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「JC8601、チェック終了、分離許可をお願いします」
「OK、JC8601、フライトプラン認可した。分離を許可する」
 河原崎重工製のKC-4B型宇宙往還機は、高度1500Kmを回る生産技術衛星、ふそう、から切り離された。生産技術衛星ふそうは、世界的には、米国が打ち上げた産業用衛星についで2番目、日本が打ち上げた産業用衛星としては最初のものとなる。今のところのふそうの生産品は、レーザー通信用送受光素子に使われる無欠陥単結晶材料である。この材料は無重力、高真空、低振動の環境を利用して作られる。この材料は基本的には地上で作成できず、同じ大きさのダイヤモンドより高価であった。そのほかに、超高強度の単結晶チタン合金が生産されている。これはジェットエンジンなどに使われる、高速回転タービンの支持軸受け部に使用されている。
「分離終了、位置補正、帰還シーケンス起動します」
 木原良子は機長の指示に従い、KC-4Bの航法制御装置を操作した。あらかじめ入力された目的地に従い、再突入軌道が決定される。今のところ気象条件に問題はない。決定された軌道はNAXAや河原崎重工の運行管理室に送信され、最終的に全ての運行を管理するNACAがGOを出したところで、運用が可能となる。
「GOでました。運用可能です」
「了解、機動開始」
 機長が航法制御装置の動作を許可すると、姿勢制御装置のノズルが数回噴射される。音も無くふそうから離れていくKC4Bはある程度の距離をとると、くるりと回って進行方向と逆にメインエンジンを合わせた。
 しばらくして、タイミングを計った航法制御装置はメインエンジンを点火させる。ふそうと同じ速度で飛んでいたKC-4Bは、徐々に速度を落として高度を下げた。無重力状態から、徐々に加速度によるGを感じ、やがて大気圏に突入すると地球の重力が彼女らを押し付ける。窓の外の漆黒の闇がプラズマによってオレンジ色に発光する。そのオレンジ色が収まって明るい水色が窓を満たすとき、KC-4Bはその大きな主翼を役立たせることが出来るようになるのである。
 軌道往還機は米国、ロシア、ESAを筆頭とするが、日本も2社が軌道往還機の製造能力を持っている。現行の機種としては三橋重工のMR-200、河原崎重工のKC-4が上げられる。このほかに、国際宇宙ステーションや米国の産業技術衛星との連絡輸送を行う軌道輸送機CC-12をNTL.ACが納入している。無重力の軌道上を移動するための機器であり、その大きさは軌道往還機よりはるかに小さい。一応、緊急事態のための大気圏突入ポッドを装備しているが、それ自身が軌道まで上昇する能力は有していない。NTLとしては軌道往還機にも参入したいのだが、そもそも、大量に需要があるわけではないことと、2強に対して採算の取れる見込みが無く、納入には至っていない。ちなみに宇宙往還機のエンジンはいずれも、複合サイクルエンジンを石川山播磨重工業が製造している。
 
 静止衛星を別として、多くの衛星や宇宙ステーションは高度300Kmから1000km程度に集まっている。ふそうは高度500Kmの経済軌道圏に存在する。国際宇宙ステーションは高度400Km程度、高度を上げると燃料が余分に必要であるのはもちろんだが、高度2000km以上に存在するバンアレン帯の影響で放射線が増加するため、多くの衛星がこの範囲内に収まっている。しかも、バンアレン帯のシールド効果により、この高度では逆に放射線の影響が比較的小さいことも、この高度に集まる理由であった。
 
 KC-4Bが着陸し、全てが順調であることを確かめると、木原良子はヘルメットを外した。合成繊維の髪がさらりと流れ落ち、笑みを浮かべた穏やかな表情が姿を見せる。
「ご苦労さん、いいフライトだったね」
「お疲れ様です。全て順調でした」
 パイロットがにやりと笑い、ピースサインをする。木原もちょっと不敵な笑顔でそれに応じた。
 KC-4Bはゆっくりとターミナルに向かう。ターミナルで搭載した貨物を降ろし、貨物のチェックが終了したところで、木原の仕事は終了となる。貨物コンテナに搭載されている各種センサの情報も、特に問題となるような数値は記録されていない。
 窓の外では別の宇宙往還機が離陸を待っていた。スケジュールを見ると、同じギガテックスコスモサービスの同僚が乗り込んでいることがわかる。名前は黒田翔子、同じ完全義体の同僚である。この業務に従事している全身義体、完全機体の人間は多い。パイロットでは2割程度、木原のようなミッションスペシャリスト、フライトアシスタントでは、半数が完全義体である。特に重要なのが、産業技術衛星の常駐スタッフや宇宙ステーションのスタッフである。生身の人間を長時間宇宙に滞在させるためには、環境を維持するための多くの物資が必要である。また、時折発生する太陽風などによる放射線の影響も非常に大きい。そのため、宇宙開発関係では積極的に完全義体、全身義体のスタッフを登用している。また、それだけでは足りず、ロボット等も利用しているが、それらを管理するためにも完全義体のスタッフが有効である。
 内之浦と種子島を統括するNAXA宇宙センターは、日本の軌道往還機やロケットを打ち上げる最大の空港である。垂直発射型軌道往還機、または大型ロケットは主に種子島から打ち上げられる。水平発射型軌道往還機の離陸、及び全ての往還機の着陸地点として内之浦空港が使われる。もちろん気象条件が合わない場合は他の空港に着陸することもあるが、その場合は天候が回復してから、何らかの手段で内之浦に帰ってくることになる。
 ギガテックスコスモサービスは、宇宙作業に関係する完全義体者のサポートをするための会社である。木原良子は全てのミッションが終了したことを確認すると、コスモサービスに顔を出した。
「木原です。ミッション終了しました」
「お疲れ様です。しばらくお待ちください」
 窓口の受付嬢が木原からIDカードを受け取って、なにやら操作する。ピッと音がして、またそのカードを木原に返す。
「はい、終わりました。チェックルームへどうぞ。きれいになってくださいね。ごゆっくりー」
 顔見知りの受付嬢は初めて笑顔を見せると、軽く手を振った。
 木原も、にこりと笑顔を返す。
「今日は定時?」
「ええ。定時です。あとでうかがいますね」
「わかった、じゃ、あとでね」
「はい、ごゆっくりどうぞ」
 終業後の約束をして、木原はチェックルームに向かった。チェックルームでは義体の洗浄、各種整備、調整が行われる。その後は次のミッションの計画の詳細を聞いて、自由時間となる。コスモサービスの近くに用意されている自室もあるし、コスモサービス内の厚生施設を利用することも出来る。特にミッション中は緊張の連続なので、緊張を緩めることが出来る厚生施設は欠かせない。
 洗浄と整備を終え、木原は厚生施設の中のある部屋に向かった。といっても重要なものがあるわけではない。女性専用の部屋ではあるが、その部屋はただ単にクッションやぬいぐるみなどが詰まっているだけである。
 明るい照明と柔らかな音楽がかすかに流れるこの部屋で、リラックスするのが木原のいつものパターンであった。
「はふ」
 ため息をついてクッションの中にもぐりこむ姿は異性には見せられない。ギガテックス義体は体感センサの数はそう多くは無い。それでも、体に感じる触覚は木原の心を解きほぐす。ちなみに、この部屋は女性陣には好評で、多いときには、まぐろというか、たれパンダというか、そんなものがごろごろしているときもあるようである。
 クッションに耳を押し付けると、ブーンというポンプ音がかすかに伝わってくる。生身のときのとっくんとっくんという音をまだ何かの弾みで思い出す。仕事中や遊んでいるときにはほとんど意識しないそんな違和感を、リラックスしているときに思い出すと、たまらなく悲しくなることがある。
「最後に心臓の音を聞いたのはいつだったかな」
 クッションに埋まりながら、半分意識が飛んでいく。義体化に伴う脳改造の結果、激しい感情の爆発や食欲、性欲はほとんど感じない。心を何かにコントロールされていることは、実感としてわかる。義体と生身のギャップはイソジマ電工義体の話を聞く限り、かなり激しいものであるらしい。人によってはそれに耐えられずに自殺を図るものもあるという。ケアサービスなどのサポートがかなり重要らしい。
「私は死ねない。何とか生きていかなくちゃ」
 義体改造の際にどのような義体を望むかと聞かれた。大規模災害により、一瞬にして家族と生活を失った彼女は、生きていくために義体を生かす道をとることしか方法が無かった。その道を生かすためのギガテックス義体。軍事、宇宙などの特別公務員向けの義体を製造するこのメーカーは、その特殊環境のための生存性を最も強く打ち出しているメーカーでもある。
 もともとがかなり優秀な成績を維持してきた彼女にとって、宇宙関係に進むことはさほど困難ではなかった。いくつかの講習を受け、適性を認められたことで、NAXAの宇宙作業従事者として採用されている。この分野では報酬もかなり高額の部類であった。しかも、宇宙作業従事者として働いている限りにおいては、義体の整備、バージョンアップなどは全てNAXA及びギガテックスコスモサービスで負担される。 現在の業務が定着したのはこの1年ほどのことであったが、仕事に集中していたこともあり、一部の趣味と生活以外に金を使うことは無かった。

 ぽーん、と小さな音が耳に入った。入室者のベルである。
「木原さん、いらっしゃいますか?」
「はあい、いますよお」
 すこし沈んだ気分を消し去るように、おどけたような声で木原が返す。
 受付嬢がドアから少し顔を出して覗いている。
「お仕事終わりました。今日はどうします?」
「近所だけ軽く回りましょうか」
 受付嬢、相沢美奈子、彼女も完全義体者である。彼女は地上任務として、完全義体者の管理を行う業務についている。まだ経験が浅い相沢は、やがて宇宙作業従事者の資格を取ることになるかもしれない。
「もう夕方ですからね、あまり遠くへはいけないですしね」
「それじゃ、ぶらぶらしましょうか」

