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 12時47分。イソジマ電工汐留本社ビル21階社員食堂。

 12時頃には、立錐の余地も無いほど混み合う食堂も、この時間になると僕みたいに午前中の会議が長引いて遅い昼食をとっている職員がちらほらいる程度。メニューの品目もほとんど尽きて、残っているのはカレーと特別定食だけ。少し迷ってから、無難にカレーを選ぶ。時間の余裕が無い時に、特別定食なんて贅沢をする気にはなれなかった。誰もいないテーブルの窓際に腰を下ろして、おもむろにスプーンを取り上げる。

 長い集合研修期間がようやく終わって、希望通り開発部に配属されたのが先週のこと。まずは、自分が仕事の内容を覚えるためと、他のメンバーに顔を覚えてもらうために会議には全て出席するよう指導者から言われている。
 今日も朝から立て続けに3つの会議に出て、開放されたのは12時半を過ぎていた。午後は午後で、1時から6時まで会議がびっしり詰まっている。出席するだけの立場なので、特に配布資料とかの準備はない。でも遅刻するわけにもいかないから、さっさと食事を済ませてしまわなくては。

 確か、1時からは検証チームの定例打ち合わせだった。義体の開発工程の最終段階。1チームに1人、全身義体の社員がいて、試作品を実際に使った検証をすると聞いている。手とか足とか内蔵機器とか毎週のように交換されて、行動も全て記録される。実際の生活の中で予期しない不具合が起こることがないように、数万に及ぶ検査項目を、時間をかけて念入りにこなしていく。義体が工業製品である以上、必要なことだと理解はでききる。でも、その検証を自分の身体でやるっていうのは、よほどの覚悟がいると思う。毎日毎日、自分の身体が作り物だっていうことを自覚させられるんだ。今日の打ち合わせには、もちろん、その人も出席するはずだ。古堅部長を除くと、全身義体の人に会うのは初めてだけど、一体、どんな人だろう……。そんなことを考えながら、窓の外をぼんやりと眺めていた。

「失礼。ここに座ってもかまわないかな?」
「え? ああ、どうぞ」

 反射的に答えてから、気がついた。食堂の席は1割も埋まってない。このテーブルだって、席についているのは僕だけだ。なのに、どうしてこの人は、わざわざ僕の向かいの席に座ろうとするんだろう? 不思議に思って、さりげなく向かいの席の人物に目をやった。

 ドキッ。

 見かけは、高校生くらいに見える女の子。肩まであるストレートの髪と、切れ長な目。整った顔つきからは、理性的とか冷たいとか、そんな感じがした。でも、なによりも印象的なのは、その彼女がまっすぐに僕を見つめているっていうことだ。

 彼女の前には水が半分ほど入ったコップが一つ。ただそれだけ。お弁当を持ち込んで、飲み物だけ食堂の物を使う女性社員は結構いる。でも、水だけというのは、いくらなんても不自然だ。ダイエット中? それだったら食堂なんかにいるはずがない。
 訳が分からない。でも、彼女に聞くわけにもいかないから、なるべく顔を上げないようにして、黙々と食事を続ける。彼女は、コップに手を触れる気配すらなく、ただじっとしているようだ。まさか、ずっと僕を見てるのか。どうにも気になって、次第にスプーンを動かす手が鈍ってくる。
「どうした? 早く食べないと、昼休みが終わってしまうぞ?」
 僕に向かって言っているのは明らかだけど、なぜそんなことを……。
「私に遠慮しているのか? 目の前で飲食されることには、もう慣れたから気にすることはない」
「あの……」
「ん?」
「君は?」
「くう」
「クー?」
「違う。”くう”だ。ふるげん くう。くうは1字。訓読みでは”そら”だ」
「いや、そうじゃなくて……」
 あれ? ふるげん? 古堅?
「もしかして、どこかで会ってる?」
「もしかしなくても、会っているよ。 義体展示会は、君のおかげで楽しかった」
 義体展示会で会った女性と言ったら、一人しかいない。
「え!? じゃあ、あの時、イソジマ電工のブースで話をしたのは……」
「そう、私だ。覚えていてくれたのか?」
「もちろん! でも、あれは古堅部長だったんじゃ……」
「部長? 遥太郎のことか?」
 確かに、古堅部長の名前は遥太郎だったと思うけど。部長を名前で呼び捨てにするって、この子は一体……?
「どうして、ここで遥太郎が出てくるんだ?」
「だって、部長と面接した時に、義体展示会で会ったって……」
「遥太郎が、君に会ったと言ったのか?」
「う、うーん。そう聞いたと思うけど……」
 もう記憶が曖昧で、正確に何と言われたかは、思い出せない。
「おかしいな。あの時は遥太郎に頼まれて、入社希望の学生の何人かと話をしてレポートを出したんだ。遥太郎は別件の海外出張が入っていて会場には行けなかったはずだ。だから、それは君の思い違いだろう」
 そうか、それで教授との議論のことを……。

「そうかもしれない。でも、よかった」
「何が?」
「いや、僕はてっきり、部長が標準義体に入っていて、僕と話をしたのかと思ってた。考え方のしっかりした素敵な女性から一緒に仕事をしたいって言われて、とても嬉しかったんだ。でも、面接で、それが部長だったと分かって……」
「がっかりした?」
「う、うん、まあ……」
「……面接の後、遥太郎が言っていたよ。せっかく希望通りの配属になると伝えているのに、なぜあんなに落胆した顔をするのか分からない、と。君達は皆、同じような誤解をしていたわけだな」
「そういうことになるね……」
「ふう……。どうしてそんな誤解ができるんだ? 遥太郎と私とでは、身のこなしも話し方も違うだろう?」
「それはそうだけど。全身義体で、”ふるげん”なんていう名前の人が、そんなにいるわけない……」
 全身義体。そうだ、もし、あのときの話をしたのがこの子だというなら、この子も全身義体っていうことじゃないか。
「そんな理由なのか。それは少しがっかりだな」
「え、どうして?」
「私を私として認識できるだけの印象を君に与えられなかったということだろう?」
「そんなことないよ! 君と話した時のことは忘れなられないよ。あんなに楽しく話をしたのは、初めてだよ」
「そうか? それなら嬉しいが……」

