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 私? 私の名は、八木橋裕子。職業はケアサポーター。世界でも一,二を争う大医療機器メーカーのイソジマ電工。そこに入社して11年目のね。

 ケアサポーターって、どんな仕事かって? イソジマ電工は、怪我や病気で身体の一部を失った人のための、義手・義足・義眼なんかも作っているんだけど、それを身体に取り付けた人たちは、殆どの場合、生身の身体だった頃とのギャップに苦しむことになる。そういう人たちができるだけ早く人間らしい暮らしを取り戻せるよう、文字通りケアし、サポートする。それが私たち、ケアサポーターの仕事。

 その中でも私は、ちょっと特殊な立場にいる。私は義体化一級、つまり、脳以外の全身を機械化した人たちの、ケアサポート専門なんだ。なぜかって? それは、私自身が、義体化一級の障害者だから。全身機械の人たちと、共感することができるから。



 私が全身義体になったのは、高校2年、16歳の時。そして今、私は33歳。 つまりもう、生身だった時間よりも、機械の身体で生きている時間のほうが長くなっちゃってるんだよね。それを考えると、正直切ないなと思う。

 でも、その一方で、義体がずいぶん進歩したことも解るし、私たちにとって、それは本当に嬉しいことなんだ。

 私が義体になった頃は、食事なんてもちろんできなかったし、匂いも味も判らなかった。暑さも寒さもほとんど感じなかった。でも今、わがイソジマ電工の最新義体CS-41は、匂いも暑さ寒さも感じるし、泣くことだってできる。感情に合わせて、顔を赤らめたり青ざめることだってできるし、仮想空間の中でとはいえ、食事することだってできる。

 いや、実を言うと、仮想空間内じゃなく現実に食事を楽しむことが、CS-30で一度実現されてるんだ。でもCS-30は、予想外に不評だった。なぜかって? 食物摂取機能が、あくまで見せかけだったから。食べた物の栄養を、脳にまわす機能が無かったんだよね。味わうだけの真似事じゃあ、確かに価値は半減だよ。もっともそれだけじゃなくて、『食べ物を粗末にしてはいけない』という、日本古来の価値観もあったんだろうけど。

 だからその後は、むしろ、『仮想空間内で食事を楽しめる機能を義体に与える』方向へ、技術は進んで行った。簡易型の仮想空間演出装置を、義体そのものに内蔵しようって発想だよね。

 そのためにはサポートコンピューターの性能を一桁上げなければならなかったんだけど、NTL社のおかげで、その目途はすでについていた。だから、CS-40で実現されたというわけ。商品名『箱庭亭』と呼ばれる、仮想のレストランやカフェテラスで食事を楽しめる装置。仮想空間のデータや食べ物のデータはイソジマ電工本社のサーバから有料でダウンロードするんだけど、一度保存しておけば、その後は何度でもタダでおいしいものを食べられる。あくまで仮想空間内でだけど、ね。

 この機能は大好評だったんだけど、おかげでCS-40の発売当時、データをダウンロードしすぎてサポートコンピューターがパンクする事態が後を絶たなかった。説明書の冒頭にその危険は大きく書いてあったし、外部のパソコンや記憶装置にデータを移せばたやすく回避できるにもかかわらず、だよ。

 私たちケアサポート課も、それでさんざん振り回されたんだよね。結局はソフトウェアを改良して、警告機能を強化し、『箱庭亭』に関するデータを、他のデータと別扱いにして解決したんだけど。

 どういうことかって? 本来、義体のサポートコンピューターには、ちょっとやそっとじゃアクセスできないよう、強力なプロテクトがかかってる。ユーザーさんのことを考えたら、当然だよね? でも、『箱庭亭』のデータだけは、外部とたやすくやりとりできるようにしたってこと。パソコンをまともに使えないような、スキルの低い人にも扱えるように、ね。 (これは余談だけど、旧式の義体を使っているユーザーのために、『箱庭亭』の外付け版も発売されている。もちろん決して安くないけどね。)

 というわけで、今の最新型義体は、外からはもちろん、リハビリさえ終われば本人にとってさえ、生身の身体とほとんど変わらない。『子供をつくる』ことを除けば、生身にできて義体に出来ないことなんて、もうまるで無いよ。あ、「疲れる」とか「汗をかく」なんていう、無意味な機能は除いてね。



 そして遠からず、子供をつくることさえ可能になるのは、確実だと言われてる。いやもちろん、本人の生殖器が無事だった場合に限られるし、それを義体に移植するのは、とっくの昔に可能になってるんだけど。

 では、なぜそうしないのかって? 問題はむしろ、移植した生殖器に、本来の機能を発揮させることに有った。男性だったら女性に子供を産ませられなければ、女性だったら子供が産めなければ、移植する意味がないでしょ?

