このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


 現在時刻、午前2時50分。

 はあ……。今日もまたこんな時間。これがあと10日も続くのか……。

 ウチの部には半期に1度の総会がある。それぞれの担当が、今期の実績や来期の計画を発表することになっている。今年上半期の総会の開催日が10日後に迫ってきた。課長の監督の下、私の所属する三課が報告書の作成を始めたのが3日前。日常業務をいつもの通りこなした上で、さらに報告書を作ろうとすると、どうしても夜遅くなってからの作業になる。やっぱり先輩が抜けた穴は大きくて、残された私達だけでは日付が変わる前には終わらない。他の部署との連携作業もある関係で、徹夜して一気に仕上げるっていうわけにもいかなくて、結局、その日1日分の作業が1時とか1時半とか中途半端な時間まで続いちゃう。課長にタクシーチケットを出してもらって寮まで帰り、わずかな時間の睡眠をむさぼった後、また起きて出社する日々の繰り返し。
 確かに機械の身体は疲れることなんかないし、人工皮膚でできた顔はいつだって健康そのものの血色のよさ。目の下にできた隈を化粧で隠す努力も必要もない。先輩だったら、こんな時には屈託のない笑顔で、八木橋さんがうらやましいって言っていたかもしれないなあ……。
 身体は疲れないけど、生身の脳みその方はそうもいかない。ただでさえ睡眠不足気味な私がこんな生活を続けていたら、いずれ寝坊して遅刻するのは目に見えている。課長に怒られるのはもう慣れたけど、この忙しい時に仕事に穴をあけて、みんなに迷惑をかけるわけにはいかないよ。サポートコンピューターの時計機能を使えばどんな時間にだって目は覚めるかもしれないけど、睡眠不足が解消されなきゃ意味が無い。また府電の中で眠っちゃって、気がついたら終点ってことになるだけだよ。何かいい方法はないかなあ……。

ん? 待てよ? 府電の中で寝る? ……そうだ!

 この間使ってみた補助AI。追従モードじゃなくて、自律行動モードにすれば、自分で状況を判断して歩いたり電車に乗ったりできるんじゃなかったっけ? いつもの通勤時間帯じゃなくて、始発の頃なら自動車だって少ないし、駅のホームも電車もすいてるから、補助AIでもなんとかなるんじゃないかなあ。
 補助AIに身体を預けて会社まで行けるんだったら、その間、私は眠っていることができるはずだよね。会社に着いても、始業時刻まで自分の席で眠っていればいい。これだ! まさに逆転の発想ってやつ?
 そうと決まったら、早速試してみよう。追従モードで通勤経路を覚えさせてから、自律行動モードに切り替える。通勤の間だけ補助AIが動くように、起動時刻と稼動時間帯を設定しておけば、知らない間に補助AIが身体を動かしちゃうこともない。うん、これなら大丈夫そうだよね。
 機械の身体の私は、朝の身支度なんてほとんどすることがない。まあ、お化粧はできないけど、それは諦めよう。別にデートしようってわけじゃない。どうせ朝は人が少ないんだし、何人かに化粧してない素の顔を見られる恥ずかしさくらい、睡眠時間を十分にとれることに比べたら、我慢できるってもんだよね。スーツの方は、クローゼットの中から補助AIに選ばせるわけにはいかないけど、予めベッド脇に用意しておいて、それに着替えるようにすればいいんだし。それくらいなら、補助AIが自分の判断でちゃーんとこなしてくれるはず。
 朝4時半に起きて、ベッド脇に用意してあるスーツに着替えて、寮を出て、駅まで歩いて、府電に乗って、汐留電停で降りて、本社ビルまで歩いて、ゲートを通って自席に着く。
 ホントは半信半疑だったけど、実際やってみたら、これが思いのほかうまくいっちゃった。念のため3日間様子をみたけど、これならゼンゼン問題ないよ。もう寝坊することもないし、寝過ごして府電の終点まで行く事もない。これからは、ずーっとこのままでいようかと思ったくらい。

 そうして総会の当日も無事済んで、その夜は課長の驕りの慰労会。みんな疲れていたけど、気張っていた分だけテンションも高くて、午前0時の終電ぎりぎりの時間まで飲んで騒いでストレスを発散してた。どうせ明日は週末で休みだしね。
 私が寮に帰り着いたのは、1時半近く。補助AIのおかげで睡眠時間はそこそこ確保できてたけど、やっぱり十分ってわけにはいかなかった。私にとっては初めての総会で、気疲れもした。ちょっとだけベッドで横になって休んだら、パジャマに着替えて、寝て……し……m……