「よいしょ、ここをおりるわよ」
「はい、そこ崩れそうです」
「大丈夫、足場確保したから」
 森を進み、いくつかの岩場を越える。深い森の中は湿度が高く薄暗い。よく見えずに足を下ろすことに躊躇する相沢の手をとり、安全なほうに誘導する。
「もうすこしね」
「多分このまま下まで降りたら、海が見えると思いますよ」
 濃い密林の気配が変化して、なんとなく明るくなり、波の音がかすかに聞こえてくる。においがわかれば、潮の香りも感じたかもしれない。
 小さな花びらをたくさんつけた黄色い花に独特の模様の蝶が舞い降りる。
「あ、あれなんだっけ、あれこの辺にしかいない蝶よね」
 あわてて相沢の肩をたたく。
「ああ、ツマベニ蝶です。この辺というわけではないですが、宮崎くらいまでだったと思います」
 さっと、カメラを出して構える木原、シャッター音とほぼ同時に飛び立つツマベニ蝶。
「まにあった...かな」
「よかったですね」
 相沢はにこりと笑う。普通の人間であればへとへとになりかねない森の散策も二人には苦にならない。木原は平静を装いながらもすこし頬が緩んでいる。
「もうちょっとです。がんばりましょう」
「ええ、いきましょう」
 岩場の多い地形を二人はゆっくりと下っていった。森の端に近づくと、しっとりとした土から乾いた砂に変わっていく。
「この岩場を越えれば海です。たしか、こっちのほうに降りるところがあったような...」
 岩の間を見回して、海まで降りられるところを探す相沢。岩場の向こうには砂浜が見える。
「こっちからなら降りられそうよ」
「そうですね」
 木原の示す方向に降りられそうな空間がある。相沢もうなずいてその方向に向かう、やがて、岩場が尽き、静かな砂浜が広がってきた。
「やったあ、到着」
 木原が砂浜に足を下ろすと、軽くぽんと飛び跳ねた。
「あー、やっとつきましたね」
 少し遅れて、相沢も砂浜に降り立った。
 木原がくるりと周りを見渡した。砂浜に幾筋かの線が付いている。
「あれなにかしら」
 砂浜の筋を木原が指差す。相沢はきらりと目が光った。
「あった、やったあ、初めてみつけたっ」
 相沢が飛び跳ねながら、砂浜の筋までダッシュする。
「???」
 相沢の方へ歩いて、砂浜をよく観察する。バイクでも通過したような筋の左右に戦車のような模様が見える。
「ひょっとして!」
「わかりました?」
 口に人差し指を当てていたずらっぽく見つめる相沢、何であるかを理解して、目を細める木原。
「海亀でしょ」
「大当たりー」
 とろけるような目つきで、ちょっとふにゃふにゃとした足つきで海亀の付けた筋をさかのぼる相沢。
「ここに海ガメが産卵するということは聞いていたんですけどねー、タイミングが悪くて見たことが無かったんですよ。」
「この、移動の後は新しいわね。ここに夜中までいたら、上陸が見られるかもしれないわね」
「今回は無理そうですけど、いつかは見に来たいですね...ここかな」
 海ガメのつけた跡が途切れるところに来る。少し大きい範囲で砂がかき回された後が見える。
「多分、ここにたまごがありますね。」
「ああ、」
 感慨深そうに木原がうめいた。相沢は海を見つめている。
「ここから、また命が生まれて旅立っていくんですね」
「そうね...」
 木原が、同じ海を見つめた。すこし日が傾き、森の影が砂浜に落ちる。
「たくさんの命が生まれて、生きて、そして消えていく...どうしても自分のことを考えてしまうわけです」
 少しゆがんだ笑顔を見せる。
「生きていくのはいいな、すばらしいな、と考えている自分と、だからこそ、生死も自然に任せるべきじゃないかなと思う自分がいます」
「うん...」
「いつまで、生きていられるかわからないけど、そもそも私は生きているのかわからないけど」
「大丈夫、あなたは最高に生きてるわよ、そして私も」
 脳改造のためか、感情が爆発しそうな自問自答にも妙に冷静だった。自分の生死に思いを馳せるときにも、あるところで、興奮が収まってしまう不自然さを感じる。
「生きていくのは大変だけど、それでも生きていく。ここまで、先人たちが技術を積み上げて、やっと生かしてもらえてるんだから...ほんのちょっと運がいいだけ」
「そうなんですか、たくさんの生きたくても生きていけない人たちに、いや、それ以外の命にも、ごめんなさいといいたいです」
「そうね、でも私たちにはどうすることも出来ない。出来ることは今から生まれてくる命にお返しをすることだけ」
「できるんでしょうか」
「どんなことが出来るのかを考えるのも私たちの仕事と思う」
「はい」
 じっと海を見つめながら、考え込む相沢であった。木原が相沢の肩をそっと抱き寄せる。ふたりはいつまでもじっと海を見つめ続けていた。

「シーケンス121、OK、修正ベクトル値は範囲内です」
「了解、遷変位軌道に乗りました。内之浦、位置計測お願いします」
「こちら内之浦、位置計測終了、いまのところ正常範囲、どうぞ」
「JC8621、了解、次の通信は1200、ありがとう」
「内之浦、了解、サンキュー」
 KC-4B型宇宙往還機は、極軌道を通る地球観測衛星、ジオスコープ2に向かっていた。多くの衛星は地球の自転と同方向の軌道をとるものが多い。地球の自転を加速の一部として使えるからである。ジオスコープ2は地球観測衛星であり、地球全体をスキャンするため、地球の自転方向から90度傾いた、極を通る軌道を取っている。この軌道は通常の軌道ではないため、ジオスコープ2に向かうならば、少しずつ軌道の方向を変えながら極軌道に少しずつ遷移していくことになる。そのため燃料と時間が多く必要となる。
 ジオスコープ2に向かうだけであれば、軌道連絡機などの小型機のほうが本来は有利である。しかし、大気圏突入能力を持たない軌道連絡機はいくときにかかる時間と同じ時間をかけなければ元の軌道に戻ることは出来ない。しかし、大型で燃料消費も激しい軌道往還機は、ミッションが済んだらすぐに大気圏に突入すれば、帰りの時間が非常に小さくなるといった利点があった。
 時間と燃料が多く必要なため、少しでも必要物資が少ない完全義体の2人が今回の任務に選ばれていた。故障したジオスコープ2の修理に向かったのは、パイロットの資格を持つ黒田翔子とミッションスペシャリストの木原良子であった。完全義体者のパイロットもいるが、ほとんどは男性である。完全義体者で、パイロットの資格を持ち、しかも女性という組み合わせは、日本では希少である。もともと、ギガテックス義体の使用者は男性が多い。特殊公務員向けの仕事は男性的な仕事が多いため、使用者も必然的に男性の割合が多くなる。
 黒田は軌道往還機の操作を終えると、いくつかのスイッチを操作して自動モードに切り替えた。航法制御装置はそれを受けて、全ての制御を自動で行う。極軌道での同期作業までは大きな機動はもう無い。
「さて、作業終了ね」
 黒田が、シートを戻して背伸びをする。
「こちらも終わりです、しばらく退屈になりますね」
 小刻みに軌道修正を繰り返して、極軌道に遷移するためには72時間が必要である。普通の人間であれば、その間の酸素、食料、水、温度の管理が必要であるが、彼女たちの場合、義体を維持する電力と脳を維持する栄養と酸素だけがあればよく、その負担は非常に小さい。しかも、宇宙用に改造されている彼女たちは、酸素と栄養のパッケージを一日一回変えればよいだけである。
 いったん軌道に乗せてしまえば、あとはほとんど自動制御で行われるので、その間は機器のチェックぐらいしかすることが無い。
「ああ、ゆううつ、3日も暇つぶしするなんて、考えただけでぞっとするよ」
 黒田が、モニターをネット配信番組に切り替える。
「とりあえず、一眠りします?、それとも何かほかのことでも?」
 木原が私物のかばんから本を数冊取り出しながら、聞いた。
「そーねー、時間はたっぷりあるからぼーっとしながら考えよう」
「了解です」
 それっきり、モニターの番組に集中する黒田、木原は軌道往還機の教本を開く。しばらく無言で二人が時間をつぶす。不意に黒田が語りかけてきた。
「ねえ、」
「はい」
「それって、パイロットの教本よね」
「そう、パイロットになるかどうかはわかりませんが」
「そうなんだ」
 片手で器用に姿勢を変えながら黒田が木原に近づく。
「パイロットもあんまりいいもんじゃないよ。やっていることはいつも同じことだし、ところで木原さんはフライトは何回くらいやった?」
「もう大台越えました、今回で11回目」
「じゃ、ベテランだね」
「ベテランというほどのことも無いけど、ミッションスペシャリストは毎回ミッションが違うし、黒田さんはどのくらい?」
「私は、20は行ってないな、14〜5回位、パイロット前のフライトも合わせるとだけど」
 黒田がため息を付くようなしぐさをして、操縦席の前の窓に顔を向ける。地球から見て逆さの姿勢になっているため、青色の地表が窓の上に張り付いていた。
「あっ」
 黒田が声を上げると、はっとして木原が目を上げた。
「いま光った」
「え」
 さっと緊張が走る。翼端の標識灯やコクピットのパネル以外で光るものは基本的に無い。もし光るものがあれば、多くの場合あまり良くない結果が待っていることが多い。
「何が光ったんですか?」
「わからない、今一瞬窓の外でぱっと」
 慎重に窓の外へ目を走らせる黒田、木原は機体の異常を知らせる警告ランプを探す。
「なんだったのかな」
 しばらく、見つめ続ける黒田の顔が、一瞬だけぱっと照らされた。その光を目で捉え、その目が大きく開かれる。
「なにかわかりました?」
「わかった、大丈夫、木原ちゃんも、見てみて」
 怪訝な顔で、窓の外を覗き込む木原、視線を地球に向けた瞬間ぱっと光が飛び込んでくる。
「あ、これって...すごい」
 通常の軌道から外れた機体は、地球を斜めに見下ろすような角度で飛んでいる。その見下ろすもやのかかった大気圏に大きく光のカーテンが通り過ぎていく。
「オーロラね、地上ですら見たことないのに、こんなところで見ることになるとはね」
 地球を地磁気の盾で放射線から守るバンアレン帯は、極である北極や南極では吸い込まれるように落ちていく。そのため太陽風によって運ばれる放射線の一種である荷電粒子も、大気圏にまで到達し発光するのである。
「荷電粒子が増えていることになるんで、あまりいいことでもないんですけどね」
「そうね。でもきれい...ここは素直に見物しましょう」
「ええ」
 しばらく、なりをひそめたかとおもうと、ふわっと不意打ちで現れる。そうかとおもうと、いつまでも小刻みに光り続けるときもある。
 「この風景を直接見られる人間はそうはいないわ。私たちだけの特典よ」
「普通の軌道では極点までは見えませんからね。」
「よし、元気出た。しばらくがんばれそう。」
 黒田が壁から手を離すと、ふわりと浮かんだ。そのなかでガッツポーズをする。
「疲れない程度に、ほどほどにがんばりましょうね」
 静かに答えた木原の目にも大きく流れているオーロラが写っていた。そのオーロラもまた静かに遠ざかっていく。次の周回にはまた少し極に近づくことになる。この次はもっとよく見えるのだろうか。

