、普通の人間はライトなどを用いて、慎重に調べなければならない。
視覚センサーはそのような領域も、明瞭に映し出す。右通路側の捜索は程なく終わる。続いて、左通路側。
「これは...」
左通路側に移動した、高田は思わず声を漏らした。
通路いっぱいに積み上げられ、そして火災で崩れ落ちた建設資材。
「救助機動隊より本部」
「救助機動隊、どうぞ」
「左側通路捜索中、建設資材多数のため捜索困難、火災発生時の工事現場と思われる、要救助者の可能性大、対策を要する」
「.......本部了解」
高田は、二人の隊員に振り向いた。
「山下は現場確保、仁科は私についてきて、義体のリミッターを外して」
「はっ」
生身の隊員を現状に待機させ、全身義体者だけで、建築資材の隙間を進む。倒れ掛かる資材を義体の力で押しのけながら、歯がゆいほどの時間をかけて、区画までたどり着く。
「義体のバッテリー残量は?」
「40%ほどです」
バッテリーの残量が半分を切ったら、撤退が原則である。
「これ以上、捜索できない、この区画を調べたら撤退します」
「了解」
区画のハッチを開けて、中をのぞく、暗闇の中、慎重に視覚センサーを走らせた。
そして、そこには丸太のように動かない、要救助者8名が横たわっていた。
「いた」
「救助機動隊より本部」
「救助機動隊 どうぞ」
「要救助者8名発見、生死不明、要救助者の救助を開始する」
「要救助者8名発見、生死不明、要救助者の救助開始、本部了解」
「本部より救助機動隊、救助応援を送る、現在位置を指示せよ、どうぞ」
「確保ルートは、船底最後部より、中層に上がる、船底最後部までわれわれが運ぶ。船底で待機せよ」
「本部、了解」
高田と仁科は慎重に防火布でくるみ、炎の中要救助者を運ぶ。80kg程度の要救助者は普通の人間ではそう簡単には運べないが、義体ではその重さがそれほど苦にはならない。しかし、それはバッテリーの残量が十分にあるときの話である。
「ぴぴ ぴぴ ぴぴ」
バッテリーの残量が30%を切った。通常動作であれば、出力を落とし、バッテリーの消耗を防ぐモードに入る。
「ちいっ、もう無理ね、変わってもらうしかないわ」
「そうですね、こちらも警告が出ました」
要救助者は後二人、後、一回運べば終わるはずである。しかしこの仕事には常に万一のことを考慮しなければならない。限界まで無理をしても危険を増やすだけとなる。
「救助機動隊より本部」
「救助機動隊どうぞ」
「救助機動隊、2名、バッテリー切れにより、救助続行不可能、応援を要請」
「救助隊の応援要請、本部了解」
「現状はまだ火災延焼中、救助は困難、対策を考慮されたし」
「現状はまだ火災延焼中、救助は困難、対策を考慮、本部了解」
「本部より救助機動隊 浜町2、突入、」
「浜町2突入、救助機動隊、了解」
「よし、われわれは、船底まで退却、あ...」
ずーん
大きな振動が、高田と仁科、そして気を失ったままの要救助者を跳ね上げる。そして。
「中央2より緊急連絡、船底エンジン室爆発、船底通路、移動不能」
「本部より中央2、状況を送れ」
「...........」
「本部より、救助機動隊、状況変化、現地にそのまま待機せよ」
悲鳴のような無線連絡が高田の耳に響いてきた。
「ええーっ、高田さんが緊急事態?」
イソジマ電工、汀からの電話連絡をうけて、橋本は、大声で叫んだ。他のスタッフが何事かと、ブースから顔を出す。
「はい、高田さんの情報収集をしていた社員からの連絡です。A重工の船舶火災の救助に当たっていた高田さんが、爆発で、船内に閉じ込められた模様です。テレメトリでのバッテリー残量が30%以下で、このままだと、義体停止の可能性があります」
「それで、救助の進行状況は?」
「外の火災はほぼ鎮火したみたいですけど、中はまだ燃えてるそうです。被害者の人と一緒で、何人か消防の人も一緒に閉じ込められているようです」
「わかりました。でも、私に何か出来ますか。一介の技術者に」
「高田さんの義体の状態が、まだテレメトリで通信できています。閉じ込められた状態では、何も出来ませんが、いま消防隊が、脱出経路を作ろうとがんばっている最中です。脱出経路を作った後に高田さんの力になれるかもしれません」
「わかりました、現場に行くより、こちらに情報をください、こちらからのほうがサポートできるかもしれません」
「はい、開発課の人たちに頼んでみます」
