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イソジマ電工府南営業所、そこではひとつの仕事を終えたケアサポーターが報告に立ち寄る場所でもある。本社がわりと近いこともあり、それほど大きくない営業所では、女子社員がお茶をしているところに割り込んで、八木橋ケアサポーターが担当患者のことについて話に花を咲かせている。
そのほのぼのとした雰囲気をぶち壊すかのように現れた黒い影。
「こんにちはー、府南警察署です」
「あ、はーい、おつかれさまです」
営業所の職員がいつものことということで、営業所エリアの全身義体者のリストを用意する。
「警察ですか?」
八木橋は目の前の女子社員にひそひそ声で訊いた。
「ああ、大丈夫、全身義体者の移動をチェックしているだけだから」
全身義体者は国から多くの補助を受けている。日本の義体技術はかなり高度であり、それ自体が重要機密の部分も多い。そのため、常に技術を持たない国からのスパイ行為にさらされているといっても良い。突然居なくなるようなことがあれば、そんな国のひとつに拉致されている可能性も考えなければならない。また、全身義体者は特殊公務員向けの装備を保有していることから、有事の際の動員を期待されている面もある。ギガテックス義体の場合は契約に動員の義務が書かれているし、イソジマ電工義体でも、協力することが推奨されている。そのため、常に地方自治体で全身義体者の動向が記録されているのである。
「大きい人ですね」
「いつも来る人ね。大河原さんといったかしら、捜査一課だそうよ」
「捜査一課って、義体担当なんですか?」
「さあ、しらない。体格見ればヤクザと大立ち回りしそうな感じよね」
女子社員はお茶を片付けながら、大河原警部補を一瞥する。
大河原は警察のリストと営業所のリストを照合していく。そのリストに何か問題があるのか特定のところを何度もチェックしては頭をひねっている。
「そうだよ、捜査一課はヤクザ屋さんとか公安担当の刑事さんだよ」
別の女子社員が横から口を出す。
「じゃ、悪いことした人を捕まえるひとですか?」
「そうだね、テロとかの潜入先に突っ込んだりするね」
たしかに、そんなことには向いていそうな体格である。というか、ヤクザと立ち回った場合、どちらがヤクザかわからないような風貌である。その大河原が、不意にこちらを向いて女子社員を手招きする。
「すみません、ちょっと確認させてください?」
「はいなんでしょう。」
捜査一課の説明をした女子社員が大河原に向かう。
「えー、この九条さん、九条明日香さんですか、この方はどういう職業に就かれている方なんでしょうか?」
「げっ!!」
八木橋は思わぬ名前にびくんと反応する。いや、びくんと反応しそうになって、寸前のところで平静を装う。あわてて、目の前の女子社員の袖を引く。
「え、えっとすみません、お仕事のことでちょっと」
女子社員を連れて、大河原の目の届かないところに隠れた八木橋はひそひそ声で説明する。
「た、大変です。九条さんが警察に見つかると困るんですが、ど、どうしよう」
「困るってどういうことよ?」
「あ、あの、九条さんって違法改造で、夜に体を売るお仕事で...」
「ふむふむ」
涙目になりながら(比喩)九条明日香のことを説明する八木橋、そのパニックを見て、女子社員は考え込む。
「うーん、絶対とはいえないけど、ま、大丈夫でしょ。他に犯罪しているわけじゃないのよね」
「あ、はい、本人はとてもやさしくて、悪いことをするような人じゃありません」
「じゃ、大丈夫よ、堂々としていなさい」
「で、でも、つかまったらどうしよう」
ひざががくがくと震え力が入らない。そこへ、大河原と女子社員の会話が聞こえてくる。
「九条明日香さんの担当は八木橋さんですね、ちょうどいますよ。呼びましょうか」
「ぜひ、お願いします」
「八木橋さーん、おーい、ヤギー来てー」
能天気な呼び声が八木橋のもとにまで伝わる。
「いや、呼ばなくていいってば、居ないって言ってよお」
小声で反論してももちろん届くはずもない。
「大丈夫だから行ってきなって、正直にね」
ぽんと背中を押されて、大河原の見えるところまで押し出される。