 ギガテックス義体開発部長の尾上は、新型義体の量産試作機をじっと見つめていた。義体開発部長に就任してから3年、極限環境に対応した義体を作り始めてからは10年近くになる。もともと、ロボットメーカーとして設立したギガテックスは、極限作業ロボットの開発と共に成長したメーカーである。初期のロボットはいわゆる腕だけの産業用多関節ロボットから始まっている。そのころはロボットそのものの信頼性が低く、数時間の作業を続けるだけの耐久性も持たない始末であった。
 最初に産業用多関節ロボットに参入したのは河原崎重工業のUNIMATEや安樺電機のモートマンなどであるが、これらのメーカーがじりじりと改良を加え、耐久性を持たせることに成功したのである。しかし、これらの技術は産業に特化してしまい、いわゆる人間型のロボットとしてのルーツにはなっていない。人型のロボットに繋がるためには、さらに多くの研究や開発が必要であった。その研究プロジェクトのひとつが極限作業ロボットの研究プロジェクトである。政府系組織の主導で原子炉建屋内や海底などの作業をこなすことを目標にする極限作業ロボットプロジェクトは、計算機の能力の不足などもあって数台のロボットを試作しただけで終わったが、その研究をルーツとするロボットが計算機の能力向上と共に現れてきつつあった。その結果、いわゆる人型ロボットが自動車メーカーや電子系メーカーで開発されている。
 その頃、完全義体の必要性を主張したのが日本ロボット工学会の初代会長を務めた帝東大の藤江教授である。理科学研究所と帝東大医学部で実用にこぎつけた、脊髄神経の電気的結合手法によって完全義体の可能性を示したのである。しかし外見は、今のように人と区別が付かないように似せることは不可能であった。そのため藤江教授は、健常者と同じ生活を目指すのではなく、生身では出来ない極限作業において積極的に完全義体者の存在意義を求めることになる。
 ロボットの研究でギガテックスと関係の深い藤江教授は、ギガテックスにおいて完全義体の実用化を進めた。その直弟子が尾上であり、ともに完全義体のプロジェクトを進めてきた仲間でもあった。
 しかし、問題も非常に多かった。初期の完全義体では健常者とのあまりの違いのため、精神的に安定を得られない患者が続出した。また健常者と同等の仕事に付くことが出来ない業種もかなり多い。そのため、特殊公務員としての義体の高性能化、高出力化、そして不本意ではあるが、一部の脳改造を行うことになる。脳改造については反対の意見も非常に根強いものがあったが、多くの自殺者又は自殺未遂者の発生という現実により、許容せざるを得なかったのである。
 
 尾上が見た新型義体は、次の義体展示会用の量産規格品であった。初期の義体は特別費用をかけても生身の人間との違いは歴然としていた。しかし、今の義体は量産規格品でも見かけは人とほとんど変わらない。動きについても人の動きの研究が進み、ちょっとした動きも人と酷似するようになってからは、区別をつけるほうが難しいほどになっていた。最新の義体ならば、義体をよく知る人間が注意深く観察してやっとわかるほどである。
「よく、ここまで来たものだ。プロジェクトが消える可能性はいくつもあったんだが...」
 工学を修めた技術者にとって、医学の世界は別世界であった。工学は割りと狭い分野を深く掘り下げる傾向があるのに対して、医学は実際の人間を相手にするだけに、あまりにも広い世界であった。もちろんその中でそれぞれの分野が存在することになるのであるが、それでも工学の人間には敷居が高い。また、人の生死を扱う分野だけに、自殺者や故障による死亡が発生したときの多くの批判にも耐えなければならない。いくつかの死亡事故が発生し批判の渦の中、ギガテックスが存続の危機にさらされたときもある。そのとき新規参入を表明したのがイソジマ電工であった。イソジマ電工はギガテックスに問題ありとして参入したのかもしれないが、尾上にとっては共に十字架を背負う仲間が現れたように見えた。幸いにもそのニュースのおかげで、批判の波は消え去ったのである。もっとも、企業間競争ではもちろんイソジマ電工に負けるわけには行かない。
 外国では軍事用途としてサイボーグが推進されていたが、日本の場合、軍事を正面に出すのは難しい。その壁を破ってまで突き進んでいったのが藤江教授である。同様の研究自体はいくつも行われていたとはいえ、ここまで強引に実用にこぎつけたのは彼だけである。彼がいなかったら、いまだにそれぞれの要素技術の開発だけで終わっていたかもしれない。
 
 人と区別の付かないという技術は、ギガテックスの主力製品である人型ロボットにも応用されている。工事などに使われる重作業用、工場などの中作業用ロボットは人型である必要はないが、人のサポートを行う軽作業用ロボットは見かけは人とほとんど変わらないように作られている。軽作業用といっても力、速度は常人よりはるかに高性能である。基本的には人の指示で動作するものであるが、人の意図する指示を読み取り自分で計画を立てることや、会話による意思疎通の能力は年々向上している。レストランの給仕などの限定作業であれば人と見分けが付かない程度まで作業をこ
なすことも可能になってきている。新たな人工知能の開発も進んでおり、AI研究室では試作試験中の女性型ロボットを研究室の補助としてテスト運用している。たしかクララベルと呼ばれていた。ロボットのハードウェアとしての開発コードネームはあやめだったはずだが...。

「ロングレンジレーダーで反応あり、ジオスコープ2と思われます」
「了解、ターゲットへの姿勢制御続行」
 黒田は、レーダー上の光点を目標にあわせ、その光点に近づくように航法制御装置をセットする。相対ベクトルの違いを読み取ると航法制御装置はベクトルをあわせるように制御ノズルを噴射する。
「ターゲット正面に来ます。ビーコン確認、近接レーダー作動、ジオスコープ2です」
「OK、このまま接近するわ、JC8621より内之浦、ターゲット捉えました。現在接近機動中、どうぞ」
「内之浦、了解、気をつけて」
「JC8621了解、今から逐次状況を流しますのでよろしく」
「内之浦、了解、受信続行します」
 マイクのスイッチを常時に切り替えて、黒田は操縦桿を握りなおした。木原は近接レーダーを操作して、ジオスコープ2の位置を監視する。
「距離20km、方向そのまま」
「そろそろ見えてくるわよ」
「はい」
 ギガテックス義体の高感度CCDは生身の目の数倍の感度がある。星空を背景とした闇の中、いくつもの星の光の中から少し毛色の違う光点を選び出す。
「あ、あれでしょうか」
 しばらく凝視し、一定の時間で濃淡が変化していることを確認する。
「みつけました、正面若干右下」
「こっちも見つけたわ、JC8621より内之浦、ターゲット視認、現在、相対速度10m/sで接近中、どうぞ」
「内之浦、了解、カメラ映像送信できますか、どうぞ」
 木原は機載カメラをジオスコープ2に向ける。通信回線が確保されていることを確かめ、データ転送を開始する。
「送信します。映像確認お願いします」
「内之浦、映像確認中、ええっと、映像確認しました。ズームしてください」
「了解」
 木原が答えて、カメラのズームを調節する。大口径のカメラはかすかな点にしか見えない衛星を何とか形がわかるまで拡大した。
「JC8621、ジオスコープ2確認した。接近作業 GOです」
「了解、接近作業開始」
 黒田がいくつかのスイッチを切り替えると、KC-4Bが姿勢制御ノズルを光らせる。そのたびに以外に身軽に姿勢を変え、ジオスコープ2に近づいていく。
「距離1万m、問題なし」
 接近シーケンスプログラムを作動させた航法制御装置は、レーダーに映る衛星に向かって確実に近づいていく。状況が許せば、完全自動航法も可能な航法制御装置とKC-4Bの組み合わせは、それ自体がひとつのロボットとも言える。ロングレンジレーダーと、近接レーダーを備え、あらかじめ対象となる衛星の情報を与えれば、完全無人航行も可能となっている。もっとも、カメラからの光学観測、分析能力はあまり高くないため、接近相手の情報が乏しい場合には、今のところ完全自動化は難しい。
「よし、近づいてきた。横付けするわよ」
「了解、距離300m、右下です」
 航法制御装置から制御を取り上げ、黒田が操縦桿を操作する。右手のスティック型の姿勢制御装置を操作して、ジオスコープ2の傾きとあわせ、そのまま惰性で近づいていく。
「ようし、もうちょっと」
 ちょんと操縦桿をつついて、微妙な速度を調整。そして、いくつかの動作を経て、KC-4Bはジオスコープ2から、50mの点で静止した。
「ようし、到着、内之浦、接近作業終了、距離50mでホールド中、次の指示願います」
「内之浦、了解、1時間の休憩後、衛星格納作業を予定しています。手順については後ほど送りますので、休憩に入ってください。」
「あれ?」
 内之浦の通信担当者が、いつのまにか男性から女性の声に変わっている。聞いたことがあるなと一瞬首をひねった後、声の主に思い当たる。
「相沢さん?」
「はい、通信担当替わりました。今からは私が通信を担当します。よろしくお願いします」
「あー、美奈子ちゃんだ、はろー」
「あ、黒田さんもよろしくお願いします」
「美奈子ちゃんもおつかれ、じゃ通信担当しっかりお願いねー」
「は、はい、よろしく...」
「よろしく、それじゃ、JC8621休憩に入ります。次の通信は04:30 以上」
「内之浦、了解」
 接近作業はさすがに疲労するのか、黒田は通信終了と共に、シートに体を引っ掛けて目をつぶる。
 修理作業はミッションスペシャリストの木原の役目であり、もっとも重要な仕事のひとつである。修理作業が始まれば、木原もなかなか休めなくなる、この後の作業のため、木原も目をつぶることに決めた。

