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 木戸口駅。武南電鉄の駅の一つで都市部から結構離れた場所にある駅。そして 、俺の実家の最寄駅。 何故かあの駅のことを思うと、どことなく胸が切なくなる。
 俺は高校に入ってから電車を使うようになった。中学校は家から自転車で行ける距離だったし、近くにある 大型ショッピングモールに行くにしても、電車を使うよりは自転車で遊びに行く のが普通だった。しかし、俺の入学した高校は隣町で、家から自転車で通っていたら、絶対に遅刻するという距 離にあった。だから、高校は 電車通学。もちろん、通学定期を買って通っていた。
 木戸口駅は、朝と夜だけ乗客が多い。所謂、通勤、通学客というやつだ。しか し、昼間は老人たちがポツポツ 降りるだけのローカルな駅だ。朝と夕方は準急と普通の電車が止まり、昼間は普通しか止まらない。
 木戸口は自然に恵まれた土地だ。しかし、悪く言えば田舎だ。ただ、そんなに 不自由ではない。町としては充実している。 しかし、駅は質素だ。券売機も旧式で、自動改札機も二台だけ。駅員は3人。この3人とも男性駅員。確か駅長の苗字は 養老だったっけな・・・ 白髪交じりの50代前半の駅長。他の駅員さんは、パ ッとしない二人だ。小牧って名前の職員と伊勢って職員の二人。歳は30代半ばくらい。結婚は二人ともしているらしい。田舎の駅の駅員だから、結構顔を覚えやすい。たまに、別の駅員さんがいるが、大抵この三人が木戸口駅にいる。
 そんな木戸口駅を使って2年。丁度、俺が高校三年生の時だったかな・・・  俺の人生を変える人と出会ったのは・・・  それは、5月1日の夕方のことだった。俺は通学定期の期限が今日で切れるから、木戸口駅で定期の更新をしようとしていた時だった。
「ハイ。次どうぞ」
 今日の駅の窓口係りは小牧さん。しっかりした話し方と無精髭が特徴の職員だ。
「すみません。通学定期の3ヶ月分いただけませんか?」
 そう言って、俺は窓口に学生手帳と今まで使っていた定期を出す。武南の定期は カード式。
「3か月分ね。OKOK」
  小牧さんは使っていた通学定期を機械に差し込み、その横にあるパソコンを弄る。
「あれ? おかしいな・・・」
  小牧さんはパソコンの前で首を傾げる。小牧さんは、結構機械音痴だ。この人が定期の更新作業をやると、しばしばこうなることがある。本来なら、伊勢さんがやっているのだが、伊勢さんがいない時などは小牧さんが窓口で定期発行や更新などの作業をしている。俺は、またいつものことかと思いながら、定期更新を待つ。
「うーん・・・ スマン。ちょっと待っててくれ」
  そう言って小牧さんは、席を立ち、奥の部屋に行ってしまった。いつもなら、駅長室へ駅長を呼びに行くのだが・・・ 今日はちょっと違うようだ。
「樽見君。悪いけど、窓口をやっておいてくれ」
 部屋から小牧さんの声が聞こえた。小牧さんの言う樽見という人物・・・ 初 耳の名前だ。どんな厳つい職員が出てく るのやら・・・
「ごめんなさいね。待たせちゃって」
 奥の部屋から出てきたのは、武南の制服に身を包んだ綺麗な女性職員だった。歳は20代前半。いや、二十歳かも。武南の制服が綺麗な顔とマッチしていて・・・ 心を打たれた気分だった。
「えっと・・・ 期間はいつまでにしますか?」
  綺麗な声で話しかける女性職員の声で俺は我に返る。
「あ・・・えっと3ヶ月分で」
「3か月分ね。1万3200円です」
 俺は彼女にお金を渡す。そして、彼女はパソコンを弄って、定期更新の作業を行う。若いながら、作業が早い。よく定期の更新をやってくれる伊勢さんよりも早い。そして、機械音痴の小牧さんなんて目じゃなかった。
