このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


「あれっ? ヤギー、どうしたの? 室内で手袋なんかして?」
「うん、ちょっとね」
「ヤギーが手袋するの、初めて見るよ? どこか具合でも悪いの?」
 ジャスミンはいつも私の身体のことを気遣ってくれる。ゴメンね。理由を言えなくて。
「ジャスミン、放っとけ。どうせ、また怪しげな恋のまじないでもしてるんだろうさ」
 うー、そんなんじゃないよう。でも、ここで反論したら、理由を言わなきゃならなくなっちゃうよ。佐倉井に何を言われても今は耐えるしかない。だって、手袋の下は……

 昨日の定期検査が一通り終わってほっと一息ついていた時。
「八木橋さん、すみませんが、検査室に戻ってください」
「あれ、松原さん、どうしたの? もう、検査は終わったのに」
「たった今、本社の方から連絡がありまして……」
「何か悪い知らせ?」
「そうですね。義手のサブコンピュータに不具合が見つかったそうです」
「そうなんだ。それで松原さんが、それを知らせに来てくれたんだ。いつもいつもありがとうね、松原さん」
「これが仕事ですから。でも……」
 松原さん、いつもと違って歯切れが悪い。
 私の身体は機械の塊。病気や怪我とは関係ない。どこか壊れたって部品をちょっと取り替えればすぐに元通り。今までだって、何度もこういう連絡を受けて部品交換をしてもらってきた。もうこんなの慣れっこだ。
「じゃあ、さっさと済ましちゃってよ」
「いえ、それが……」
「え? まだ何かあるの?」
「今回の不具合は、まだ原因が特定されていないのです」
「じゃあ、修理もナシ? それでなんで検査室に行かなきゃいけないの?」
「義手が制御不能になる恐れがありまして、全品回収修理の通知が各病院宛に送られているそうです」
「回収?」
「そうです。原因が特定できるまでは、身体から取り外して本社のラボで保管することになりました」
「取り外すって……この腕を?」
「そうです。申し訳ありませんが」
「原因はいつ分かるの?」
「さあ、明日か、来週か、来月か……」
「ええっ! じゃ、じゃあその間は……」
「代用の義手は既に届いていますので、それを代わり使っていただくようにという指示です」

 イソジマ電工から送られてきたのは、旧型の標準義体の骨格に、硬質シリコンを貼り付けたロボット用の腕そっくりのモノだった。
「松原さん、酷いよう。私の身体にこんなモノをくっつけるなんて!」
「すみません。これも規則ですので……」
 誰の目にも作り物だってはっきり分かる機械の腕。法律に反しないようにするためには、こういう「ニンゲンの腕じゃないもの」を使わなけりゃならないんだ。私の身体は、元の身体そっくりに作られている。それは法律で決まっているからだ。よほど特別な場合を除いては、義手や義足でも、違った形のものを取り付けることは認められていない。お金に余裕がある人達は、万一の時に備えて手足のスペアを用意してるって聞いたことがある。でも、貧乏な私がそんなモノ、用意できるはずがない。
「本来の義手が使用できない期間に応じて補償金をお支払いするとのことですので、申し訳ありませんが、これでしばらくの間がまんしてください」
 さんざんごねてみたけれど、本社の決定を覆す力が松原さんにあるはずもなく、結局その場で、両腕ともそのロボットの腕に交換されちゃった。元の身体そっくりの義体でさえ、バレないように苦労しているっていうのに、こんなものを付けられちゃって、私、一体どうしたらいいの……。

 松原さんの知恵も借りて、どうごまかそうかと考えたあげく、手袋で隠すことに決めたんだ。冬に手袋をするのは別にヘンなことじゃない。それでも、四六時中、外さずにいるのは不自然だよね。知り合いに会ったら、いろいろと聞かれるかもしれないから、なるべく外出を控えるしかないよ。バイトもしばらくお休みだ。補償金が入るとはいえ、バイトの収入がなくなるのはかなり痛いし、バイト先の人達にも迷惑かけて申し訳ないと思ってる。とっても心苦しいよ。他にいい考えがあればなあ……。

 で、とりあえず、佐倉井とジャスミンはなんとかなったけど、あと一人、一番大事な人が残ってる。
 そう、藤原が。こんなロボットの腕、藤原には絶対見られたくない。でも、私がヘタな言い訳をしたら心配するに決まってる。会いたくないなんて言ったら、もっと心配するだろう。辛いけど、藤原には、正直に話すしかなさそうだ。