 しゅっ、という小さな音と共に、エアロックに残されたわずかな空気が逃げていく。木原は、ハッチをゆっくりと押し上げて、KC-4Bの後部貨物室に降り立った。すでに開放済みの後部貨物室からはほんのわずか地球が顔をのぞかせているのが見える。木原が身に着けている銀色の反射材が塗布されたごく薄い宇宙服は、直射日光による高温を防ぐためのものである。宇宙用に整備されたギガテックス義体は、真空には十分対応している。しかし、何もさえぎるもののない空間では、太陽の直射光は人工皮膚を焼き焦がすほど強力であった。
 頭部を保護するヘルメットと腰につけたいくつかの道具類を除けば、裸とほとんど変わらないくらいに体のラインが露出している。もう船外作業を何度かこなした経験を持つ木原は、大きく盛り上がる胸と尻を特に意識することもなく作業を始めた。
「外に出ました。始めてください」
「了解、回収工程に入ります」
 真空中では音は聞こえないが、姿勢制御ノズルが噴射する断続的な振動が、つかまっている手先から伝わってくる。
 横方向の移動から回転方向の移動に変化する。地球に変わって太陽が顔を見せると、周り全体から激しい光にさらされる。その責めにしばらく耐えると、太陽も不意に消え、ジオスコープ2が、木原の頭上に現れた。
「衛星、直上に入ります。もう少し回してください」
「了解、これ位でどう?」
「秒読みします、...5,4,3,2,1、停止」
 停止の声と共にノズルが光る。その光がやむと共に衛星がその場に静止した。
「静止しました。位置も許容範囲です」
「了解」
「衛星格納作業開始します。ロボットアーム展開」
 後部貨物室の横に畳み込まれているロボットアームがゆっくりと伸びてくる。手元のコントローラーで引っ掛けないように注意しながらアームの先端を衛星に伸ばす。命綱が繋がっていることを確認してから、木原は軽く足元を蹴った。
 意外と鋭い速度で衛星まで飛んでいく。衛星直前で、ガス銃を噴射してブレーキをかける。
「アームを衛星に繋ぎます」
 返事を待たずに、アームの先端の金具を衛星の構造材に差し込む。無重力で力が余りかからないとはいえ、衛星を固定する場所はそう多くはない。
「固定完了、整備タグをつけます」
 いくつかのプラスチックのプレートを所定の位置に差し込んでいく。衛星が持つ4点の姿勢制御エンジンはこのタグが差し込まれると燃料が供給されなくなる。暴走によるエンジン点火を防ぐための処置だ。
「タグを付け終わりました。格納します」
 手元のコントローラーを操作すると、ゆっくりと衛星本体が貨物室内へ進む。大きく開いた太陽電池パネルをぶつけないように姿勢を調節しながら、貨物室に収めていく。
 アームを軽く蹴って一足先に貨物室に戻ると、今度は、貨物室の金具に衛星を固定する作業に移る。十分に近づいたことを確認して、アームの力を抜いた。最後の1m程は手でゆっくりと衛星を動かして、取り付け位置にあわせる。無重力といえども、1.5tの質量を持つ衛星を片手で思い通りに動かすのは難しい。義体の高出力で、比較的容易ではあるが、1.5tの慣性を抑えるためには慎重に作業を行わなくてはならない。
 何点かの固定ポイントで確実に衛星が止まっていることを確認すると、始めてほっとした表情を見せる。
「格納作業終了しました。全て問題なしです」
「了解、JC8621より内之浦、衛星格納作業終了、修理作業に入りますか?」
「内之浦、了解、調査工程A始めます。目視による外観チェックをお願いします。 31エリア付近に特に注意してください」
 故障発生時点で、いくつかの故障発生要因はすでに検討されていた。想定されている故障のうち、可能性の高いものから順に要因を突き止めていく。
「目視チェック行きます。11エリア、異常なし、12も異常なし...」
 衛星の外板を見回して、エリアごとに損傷の後がないか慎重に観察する。外観上の損傷は特には見当たらない。
「目視チェック全て終了しました。全て損傷箇所はありません」
「内之浦、了解、故障分析班が検討中です。しばらくお待ちください」
 外からの損傷が無いことで、デブリによる故障の可能性は無くなった。内部の部品の故障の可能性が高い。内之浦の故障分析班はデブリ故障の可能性を削除し、残った内部故障の原因を検討する。
「内之浦よりJC8621、作業を伝えます。調査工程、D2を行います。衛星の電源を入れて、チェックターミナルをシグナルバスに接続する工程です。調査工程D2です」
「JC8621、D2、了解」
 木原が、義体のコンピュータに記録されたデータから工程表のD2を呼び出す。視界内にD2の手順書が表示され、その手順のとおりに衛星を再起動していく。衛星の再起動を確認した後、木原の持つチェックターミナルを衛星に接続、所定の操作で、衛星のコンピュータが記録するエラーログがターミナルに表示された。
「ターミナル読み上げます。メイン推進剤タンク、圧力25、補助推進剤タンク1、圧力0、補助推進剤タンク2、圧力18、触媒タンク圧力5...」
 内之浦の故障分析班とJC8621の木原との間でいくつかのやり取りが行われる。地上ではその情報を元にシミュレーションを行い、故障場所を特定していく作業が行われている。
「内之浦より、JC8621,故障箇所特定したようです。修理工程E31、31エリアのパネルを取り外す作業を行います。あ、その前に、生活班より要請、義体電力残量と、酸素グルコースパッケージの残量を確認してください。これは、2人ともです」
「JC8621了解、木原です、電力残量、60%、酸素残量72%、グルコース残量、40%」
「えー同じく黒田より、電力53、酸素50、グルコース62」
「内之浦、了解、休憩の必要はありますか」
「木原です。今のところ休憩の必要ありません」
「黒田、同じく問題なし」
 相沢が誰かと話している声が漏れ聞こえてくる。いくつかの漏れ伝わってくる会話の後で相沢は通信を再開する。
「失礼しました。作業続行します。修理工程E31、31エリアパネル取り外し作業です」
「JC8621、了解」
 木原が腰のバッグから、工具を取り出す。工程表に指示されている場所の止め具を工具を使って外していく。数点のとめ具を外すとパネルは容易に外れた。浮遊するパネルを針金で別の場所に結わえて、パネルを外した衛星の中を覗き込む。
 チタンやアルミ合金のパイプが走り回っている内部で、違和感のある変色が確認される。ふと気づいて、外したパネルの裏側を見ると、何かが吹き付けられたような変色がある。
「JC8621より内之浦、衛星内部に変色あり、何かが漏れたような跡があります」
「内之浦、了解、えー、はい、カメラ撮影できますか、映像送信お願いします」
「準備します」
 カメラを有線でKC-4Bの貨物室内のソケットに接続する。カメラについている照明灯も点灯させ、内部を照らしながら撮影していく。黒田が操縦席から、映像信号を内之浦へ送るように手はずを整える。
「内之浦、みえますか?」
「内之浦よりJC8621、映像来ています。見える範囲をぐるっと一回りしてください」
「JC8621、了解」
 カメラを全体が見渡せるように前景を入れてから、近づいて全ての部分が入るようにカメラを動かす。
「JC8621,故障分析班が話をしたいといっているのですが、代わっていいでしょうか」
「了解、代わっていいですよ」
「ありがとうございます、故障分析です。左側の縦に走っているパイプですが、ええっと、黒っぽく変色しているやつです。それは、損傷しているのでしょうか、それとも他のパイプの損傷で、変色しているのでしょうか、わかりますか?」
「確認します」
 対応するパイプの周りをじっと観察する。パイプの変色は回り全部に広がっている。むしろその出所はそのパイプではなく、奥のところからの何かの漏れが、そのパイプに付着した可能性が高い。
「そのパイプの損傷ではなさそうです。あ、そのパイプではないのですが、後から損傷した可能性があります。亀裂らしいものが見えます。破れてはいないようです」
「映像送れますか」
「送ります」
 カメラを問題の場所に向けて、わかりやすいようにズームする。その映像は若干の遅れを伴って地上に送られるはずである。
「亀裂出てますね、わかりました。あと、元になった漏洩位置はわかりますか?」
「こちらからでは、見えにくいところからのようですね。そこから、パネル側に吹いたような跡があります」
 じっと奥を覗き込むが、他のパイプや機器の陰になっていて、漏洩位置は見えない。見えないなと姿勢を変えていくうちに、ふと視界が白っぽいもやのようなものでさえぎられかけていることに気づいた。
「なにか、ガスが漏れているようです。何か白いものが広がっていきます。」
「え、まだ何か漏れていますか!」
 驚いたような声が届けられる。白いもやはその濃度を増していく。
「全てのバルブは閉じているはず、タグもついています。対処の指示願います」
 一度開放されたガスは、その勢いを増していく。勢いが勢いを呼び、ついにはガスの流れがわかるほどの密度となって噴射する。
「直ちに、離れてください。推進剤の可能性があります。」
「了解」
 床を蹴って、貨物室から飛び出す。しかしいくらも行かないうちに命綱で引き戻される。
「命綱外します。」
 返事を待たずに、命綱のラッチを外して放り投げる。ガス銃でさらに加速し、ハッチの影に入り込む。
 衛星のロケット燃料は、機器の複雑さによる故障を防ぐため、点火や混合の必要性がない1液型ロケット燃料を使っている。その燃料と触媒をあわせれば、自然に点火するようになっている。また触媒が無くてもわずかな刺激があれば、容易に点火させることが可能である。
「ロボットアームで、衛星を放出してください。急いで!、爆発の可能性あり」
 返事無しで、ロボットアームが大きく動き出す。操縦席から黒田が操作するロボットアームは、想像の出来ない速さで衛星を適切につかんで持ち上げる。しかしその努力が実を結ぶことは無かった。
 
 放出する直前、衛星の周りを漂うロケット燃料は、青白い光に変化し、その莫大なエネルギーを放出した。そのエネルギーは、無事だったメイン推進剤も餌食にして、新たな爆発を引き起こす。補助推進剤タンクとは桁が違うメイン推進剤タンクの燃料は、爆発と共に、KC-4Bを炎の海に変える。それだけではなく、爆発の衝撃と破片が、KC-4Bの貨物室を引き裂いた。ハッチの影にいた木原は、ハッチがそのエネルギーを受け止め切れずに四散したと同時に、爆風で宇宙に放り出された。
 
 直前まで、故障箇所を映し出していたカメラが、爆発の瞬間を内之浦へ送り続けた。その直後、通信途絶。声も無く、その映像を見つめるNAXA担当者。最初にわれに返ったのは誰だったのだろうか。気が付くと、相沢美奈子がJC8621に呼びかけを行っていた。
「JC8621,応答願います、こちらは内之浦宇宙センター、JC8621応答願います」
 運用計画総指揮を務める後藤は、しばらくの放心状態からいち早く立ち上がった。
「非常事態を宣言する。全職員を集めろ。情報収集、状況を出来るだけ早急に把握しろ」
 コントロールセンターの各部署はいっせいに動き出した。
「飛行計画班、乗員が無事だった場合の救助計画を再検討、考えられるだけの条件で救助計画が実行できるように考慮せよ」
「飛行計画班、了解しました。元の救助計画とあわせてプランを再調整します」
「観測班、考えられる限りの観測方法で目標を観測、情報収集」
「もうはじめています。まもなくカナダの天文台のエリアに入ります。観測を依頼中」
「通信班、通信状態は回復できるか?」
「回復は絶望的、JC8621の通信機能に障害が発生した模様です。反応ありません」
「くそっ!」
 後藤は手を握り締めた。直前の映像がリアルタイムで入り、それを見る限りでは、機体が無事ですむはずがない。彼女たちにも被害が発生しているはずだ。しかも、無事だとしても通常の遷移軌道では3日は必要である。できるだけ早く打ち上げるとしても、準備に最低1日、合計で救助には4日かかる計算になる。それまで持つか? 酸素グルコースパッケージ、または電力、そのどちらかが底をつけば終わりだ。機体が無事であれば、その両方が供給できる。しかし、機体の損傷がひどければ、あとは義体本体の生命維持装置の容量に頼ることになる。
 何か打開策がないかと、あたりを見渡す。先ほどまでの、どちらかといえばけだるい雰囲気と打って変わって、管制室では緊張感と絶望が同居している状態であった。いつもならば管制室に研修と称して出入りしている相沢美奈子、彼女の笑顔は管制室の緊張感を解きほぐす癒しとなっていた。しかし、彼女らとの交信を務める相沢は、返事のない相手に必死に呼びかけを続けている。
 「!!!!」
 後藤はその相沢の表情を見てぞっとした。その表情は能面のような凍った表情。脳改造により最大限に感情を消去された人形の表情であった。