「ハイ」
 彼女は更新の終わった定期を俺に渡す。
「8月2日まで有効です。ありがとうございました」
「あ・・・ありがとう」
 何故か照れながら、定期を受け取る。そして、駅舎を出て家へと向かう。どう してだろうか・・・ 何故か頭のあたりが熱かった。そして、胸が高鳴っていた。

 翌日の朝。俺は、駅舎に学生手帳を忘れたことに気付いた。いつも学生服の中に入れているはずの学生手帳が無かった。 思い当たるのは、昨日の定期更新時に学生手帳を出したまま、受け取っていないこと。たぶん、駅員さんの渡し忘れか、俺の貰い忘れだ。俺も学生手帳を貰っていないのなら、「学生手帳を返してもら っていないのですが」と言えば良かった。 でも、あの綺麗な駅員さんに見とれてて言うのを完全に忘れていた。学校に行く ついでに返してもらおう。そう思い、俺は家を出た。あと、あの駅員さんにまた会えないかなと期待しながら。
 駅に着いて、俺は驚いた。何故なら、昨日の美人駅員さんが駅舎の入り口のところで立っているからだ。美人駅員さんは、誰かを探しているようで、周りをキョロキョロと見ている。
 駅員さんは、俺と目が合うと「あっ!」といういかにも、探していた人が見つかったという顔をして、こっちに向かって 走ってくる。
「藤原・・・修治君だよね?」
「そう・・・ですが?」
 まさか、彼女が俺の名前を呼んでくれるなんて・・・ 夢にも思わなかった。 そして、凄く嬉しかった。でも、どうして 俺の名前を知っているのだろう?彼女と出会ったのは、昨日が初めて。だから 、何故彼女が俺の名前を知っているのか少し不思議に思えた。
「コレ。忘れ物」
 彼女が出したのは、俺の学生手帳。
「ごめんね。昨日、渡し忘れちゃって」
「あ、いや、いいんですよ。僕も忘れちゃっていましたし」
 完全に照れて、頭に血が上る俺。
「それじゃ、学校頑張ってね」
 そう言って、彼女は駅舎の「関係者以外立ち入り禁止」の札が掛けてある扉の向こうに行ってしまった。
「だから、俺の名前を知ってたのか・・・」
 彼女が渡してくれた俺の学生手帳。そこには、俺の顔写真と「藤原修治」と書かれた文字。だから、俺のことを知っていたんだ。正直、嬉しかったな・・・ 男の恋心を思い弾ませながら、俺はいつもの 電車より一本早い電車に乗って行った。

 学校に着いても、朝の出来事が頭の中から離れなかった。授業中もそのことで 頭が一杯。一応、授業は聞いてたが、なんとなく しか授業の内容は頭の中には入っていない。
「よぉ! 藤原! 何、ぼーっとしてんだよ!」
「明智か」
 放課後。後ろから親友の明智が話しかけてくる。明智は幼稚園からの付き合いで、小学校から高校までずっと同じ。家は同じ 校区だが、お互い離れた場所に家があるため、隣同士の付き合いというわけではない。だが、一応親友という仲で、結構遊びに行ったりもする仲だ。
「何だ? 冴えない顔して・・・」
「ちょっとな」
 知らない間に俺は冴えない顔をしていたらしい。あの女性駅員さんのことを思 っていただけなのだが・・・
「それよりさ。昨日の木戸口の駅員さん見たか?すっげー美人だったぜ」
「・・・」
 明智は俺と一緒の木戸口駅を利用して学校に来る。だから、あの駅員さんのことも知っていても不思議ではない。
「どうしたんだよ。修治ちゃん。まさか、あの駅員さんに惚れちゃったとか?」
「馬鹿! んなこと・・・」
 正直、図星だ。流石は親友。俺の心は完全に読まれている。
「やっぱりな。俺も結構綺麗な人だと思っていたし。お前の女を見る目は悪くないってことだな」
「ま・・・まあ、綺麗だとは思うけど・・・」
「んー。まあ、話は帰りながらしようや。たっぷり聞かせてもらうぜ。ふ・じ・ わ・らクン」