まもなく、イソジマ電工開発課の技術者が、テレメトリ情報を橋本のほうにまで送るように手はずを整える。リアルタイムの情報は、橋本のパソコンに映し出されていくまもなく、橋本はうめき声を上げた。
「バッテリー残量25%、もう長くは持たない...節電対策が要る」
橋本は電話を取る。
「汀さんっ、そちらからテレメトリで高田さんに連絡送れるでしょっ」
「送れるはずです」
「バッテリーの残量が少なすぎです。直ちに節電対策を取る必要があります。高田さんともう一人の人、どちらも救助を待つ間、動けないはずです。その間は少しでも電力を温存しないと、脱出すら出来なくなります」
「わかりました、古堅も同意見です。なんと言えばいいですか」
「まず、リミッターを外した状態をやめさせてください。それから、不必要な機能を全部切ること、出来ればテレメトリー通信もやめさせたほうがいいのですが、これは諸刃の剣です、その間は私たちが情報を得られなくなります。サポートのための情報が無いことになります」
「わかりました、伝えます」
「それから、もし、その間も行動しなければならないのなら、最適化モードを勧めてください」
「最適化モードですか?」
「はい、最適化モードは、制御工学上、最もエネルギーを使わない手順で、動作を行うモードです。人間離れした動きとなるので、標準動作には入れていませんが、人工筋肉やモータにとって、もっとも負荷が小さい動きをすることが出来ます。つまり電気を消費しません」
「わかりました、伝えます。あと気がついたことがあったら、開発部でも私でもいいので、連絡してください」
「はい、お願いします」
「ぽーん」
高田の耳にメールの届く音が聞こえる。必死で脱出方法を検討している高田、こんなときに、と思いながら、でも万策尽きた中、やることが無いので、メールを開く。
メールを読み進めるうちに、苦い顔になる。しかし、ほかに方法は無い。
「仁科」
「ええ」
要救助者に酸素マスクを当てている仁科を促す。仁科もすでにメールを読み終わっていた。電力を温存するにはこのメールに従うしかない。
必要最小限の機能を残して、稼動中の機能を落としていく。生命維持装置は別系統の電力であり、その系統を切る必要は無い。聴覚、視覚以外のセンサ、リミッターの再起動、人工筋肉やモータの自律安定機能などがカットされていく。
電力消費グラフは、見る見るうちに下がる、そして電力モニタそのものもカットされる。
消防隊は、爆発現場の火災鎮圧と同時に脱出経路を確保するため、エンジンカッターなどの大型工具で、爆発によって捻じ曲がった構造材や、パイプなどの切断を始めていた。さらに船腹の厚板を外そうと、A重工の職人の助けを借りて、ガス切断などの方法を試す。しかし、厚さ20mm近い鉄の厚板は、あきれるほどゆっくりとしか切断できない。
しかし、あきらめることをあくまでも拒否する消防隊の奮戦で、50cmほどの通路がようやく姿を見せ始めた。
「本部より救助機動隊、船底通路確保見込み、要救助者搬送を願う」
「救助機動隊、了解、要救助者搬送する」
リミッターを稼動させ、さらに電力節約モードに入っている、高田と仁科はのろのろと、要救助者を背負う。電力は残り20%。
まだ残る炎の中、要救助者をかばうように進む二人。肩のアクチュエータが軋み音を出す。自重の数倍の建設資材を押し返したときの負荷のせいか、回転がスムーズにならない。
船底に降り、先ほどと打って変わった風景が、爆発のすさまじさを物語る。行き先が見えない。慎重に見回すと、鉄骨の向こうに人間一人分ほどの隙間が見渡せた。
「こっちです。こっちを通してください」
担架を向こうから差しいれる。仁科が要救助者を担架に乗せた。するすると、要救助者が運ばれる。続いて新たな担架が差し入れられ、高田も要救助者を担架に乗せた。
「危ない」
ぐらりと傾く鉄骨、仁科が倒れてくる鉄骨を支えるが、仁科の力で対応できない。高田が、要救助者を担架に乗せる姿勢のまま、背中で鉄骨を受け止める。
「はやく、要救助者を確保して」
一瞬、息を呑んだ隊員が、われに帰ったように要救助者を運び出す。
「リミッター解除、出力全開」
残り少ない電力が、義体の力を最大限に稼動させる。倒れ掛かってくる鉄骨を、力任せに押し返し、違う方向に押し倒す。
「仁科、脱出」
「はっ」
敏捷な動きで、仁科が隙間をとおりぬけていく。これはレスキュー隊の訓練の成果である。
しかし、不安定な構造は仁科の通路をふさごうと襲い掛かった。