「?」
 視界の隅で赤い光点が点滅している。暗闇の中、手足の重さを感じない感覚遮断を思わせる静けさ。また夢の世界に戻ろうとして、ほんのわずかの違和感に引っかかる。何だっけ、と記憶を探ろうとするが、また意識は闇に引き込まれそうになる。ああそうだ、爆発事故だ、もやのかかった記憶は少しずつ思い出されていくが、なんとなく棒読みのような意識に実感が付いていかない。
「爆発事故で吹き飛ばされたんだ...」
 声に出していってみる。自分と関係ない世界のような出来事に感じる。義体は許容量をはるかに越える衝撃に、感覚のほとんどを切り離した。今感じるのは、無重力も加わってぬるま湯につかったような刺激のない感覚。
「戻らなきゃいけないね」
 このまま、意識が消えてしまってもいいような気がしたが、義務的にどうやって戻ろうか考える。戻れないなら仕方がない。そのときは、胸のカバーを開けて体液のチューブを引き抜けばよい。それで苦痛もなく意識を消せる。
 自室で一人になったとき、何度も心の中で反復したもっとも苦痛のない終わり方。義体になる原因となった事故、生きたまま、意識のあるままに腰から下を引きちぎられた壮絶な経験からすればたいしたことはない。
「う」
 重い義体を意識しながら首を回してみる。いつもより重く感じるが、義体はその動きを受けて全身の稼動レベルを上げていく。動作のフィードバックゲインを自動調節。何度かの動きでいつもの軽さに戻った。
 軽く足を振って体の自転を止める。姿勢があまり動かないように注意しながらゆっくりと見回してみる。
 視界内にはKC-4Bとはっきりわかる物は見えない。10キロも離れれば背景の星とは区別が付かない。これ、と決めたものをじっと観察し続けて始めてわかる程度である。木原の義体に搭載されている義眼はズーム機能があるが、このたくさんの星の海でどれにあわせればよいのだろうか。
 目でKC-4Bを探すのをあきらめ天測をやってみる。目立つ星を数点視界の中でプロットし、現在位置と角度、そして義体内の時計から現在位置を計算する。義体のサポートコンピュータは若干の時間の後、現在位置の結果を出力した。
「そんなに離れてはいない。高度も変わってないようね」
 出力された数値は、衛星捕獲直前までにらんでいた軌道データとほとんど変わらない。ということは、衛星ともほとんど変わらないということである。もっとも先ほどの爆発で、相手のほうがあさっての方向に行ってしまう可能性も無いわけではない。
 しばらく待ってからもう一度同じ作業を繰り返す。先ほどのデータから自分がどの方向に移動しているのかを計算する。細かい計算をする必要があるが、計算自体はサポートコンピュータを使える。思ったより相対速度は小さいはずだ。計算で出た速度と方向、そして、手元にあるガス銃の残量を考える。腰のパックにあるガスの残量は満タンでもたいした容量ではない。
「やってみるしかないわね」
 慎重にガス銃を移動すべき方向の逆方向に構える。容量が少ないから、出来るだけ効率的に使わないとすぐ空になる。木原の目が黄緑色に光った。目の中では、先ほど測量した方向とガス銃を向けている手の方向が表示される。進行方向に背を向けて腹の真ん中から銃を構える。重心を一致させ回転を防ぐためである。
 じっと目の中の座標枠を合わせる。手首の方向と目標位置を慎重に合わせていく。
「よし、いくわよ」
 ぎゅっとトリガーを握り締めると、ガス銃は目に見えないガスを噴射、10秒で自動停止。方向が間違っていないことを確かめ、再度噴射、また10秒で停止。通常の船外活動では長時間噴射するようなことはありえない。ガス銃の安全装置である。何度かトリガーを引き、ガスの残量が1/3ほどになったところでいったん噴射をやめる。これで、一応近づくだけの速度は得たはずである。あとは運良く視界内に入ったら、その方向に向かうだけのガスを残しておかなくてはならない。ガスが空になってしまえば、たとえあと10mでも永遠に近づくことは出来ない。
「ああ、星がいっぱい」
 今は地球の影に入っている。何もすることがなくなった木原は、またぼんやりと星の海に視線をさまよわせる。夜の地球の右上が少し明るくなってきている。もうじき太陽が顔を出すのだろう。今は太陽の責めに身を隠す方法がない。あるのは反射材を塗布した薄いスーツだけ。何箇所か小さな裂け目が見える。体を回転させれば何とかなるがあまり歓迎すべきものではない。
 太陽が顔を出し始めた。強烈な光が圧力を伴うように木原の全身に降り注ぐ。その光が一瞬だけ途切れて再び光の渦が木原を襲う。
「?」
 今の影はなんだろう。その理由はそう多くは考えられなかった。一瞬、船が太陽との間を横切ったのだった。木原の目が太陽に向かった。3重の遮光シャッターが目の中で展開される。
「船だ」
 傷ついた船は太陽を背にゆっくりと軌道上を回っていた。太陽の光で黒点にしか見えないKC-4B。木原はKC-4Bと自分との速度差を考慮して慎重にガス銃を噴射する。ゆっくりと近づいてくる傷ついた船。残りわずかのガスを一瞬だけ噴射すると木原の正面にまっすぐに近づいてくる。後部ハッチをとめていたもう骨だけの構造材に手を伸ばし、しっかりとキャッチする。
「おかえりなさい」
 無線機が始めて意味のある声を伝えた。もうKC-4Bが帰還に使えないことは明白だった。しかし木原は微笑して答えた。
「ただいま」

 黒田は爆発の衝撃で変形した機体にはさまれ動けなくなっていた。居住区との区画は爆発で破られ操縦室もろともに焼け焦げていた。木原は黒田を助け出したが左手左足は使用不能になっていた。
「よかったといえるかどうか...でも最後のときに仲間がいるのは心強いね」
「ええ、あと何時間持つのかわからないけど」
 改めて、酸素や栄養の残量を調べてみる。
 木原の酸素、電力は30%程度残っているが、グルコースはわずか10%、黒田は電力の残りが少ない。
「少し長生きするつもりがあるなら、私のパック外していいよ」
「かんがえとくわ」
 もちろん、人の酸素グルコースパッケージを取り上げてまで生きようとは思わない。それにそうしたとしてもせいぜい、1日余計に生き延びられるかどうかというところである。
「地上と連絡が取れればいいんだけど」
「電力も完全にストップしているからね、生き残ったバッテリーがあるか調べてみようか」
 もちろん燃料電池は完全にストップしている。後はいくつかの化学電池が生き残っているかどうかである。操縦席の後ろ、居住区の下に当たる部分に、航法制御装置などのコンピュータや補助電源装置のバッテリーが置いてある。残念ながらバッテリーが残っていたとしても義体の充電には使えない。同じ直流電源ではあるが電圧が違う。電圧を変換する機器はすでに使えなくなっていた。
「これは、使えるかな」
 テスターのひとつもあれば電圧を計れるが、そんなものはない。バッテリーの配線の一部を切り落として銅線をさっとあててみる。ぱちっと火花が散って電圧が残っていることを確かめた。
「つかえそう」
「それじゃ、こっちにつなぎましょう」
 比較的損傷の少なそうな通信機からケーブルを出してバッテリーに繋ぐ。これは中利得アンテナの通信機だ。このタイプなら国際宇宙ステーションで使用するバンドに対応可能である。
「アンテナ動かすね。」
 黒田が片手片足の状態で、器用に外を伝ってアンテナまでたどり着く。木原は通信機の電源を入れた。
 電源ランプが点灯しいくつかの表示機が動作を伝える。一部の表示器は動作しないが最低限の通信には何とかなる。
「アンテナの前に行かないように注意して」
「了解」
 ヘルメットに内蔵された無線機から独特のフェージングノイズが聞こえてくる。記憶に残っているチャンネルを設定して、ゲインを調整する。
「入った、今なら...ええっと」
 一瞬英語らしき声が入る。ちらりと地球を見て、国際宇宙ステーションがどの方向にあるか考える。
「カシオペア見える?」
「見えるよ、そのちょい下でしょ、向けるね」
「お願い」
 黒田がアンテナを動かすと、ノイズの海から音声らしきものの通信がだんだん大きくなっていく。通信機が信号の存在に気づくと、その信号に自動チューニングを行う。
「...NACA地上局、こちらは、国際宇宙ステーション...」
 突然、音声がクリアになる。
「取れた!」
 木原は目をつぶって深呼吸するようなしぐさをした。落ち着いたところでそっと送信ボタンを押す。
「メーデー、メーデー、こちらは日本国NAXA所属、JC8621 、メーデー、メーデー、こちらは日本国NAXA所属JC8621、応答願います」
 ざわついていたチャンネルが静かになる。
「こちら、国際宇宙ステーション、機体番号JC8621メーデー確認、間違いないか」
「イエス、JC8621、緊急事態を宣言します」
「そちらの状況はどうか、優先順位はそちらの判断でかまいません」
「ありがとう、JC8621、衛星修理中の爆発事故発生、機体は大破、帰還不能と思われます。乗員2名共に生存中、ただし、電力、生存交換品の消滅のため、長くは持ちません。この通信も、バッテリー残存電力による仮復旧のため、そう長くは持たないと思われます。どうぞ」
「了解した。関係部署に送る。この通信を維持できるか?」
「バッテリーの残量不明のため、稼働時間不明です。出来るだけ通信を維持します」
「了解、このチャンネルは、JC8621の専用チャンネルとして固定する。このチャンネルを使用しているほかの局は別チャンネルを使用するよう要請する」

「生存確認です」
 NAXA管制室に入った連絡は管制室のスタッフを沸かせた。この連絡を受け、内之浦宇宙センターは国際宇宙ステーションとの専用回線を設置、ギガテックスコスモサービス及びギガテックス本社により生存限界の分析が行われる。
 しかしその結果は芳しくなかった。あらゆる手段を考えて生存時間を延長する検討が今も継続中である。
「NAXA管理部より連絡、現在準備中のKC-4B,MR-200、そして、試験飛行計画中のCC-24Aの3機が救助に使用可能との連絡です」
「荷主の気象庁と話がつきました。今発射台にあるH-2C型打ち上げロケット使用可能です」
 打ち上げ準備中の機動往還機や打ち上げロケットを使用しても良いという申し出はありがたいが、問題はそれだけではない。彼女たちの生存はおそらく24時間程度、生命維持装置がどんなに節約しても48時間が限度であろう。大型の機動往還機で極機動に行くためには時間がかかる。軽量の衛星で直接極機動に打ち上げれば2時間で極機動に達するが、最終誘導が出来なければ結局は彼女たちには届かない。最終誘導が出来る衛星なんて今この瞬間には世界中のどこにも無い。そんなに難しいわけではないが、今から開発しても突貫で一週間はかかるだろう。必要なのは今すぐ使えるものだ。
 H-2Cで燃料を輸送し軌道上で機動往還機に燃料補給、余裕のある燃料を使い切って出来るだけ早い機動で極軌道に達する。これが飛行計画班が出してきたもっとも早く到達するプランであった。しかし、それでも燃料タンクとランデブーして、燃料補給だけで6時間余計にかかる。計算では50時間、悩んでいる時間はない。すでにそのプランで打ち上げ準備は進んでいる。もうひとつ問題があった。爆発時の破片がどのくらい放出されたかということである。宇宙空間では空気抵抗が無いため、爆発時の破片はそのままの速度で軌道上を回っている。救助機がそれによるダメージを受ける可能性があった。いや、光学観測の結果では、破片の量は非常に多い、破片と衝突する可能性のほうが高かった。
 相沢は管制室の隅に小さくなって座っていた。少し放心したような顔つき、事故直後の人形のような顔つきではなくなっているが、まだ戻りきってはいない。その彼女が管制室の正面パネルを見ては、下を向きぶつぶつと何かつぶやいている。やがて、何か決心したような顔つきで顔を上げると、運用総指揮の後藤の元に向かった。
「あ、あの」
「どうした、なにか」
 後藤の周りでは各担当者が激しいやり取りを行っていた。出来るだけ早く打ち上げたいが、やらなければならないことはうんざりするほど多い。
「あ、あの、....」
「いいたいことをまとめてからきてくれ、また後で」
 後藤は、別の人間とのやり取りを再開しようとする。
 相沢美奈子は、ぐっと息を呑むとはっきりと言った。
「私を救助機に乗せてくださいっ」
 周りの人間が相沢を見つめる。その視線に耐えながら相沢はさらに叫ぶ」
「あ、あの、救助機はデブリで危険です。機体が故障すれば、生身の人は死んでしまいます。わ、私なら、真空でも大丈夫ですし、宇宙事業者の勉強もやっています。事故にあった二人ともよく知っています。だ、だから」
 胸を張って答える相沢、でも足はがくがくと震えていた。
「だから?」
 すっと、息をすって答える。
「だから、わたしを乗せてくださいっ。お願いですっ。がんばりますからっ!!」
 後藤は相沢をじっと見詰めた。厳しい表情がわずかに緩んだように見えた。しかし後藤は静かに相沢に答える。
「却下させてもらう。そうだな、野口君、相沢さんを説得してくれ」
「わかりました」
 後藤の補助をしている野口が相沢を外に連れ出した。黙って付いてくる相沢、適当な芝生に腰を下ろすと、相沢に近くに来るように手招きをする。
 ぺたんと力が抜けたように座り込む相沢。視線を合わせようともしない相沢に野口が静かに語りかける。
「話すのは久しぶりだね」
「......」
 返事をしない相沢に、仕方ないとばかりに野口が話し続ける。
「実を言えば、君のように救助機に乗り組む申し出をした人は、君以外に何人もいてね、たしか、今までに10人越えてた」
「......」
「それも、完全義体者だけじゃない。普通のパイロットも申し出てきたよ。あまり言ってはいけないと思うけど、NACAの有名なパイロットも連絡してきたんだ」
「それで、誰がのりこむんですか」
 始めて口を開く相沢、その声は少しかすれている。
「誰も乗せない」
 少し強い口調で断言する。
「え、」
「誰も乗せない」
「救助にはロボットを使う。ギガテックスの新型AIを搭載したあやめ型ロボットを乗せる予定だよ。すでに整備を終えて、直接内之浦まで空輸中だ」
「なんで...」
 意味を理解するのにちょっと時間がかかり、理解した後は野口に食って掛かる。
「なんでロボットなんですか、それなら私のほうがいい。ロボットで救助に失敗したらおしまいじゃないですか!」
 相沢に押し倒されてガツンと後頭部を地面にぶつける。顔をしかめながら野口がもう一度続ける。
「いや、誰も乗せるわけには行かない。」
「君も知っているように、デブリで現場は危険な状態だ。デブリが致命的なところにあたったら、犠牲者がさらに増えることになる。そのときは木原、黒田の二人も致命的だが、最悪の場合でもこれ以上犠牲者を増やすわけにはいかない」
「そんなことって...私は事故にあっても平気です。死んでもかまいません」
「申し出てきたパイロットはみんなそういったよ。死ぬのは怖くない。手を差し伸べられないのがつらいとね」
 ゆっくりと体を起こして、頭を振る。
「とにかく、われわれは全力で救助の方法を考えている」
 野口が相沢の目を見た。
「相沢さん、救助機が到着したときに彼女たちが生きていたら、通信担当が必要だ。たすけてくれるね」
「......」
 相沢からの返事は無かった。しばらく待って野口は静かに立ち上がる。
「それじゃ、僕はいくから」
 じっと座り込んだまま動かない相沢、その顔に表情はない。ただ座り込んだまま静かに肩を震わせていた。

「ロボット到着しました。各種チェック終了、搭載承認お願いします」
「搭載を承認します。JC8601への搭載を急いでください」
「了解」
 ロボットAI研究員の須永が手早くロボットのチェックを行う。ロボット自身の助けを借りながら必要なチェックを済ませると須永はあやめに話しかけた。
「二人の命を助ける大切な仕事です。がんばってください」
「わかりました。」
 柔らかな笑顔を見せ宇宙往還機に乗り込むあやめ型ロボット。その姿は大人の女性と変わらない。出入り口から姿を消す瞬間、笑顔で小さく手を振る。
 須永も、そして他のスタッフも思わず笑顔で手を振った。出入り口が閉じた後全員が再び顔を引き締める。
 JC8601が、エンジンに点火、滑走路までの移動を開始した。

 
「横浜国大から連絡、極軌道への最適化プランです」
 後藤の下に新しいプランが送られてきた。KC-4Bはまもなく離陸を開始する。大幅な変更の余地はもうない。
「飛行計画班は了承したのか?」
「飛行計画班の確認済みです。かなり画期的な案です」
 後藤が電話を取る。飛行計画班を呼び出す。
「飛行計画、後藤だ、このプランを簡単に説明してくれないか」
「わかりました。えーっと、一言で言えば、大気圏内でエアターンする計画です。鋭い楕円軌道に乗って、大気圏を掠める軌道を取ります。そして、大気圏を掠める瞬間に大気と主翼を使って90度ターンし、一気に極軌道に入ります。想定必要時間は12時間、12時間で極軌道に乗せることが出来ます」
「何か問題点はあるか?」
「問題点は、大気圏突入時の機動にあります、大気の影響による高温とその間の急激な機動は最大10G程度と予想されます。KC-4Bのスペック上は耐えられると予想していますが、旋回Gと高温が同時に来るため、実際に耐えられるかどうかは未知数です」
「わかった、河原崎重工の担当者に問い合わせろ、出来ればシミュレーションもやってくれ。問題が無ければプランを変更する」
「了解」
 これだ、と後藤は思った。決して裕福で準備万端とはいえない日本の宇宙開発。七転八倒した挙句にほんのわずかの隙間にぴたりとはまるようなアイデアを、死に物狂いでひねり出してくる。横浜国大という言葉でふと思いついた顔があった。おそらくあいつだ。一緒に仕事をしたことはないが新進気鋭の技術者である。うまくいけばいいのだが、その顔を思い浮かべながら後藤はそんなことを考えた。
 