 明智は女絡みだとちょっと憎い奴だが、本来は良い奴だ。勉強もできるし、スポーツもできる。顔も悪くない。進学先も星修大の教育学部を希望。模擬だと楽々で合格と言うレベル。でも、優等生気取りや驕った態度もとらない奴。俺にとっては、数少ない腹を割って話せる中だ。 でも、帰りには、今朝の学生手帳を届けてもらったというのは、言わなかった。何故なら、言ったらかなり弄られるだろうから・・・

 次の日もそしてまた次の日も。次の週も次の月もあの駅員さんは、木戸口駅の 窓口にいた。4ヶ月くらい経っただろうか。 あの駅員さんは、伊勢さんの代わりにずっと窓口業務や駅構内のアナウンス、そしてホームでの業務をやっていた。駅員さんも 俺の顔を見ると、笑顔で会釈をしてくれる。俺にとって、幸せのひと時だ。たまに、車内で嬉しさのあまりボーっとしていると、 明智が話しかけ、小馬鹿にする。慣れたからいいんだけどさ。

 夏休みが終わって、俺の学校はいよいよ進路先、就職先に向けてラストスパー トに入った雰囲気になる。3年生全員がピリピリ したムードとなり、成績やテストの点数に頭を悩ませる者もしばしばいる。俺の成績は中の上。俺の学校はそれなりの進学校だから、 大体の大学には行ける。ただ、俺自身はあまり大学に興味がないから、就職しようかなと思っている。歴代の卒業生でも、成績は悪くないが、就職に就いた人もいるし。そもそも、俺がこの学校に入ったのは、親がうるさかったから。一応、親はこの学校に入って、卒業できれば就職しようが、進学しようが自由にしろと言っているので 、親の方もOK。ただ、どこに就職するかが問題なんだが・・・

「よう! 藤原! 今日は朗報を教えてやる」
 いつもの様に明智が話しかけてくる。
「お前の朗報って、まともじゃないだろ?」
 明智の朗報は、あまり良いものじゃない。今日が○○さんの誕生日だの、△△ 堂で新しいゲームが売っているだの・・・ その程度のことだ。
「ふっふっふ・・・ 就職組の藤原君にナイスな就職先を教えてやろう!」
 取り敢えず、俺は明智の話を聞く。
「実は、武南鉄道が高卒職員を募集しているんだとさ。なあ。武南に就職して、 あの女性駅員さんのハートをゲットしちゃえよ」
 やっぱり、そのことか・・・ でも、就職先を教えてくれたのは、ちょっとありがたかった。いつもの明智の朗報よりは、 良かったと評価。
「その話考えておくよ」
「あの女性職員さんと結婚するって話か?」
「ばーか。武南に就職するかって話だよ」
 夏休みも開けて大分経ったある日のことだった。この季節は、学園祭の準備で忙しく、俺のクラスも総動員で作業を進めていた。 そのせいで、木戸口駅に着くのは、8時とかなり遅い時間の帰宅となってしまっ た。ちなみに、明智は別のクラスだから、一緒の帰宅はできなかった。そんな日の木戸口駅で、あの駅員さんが駅のホームで何かを探していた。電車から降りた客は、 全員改札口を通ってしまい、ホームには俺と駅員さんだけが残っている。
「あの・・・ 何か探し物ですか?」
 勇気を振り絞って、駅員さんに言ってみる。
「君は・・・ 藤原くん?」
 覚えていてくれたんだ。俺の名前。まあ、苗字だけなんだけど。でも、嬉しか った。
「探し物ですか? よかったら、俺手伝いますよ」
 そう言って、俺は近くのベンチに荷物を置く。
「ありがとう。でも、物が物だから・・・ 気持ちだけ受け取るね」
 笑顔で断る彼女。でも、好感度アップで頭が一杯の俺は、諦めることができなかった。
「学生証を忘れた時、駅舎の前で俺がくるのを待ってて、直接渡してくれた。そんな駅員さんに恩返しをしたいんです!」
 照れを隠しながらも俺の気持ちを彼女に伝える。いつもは、奥手な恋愛戦略を考えているのだが、今日だけは妙に積極的。 自分で自分が不思議に思う。