現在時刻 04時30分。起床時刻。着替えが所定位置に発見できず。1分15秒を消費してベッド脇の床の上に落ちているのを確認。
現在時刻 04時40分。寮の扉を開け外に出る。晴天。徒歩での移動に支障なし。
現在時刻 04時47分。信号待ち。青信号に変わるまで、あと25秒。自動車の通過台数、ゼロ。
現在時刻 04時58分。府電ホーム先頭より3両目乗車位置。列車の入線を白線内側35cmで待機。
現在時刻 05時02分。車両内の乗客数3。最寄の空き席に着席。汐留電停到着まで、待機。
現在時刻 05時37分。汐留電停到着まで、あと35秒。下車に備え扉の前に移動、待機。
現在時刻 05時44分。汐留本社ビル入場ゲートに接近。無線LAN認証結果、正常。歩行速度変更の必要無し。
現在時刻 05時50分。自席に到着。稼動終了時刻まで待機。

「…さん、…しさん」
 うーん、なんだよう。せっかくの休みの日くらいゆっくり寝かせてよう。
「…橋さん、八木橋さん!」
 大声とともに身体を強く揺すられて目が覚めた。目の前には黒ずくめの服を着た男の人。あれ? なんで、私の部屋に、男の人が……?
「休日出勤お疲れ様です。ここにサインをいただけますか?」
 そう言って、ペンを差し出される。
 いまだ寝ぼけた頭では、何を言われているか理解できない。顔全体を疑問符にして男の人の顔を凝視する。
「課長からは申請が出ていないようですので、休日出勤記録簿にサインをお願いします」
 黒ずくめの服の男の人の、私の行動を促す穏やかかな声。えーと? 休日…出勤? うん、確かに、今日は週末でお休みの日だけど、なんでそれが出勤って……えっ!
 言葉の意味がやっと私の頭にも浸透してくる。休日出勤。お休みの日に会社に出ること。そう、ここは18階のケアサポーター部の居室にある私の席。そして目の前にいるのは、いつも入場ゲートを通るときに挨拶している警備員の吉田さん。ということは……。
 昨晩は、ベッドに横になったところから先の記憶がない。慌ててサポートコンピューターにアクセスすると案の定、補助AIが『動作中』のままだった。またやっちゃった。今日はお休みだっていうのに、律儀な補助AIが私を会社まで連れてきたんだよ。あーあ。

「昨日まで総会でお忙しいようでしたが、八木橋さんも残務整理ですか? 三課の方は仕事熱心ですね」
 ごっつい体つきに似合わない穏やかな声で話す吉田さん。でも、なぜか落ち着かない様子で、顔をそむけたまま、私の方をちらちら見ている。なんだよう。私の顔に何か付いてるとでもいうの?
「いや、そういうわけじゃないんだけどね。あの、吉田さん?」
「はい?」
「今日はもう帰るからさ。仕事しないんだったらサインはいらないよね?」
 サインせずに、このまま帰れば何もなかったことになる。吉田さんには黙っていてくれるよう頼めばいい。人の良い吉田さんのことだから、こんなことぐらい、きっと誰にも言わないでいてくれるよ。
「……それはかまいませんが。でも……」
 でも?
「八木橋さん、その格好でお帰りになるんですか?」
「その格好?」
「いえ、その、通勤に適した格好とは思えませんが」
 休日だからって、スーツで通勤したら変なのかな? 吉田さん、変わったセンスしてるなあ。そう思って目を下に移したら……。

 派手な黄色の地に浮き立つピンクのカバのプリント。トンパチの量販店で2着1,000円均一のバーゲンセールで買った私のパジャマ。

 え? ……ええ〜〜っ! まさか、まさか。私、この格好で寮から会社まで来たっていうの? でも、一体どうして……?

 そういえば、補助AIには、朝起きたらパジャマをスーツに着替えるよう教えておいた。昨晩はスーツを脱いだ記憶がない。きっとスーツを着たまま寝ちゃったんだ。それで、今朝、補助AIがスーツをパジャマに着替えて、そのまま外に出て……。
「吉田さんっ!」
「はいっ?」
 吉田さん、びくっと身をすくめたみたい。
「このこと、黙っていてくれますよねっ?」
 吉田さんの目を見据えながら、一語一語に力を込める。ここに来るまでに、一体何人にこの姿を見られたかは、考えないことにした。今は、社内にこのことが広まらないようにする方が先決だ。
「は、はいっ」
 吉田さん、私の剣幕に驚いたのか、どもりながらも首を大きく縦に振る。
「私はいいですが……」

 え?

「課長の方はよろしいんですか?」

は? 課長?

「課長も残務整理があるとおっしゃって、昨夜から先ほどまで、ここにいらしたんですよ? 八木橋さん、会われたはずですが」
「か、課長が……?」
「はい。私がすれ違った時は、目に涙をためて大声で笑っておいででした」
 絶句して固まる私。吉田さんはそのまま何も言わずに去っていった。その目に浮かんでいた憐憫の色は、当分忘れられないだろう……orz


 こびとさんへ

 こんかいも、おせわになりました。とってもかんしゃしてるんだ。ほんとだよ。

 でもね。

 すーつとぱじゃまはちがうんだ。いろやかたちが、ぜんぜんちがうのはわかるよね。
 きっと、こびとさんも、たくさんまよったとおもうんだ。

 まよったときは、えんりょなくたたきおこしてくれていいんだってば。おねがいだよう。

 ゆうこ



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