 藤原、こんな機械女でごめんね。この腕を見ても、私を嫌いにならないで。お願いだよう。

        (前編おわり)



「あ、藤原? ごめんね。20分くらい遅くなりそう」
「ん。OK。無理して急がなくていいからね」

 今日は藤原とのデートの日。バイトのせいで遅刻しそうなので藤原に電話した。急がなくてもいいなんて言われたって、少しでも長く藤原と一緒にいたい私は、ゆっくりなんてしていられない。それに、藤原のヤツ。私がどんなに遅刻したって、必ず待ち合わせ場所でずーっと私が来るのを待ってるんだ。私を待たせたくないんだろうね。暑くても寒くても雨が降っても風が吹いても。まったく律儀というかバカ正直というか……。だから私も急がなきゃ。

「藤原!」
「あ、裕子さん!」
「ごめん、待ったよね?」
「ううん、俺も今来たとこだよ」
 鼻の頭が真っ赤だし、唇が紫色になってるじゃないか。ヘタなウソついて、ホント藤原ってバカなんだから。私なんかのために……。
「あれ、裕子さん、手袋買ったんだ」
「う、うん。だいぶ寒くなってきたからね」
 私の手は機械の手。どんなに寒くても電気の力でいつも36度を保ってる。身体の他の部分よりも温度感覚が敏感だけど、手袋なんか必要ない。藤原、きっと不思議に思ってるだろうなあ。
 その藤原が私の手をじっと見てる。私が手袋を外すのを待ってるんだ。冬になったばかりの頃、私を待ってた藤原が寒そうにしてたから、私、思わず藤原の手をぎゅって握っちゃったことがある。私のために寒い思いをしている藤原に何かしてあげたかったから。たとえ電気の力で温度を保っているだけの作り物の手でも、藤原の手を温めてあげたかった。藤原、顔を真っ赤にしながら、それでもとっても嬉しそうだった。その時から、私が藤原の手を握るのがデートを始める時の儀式になっている。藤原はそれを待っているんだ。でも、今日は……。
「藤原、行こうか?」
「え? う、うん」
 藤原、ポケットから出した手を所在なげにぶらぶらさせている。いつもだったら、そのまま手をつないで一緒に歩き出すトコなんだ。それなのに、今日の私は手を握ることも腕を組むこともできずにいる。早く言わなきゃと思っても、切り出すきっかけをつかめない。藤原、私の顔をちらっと見て、俯いたまま私の後を歩き出す。
 その後、映画館でもデパートでも、私は手袋を外さなかった。会話は途切れがちになり、藤原が気遣わしげに私の顔を見る感覚が短くなっていく。それでも私は手のことを藤原に言うことができなかった。