「・・・」
 すると、彼女の顔は少し暗くなり、真剣な顔になって話す。
「このことは、誰にも言わない?」
「は、はいっ!」
 彼女は今にも泣き出しそうな顔で俺を見つめて言う。
「あの・・・その・・・義体の運転免許を探して欲しいの」
「・・・はい?」
 彼女の言った言葉に一瞬耳を疑う。
「義体免許を探して欲しいの・・・」
 最後の方はボソボソと喋って聞き足りにくかったが、探している物の名前は聞き取れた。 「わかりました。俺も手伝います」
 取り敢えず、彼女の探している物には突っ込まず、俺は駅のホームで彼女の義体免許を探す。
「ごめんね。さっき、窓口で業務をしてた時は、持っていたんだけど・・・」
 申し訳なさそうに俺に言う彼女。
「いや。いいんですよ」
「本当にごめんね」
 真っ暗な夜の中、ホームの電灯と周りの建物の灯りが照らす中、俺は彼女の義体免許を探した。
「ありがとう。本当にありがとう」
 何度も彼女は頭を下げて、俺にお礼を言う。彼女の義体免許は、ベンチの下に落ちていた。彼女の話では、ベンチの裏に空き缶が落ちていたから、それを拾ったときに落としたのではないか、と言っていた。
「いいんですよ。別に」
「藤原くん。ちょっと時間空いてる?」
「えっ? ちょっとなら・・・」
 時計を見ると、8時半を回っていた。でも、女性のお願いというのは、俺は断りづらい。だから、時間はちょっとヤバイが、彼女の お願いは断れなかった。
「ジュース何が良い?」
 彼女は自身の財布から小銭を出して、ホーム内にある自販機にその小銭を入れる。
「え? いや。いいですよ・・・ 俺も勝手にやったことですし」
「そんなこと言わないの。さあ。何が飲みたい?」
 笑顔で質問する駅員さん。笑顔が凄く綺麗な人だな・・・
「そ、それじゃ・・・ミルクティーで」
 何故か、いつもはそんなに飲まないミルクティーをお願いする。ソーダとかを頼むとどこか子供っぽいイメージに思われるからだろうか。良い大人の男を見せたかったからなのだろうか・・・ 反射的にミルクティーを頼んでしまったので、選んだ理由は自身でもちょっとわからなかった。
「ハイ。ミルクティー。それじゃ、そこのベンチに座ろうか」
「あ・・・はい」
 彼女に冷えたミルクティーを渡され、ベンチに座る。
「座らないのですか?」
 しかし、彼女は立ったまま。俺だけがベンチに座る。
「うん・・・ この身体だとベンチが壊れちゃうから・・・」
 笑顔でありながらも少し悲しげに話す彼女。少し気に障ること言ったかな・・・
「自己紹介がまだだったね。私は、樽見さやか。よろしくね。藤原修治くん」
「俺の名前・・・覚えてくれてたんですか?」
 フルネームで俺の名前を覚えてくれていたことに凄く驚く。
「ええ。まさか、私の初仕事が学生手帳を忘れてくお客さんだもの。ちょっと覚 えちゃった」   猛烈に恥ずかしくなる俺。まさか、さやかさんの初仕事で大ポカをやらかしたなんて・・・ 男として恥ずかしかった。
「私自身もあの時に呼び止めなきゃいけなかったけど・・・ ちょっと忘れちゃ ってて」
 そう言って、彼女はクスリと笑う。
「藤原くんって、3年生だよね?」
「え、ええ」
「大学に行くの? それとも就職?」
「えっと・・・一応就職です」
 突然、彼女が進路のことを聞いてきたので、少しだけパニック状態になった。
「そうか・・・ 私は、高卒でここに来たんだ」
 静かな駅のホームに彼女の声が響く。
「昔から、武南の車両は好きだったんだ。他の鉄道会社は近代的な車両を取り入れているのに、この会社は昔ながらのレトロな車両を 使い続けている。そして、そのレトロな車両に揺られながら、車窓を眺めるのがとても好きだった。お父さんと一緒に揺られながら乗るこの車両がとても好きだった」
