このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


「それでは、これより送別会を始めます。今まで本当にお疲れ様でした」
「かんぱーい!」
 ここは、会社近くの小さな居酒屋。外見はフツーの家なんだけど、中は昭和初期の頃みたいな落ち着いた雰囲気の内装が居心地の良い空間を作ってる。先輩が、ここを送別会の会場にと希望したんだって。私は、こういうのとは無縁だからゼンゼン知らなかったけど、さすが先輩、趣味がいいよね。

 今日は、先輩の送別会の日。もともと、大学で義体技術を専攻してた先輩は、入社の時も開発部を希望したらしい。大学在学中は、あちこちの研究機関から引き合いがあったのを、なるべく義体患者に近いところで働きたいと言って、全部蹴ったと聞いている。なのに、配属されたのはケアサポーター部。私なんかの感覚だと、先輩みたいな優秀な技術者に開発の仕事をさせないなんて義体産業界のソンシツだって、ずーっと思ってた。
 でも、会社の方では、もっと深い考えがあったんだ。入社してすぐに義体開発の仕事をさせても、本当に患者が必要とすることが何かなんて、そうカンタンに分かるもんじゃない。もちろん、純粋に技術開発を追求する人も必要だけど、その一方で、義体患者の観点で義体開発を見る目を持った技術者も必要なんだ。そうやって技術と要求のバランスをとらないと、例えばギガテックス社みたいに、義体性能を上げるだけのために、患者の脳みそまで削っちゃうような技術者がでてきてしまう。こんなの、『もっと、もっと本当の身体に近づきたい』っていう経営理念を掲げているイソジマ電工の者には、絶対受け入れられないことだよね。
 そんなわけで、技術系を志望する新入社員の中で、これはという見所のある人材には、最初の数年間、ケアサポーターを経験をさせることがある。担当患者と一緒に、泣いたり笑ったり悩んだりすることで、義体患者の心を知るっていうストーリーが組まれてる。
 先輩もそのコースに乗っていた。入社して1年半。ちょっと早いけど、予定通り開発部へ異動することになった。もちろん、早いのは先輩がそれだけケアサポーターとしても優秀で、これ以上経験を積ませる必要が無いって判断なんだろうね。
 だから、この異動は先輩にとっては、当然の成り行きなんだ。先輩がずーっと願っていた、ニンゲンらしい義体の開発に携わることができるようになる栄転なんだ。私にできる精一杯の笑顔で、先輩を送りだしてあげなくちゃ。
 私の義眼には、涙を流す機能はない。どんなに悲しくたって涙は流せない。今までそのことを何度も恨めしく思ったけど、今日ばっかりは先輩に涙を見せずにできて嬉しいよ。宴も酣。あちこちで賑やかな笑い声があがる中、先輩が私の隣の席にやってくる。
「先輩……」
 今まではなんとか抑えていたけれど、先輩がこんなに近くにいると、感情が昂ぶってそこから先を続けることができなくなる。
「八木橋さん、そんなに悲しい顔をしないで」
 そう言って先輩は、私の身体を抱きしめる。駄目だ。先輩は、私の心の中なんてお見通しだよ。私がどんなに笑顔を作ったって、心の中で流している涙が先輩には見えるんだ。
「いままでありがとうございました」
「お礼を言うのは私の方よ。八木橋さんには、沢山のことを教えてもらったわ」
 私の身体は温度感覚が鈍感だ。でも、こうやって身体を寄せ合っていると、先輩の温もりが伝わってくるような気がするよ。
 これは、私にニンゲンの心があるからだよね。先輩、いままで、本当に、本当にありがとうございました。
「さあ、八木橋さん。今夜はとことん付き合ってもらうわよ」
「……はい、先輩」
 結局、先輩と明け方まで飲み明かした。先輩がどんどんグラスを空けるのに、私が素面でいるわけにはいかないから、用意していたアルコール入りカプセルを全部飲んじゃった。その数8個。新記録を樹立するのも、きっとこれで最後だろうな。

 先輩と別れた後、寮に戻って着替える位の時間しかなかったので、府電の中で立ったまま爆睡した。私の脳みそが眠ってても、サポートコンピューターが身体のバランスを取っていてくれるから、終点に着いて駅員の人に身体を揺すられるまで、ホントにぐっすり寝ていたよ。駅員の人、きっとびっくりしただろうなあ。
 そこからまた折り返し。当然、出勤時刻に間に合うはずがない。課長からいつもの通りのお説教を受けたけど、それを自席から楽しそうに眺める先輩の姿はもう見られない。課長の声も、どことなく元気がないような気がする。改めて先輩の存在の大きさを感じた瞬間だった。
 別に、もう二度と会えないなんてことはない。これからだって、開発部の人とは緊密な連携が続くんだ。でも、席を並べて一緒に仕事をした時間は、もう戻ってくることはない。
 今まで沢山の人との出会いを経験してきた。私の身体が義体だって知られないように気を遣い、それでも結局はバレちゃって凄く気まずい雰囲気の中での別れになったこともある。あまりに酷いことを言われたりして、もう二度と思い出したくもない人もいる。そんな中で、先輩と過ごした時間は、ジャスミンや佐倉井、しろくま便の人達、はるにれ荘のお年寄り達の時と同じく、私の大切な思い出だよ。
 一緒にいられたのはたったの半年だったけど、先輩から教えられたことは沢山ある。仕事のことだけじゃなくて、新入社員としての私生活の面でも面倒をみてくれた。私が義体だってことを気にしないで過ごせるようになれたのも、先輩と過ごした時間があったから。これからは、先輩から貰ったものを、私が新入社員や担当の義体患者さん達に返す番だ。感傷的になっている暇は無い。

 八木橋裕子、23歳。先輩の分まで頑張るぞう!


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