 そして、とうとうデートの最後のメニュー、ラブホでえっちの時がきた。セーターを脱いだところで手が止まる。手袋ははめたまま。長めの手袋だけど、肘から上は隠せない。それにどんなに長い手袋だって、肩の継ぎ目までは隠せっこない。人工皮膚と硬質シリコン被覆の継ぎ目はカムフラージュシールなんかでごまかせるようなモノじゃない。いっそこのままでえっちしようよって言っちゃおうか。もしかしたら来週のデートの時までには、腕が直ってくるかもしれないんだし。
 そう思って、藤原の顔を見てハッとした。藤原、私の顔をじっと見てた。そして、とっても悲しそうな顔をしてた。私、藤原に隠し事をしてるんだ。藤原にとっては、それが一番辛いことなんじゃないだろうか。
「藤原……」
「なに、裕子さん?」
「手袋のコト、聞かないの?」
「裕子さん、話したくないんでしょ?」
 私が嫌がることはしない。私が嫌がることは聞かない。藤原は、いつだって私のことを一番に考えてくれている。それに引き換え、私の方は……。
「藤原、あのね……」
 どうしても、その先を続けることができない。
「いいよ、裕子さん。無理しなくても。今日はそのままでやろうよ」
 そう言って藤原は微笑んだ。とっても優しくて、とっても寂しそうな微笑だった。……駄目だ! このままじゃ、藤原の気持ちを裏切っちゃう!
 藤原の目を見つめながら、シャツのボタンに手をかける。
「ゆ、裕子さん!」
「いいの。藤原、私の身体、しっかり見てね」
 手袋をした手ではボタンをうまく外せない。ひとつずつゆっくりとボタンを外していく。
 露になった両肩には補修用のテープがべたべたと貼られている。その隙間から鉛色の超合金製の骨格や、色とりどりのコードやチューブが覗いてる。もともと私の身体に合わせて作られたモノじゃないから、皮膚までぴったり合わさるわけがない。肩から先は、いかにも作り物って感じの、チューブから出した絵の具そのまんまの肌色に塗られた硬質シリコンで覆われている。点検用のハッチの継ぎ目や剥き出しの接続端子や骨格の一部が、ところどころに見えていて、ロボットの腕以外の何物でもない。
 シャツをベッドに放り投げて、更に手袋を外す。形はニンゲンの手を真似ているけど、何のディテールも無い、のっぺりとした人形みたいな手。
 藤原は私の言葉をじっと待っている。
「私の腕、この間の検査の時に不具合があるからって取られたんだ。代わりにこんなおもちゃみたいな物をくっつけられちゃった」
 藤原はまだ黙ってる。
「おかしいでしょ。私の身体、みーんなこれと同じなんだよ。ちょっとできがいいだけで、中身が機械なのは変わらないんだ」
 藤原を心配させないよう、なるべく穏やかに話そうと思ってた。でも、ロボットの腕が目に入ったら、どんなに取り繕っても所詮は作り物の身体だっていうことが、無性に惨めに思えてきて、つい自嘲的になっちゃった。一度、そんな喋り方を始めたら、もう止まらない。藤原に向かって両手を突き出して、さらに棘のある言葉を吐き出した。
「ほら、先週見た映画にも、こんな手足をしたロボットの女の子が出てきてたよね。藤原が好きそうなカッコしてたじゃないか。今だったら、あの子そっくりなコスプレができちゃうよ? 藤原もs  うわっ」
 藤原のがっしりした手が私の両肩を掴んでる。
「藤原?」
「裕子さん」
 こんなに真剣な顔をして藤原、見たことない。
「俺、裕子さんがそんなコスプレするの見たくないよ」
「え?」
「俺、裕子さんがそんな顔するのも、そんなことを言うのも嫌だ」
「藤原……」
 藤原が私の右手をとって自分の頬にあてる。
「裕子さんの手、温かいよ。たとえ見かけが変わっても、これは裕子さんの手だよ。俺の大事な裕子さんの手だよ」
 藤原、もしかして泣いてるの?
 そうだ。藤原は、『私』を好きになってくれたんだ。ごはんが食べられなくて、体重が120キロあって、リミッターを外せば150馬力になる、そんな身体のことをいつも気にしてグチを言っては藤原を困らせてる八木橋裕子っていう女の子を。私の身体が何でできていようと、外見がどうなろうと、藤原にとっては何の違いもないんだ。
 私が自分に自信を持てなかったばっかりに、藤原の心を傷つけてしまった。私は自分を信じなかっただけじゃない。藤原の心も信じなかったんだ。これって、機械女とかお人形さんとか陰口を言うよりも、ずーっと酷いことだよね。ごめん。ごめんね、藤原。
 急ごしらえのニセモノの手には温度感覚なんか付いてない。でも、私の手を包んでいる藤原の手は温かい。藤原の心がこもっているんだもの。それを感じることができて、私、とっても嬉しいよ。
 どちらからともなく顔を寄せて唇を重ねあう。いつもより、ずっと、ずーっと甘いキス。いや、藤原の涙でちょっぴりしょっぱいか。おかしいよね。私、味なんか分からないはずなのにさ。

 ラブホからの帰り道。私の手は藤原の手をしっかりと握ってた。もう私はこの手を離さない。藤原は私の心を優しく、でも力強く包んでくれている。だから私もそれに応えなきゃ。藤原が私にしてくれていることに比べたら、継ぎ目だらけの身体やロボットみたいな腕を藤原の前に晒すことなんかゼンゼン大したことないよ。
「?」
藤原が私の方を振り返る。少し手に力を入れすぎたみたい。十分に調整してもらったはずだけど、力の加減が微妙に違う。
「ごめん。なんでもないよ」
「ん」
 藤原もちょっとだけ手に力を入れてくる。
 この先も、私の体のせいで、いろいろなことが起こるだろう。でも、この気持ちを忘れずにいられれば、絆が深まることはあっても切れることは絶対にない。

 藤原、大好きだよ。いつまでも、いつまでも一緒にいようね。約束だよ!


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください