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「お疲れ様でしたー」

 今日も1日よく働いた。ここのバイトを始めて1週間。職場の雰囲気は悪くない。仕事の内容も結構楽しい。このままずーっとここで働き続けられたらいいなあ。前のバイトは、身体のことがバレて居づらくなって辞めちゃった。私が義体だという申告書を偶然職場の人が見て皆に教えて回ったらしい。普段通りにバイトに行ったら、なんとなく雰囲気がおかしいんだ。挨拶してもぎこちない返事が返ってくるし、私の方をチラ見しながらひそひそ話をしているし。ああ、またか、と思っていたら案の定。休み時間に、『八木橋さん、サイボーグだって噂だけど、本当?』なんて、その噂を広めた本人が、さも驚いたって顔で聞いてきた。

 こんなやり取りを、一体何回繰り返してきたことだろう。もうちょっと長くいたかったけど、そんな状態になったら、辞めるしかないよね。法律で義務付けられていることとはいえ、申告書を出すのは考え直した方がいいかなあ。今度、申告書のせいで身体のことがバレたら、次からはもうバカ正直に出すのは辞めようかなあ。万が一、事故があったら後が大変だけど。保険の保護を受けるのにも、こんなことで悩まなきゃならないなんて、ホント、義体ユーザーに優しくない世の中だよね。

 さて。今日は12月9日。1週間分のバイト代が入って、懐がちょっとだけ暖かい。普通なら、美味しいモノを食べて、ちっちゃなケーキでも買ってお祝いを、っていうところなんだろうなあ。あ? 彼氏と一緒にバースデーイベントのデート、なんて発想は出てこないのかっていうツッコミは無しね。そんなの、私にとっては、仮定の上でさえ成り立たない、夢のまた夢だもん。家族がいた頃は、誰かの誕生日には一家揃ってレストランで食事をするのは当たり前のことだった。でも、栄養カプセルしか口にできない今の私には、そんなありふれた光景でさえ、無縁のものなんだ。

 はるにれ荘に着いた時には、もうだいぶ遅い時間になっていた。お年寄り達も寝てしまっているのだろう。灯りが消えて真っ暗だ。私もアニーもクララベルも、暗くても不自由することは無い。自分の部屋に戻っても、灯りをつける気になれずに、そのままベッドに倒れこむ。
 今日でまた、私は1つ歳をとる。加齢処理を施す余裕のない私の義体は、誕生日を迎える毎に、本来あるはずの姿からどんどん離れていく。制度上、身体の成長が止まる16歳を目処にして義体のレンタルが打ち切られ、原則買取に切り替わる。私の身体も買取だ。事故の保険金のかなりの額が、この買取で消えていった。残ったお金では月々の検査代や3年に一度の入院検査を賄うにも十分じゃない。ましてや、加齢処理なんていう贅沢は、私には許されていない。この先何年間か、ひょっとしたら一生、この姿のままかもしれない。一流企業に就職できなければ、月々の検査代にも事欠くことになるだろう。だからと言って、今更、特殊公務員の道を歩むことなんてできないよ。今の成績では、一流企業なんてとうてい無理だと分かってる。もっと頑張って勉強しなきゃ。
 年に1度の誕生日だと言うのに、頭に浮かぶのは気が滅入るようなコトばかり。いつまでも起きていても、いいことなんか何もない。何かすることがあったような気もするけど、思い出すのも面倒だ。もう寝てしまおう。

『コンコン』

 控えめにドアをノックする音。こんな時間に誰だろう?

 ドアの向こうに立っていたのはアニーだった。両手を後ろに組んで、上目遣いに私の様子をうかがっている。
「アニー、何か用?」
 また何か私をからかうネタを見つけたんだろうか? 今は、あまりアニーの相手をしている気分じゃないんだけど。
「ヤギーに渡したい物があるの」
 ああ、郵便物か。以前は、おじいちゃんからの荷物を受け取ってもらっていたけど、今は……。そんなの明日でもいいのに。
「んー、ありがとね」
 そう言って差し出した手に、アニーはリボンをかけた小さな箱を置く。え? これって……。
「ア、アニー?」
 アニーは私の問いには答えずに、低い小さい声で歌い出した。
「ハッピバースデートゥーユー……」