「ギシッ」
やっと開けた通路が、つぶれ始める。無理な姿勢から仁科を守ろうと無理やりつぶれる鉄材を押し返す。肩はもとより、全身の義体構造材が不気味な音を立てた。
「びいーーーっ」
義体の悲鳴が、故障警報となって高田の視界を埋め尽くす。肩部、腰部、アクチュエータ破損、脚部過負荷、過熱、バッテリー残存警告、熱警告、人工筋肉過負荷。義体は硬直した状態のまま、動けなくなる。
「終わりか...な」
このまま、力が抜ければそのまま鉄骨に押しつぶされる。力と力の拮抗の中で、高田は終わりを覚悟した。考えれば、重病にかかったとき、このままでは全身の神経が侵され、死に至ると宣告された。脳も神経の一部であり、いつかは脳まで犯されて終わると思われていたが、外国の例で、全身義体化によって生き続けている症例があるという。
その症例にすがり、生身の肉体と分かれて数年、幸いにも再発することなく、ここまで生きてこれた。
これは、医療技術がくれた私へのプレゼントなんだ。ほんとうの自分はその前に終わっていた。でも、さらに数年の猶予が与えられた。これを感謝しなくて、なにを望むというのか。ありがとう、いくらかはみんなに返せたかな。
いやな思いは全く無かった。大往生とまではいかなかったが、十分充実した人生だった。周りの人にこの感謝を伝えたかった。ありがとう。そしてもう一度ありがとう。そんな思いが脳内を駆け巡った。
「聞こえますか、高田さん」
「聞こえますか、高田さん」
「聞こえますか、高田さん、汀さん、通信状態は?」
「通信状態は良好のはず、テレメトリーはまだきてます」
「モードの強制変更をやります。パラメータの制約条件を評価なしに変更、動作モードをBASICに強制変更」
構造体計算を力学計算に変更、全アクチュエータ出力無制限」
「..........」
気が遠くなりかけたところに、何かの会話が聞こえてくる。それが、テレメトリー回線からの音声通信ということに気がついて、返答を返す。
「聞こえる...」
「はっ、」
息を呑む声が聞こえる。その一瞬後、大きな声が響き渡った」
「聞こえたあ、橋本です、一刻の猶予もありません、今から、システムの安全装置、制御をすべてカットします。もうバッテリーがありません。一瞬だけ、すべてのアクチュエータが最大出力で動かせます。たとえ、溶けても燃えてもです。あと脱出まで数メートルのはず。義体を壊してもかまいません、全力で脱出できますか」
「わかった、やってみます」
視界の警告が消えていく、何かの表示が、流れていき、モードの変更が表示された。
「ウオーーーーン」
腕のアクチュエータが泣き叫ぶような悲鳴を上げて、つぶれた鉄材を押し曲げる。関節のベアリングがいやな音を立てて変形した。こじ開けた貴重な隙間に体をねじ込み、足と腰で無理やり隙間を押し広げ、体を無理やり前に出す。
「よしいける」
腰に鉄骨が恐ろしい力で食い込む。しかし、それ以上の力で鉄骨を持ち上げ、足で蹴りながら、なおも隙間を進む。
防火服が引きちぎられる。人工皮膚も裂け目が出来、それでも、前に進み続ける。あと少し、もう少し。
そして、必死で先をつかもうとする高田の腕を、6本の腕がしっかりと握り締めた
「高田隊長確保、脱出する」
その声を聞いた後、高田は気を失った。
「.........」
「.........」
「高田さん......」
「高田さん、おはようございます」
何か聞こえる。それが自分への呼びかけであることに気づくのにはもう少し時間がかかった。
「高田さん、おはようございます」
「あ、はい」
「あ、気がつきましたね、高田さん、状態はどうですか」
「なんだか、よくわかりません」
「そうですね、ひとつだけ言っておきます。あなたは助かりました。たくさんの人を助けて」
「はい」
「あなたは、たくさんの人を助けてくれました。ありがとう」
汀の目から、ぽたぽたとしずくが落ちる。
「こんなお仕事と知らずにごめんなさい。でも、でも」
そのあとが言葉にならない
「しばらくは、この仕事続けるかもしれません、ごめんなさい、心配かけて」
「いえ、でも...」
高田が汀に手を差し出した。
「握手」
「は?」
一瞬戸惑った汀が笑顔で高田の手を両手で握り締める。
「今後ともよろしく」
「はい」
涙をぬぐいながら、汀はいっぱいの笑顔になっていた。
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