大河原の目の前で、いまさら隠れることも出来ず、愛想笑いを浮かべて平静を装う。 「ど、どーも」
大河原はその巨体に似合わない笑顔を見せる。
「どーも、八木橋さんですか、府南警察署の大河原です。よろしく」
「あ、や、八木橋裕子といいます。よろしくお願いします」
引きつったままぴょこんとお辞儀をする八木橋、肘がスチール棚にあたり、派手にへこんだのはお約束であった。
「コアシティ3階のレイランドオフィスというのが九条さんの仕事場で間違いないですね」
「は、はい」
ほとんど、取り調べを受ける犯人役となっている八木橋は、結局のところ全てを白状させられてしまうことになる。
「わかりました、ありがとうございました。ご協力感謝します」
礼を言って席を立とうとする大河原に、八木橋がおずおずと聞いてみる。
「あ、あの、九条さん逮捕するんですか?」
うーん、と少し考え込む大河原
「犯罪性があれば逮捕することもあります」
警察特有の意味を濁した発言である。死んだ目をする八木橋に大河原はぽんぽんと肩をなでた。
「なにかあったときのために、少し説明しておきましょう」
手帳をぱらぱらとめくりながら、大河原が説明する。
「えー、九条さんはおそらく谷川組傘下の娼婦紹介所に所属しています。紹介所はBlueGeneというスナックですね。なにかトラブルがあれば、そこで消息がつかめると思います。まあ、その手の店は結構ありますが、わりと穏やかなほうなんで危険は少ないと思います」
もう一度ページをめくる。
「えーっと、それから...」
「闇改造業者ですが、谷川組関係としてはおそらく、大府産業だと思います。表向きは機械加工、設計ですが、裏で義体改造をやっていることは調べがついています。違法といえば違法なんですが、凶悪ではないので今のところは泳がせている段階です」
「あー、それから、九条さんに限りませんが、もし何かあったら府南署へ連絡してください。捜査一課の大河原で連絡がつくと思います。それでは」
軽く敬礼をすると頭を下げ、部屋を出る。それをただうなずくだけの八木橋は、大河原が出て行った直後にぺたんと座り込む。
「ふえーん、こわかったよう」
めそめそとしゃくりあげる八木橋に、女子社員の一人はよしよしと頭をなでるのでありました。
大河原は、住宅地に停まっている違法駐車の車の一つをコンコンとノックした。中で寝ている若者が面倒くさそうに窓を開ける。
「なんだよ」
「あー、こういうもんだが、親分さんご在宅ですかな」
胸ポケットからお決まりの警察手帳を取り出し、これまたお決まりのようにいきり立つ若者を手で制する。
「いるんだな、じゃあ、すまんがちょっと伝えてくれや、大河原が来たってな」
「ちょっとまってくれよ」
一戦交えようかという空気を一発で制されたため、意欲を削がれた若者が、10メートルほどしか離れていない組長宅へ、携帯で電話する。
「おい、おっさん、来ていいってさ、庭のほうに回ってくれ、だそうだ」
「わかった、ありがとう」
若者へ軽く頭を下げて飄々と組長宅へ向かう大河原、その足取りはいつもと変わらない。何度か通ったことのある庭先の、何気に鋼鉄製の扉を押し開いて中に入る。
「よお、親分さん、お久しぶりです」
谷川組組長は庭で草取りなんかをやっている。一人のように見えるが、もちろん見えにくいところに何人かの気配がある。
「大河原か、久しぶりだな。最近はあまりみなかったが、なんかあったか?」
「いやあ、青洲会の方に外国マフィアが入ってごたごたしてたんで、こっちに来る機会がなかったんですよ」
「ああ、それは災難だったな、あいつらはうちの縄張りにもちょっかい出してきやがる。それで今日は何だ?」
「お宅の傘下のBlueGeneてご存知ですか」
「女か」
「ええ、なかなかいい娘がそろっているそうじゃありませんか」
「いきたいのか?」
「まさか、女房だけでももてあましている状況じゃあ、女房に殺されますよ」
「はっはっは、違いない、で、その女がらみで何があった?」
「いえね、ちょっとした裏取りなんですが、そこの女で九条という娘がいるんです。その娘が全身義体者でしてね」
「ほう」
「いやあ、うまいこと考えたもんですね。義体女ならいくらやっても出来ませんからね」
それを聞いて組長は草取りの道具を地面に放り出し、タバコに火をつける。