 俺は黙って彼女の話を聞く。
「高校3年生の時に交通事故に遭って、今の私の身体は脳以外は全部機械。でも 、武南に勤めたいという気持ちは変わらなかった。正直、 この身体でも毎日希望を持っていられるのは、この会社のお陰だと私は思うな」
 彼女の言葉は、ちょっと胸にじーんっときた。義体ユーザーとは、今まで接し たことがなかったし、テレビや新聞くらいでしか存在を 知らなかったから、ちょっと可哀想な人たちかなと思っていたけど、彼女の話で 俺の中の考え方が変わった。義体の人たちも毎日を生きているんだ。楽しんでいるんだ。決して、可哀想だとは思っていけないんだ 。彼女の言葉からそう考えることができた。
「ごめんね。暗い話しちゃって・・・」
「いえいえ。俺は・・・為になったなと思います」
「そう。良かった」
 そう言って、彼女は微笑む。
「ところで、藤原くんは、どこに就職したいの?」
 まさかの質問に、頭が真っ白になる。
「あっ・・・えっと・・・武南に就職しようかな、と・・・」
 この間言っていた明智の就職の話。それが、頭を過ぎって、言葉に出てしまう 。それに、樽見さんが武南電鉄への憧れを話してくれたら、 何だか俺もこの会社の魅力にとりつかれたような気分になって・・・武南に就職 しても良い、いや、武南に就職したい。そう思えてきた。
「そう。武南は良いところよ。お給料はまあまあだけど、会社の先輩は優しいし 、面白いし・・・ 大好きな車両を毎日眺めれるのだから、 私にとっては天国みたいな感じよ」
 樽見さんのあまりの鉄道好きさに少し目が点になる。
「ごめんね。私の話ばかりしちゃって」
「いえ。凄く楽しかったです。まさか、あの綺麗な駅員さんが鉄道好きだったな んて、ちょっと意外でしたし」
「人は見かけによらないものよ」
 正直、彼女が義体ユーザーというよりは、彼女が大の武南電鉄好きであるのが 、意外に思えた。  確かに、今までは何とも感じなかった武南の車両、路線、駅。でも、彼女が熱く語った言葉に影響されて、何だか武南電鉄そのものに魅力を感じるようになった。俺、武南に就職しよう。俺はこの時に就職先を決定したのだった。

「藤原お疲れー」
「お疲れ様っす」
 1年後。俺は武南の高卒採用試験に合格。研修期間を終えた今では、宮の橋駅の駅員として働いている。先輩は面白いし、上司も優しい。 時には辛い時もあるけど、俺はこの会社が好きです。
 そして、制服から私服に着替え、退社しようとした時だった。駅の窓口で先輩 と眼鏡を掛けた女の子が話し合っている。その眼鏡の女の子には 面識があった。
「あっ、貴女は」
 見た目は高校生くらいに見える眼鏡の女の子。確か、朝の改札で障害者手帳を見せた女の子。朝はいきなり全身義体1級と見て、少し驚いてしまったけど・・・ でも、見た感じは綺麗な眼鏡の少女。全然義体ユーザーと感じさせない。
「おう、 藤原。 お前この娘の知り合いか? 丁度よかった。 この娘、 財布忘れ ちゃって切符買えないんだとさ。知り合いってことならお前 お金貸してやってくれないか?」
 そう言って、先輩は窓口の奥に行ってしまった。静かな雰囲気が漂い始める。 どう切り出すべきか・・・
「あの、 朝はすみませんでした」
 考えた末に出た言葉。それは、朝のことに対する謝罪。やっぱり、考え直してみると、樽見さんのような義体ユーザーでも人と同じように 生きているんだ。なのに、俺は彼女に失礼な態度をとってしまって・・・ だから、俺は1人の男として謝った。
「すみませんって何がですか?」
 一体何故謝るの? そんな顔をしながら、彼女は答える。彼女は、傷ついてい なかったのか・・・ 予想外の答えに頭が少しパニックになる。