 一通りバースデーソングを歌い終わってから。
「山下さん達がヤギーにって。みんなで作ったケーキだよ。ずーっとヤギーの帰りを待ってたんだけど……。私が責任を持って渡すからと言って休んでもらったの」
「ケーキ……」
「山下さん、こんな物しかあげられなくてごめんなさいって言ってた」
「ううん……そんなコト、ない……」
「ヤギー、泣きそうな顔してる。ニンゲンはこういう時は嬉しいって思うものじゃないの? やっぱり食べ物は嫌だった?」
 アニーが不安そうな顔をして聞いてくる。
「ううん。違うの。とっても嬉しいよ。これは嬉し泣き。私のためにわざわざ作ってくれたケーキが嫌なんてこと、あるわけないよう」
 もし泣ける身体だったら、涙をポロポロ流してる。それくらい嬉しかった。あの事故の後、おじいちゃん以外の人に何かを祝ってもらうなんて初めてなんだ。
「そうか……。よかった。ヤギー、明日も早いんでしょ? みんなには、私から、ヤギーがとっても喜んでたよって言っとくね」
「うん……ありがとう」
「じゃ。おやすみ、ヤギー」
「おやすみ、アニー」
 箱を開けると、アニーの言う通り小さなケーキが入ってた。はるにれ荘のお年寄り達が、私のために用意してくれた手作りのケーキ。私は味も香りも分からないけど、そこに込められた気持ちはちゃーんと伝わってくる。お年寄り達の心の温かさは、私の心も温めてくれる。冷たい機械の塊の中に閉じ込められ、世間の冷たい視線に晒されて、それでも私がニンゲンの心を失わずにいられるのは、こうやって私を温かく包んでくれる人達がいるからだ。
 ケーキには、小さなロウソクが添えられていた。ロウソクの揺らめく炎を見つめながら、この1年の間に起きたことに想いを巡らす私だった。

 翌日。バイト先に行く途中で大学に寄ってケーキを置いていった。私が持っていても仕方がないので、ケーキは佐倉井とジャスミンに食べてもらうことにしたんだ。二人で食べてくれるよう机にメモを残しておいた。今日の夕方はゼミがあるから二人とも大学に来るはずだ。後で感想を聞けるといいなあ。

 夕方。バイトは予定通りに終わって、少し早めに大学に着いた。

「やあ、ヤギー、今日はめずらしく遅刻じゃないのか」
「ああ、佐倉井、酷いよう。私、そんなに遅刻なんてしてないよう」
「ヤギー、ケーキとっても美味しかったよ」
「え、ジャスミン、ほんと?」
「うむ。久しぶりに手作りケーキの世界の素晴らしさを堪能させてもらったよ」
「よかった。喜んでもらえて私も嬉しいよ!」
「しかし、ヤギーからケーキを貰うとはね。ついにダイエットの虚しさに気付いてくれたのかい?」
「えーと、その、下宿先の人から貰ったんだけど、私、食べられないから、二人に食べてもらおうと思って持っ
てきたんだよ」
「えー? ヤギー食べてないの? あんなに美味しいのに」
「いくらダイエット中とはいえ、あれを食べないとは、人生における重大な損失というものだぞ?」
 そりゃあ、私だって食べたいよ。でも、この身体は栄養カプセル以外の物は駄目なんだ。この舌は飾り物に過ぎなくて味なんかゼンゼン分からない。それに、無理をしてケーキなんか食べちゃったら、身体が壊れるかもしれないんだ。そうなったら、また、たかーい修理代をとられちゃう。いくらバイトをしてもゼンゼン追いつかないほどの、ね。私にはそんな贅沢をする余裕はないんだよ。
 でも、二人にそんなことを言えるわけもない。両手をぎゅって握り締めて、黙って俯いているしかなかった。そんな私の様子に、二人は顔を見合わせ、佐倉井が改めて口を開く。
「まあ、ヤギーがそうしたいって言うなら、私らがとやかく言うことじゃないけどね。それより、ヤギー」
「ん? 何、佐倉井?」
 佐倉井がジャスミンに目配せする。
「はい、これ。1日遅れになっちゃったけど」
 そう言って、ジャスミンが大きな紙袋を差し出した。
「え?」
「昨日はヤギーの誕生日だったろう? 私とジャスミンで選んだんだ」
「え? え?」
「そんな顔してないで開けてみて」
 紙袋の中には、厚手のフェルト地のグリーンのコートとマフラーと手袋が入っていた。
「これ……」
「コートは私の見立てなの」
「マフラーと手袋は私だよ」
 生地の質感や仕立ての具合からみて、かなり高いものみたい。こんなもの貰っていいんだろうか。
「ヤギー、こんな高いものは受け取れない、なんて言わないでくれよ。ジャスミンが、昨日、半日がかりで選んだんだ。ユニロクで固めようという君のポリシーは尊重するが、これくらいのものはあって困ることはないだろう?」
 戸惑う気持ちが表情に出たんだろうか。佐倉井がいつになく優しい声を出す。
「ヤギー、寒さには強いって言ってたけど、今年の冬は10年ぶりの記録的な寒さだっていう予報なの。だから、私……。やっぱり、こういうの、迷惑だったかな……」
 佐倉井……ジャスミン……。私の誕生日を覚えていてくれて、しかもこんな物まで用意して……。
「あ、ありがとう。ありがとう! 私、とっても嬉しいよう」
 それを聞いて、二人はほっとした表情をした。
 義体には涙を流す機能はない。顔色も変わらない。嬉しい時も悲しい時も、その感情を表す手段が限られている。今、私の身体でこの気持ちを表せるのは言葉と表情と身振り手振り。ただそれだけ。二人がしてくれたことで、私がどんなに嬉しかったか、うまく伝えることができているんだろうか。アニーは私が義体だって知っている。たとえ涙が出なくても、嬉し泣きだと言えば分かってくれる。でもこの二人の前では、そんなヘンなことはできないよ。泣きたくても、精一杯の笑顔を作るしかない。佐倉井、ジャスミン、本当にありがとう。