「くだらねえ、そんな機械人形のどこがいいんだか」
そのせりふを聞いて、大河原がにやりとする。
「組長がそうおっしゃる以上、これは組長の差し金ではないということですな」
「あたりまえだ、わざわざそんな厄介なものを置く奴がどこにいる。変なうわさが立てば客が寄り付かなくなるだろうが」
「けっこう指名があるそうです。どうやら、始めから全身義体者として売っているみたいで、それ目当てで変な趣味の奴らが集まってきているようで」
「とんでもねえ、それじゃこの世も終わっちまったようなもんだな」
「そうかもしれませんなあ」
大河原は自分もタバコを一本出して、火をつけて吸い込んだ。
「ふーっ」
組長と大河原が静かにタバコを燻らせている。
「おい」
「はい」
「娼婦関係の面倒は、うちの若頭が見ている。何を調べているんだ。場合によっては若頭を呼び出してもいい」
「いえ、単なる裏取りですよ。全身義体者は普通の人間と違って、生きていく道が極端に少ないんです。道を踏み外すと首をくくることになる場合が多いんです。」
「道か...」
「はい」
「世の中いろんな人間がいるからな。まともな人間ならば、どん底まで落ちぶれても生きるだけは生きていけるんだろうがな」
「義体者も同じ人間ですよ。でも自由に生きていくためには、金がかかります。彼らには落ちぶれるということが許されていないんですよ」
「なるほどな」
「いちおう、警察やら自衛隊やらの義体を生かした特殊用途なら、選ばなければ簡単に就職できるんですがね」
「そんなとこに行きたい奴ばかりでもなかろうて」
「そのとおりです。しかも、大体が体を張った職場ばかりときている」
「命を張るということか、酷だな」
「ええ」
大河原はタバコの煙を思いっきり吸い込んだ。
「それで踏み外していないか、ちょっとばかり周りの様子をかぎまわっているというわけです」
「なにかしらべたいことがあるのか?」
「はい、でも親分さんの様子を見て、義体者をわざと集めているわけではないことがわかりました。強制でなければ心配の一つが解消したことになります。」
「ああ、だがわからんぞ、お前の前ではそういっているだけかもな」
「勘弁してくださいよ、署の連中引き連れてお宅と戦争なんかしたくないですよ。」
「それはこっちも願い下げだ」
大河原はタバコの吸殻を揉み消した。
「それだけか?」
「はい、大体の状況は見えてきました。後は若頭に直接聞いてみます」
「ほどほどにしといてくれよ。やつも最近はだいぶ頭に血が上ることもなくなったがな」
「肝に銘じます」
大河原は組長に頭を下げる。
「それでは、また」
「ああ」
どこから来たのか庭の出口には二人の男が立っている。大河原が近づくと、静かに鋼鉄のゲートを開く。
大河原は小さくお辞儀をするといつもの足取りで立ち去った。
パタン、とドアが閉まったのは、ワンボックスの軽自動車。でてきたのは大河原と同じく、捜査一課の企業捜査担当の西村警部補である。中小の工場が立ち並ぶ一角には他にも軽トラやワンボックスが路駐されているためあまり目立たない。西村は大府産業の看板がある工場の事務所に顔を出す。
「こんちわー、誰か居ますかー」
「はいー、なんでしょうか」
まだ若い見習い職人が顔を出す。西村は軽く警察手帳を出して、頭を下げる。
「すみません、お宅の大将お願いします。お話を聞かせていただくだけですから、いえ、逮捕とかそーいうのではないですよ。あ、府南署の西村といえばわかります」
「は、はい」
ばたばたと駆け込んでいく、若い職人を見送りながら、そのあたりの段ボール箱などを軽く見回す。奥の工場らしき建物には、ダンボールが積み上げられている。そのいくつかには大手金属会社のチタン合金厚板の製品名が記されている。
「ふふん」
待っている間、手持ち無沙汰の時間をつぶすため、なんとなく足がその方向に向いていく。近づくにつれ、この程度の工場ではあまり使わない高品質材料の空き箱が積みあがっていることに気づく。
「ふんふん」
積み上げられた透明のゴミ袋を足先でゆする。小さな空き箱はそれを加工するための超高硬度工具、その数が多いことから、よっぽど精密なものを加工していることが推測される。
「おい、西村さん、その程度でやめてくれんかな」
不意に後ろから声がする。いや、後ろの気配には気づいていたが、知らない振りをして調べ続けていただけである。
「ああ、お忙しいところすみません、いやー、だいぶよさそうな仕事が入ってらっしゃるようで」
声の主は、職人としては今一番脂が乗っていそうな中年男、その男が西村の言葉を受けて不機嫌そうになる。
「面倒なだけで金にはならねえよ。最近は難しい仕事も買い叩かれるばっかりでな」
「それは大変ですねえ、大府さんの技術力もすごいと聞いていたんですが」
「ほんの一部だけさ、だがそれだけじゃ、なかなか」
「せちがらい世の中になってしまいましたからね。ところで、今はどんな製品がでてます?」
「うちのいまの主力は高応力継ぎ手ってやつだよ。最近の機械は何でもコンピュータでどうにかしちまうからなあ機械がめっぽう小さい上に高精度だから、小さくて頑丈な継ぎ手が良く出るな、これはよそにはまねできねえ部品だ」
「ロボットとか精密ですからねえ」
「そうだな、今ではちょっとした仕事はロボットでも出来る時代になっちまっているからな。複雑な機構でついていけなくなりそうだが、とりあえず商売にはなってる」
「ロボットといえば、高性能義体なんていうものもありますなあ」
わざと視線を外し、あさっての方向へつぶやく。中小企業の社長は一瞬息を呑んだ。
「なんのことだ。義体のことか?」
「ええ、義体の修理や改造です」
「ああ、そんなものもあるなあ、うちの部品は義体メーカーにも納入されているからなあ」
とぼけようとする社長に、西村は静かに退路を絶つ。
「義体改造は儲かりますか?」
「ぐっ」
核心を突っ込まれて、社長の息が止まる。しばらくして、社長は低い声でつぶやく。
「どこまで知っている?」
「それは企業秘密ですよ」
「なにを知りたい?、うちも企業秘密ってもんがあるんだが」
「そうですね」
西村は周りを見渡した。しばらく考えながら、社長の目を見る。
「できれば、改造の種類と客の情報ですか。あ、そうそう、消耗品関係の入手ルートも出してくれるとありがたいんですが」
「全部じゃねえか」
「そうかもしれません、お宅の改造の種類によっては警察も協力できると思いますが」
「どんな協力だよ、客のことについては出せねえよ、そういう契約なんだ」
「そうでしょうね、ただ警察としては、客の個人情報を直接捜査に使うつもりはありません。出したことを知るのは私とあなただけです。それに、危険な改造をしない限りにおいては、お宅の違法改造は見なかったことにしますが」
「危険な改造というのが、どんなものかはわからないが、そんなに変な改造はしてねえよ」
「基本的には、暴力行為、刑法犯罪行為を助長する改造の場合は、見なかったことには出来ません。おそらく多いのが売春目的、特殊な性行為に関する改造でしょうか?」
「そうだな、あとは特殊公務員装備の取り外しが多い」
はあ、とため息をついて社長が一歩、二歩とそこらを回る。
「わかったよ、情報を出せばいいんだろ。これでつかまることは無いんだな?」
「はい、刑法犯罪につながらない改造であれば、しばらくは手を出さないことにします」
「わかった、じゃ、こっちへ来てくれ」
社長はある建物に連れて行く
「ちょっとまってな、若いのと話をしてくる」
西村はうなずいて、静かにスーツの下に隠し持つ拳銃に手を添えた。突然、人数を集められて、葬り去られる可能性も無いではない。だが、そんな構えは杞憂に終わる。
「きてくれ」
程なく社長が再び顔を出し、西村を呼んだ。
「失礼します」
そこには若い男2名、若い女1名が、西村をにらんでいた。
「どーもすみませんね、お邪魔でしょうが、少し調べさせてください」
「ほら、これが改造リストだ」
「あ、どーも」
社長が差し出したリストには20名程度の名前が並んでいる。
「後ろにあるのが、改造の詳細ですか」
「ああ、そうだ」
「ちょっと失礼しますよ」
西村はデジカメを見せて、撮っていいかどうか示す。特に返事はない。軽く頭を下げ、リストと改造内容をカメラに収めていく。
「ありがとうございました、ところで、消耗品関係はどうやって入手してますか」
社長も含めた4人がひそひそと話しだす。男の一人が口を開いた。
「義体の機械関係ですか、それとも医療関係ですか?」
「ああ、両方です、わかる限りのことを教えていただけると助かります」
「わかりました、義体の機械関係はほとんどが、普通の機械部品や材料として発注できますので、それぞれのメーカーに注文しています。特殊公務員向け機器は、ほとんどの客が必要としないので、専用機器についてはそのままもとの義体のものを流用するか、使用しないことで、消耗品の問題を解決しています。そして汎用の特殊公務員向け機器の場合は、生活に必要なものもありますが、これも、ほとんど入手可能なのでそれを利用していますし、どうしても手に入らないものは、我々が製作しています」
「わかりました。医療関係はどうなっていますか?」
「医療関係は、私たちがあまり医療関係のルートを持っていないので、補給が難しくなっています。とくに重要なのがブドウ糖カプセル、補充用人工血液、電合成リサイクルフィルタ、補充用各種アミノ酸、脂質、ミネラル溶液等ですが、最低でも薬剤師免許を持っていなければ入手できないものが多いです。これらについては、つてを頼って知り合いの薬剤師から入手してもらっています。ブドウ糖カプセルについては、最近は、規格が近い外国のカプセルを入手して、これに手を加えています。最後に電合成リサイクルフィルタは、イソジマ電工の営業所から横流しされているものを入手しています」
「なるほど、大変ですね」
西村は、電子手帳に書き込みながら、入手ルートを細かく聞いていく。一通り聞き終わったところで手帳を閉じる。
「これは重要な話だと思うのですが...」
「なんでしょうか」
「これらの消耗品をずっと供給し続けていけますか」
社長を除く3人の社員は動揺を隠せない。代表格の男は小さくつぶやく。
「ある程度は供給を続けていけますが、ずっと供給できるかはわかりません」
西村はうなずいた。
「そうでしょうね、5年、10年程度ならお宅で何とかすることも出来るでしょう。でも、それ以上となると会社が続くかどうかわからない。また、担当者である皆さんがどうなっているかもわからない。しかし、それでもお客はいるはずですよね」
西村は静かに立ち上がった。
「忠告しておきます。できれば、これ以上義体改造には深入りしないほうがいいです。だんだん、アフターサービスの負担が重くなって、お宅のような企業では支えられなくなっていきます」
「はい」
「アフターサービスに関しては、ギガテックスやイソジマとコンタクトを取ってみてください。人道的な問題ですから、嫌がるでしょうが最終的には対応してくれると思います。法的な問題もありますが、もし改造をやめる覚悟があれば、私まで連絡してください。関係する部署を紹介します」
「わかりました」
「いろいろありますが、情報の提供ありがとうございました」
西村が軽く敬礼してにやりとする。
「ご協力感謝します」
そのまま、頭を下げて、部屋を出る。外から見た大府産業は心なしか、沈んだような面持ちであった。
ぽーん、という音がして明日香は、入り口のモニターを除いた。まだ、今日のお客の予約の時間には間がある。
「ずいぶん、早いわね」
インターホンのスイッチを押す。
「はい、どちら様でしょうか?」
「ビル管理会社のものですが、室内点検をお願いしています」
モニターから見えたのが、作業服姿の男2名。明日香は寝起きだったせいもあり、あまりよく考えずに男2人を部屋に入れた。
「失礼します」
「どうぞ」
男は部屋の配電盤を覗き込み、いくつかのブレーカーを操作する。
「ガスと水道の確認もしておきますね」
もう一人の男は明日香の後ろへ回り、台所へ向かった。
「ガス?」
このビルは基本的にオフィスビルのため、そもそもガスの配管は来ていない。
「あ、あの、ここはガスはありませんけど」
男が明日香の目の前に不意に現れ、すっと近づく。
「それは失礼しまし...たっ!!」
ざくっ!!、という感触が豊かな胸の間に差し込まれた。特殊公務員装備の一部が取り外された明日香の義体では、簡易装甲となるパネルの一部がついていない。普通の義体の生命維持装置が存在する場所である。
激しい痛みと共に、明日香の視界内が大量の警告文字で埋め尽くされる。
根元まで埋め込まれたナイフはさらに周りのものを切り裂こうと、力が入れられていた。
「あ...あ...」
やっと何をされているかを理解し、明日香は男の腕をつかみ、義体のリミッター範囲で最大の力を込める。
「や、やだ、やめてください」
男二人ともみ合いになり、やっとのことで男たちから離れた。ひきぬかれたナイフの後からは、パイプのいくつかが切り裂かれたのか、人工血液が染み出している。
「あなたたちは、なにもの?」
商売道具のベッドの枕元まであとずさる。男たちは黙って明日香に近づいていく。明日香は義体のリミッターを解除した。
「ぼろぼろの義体者を相手に、何が欲しいのかしら?」
「......」
「欲しいのは、お金なの?、それともこの体?」
じりじりとベッドと壁の間へ追い詰められていく。男は、自分の腰に手を伸ばした。
「銃?、はっ!!」
明日香がもう逃げられないと悟って、目の前の男に体当たりした。リミッターを外された義体は、いつもの動きに似合わないうなり声を上げて、加速する。
「がつん」
およそ人のものではない、衝突音が響く。男が体勢を崩してふらつくが、明日香の義体の全力はこんなものではないはずだ。改造により出力も減少しているとはいえ、リミッターを外せば、100馬力近い出力はある。普通の人間ならそれだけでばらばらになってしまうだろう。
「あなたたちも...義体なの?...」
「ぱすっ、ぱすっ」
立て続けに消音装置のついた銃から銃弾が打ち込まれる。そのひとつが、明日香の肩を貫いた。甲高い金属音と共に肩の構造材と人工皮膚が吹っ飛ぶ。
「問答無用ってことね」
明日香は不適ににやりと笑う。
「それじゃ、せいぜい抵抗するわよ」
ドアに手を回し、銃弾の雨の中、脱出しようと試みる。事務所の木刀をつかんで、投げつけた。一瞬それをよけようとする隙に、外へのドアを開けようとするが、銃弾で足止めされてしまう。
「やあっ」
手元のガラスの灰皿を投げつける。男はもうよけようとしない。鈍い音がして、灰皿が欠けて落ちる。
「万事休す...ね」
もう対抗手段が無い。相手が全身義体であれば力の優位は無い。明日香は壁に張り付いたまま男二人をにらみつける。
「......」
「......」
じりじりと迫ってくる銃口を前にして、無言のにらみ合いが続く。その時間は激しくドアをたたく音で破られた。
「明日香、なにかあったか、返事しろ」
「若頭、マネージャーも...私、います、助けて!!」
商売をするベッドの枕元には、助けを呼ぶためのスイッチがある。ベッドの端へ追い詰められたときにそのスイッチを入れている。
「てめえら、破るぞ」
間もなく、激しい音と共に、ドアが破られる。若頭が部屋に入ると男二人が銃を構えている。
「こんな街中で弾きかよ。野郎どもは下がれ、明日香無事か?」
「なんとか」
「よかろう、おい、落とし前はつけてもらうぜ」
若頭が懐から銃を出す。44口径か、かなり大型の銃である。
「マネージャー、明日香を連れて行け」
「はい」
「撃つなよ、撃ったら、こちらも撃つからな」
ともに、銃を構えたまま、無音の時間が流れる。
「投降しろ、周りはうちの組で固めた。お前らは逃げられねえぞ」
だんだん不利になることに気づいたのか、男たちが動揺し始める。銃口を若頭に向け引き金に力を込めた。
「いい度胸じゃねえか」
若頭も銃の引き金に指をかける。そこへ、邪魔が入った。
「ちょっとまて、若頭、撃つな」
通報を受けた大河原が、警官隊と共になだれ込んでくる。
「配置につけ、銃構えっ」
数人の警官が展開して銃を構える。少し間をおいて犯人に向かって話しかける。
「あー、犯人に告げる。おとなしく投降しろ。周りは確保されている。逃げられはせんぞ」
「......」
「九条さーん、義体緊急信号受信しました、大丈夫ですか」
八木橋が、助けられ座り込んだ明日香のもとに駆け寄る。とりあえず、いつもの補修用品一式の入った大きなかばん
を下ろして、明日香の体を調べ始める。
「うわ、生命維持装置がやられてる。このままじゃ明日香さん死んでしまいます。」
それを訊いてマネージャーが電話をかける。
「あー、大府産業ですか、私です。九条明日香さんが撃たれました。至急修理できる人をよこしてください」
「八木橋です、至急ケアサポーター部を、はい、緊急治療が必要です、故障箇所は胸部生命維持装置、チューブとポンプが破損しています。人工血液漏れで、溢れています」