「いえ、 あの・・・1000円お貸します」
 取り敢えず、本題に話題を移す。  その後、俺は手帳とペンを彼女に渡し、彼女に連絡先と名前を書いてもらう。
「八木橋裕子さんというんですね」
 彼女の名前をしっかり確認する。八木橋って苗字なのか・・・珍しい苗字だな 。あと、裕子って名前も可愛らしいし。
「そう、 友達は私のことヤギーって呼んでる」
 ヤギー・・・か。なんだか愛らしいあだ名だな。俺なんて、修治か藤原としか 呼ばれたことがないから、ちょっと羨ましい。
「あなたの携帯も教えて。 こういうことって私のほうから連絡するのがスジでし ょう」
「そうですね」
 俺は彼女に少し微笑んで、手帳を破って自分の携帯の電話番号を書いたものを渡す。そして、
「でも私から、 連絡しますから」
  と付け加える。
「朝の手帳のことですけど、 障害者・義体化一級の意味って知っていますか?普通の人間に見えるかもしれないけど、 私はお人形さんですよ?」
 突然、彼女が言い出した言葉は、ちょっと俺の心に傷ついた。俺自身は別に生身の人間だけど・・・ でも、どうして、彼女が彼女自身を傷つけるようなことを言うのか。それに、ちょっと悲しい気分になった。
「貴女は貴女でしょう」
 そんな彼女に送った一言。そんな義体であることを悩まないでほしい。自分で 自分を傷つけないでほしい。そんな気持ちから出た言葉。 その言葉の影響あってか、彼女は笑顔で去っていった。

「ねえ。藤原ー。仕事まだー?」
「ちょっと待ってて」
 あの時の眼鏡の少女は、今の俺の彼女だ。見た目高校生だけど、しっかりした星修大の学生さん。それで、俺より年上。だから、「裕子さん」と俺は呼んでいる。
 それで、今、裕子さんは俺の仕事が終わるのを待っている。今日は、年に一度 のクリスマス。だから、仕事が終わったらそのままデート。 でも、俺の仕事はまだ終わらない。あと、書類を片付けるだけなんだけど・・・
「あれ? 藤原くん?」
 窓口の外から懐かしい女性の声。
「樽見さん?」
 窓口から顔を出したのは、冬のコートを纏った樽見さんだった。
「あっ! すみません。今は樽見先輩ですよね」
「いいよ。昔みたいに樽見さんで」
 笑顔で答える樽見さん。彼女は、まだ現役で武南に働いている。駅は、木戸口から転々と変わっているらしいけど・・・ あと、一ヶ月前に 結婚もしたらしい。今は旦那さんとアツアツの夫婦生活をしているらしい。
「元気でやってる?」
「もちろんです。これも樽見さんのお陰です」
 そう言うと、樽見さんはニッコリと笑顔で返す。
「そう。なら、これからも頑張ってね」
 そう言って、彼女は改札から出て行く。
「ふーじーわーらー。さっきの女の人、誰?」
 不機嫌な顔で裕子さんが窓口から覗き込む。
「会社の先輩で、恩師」
「・・・恩師?」
 顔を傾げる裕子さん。
「さあ。終わった。それじゃあ、裕子さん。着替えてくるから、改札口で待ってて」
 そう言って、奥のロッカーで私服に着替えて、裕子さんの元に急ぐ。
「俺って、裕子さんと出会ったのは、運命だと思うなぁ」
「は?」
 今更だけど、俺って、義体の女性に運命というか、赤い糸というか・・・そんなのがあるのではないか、と思う。樽見さんも義体ユーザーだし、 裕子さんも義体ユーザー。そして、裕子さんに出会ったのは、武南に入っていたから。武南に入ったきっかけは樽見さん。何だか、運命的なものを感じるんだよな・・・
「俺は、裕子さんに出会って、本当に良かったと思うよ」
「もうっ! 藤原の馬鹿」
 小雪がちらつくホームで俺たちは、電車が来るのを待っていた。二人で手を握 りあいながら・・・




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