 キーンコーンカーンコーン……

 お昼休みの終わりを告げる鐘の音。
「ああ、ほら、昼休みが終わってしまったぞ? 食事がまだ途中ではないか。すまない。私のせいだ」
「いいよ、気にしないで。きみのせいじゃないよ」
「だが、私と違って、君には食事をきちんと取ることが必要だ。自分の楽しみに気をとられて、君の健康を損ねるようなことをした自分が許せない」
「いいってば」
「いや、駄目だ。何か埋め合わせをさせて欲しい」
「埋め合わせなんて……。うーん。じゃあさ、明日のお昼休みに、また僕と会ってよ」
「そんなことでいいのか?」
「うん。君と話しているのは楽しいよ」
「それでは埋め合わせになっていない気もするが、君とまた話ができるなら、私も嬉しいよ。うん。その提案を受け入れよう」
 何でも言ってみるものだ。これで、明日も空と会うことができる。

 食べ残しのカレーに名残を惜しみつつ、食器トレーを返却棚に置いて、二人揃って廊下に出る。
「じゃあ、古堅さん、午後イチの会議があるから、僕はこれで」
「クーだ」
「え?」
「君の口から出る”クー”という呼び名の響きは、私の耳にはとても心地よく聞こえるんだ。だから、これからも”クー”と呼んでくれないか?」
「いや、あの……」
「駄目か……」
「いや……駄目じゃないけど……」
「では呼んでくれ」
「今、ここで?」
「そうだ」
「……クー?」
「うん。君にそう呼ばれると、ドキドキする。この心臓なんかない身体でも、誰かにときめくことができて、嬉しい。それが君なら、なおさらだ」
「あ、あの、そんなこと……」
「ん? 何か問題があるか?」
 廊下には、昼休みが終わって自席に戻る人たちや、僕のように会議場所に向かう人達が沢山いる。そこで、こんなことを大声で言われては……。現に、何人かの女性社員が、こちらを見てくすくす笑ってる。

「さあ、ぐずぐずしていると打ち合わせに遅れてしまう。皆、君を待っているんだぞ。期待の新人が来ると聞いているからな。」
「え? え? 皆って?」
「検証チームのメンバーに決まっているだろう」
「僕が検証チームの打ち合わせに出るって、どうして知ってるの?」
「私もメンバーだから知っているのは当然だ。君は打ち合わせの出席者リストを見ていないのか?」
 これって、つまり、彼女と一緒に仕事ができるってこと?
「う…うん。忙しかったから、会議場所と時間しか見てなかった。ごめん……」
「まあ、いいさ。こんな時間に食事を取っているところを見ても、君が忙しいのはよく分かるよ。慣れないことをして大変だろう」
「でも、自分で希望したことだから」
「そうだったな」
「あの、クーは、検証チームで何をしているの? 進捗管理とか?」
「何を言っている。全身義体の私がすることと言ったら、一つしかないだろう?」
「それって、まさか……」
 自分の身体で試作品の検証をする。どんな人なんだろうって思っていたんだけど。それが空?
「この身体は、次期主力商品になる予定のCS-20型の試作機だ。これからは、君がこの義体のセッティングをするんだぞ?」
「ぼ、僕が? だって、僕はまだ、ここに来たばかりだよ?」
「私がそう希望したんだ。君みたいに優秀な技術者なら、私が手取り足取り教えれば、義体の構造や扱いくらい、すぐに覚えるだろう。君の手が私の身体を触り尽くしてくれるのかと思うと、ゾクゾクする」
「あ、あの、クーさん?」
「クーだ。さん付けされるのは嫌いだ」
「クー。僕、そんなことできないよ!」
「……私の身体は、そんなに魅力がないのか?」
「違うよ! 僕が言いたいのは……」
「む。もう5分過ぎてしまったぞ。仕方がない。ほら、こっちだ!」
 僕の手を引いて廊下を走り出す空。その手の暖かさと力強さは、やっぱりあの時に感じたものと同じだった。
 あの女性は、てっきり古堅部長だと思っていたけれど、まさかこんなことになるなんて。空は、一体、どうして僕にこんなに好意的なんだろう? 僕が空に会うのは、今日でまだ2度目なのに。空は、僕の何を知っているんだろう? あまりに急な展開で、頭の中は疑問符だらけ。

 でも、一つだけ確かなことがある。この人と一緒に仕事をしたい。いや、この人とずーっと一緒にいたい。それは、あの時も今も変わらない。時間はまだ沢山ある。疑問は、ゆっくり時間をかけて解いていけばいい。今は、この手の暖かさを感じているだけで十分だ。
「クー!」
「ん? なんだ?」
 いぶかしげな顔で振り向く空。
「こらからもよろしくね!」
「ああ、こちらこそ」
 前に向き直る一瞬、空の笑顔が見えた気がした。あの時に見た笑顔と同じ、彼女の心の暖かさが一杯にこもった明るい笑顔。これからも、この笑顔を見守りたい。自然と、僕の顔にも笑みが浮かんでくる。もう一度、今度は、心の中で繰り返す。

 クー、こらからもよろしくね!



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