 電圧不足により中利得アンテナの通信機が沈黙する。しばらくバッテリーを休ませて電圧が復活するのを待たなければならない。受信だけならもう少し可能だが送信にはかなりの電力が必要である。
「あと、一回が限度かな」
 黒田がバッテリーをつつきながらつぶやいた。
「もう送信は終わりかな。それに、私もグルコースが底をついてるから、もう義体の予備タンクでおしまいね」
「こっちも同じ、電力限界までもうすぐ、電力尽きたら待機モードで寝ると思うけど、そのときはよろしく」
「はいはい、こっちが餓死するのとどっちが早いかわからないけど」
 腕組みをして考えるふりをする黒田、最後のときが目の前に来て、それでも心が沈まないのは黒田の行動のせいだろうか。木原が沈んでしまいそうになりながらも、なぜか黒田の行動でそれを忘れてしまう。
「木原ちゃん、すこしマジな話いいかしら」
「なに?」
 黒田が、片手で木原の周りを回る。
「実際のところ、木原ちゃん、義体になってどうだった?」
「どうっていわれても、選択肢無かったわよ。災害で義体に変えられただけ。それも誰も決定してくれる人がいないから、有無を言わさずにね。」
「そうだね。はっきり言って、義体にならなけりゃそこで死んでいたわけでしょ。それが今まで余分に生きている。誰かがくれたこの時間、楽しかった?、つらかった?、地上はがんばっているみたいだけど、私がおしまいになるまでに聞いておきたいな」
 黒田がじっと木原の目を見た。言葉は軽いが、表情は真剣である。
「そうね、正直言って、つらいほうが多かったのかな。でも、そういうことあまり考えたことない。亡くなった両親の分まで生きていかなければならないと思っていたから」
「なるほど、そういう考え方もあるか。どちらかといえば義務感で生きてきたということ?」
「そうなるのかしら、精一杯がんばってきたから本当にあまり考えてきてなかった。相沢さんに付き合って少し振り向くことが出来たかもしれない」
「美奈子ちゃん?」
「ええ、密林の藪漕ぎやらされたわよ、面白いこともいっぱいあった...ぐっ...初めて自然が美しいなんて感じた。生きていることがすごいことだと思った。緑の葉っぱが心にしみた...」
 何かが胸につかえて言葉が出なくなる。でもなにかにせかされるように言葉が無理やりに押し出されてくる。
「生きているのよ、密林の葉っぱも虫も、木も草も、海だって何だって生きているの。でも私はその中にいないの。みんな精一杯生きて死んでいく。でも、でも、私は、自然に生きて自然に死ねない。もっと生き物のように死にたい!」
 義体のサポートコンピュータが異常な興奮を検知して、脳内のいくつかの中枢の興奮を下げるように働きかける。ある部分の脳はそのとおりに興奮を抑えるが、意識的にか無意識にか、電極のない部分の興奮はさらに続く。
 脳の思考部位、中枢は学習効果の進み具合で変化することが知られている。ある程度慣れると、サポートコンピュータが何かをやっているということが別の部位で認識されることがある。
「サポートコンピュータ、邪魔よ」
 心がコントロールされているということに猛烈な焦燥感を感じる。木原はサポートコンピュータを引きずり出して、壊してやりたい衝動を覚えた。
「あ、やめな...」
 木原が暴走を始めようとしていることを見抜いた黒田は木原を抑えようとするが、電力不足の上に片手片足では押さえきれない。
「こんなものお!、とめてやるう!」
 胸のカバーに手をやろうとする木原、手をかける寸前に異常に気づいたサポートコンピュータは、脳内に鎮静剤を噴射する。すでに何度かの鎮静剤を使用していたサポートコンピュータは、彼女の暴走を抑えるため最後の鎮静剤を全て放出した。電力の節約、グルコースの管理、酸素、体液制御など、プログラムされている全ての方法で少しでも彼女の生存時間を延ばすため処理を続けているサポートコンピュータは、興奮を抑える手段を1つ失った。数秒で薬剤が効き木原の興奮が収まる。サポートコンピュータは、警告をひとつ増やし木原にメッセージを送った。
「ごめんね」
「......」
 興奮によるパニックは、生存性を低下させる。どんなことがあっても、終わりまで生存の努力をする。生きることを放棄したほうが楽な場面はあるかもしれない。それでも生きることを優先する思想、これがギガテックス義体の思想であった。それが良いことなのか悪いことなのかはわからない。悪いことだとすれば、その罪はギガテックス義体の設計者が負うべきなのであろうか。
「落ち着いた?」
「うん」
 木原はうつむいて答える。無線用の電池も残り少ないのか黒田の声もあまり大きく聞こえない。
「よかった、そしてごめん、もう電力限界、待機モードに入りそう。少し寝かせてもらうね。」
「がんばって、また再会できることを祈ってます」
「ありがと、あなたのこと話してくれてうれしかった。パニックなんて始めてみたわ。でもそれであなたのことが少しわかったような気がする。あ、そうそう、サポートコンピュータも少しはいたわってやってね、あいつも何とかあんたを生かしてやろうとがんばっているんだから」
「うん」
「それじゃ、おやすみ...」
 黒田の手から力が抜けた。ふわふわと漂う黒田の体をシートまで運びベルトで抑える。ベルトが止まっていることを確かめると、木原は再度通信機に電源を入れた。
「こちら、JC8621、通信を再開します。こちら、JC8621、通信を再開します。受信局、応答願います」
「こちら、国際宇宙ステーション、受信した、どうぞ」
「JC8621より、各局へ、この通信は、最後の通信になると思われます。現状を伝えます。通信機、電力不足により次の通信の見込みなし、JC8621黒田、義体電力切れにより待機モードに移行、木原もグルコース濃度減少中、まもなく昏睡状態になる見込み、デブリ状況は、先ほどよりは減少しているようですが、依然、危険な状態です。しばらくの間、本軌道に接近しないように要請します。以後、JC8621は送信不能となります。そして...そして、聞いてください、今まで支えてくれた全ての皆さんへ、本当に、本当に、ありがとうございました」
 電圧を示すLEDが不安定に明るさを変えている。電圧不安定で再度停止しようとしていた通信機は、送信ボタンを離したところ何とか弱々しく復活する。
「JC8621、がんばってくれ、すでに救助機は離床した。出来るだけ早く到着する軌道で飛翔中だ。がんばれ!」
 了解、と送信スイッチを入れようとしたが、電力不足からスイッチを入れるのをやめた。
 血糖不足で頭痛が始まっている。送信スイッチから自然に手が離れた。意識が混濁してくる。自分がどういう状況にあるかわからなくなりつつある中、浮遊しないようにかろうじてシートのベルトに体を縛り付ける。そのあとは、どうなったのかわからない。もがき暴れたような気もするが、その記憶を保持する力はもう無かった。

  救助機JC8601は11時間余りで極軌道に到達していた。ロングレンジレーダーで見分けることの出来る破片と交差しない軌道を精密に決定し、細心の注意を払って傷ついたJC8621に接近していく。新たな破片を発見するたびに精密測定を行い、今まで発見された破片も含めてスーパーコンピュータで燃料消費の最も少ない軌道を再計算していく。その作業は囲碁や将棋を計算機で解く作業にも似ていた。
 後藤を含め管制室のスタッフは国際宇宙ステーション経由で送られた最後の送信を全て聞いた。後藤は回避を繰り返す救助機にあせりを感じていた。予定通りにしか進まないのは当然のことだ。しかし、最後の通信を聞いて何も感じない人間はいない。
「後藤だ、ここにいるスタッフ全員に要請したい。なんとしてでも彼女たちを帰してやりたい。よりいっそうの努力をお願いする」

 ロングレンジレーダーに反応するデブリはかなり大きいものであり、必ず回避しなければならない。しかし、ロングレンジレーダーに反応しない微小片でも、相対速度によっては致命的な破壊を引き起こす。近接レーダーと、高解像度カメラ、そしてあやめ型ロボットの視覚センサが接近する微小片の回避を担当する。
 JC8601は上面を進行方向に向けて飛行を行っていた。大気圏突入時に高温にさらされる下面の耐熱タイル部が損傷してしまえば、大気圏の突入は出来ない。上面ならばかなりの損傷であっても、大気圏突入時の高温部と逆方向のため影響が少ない。
 そして、白く塗られた上面部はすでにいくつかのデブリの攻撃を受けていた。後部ハッチの表面タイルが砕けた部分が数箇所、それが知られたとき直ちに熱流体シミュレーションが行われ、内部構造材が最大200度まで上昇することが確認されている。これはかなりのダメージではあったが着陸は可能だと判断された。
「あやめ、直上方向のデブリに特に注意してください、ほとんど動かないデブリはまっすぐ接近してきます。航法制御装置にすぐに伝えてください。」
「わかりました」
 須永が管制室からあやめに指令を伝える。同じくギガテックス本社の技術スタッフが、救出手順の詳しい検討を行っていた。今彼女たちはどの状態にあるのか。どのようにすれば適切にすばやく彼女たちを復旧することが出来るのか。どこをチェックすれば生存が確認できるか。そして、それをあやめにやらせるときの手順はどのようにすればいいか。詳細で莫大なデータが書き出されていく。
 河原崎重工業のKC-4B担当者は、KC-4Bの状態と安全運用限界を詳細にチェックする。デブリによる損傷は想定済み、どの程度の損傷まで運用可能か、回避機動限界はどのくらいか、大気圏突入位置、姿勢、経路はどのようにすればいいか。刻々と伝えられるKC-4Bの運用情報を見守っていく。
「海上自衛隊、ヘリ護衛艦2隻、潜水救助部隊を乗せて、着水予定地点に向けて出航しました」
「NTL.RS所属、スーパーホエールも出航。N市消防のレスキュー部隊を搭載」
「航空自衛隊の観測機も離陸準備中」
「連絡はいりました、海上保安庁巡視船、予定海域まで2時間」
「ハワイ観測所、すばる望遠鏡、観測を継続」
「野辺山、精密測定終了」
 大気圏突入後の着陸地点はいくつかの候補が算出された。船舶の速度では候補海域まで到達する時間がかかりすぎるため、あらかじめ予想した地点に展開しておかなければ間に合わない。

 
 JC8601のロングレンジレーダーが傷ついた妹を検知した。デブリではないかと内之浦で確認しJC8621であることを確かめる。いくつかのデブリを回避しながら近づいていく。それでも検知しきれないデブリがJC8601を傷つける。
「カッ」
 軽い音がしてJC8601の前面シールドにひびが入った。JC8601の前面ガラスは3重張り合わせガラスのため、すぐに穴が開くことはない。しかし、放射状にひびが入り、中層の有機ガラスがえぐられる。
「前面シールド損傷、かなり大きい損傷です」
 あやめが目視で損傷の具合を報告する。内之浦では直ちに検証に入った。
「まもなく、JC8621に到達します。」
 もう目視でも見える位置まで近づいている。
「よし、あやめ、接近作業終了後、エアロックを開放、二人を出来るだけ丁寧に、そして早くエアロックに収納せよ」
「わかりました」
 「JC8601接近作業、機体距離センサで10メートルまで近づき、停止」
 河原崎重工のKC-4B担当者は、航法制御装置と遠隔操作でゆっくりとJC8621との距離を詰めていく。機体と航法制御装置を知り尽くした技術者は、パイロットがいなくても人が動かしているように精密にKC-4Bを操作する。
「静止しました。救出を開始します」
「了解した。丁寧にやってくれ」
「わかりました」
 あやめはエアロックから出るとJC8621にまっすぐに向かった。ターゲットはすぐに見つかった。二人はコクピットだった場所のシートにベルトで留められている。
「ベルトを外します」
 木原のベルトが外され、あやめは木原をエアロックに運び込む。すぐにとって返して黒田も回収。滑らかな作業であった。運び込んでJC8601の居住区のベッドに二人を留めると地上と連絡を行う。
「救出を完了しました。次の指示をお願いします。」
「良くやった。つづいて二人の充電、酸素グルコースパッケージの交換をやってくれ。」
「わかりました」
 二人の充電ケーブルを電源に繋ぎ、新品の酸素グルコースパッケージに交換する。所定の手順によってあやめは義体の再起動を行った。