ぱん、ぱん、犯人が発砲する。大河原は決断を下した。
「構えっ、目標腹部、撃てっ」
一斉射、少し間を空けてまた一斉射、それで犯人は動かなくなる。
「犯人逮捕」
警官が動かなくなる犯人をいっせいに確保した。その横では明日香への処置が始まっている。
「えっ、古堅部長?、私ですか、はい...わかりました。私がやるしかないんですね」
八木橋は、真剣な顔で明日香の顔を覗き込む。
「緊急補修を行います。へたくそなんでうまく出来なかったらごめんなさい」
明日香は微笑を浮かべながら、静かにうなずく。
八木橋は、明日香の透明の保護カバーを外した。本来この部分は特別のパスワードがないと扱えない部分である。ナイフによって無残に開けられた穴が、保護カバーに残っている。携帯電話を耳に当てながら、処置を指示してもらう。
「生命維持装置マスター側からでている6本のチューブのうち、2本が破れています。一本は切断されています。補助側の生命維持装置は断線により機能停止です。はい、まず破れたチューブにパッチを当てます」
かばんから補修用品を出して、チューブに巻いてみる。人工血液漏れにより、ぬるぬるの状態のチューブにはパッチがうまく貼れない。指で漏れを止め、良く拭きあげて、パッチを丁寧に貼っていく。
「パッチを貼りました。はい、今のところはがれてはいません。そうですね、次はチューブの交換ですね」
「はあ」
ある程度の練習はやったものの、実際の作業は始めてである。2本の穴をふさいだだけで、手足が重くなるほどに疲労したが、まだ休める段階ではない。気力を奮い起こして、次の作業に取り掛かる。
「S3型のチューブですか、はい、ありました、これを20cmほどに切るんですね」
切り取ったチューブを持って、古いチューブを外す。液漏れ対策のため特殊な樹脂で接着してあるが、緊急補修のため、新しいチューブは樹脂で固めない。古いチューブを外すと、人工血液がどっと流れ出る。空気をを吸い込む前に、指で押さえた。吐出側に先に差し込んで、チューブ内に人工血液が満たされたことを確認して、吸い込み側に差し込む。わずかに空気が入ったが、ある程度は空気を分離する仕組みがある。しかし、無制限に空気が入れば、分離しきれなくなり、脳にいく可能性があった。
「チューブの交換終わりました。はあ」
たいした作業ではないのだが、神経を使うため、疲労感は大きい。その八木橋に次の指示が送られる。
「あとは、救急車が来るまで、漏れた人工血液の洗浄と電気系統のチェックですね、わかりました」
機械がぎっしり詰め込まれ、入り組んだ義体の中に漏れ出した人工血液がしみこんでいる。背中の方にたまった人工血液は、布で拭き上げ、スポイトで吸いだす。その作業を行いながら、八木橋は明日香に話しかける。
「人工血液の漏れは止めました。多分、これで大丈夫だと思います」
「ありがとう、八木橋さん」
撃たれていないほうの腕で、八木橋の背中をなでる。そのしぐさはとてもやさしいものであった。
大河原は犯人を確保して、九条のもとへやってきた。
「あなたが九条さんですか、府南署の大河原です。よろしく」
「お名前はかねがね聞いております。こちらの八木橋さんからもね」
「修理が完了して落ち着かれましたら、いずれ事情聴取にお伺いしますので、その節はよろしくお願いします」
「わかりました」
「残念ながら...」
「若頭は拳銃不法所持ということでこちらにおいで願わなければなりません」
「これぞというところにでてきやがるがらな、もう少し遅ければ何ということも無かったんだが」
「不法所持で済んでよかったと思ってくださいよ、発砲したらよくて殺人未遂ですよ」
「まあな」
「それにしても...」
大河原は明日香の周りに集まった若頭とその部下、マネージャー、大府産業の職員、そして八木橋を見回した。
「なかなか頼りがいのあるお仲間に恵まれていらっしゃるようで、うらやましい限りですな」
「あら、うらやましいですか」
「ええ」
「わたしは、」
明日香は大河原を見つめた。
「新しく頼りになる人とお知り合いになれたことを感謝していますよ」
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