「さて、そろそろゼミが始まる時間だな」
「今日はヤギーの番だったよね」
「え? ……あーっ!」
 そうだ。そう言えば、今日のゼミは、私が進行役だった。やろうやろうと思っていて、直前までずるずると先延ばしにしていて準備を何もしていない。昨夜は考え事をしていたのとケーキを貰ったのが嬉しくて、今日は二人の感想が気になってすっかり忘れてた。何かあるとは思ってたんだけど。どうしよう。準備がなくてもできないことはないけど、あまり手際が悪いとみんなに迷惑がかかっちゃう!

 呆然と立ち尽くす私を見て、二人とも顔を合わせて溜息をつく。
「やれやれ、その様子では、忘れていたみたいだなあ」
「ヤギー、大丈夫? 佐倉井、あなたヤギーの次でしょ? 順番、変わってあげられない?」
「うむ。できないことはないんだが……」
 ジャスミン、優しいなあ。いつもありがとう。でも佐倉井は、何か考え込んでいるみたい。
「いやいや、ジャスミン。やはり、ここで甘やかすのはヤギーのためにならんと思うぞ。可哀想だが、今日のところは、目一杯恥をかいてもらってだね、もう二度と忘れませーん、と思わせるのが親心というものだろう」
「でも……」
「ヤギーには、私達の年上という自覚をもってもらわんと困るしな」
うー、佐倉井のヤツ、言いたい放題言ってくれるよ。でも、私が悪いんだ。仕方がないか。
「とはいえ」
「え?」
「は?」
「ゼミが進まなくては我々も困るということも、考慮せねばなるまい。というわけで、ヤギー君。親切な私が君と代わってあげよう。年に1度くらいは甘やかしても害はなかろう。それに」
「それに?」
「美味しいケーキをご馳走になったお礼でもある」
 そう言って、佐倉井はウィンクしてみせた。
「佐倉井、初めからそのつもりだったんでしょ? 素直じゃないなあ」
「うー、酷いよう。でも、助かったよ。ありがとう、佐倉井」
 また佐倉井にからかわれた。いいかげん、このいじられキャラの立場はどうにかならないかと思ってる。でも、それだけ、二人との距離が近いっていうことだよね。いつまでこの距離を保っていられるんだろう。私の身体のことを知ったとき、その距離は近くなるんだろうか。それとも遠のくんだろうか。

「……ギーってば!」
「あ、ごめん。何?」
「急がないと、ゼミ、始まっちゃうよ?」
「また考えごとかい? 順番を代わるとはいえ、それなりに手伝ってもらうつもりだから、しっかりしてくれた
まえよ?」
「うー、分かってるよう!」
 くよくよ考えたって仕方がない。今は、自分にできることをするだけだ。この1年、いろいろなことがあった。来年の誕生日までには、一体どんなことが起こるだろう。いいことがたくさんあるといいなあ。できれば、素敵な恋人も……。ま、まあ、それはともかく、この二人とは、楽しい思い出をいっぱい作るんだ!

 気がつくと、二人とも、だいぶ先に行っていた。
「ほらー、ぼやっとしてると、置いてくぞー」
「あー、待ってよう!」


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