「......」
 木原が意識を取り戻したとき、まず視界に入ったのは黒田の姿であった。思わず辺りを探り自分の私物が無いことに気づいて、いままで自分が乗っていたJC8621ではないことを知る。目の前の黒田は片手片足を引きちぎられた状態で、居住区のベッドに留められている。
「助かった?」
 ものすごい勢いでベルトを外し操縦席へ向かう。そこではあやめが操縦席でなにやら操作をしている。
「気がつきましたか?」
「あなた...誰?」
 笑顔を浮かべてあやめが挨拶する。
「ギガテックス、あやめ型ロボットです。」
 脳波から相手の聞きたい内容を察して、細かい型番抜きでロボットということを伝える。ロボットに拒否反応を示す人間もいるが伝えなければ何も出来ない。
「と、とにかく、内之浦と連絡を」
 とたんに、がつーん、という頭痛に襲われ木原がのた打ち回る。脳が壊死する寸前までの低血糖が続いたため脳のダメージは深い。
「大丈夫ですか」
 あやめが木原をそっと抱きしめる。人工皮膚ではあるが、温かい、そしてやわらかい胸にそっと押し付けられ、激しい頭痛がゆっくりと和らいでいく。
「大丈夫です。皆さんは、今から内之浦へ帰ります」
 あやめは、木原を抱いたまま内之浦への通信を再開する。
「こちらJC8601、木原さんが蘇生しました。帰還作業を続けます」
 いくつかのやり取りを行い帰還作業を続けるうちに、木原の頭痛が何とか動ける程度まで収まっていく。それでも、責めさいなまれる頭痛に耐えながら、木原がようやく顔を上げた。
「あやめ...さん」
「はい」
 微笑を浮かべ、やわらかく答えるあやめに、木原からの拒絶の言葉は出てこなかった。
「ありがとう。楽になったわ。今から帰還なのね。よろしくお願いします」
 木原はあやめに手を差し出した。あやめはそれに対する対処法をたっぷり1秒かけて推論する。
「はい、よろしくお願いします」
 あやめがしっかりと木原の手を握り締めた。
 
 黒田は、充電が完了しても目を覚まさなかった。何か重大な損傷があるらしいが今の状態では原因まではわからない。ただし脳波はあることと生命維持機能は正常に動作していることから、生存している可能性は高いと考えられた。
 問題は前面のシールドの損傷だった。位置的には機体下面の陰に入ることから、高温にさらされることにはなるがこれ以上損傷が広がる可能性は低いと考えられた。しかも高度が高いうちは空気の密度も小さい。ということは熱量もそれほど大きくはない。
 内之浦では木原、黒田は居住区に入り、あやめが大気圏突入シーケンスを行うことを指示してきた。万が一シールドが敗れた場合操縦席に被害が出る。もしシールドが敗れる場合はすでに大気圏に突入しているため、操縦席を放棄し、KC-4Bの航法制御装置で制御が可能である。
 しかし、木原はあくまで自分が操縦することを希望した。大気圏突入の角度と速度は非常にデリケートなため、もし突入失敗で終わることになれば後悔だけが残る。少なくとも自分が最後まで手を下したかった。
 何度かのやり取りの後、シールドが破れた場合には直ちに居住区へ脱出することを、何度も念を押され操縦することが認められた。
 あらかじめ設定された時間とタイミングで帰還シーケンスが開始される。JC8601は進行方向の逆方向にエンジンを向け、軌道速度を減少させた。直ちに進行方向に機種を向け大気圏突入を待つ。大気圏突入速度、角度を正確に合わせなければ、大気圏突入の熱に耐えられない。
 

「居住区に避難しなくてよろしいのですか?」
 あやめが訊いた。木原は操縦桿に手を添えたまま答える。
「結果が良くても悪くても、最後くらいは自分の手で決めたいの。安心して、自殺するつもりはもうないから」
 はねるような振動がJC8601を襲う。上層大気をかすめるときの特有の振動だ。角度をもっと浅くすれば、そのまま大気圏上層部をスキップすることも出来る。
「まもなく大気圏に入ります。角度、速度とも問題ありません」
「了解」
 ぶるぶると機体が振動するまもなく木原の体に重力が戻ってくる。大気によってブレーキがかかり始めたことを示す。少し上に角度が変化した。木原は操縦桿を操作して適切な角度に修正する。
「大気圏突入しました。」
 窓の外が高温のプラズマでオレンジ色に発光する。温度は高いが空気の密度は地上の1/1000、熱容量があるものなら温度は大して上がらない。
 しかし、前面シールドの損傷は有機ガラスに達していた。さらにエアターンによる一度目の大気圏突入を経験したあとの、再度の大気圏突入である。2度目の高温にさらされた有機ガラスは、さらに一層目のガラスが損傷した状態では耐えられなかった。高温のプラズマに炙られた有機ガラスは一瞬白く変色した後、四散した。
 
「前面シールド破損、直ちに居住区へ避難してください。」
「まだ大丈夫、続行する」
 木原は、なおも操縦桿を握り締める。プラズマとなった空気は薄いながら、操縦室の気温をぐんぐん上げていく。
「危険です。退避を勧めます」
 破れた前面シールドから発生する乱流が機体の姿勢を狂わせる。温度は150度を超えた。高度が下がり空気の密度が上がると共に、操縦室の気温は想像を絶する速度で上昇する。
「まだ、離せない。安定飛行に移ってから、このお!」
  木原は暴れる機体を何とかして押さえようとする。乱流が渦を巻き機体が激しく振動している。
「すみません」
 不意にあやめが立ち上がった。振動とゆれの中、あやめがしっかりと歩く。
「ロボットは人間に危害を加えてはならない。 また、 その危険を看過することによって人間に危害を及ぼしてはならない。私達にとって一番大事なこと。決して破ってはならないこと。そうですよね」
 あやめが木原の後頭部にすっと手を伸ばすと、ひとつのプラグを差し込んだ。
「あ、なにをするの!」
 抵抗する間もなく木原の体の力が抜けていく、
 あやめは木原を抱きかかえ、居住区へ運んだ。流れるような手順で木原をベッドにおいてベルトで留める。
 居住区のハッチをしっかりと閉め、あやめが操縦桿を握った。
「大丈夫です。皆さんは、今から内之浦へ帰ります」
 すさまじい高温の中、あやめは機体の姿勢を完全に押さえ込んだ。温度は300度を超えた。黒髪がちりちりと煙を吹き始める。
「もう少しです」
 人工皮膚が変色し、割れた。むき出しの軽金属の関節の潤滑剤が蒸発していく。
 完全に安定した飛行を行うKC-4B、その主翼を役立たせることが出来る高度に達し、初めて十分な減速が出来るようになる。機内の気温は400度を超えたところから減少に転じる。
「通常飛行が可能になりました。航法制御装置に制御を移します」
 KC-4Bの航法制御装置は各種センサーで操縦席がやけただれていることを認識する。操縦席の入力が使えないことを理解して完全自動操縦に移行する。
「ユー ハブ コントロール」
 あやめが、かすれた声で、操縦者の変更を宣言する。空気を大きくつかんだKC-4Bはその声に合わせたかのように、機体を軽く傾けた。それはあやめに対するKC-4Bの答えだったのだろうか。そのときには、もう、あやめは動かなくなっていた。

  成層圏に達したKC-4Bは、完璧な飛行で内之浦を目指す。航空自衛隊のF-22Aラプター、コードネーム「エスコート」はKC-4Bを視認、後方に着いた。
 「エスコートより管制、JC8601は、内之浦に向かって飛行中。目視による確認では、コクピット付近に若干の損傷、飛行には問題なさそうだ。現在は自動操縦中の模様」
 KC-4Bは二人を乗せて飛び続ける。デブリをかいくぐり、電力を供給し、酸素グルコースパッケージを運んだ。そして、二人を抱え、大気圏に突入し、今、静かに成層圏を内之浦に向かって飛行中である。
「JC8601、順調に飛行中、航法制御装置作動中、目標を内之浦に設定し、まっすぐに向かっています」
 太平洋上を九州に向かって飛行するKC-4B、傷ついた妹から、傷ついた2人のサイボーグを託され、飛び続ける。その飛行は、二人の負担を気にするように静かな、そして力強い飛行であった。
 後藤は、内之浦に近づくKC-4Bをレーダーで確認すると、マイクを握った。
「関係各位に通達、JC8601は内之浦に着陸の予定、太平洋に待機中の民間船、護衛艦、巡視船、そして協力していただいた多くの人々に感謝する。撤収を願う。ありがとう。本救助機は内之浦に着陸する」
 KC-4Bが、内之浦上空に到達した。滑走路の周りを1回、2回、旋回して速度を減らしていく。やがて、ファイナルアプローチに入ったKC-4Bは大きく空気をつかみながら高度を下げる。まだ空に未練があるのか一瞬降下速度が落ちた。しかしその思いを振り切るように、静かに、そして滑らかに、KC-4Bは彼女たちを守り切って滑走路に降り立った。

 砂浜の一角が沈み、ぱたぱたと動く黒い生き物が顔を出す。同じところから何匹も何匹も。そこで生まれた命はただひたすらに海を目指していく。ときどき、ほんのわずかのくぼみや盛り上がりに引っかかってもがいているものもいる。
 黒田はそんな一匹をつまみ上げて平坦な場所に移してやる。新たな場所に置かれた海亀の子供は、少し頭を上げて海の方向を探した。
「そうだよ、がんばれ」
 また、必死に海に向かって動いていく海亀の子供に、そろそろとついていく。
「あーっ、危ない」
「足元注意して!」
 相沢が黒田に大声で警告した。木原も鋭く黒田を制止する。
 黒田の進む先にはまた別の海亀が動いている。
「ああ、おっとっと、ごめんごめん」
 まったく、と怒った振りをする相沢、それにはちょっとの理不尽さも含まれる。
「なんで、みんな運がいいのかなあ、わたしは何度来ても、タイミングが合わないのに、木原さんで2回目、黒田さんなんか初めてで、こんなビッグイベントにぶつかるなんて」
「世の中そんなもんよ、わたしだけだったらそもそもこんなとこ来ないから、いわば美奈子ちゃんの運をいただいたようなものよね」
「そうね、わたしだって、こんな世界、正直言って知らなかった。こんな体験させてもらって感謝してる」
「そうですかあ、それにしては、かなりおもちゃにされているような気がするんですが」
「そんなこという子は、こうしちゃうぞ」
 ぎゅっと相沢を抱きしめて、胸の谷間に押し付ける。手足をばたばたと動かして逃れようとするが、びくともしない。やがてあきらめたのか、相沢が静かになる。
「おーい、生きてる?」
 地上では、一応呼吸をしているが、少しぐらい呼吸を止めたからといって死ぬような構造はしていない。不審に思って相沢の顔を覗き込む。相沢はぼーっとした顔をして自分から木原の胸に顔をこすり付けた。
「おねえたま」
「え!」
 やばいことになったかとあせる木原に、相沢はにっと笑って応える。
「大丈夫です。そっちの方向には行きませんから、でもかんばってできるだけ早く、一緒に仕事したいです」
 穏やかな表情で、砂浜をみる相沢、海亀はもう大部分が海にたどり着いたのか、だいぶ少なくなっている。
「そうね、待ってる。あなたならすぐにやれるわ」
「はい」
 最後の海亀が海に出て行くところを見届ける。海亀は力いっぱい手を広げ、波に翻弄されながらも力強く旅立っていく。その姿は限りなく頼りない。それでいて命の力を示している姿でもある。やがて海亀は波間に隠れて見えなくなっていく。
「がんばれ」
 相沢はちいさくつぶやいた。



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