 義体に移植された生殖器は、男性ならなぜか不能に陥りやすかった。女性の場合、移植する以前の、動物実験の段階でつまずいていた。動物の身体から取り出した生殖器を、生命維持装置につないで子供をつくらせようとしても、なぜか殆どの場合で、排卵しなかったり、流産・死産・奇形の発生などを起こしてしまうんだ。人工血液中のホルモンを正確にコントロールしてさえそうなんだ。

 それを克服する目途がついたのは3,4年前のことで、2年ほど前から次々と、生命維持装置に繋がれた子宮から新たな命が誕生している。早ければ来年、遅くても数年以内には、臨床実験も始められることだろう。

 と言っても、全身義体の女性は、そのままでは子供が産めないんだけどね。妊娠初期ならともかく、4ヶ月くらいを過ぎると、妊娠・出産専用の義体に移ってもらわなきゃならない。

 なぜかって? 胎児の成長に必要なものを考えてみてよ。栄養や酸素が普段の数倍は必要で、それはすなわち、数倍の能力を持った生命維持装置が必要だということ。そんなもの、普通の義体に収まるわけがない。しかも、胎児と子宮が収まるように、腹部にスペースも確保しなきゃいけない。

 それやこれやで、結局、現在開発中の妊婦用義体は、顔の部分こそ本人と同じだけど、白い全身タイツをまとってバックパックを背負ったような姿になるらしい。もちろん、「醜い」という印象を与えないよう極力配慮されるはずだけど、他人から見りゃかなり奇異な姿だよね。でも、大抵の女の人は、赤ちゃんのためならそれくらい我慢できるよ。私だってそうだ。自分の生殖器が残っていない私には、もう意味の無いことだけどね。



 義体そのものだけじゃなく、それを取り巻く環境も、この10年で大きく変化した。変わった事はいくつも有るけど、義体ユーザーにとって一番大きいのは、業界第一位のギガテックスが破綻したことかな?
 あ、破綻と言っても、よくある経営破綻じゃないよ。事の起こりは、ギガテックス経営陣と、厚労省・防衛省・警視庁・消防庁上層部の癒着が、A新聞にすっぱ抜かれたことなんだ。  その結果として、それまでギガテックスと政府がひた隠しにしてきたことが、明るみに出ちゃった。ギガテックス社が自社の全身義体ユーザーに施して来た、脳改造の実態がね。

 ギカテックスが全身義体を開発した当初、義体化した人たちの中には、義体そのものに適応できなくて、精神を病むケースが多かったという。自殺や自殺未遂 が何十件も発生したんだけど、当時の技術じゃ、それを阻止するには、脳の側に手を加えるしかなかった。感情や衝動を抑えることで、精神の安定を保つしかなかった。

 当時のギガテックス社内でさえ、それに反対する声は多かった。人間なら当然の事だよね。でもユーザー自身を守るために、背に腹は代えられなかったんだという。
 ところが、この脳改造された全身義体ユーザーは、結果的に、特殊公務員の仕事には最適の人たちだったんだ。肉体的に強力なだけじゃあない。どんなことが有っても、精神が破綻をきたすことは無く、パニックに陥ることも無く、欲望や感情に判断を曇らされることも無いんだから。

 それにつけ込む形になったのが、当時の警察と自衛隊と消防署だった。そのいずれも、生身では危険すぎるような仕事に従事できる人材なら、いくらでも欲しかった。だから競って、そういう人たちを職員として求めたんだよね。

 ギガテックスも、積極的にそれに応えた。『お金が儲かる』とか『政府とのパイプができる』という、実利的な理由だけじゃあない。元々、ギガテックスの企業理念自体が、『社会への貢献を第一とする』というものだった。自社の義体のユーザーたちが、世の中のために役立ってくれるなら、それを後押しするのは当然だったんだ。政府から多額の補助金を得て、『社会に貢献するサイボーグ』を 、次から次へと量産していった。

 警察も自衛隊も消防署も、たぶん全身義体ユーザーの弱みに、意図的・積極的につけ込んだんじゃあないと思う。でも、悪意が無かったとしても、結果は同じだった。『脳改造された全身義体ユーザーを、人材として求める人たち』が、ギガテックスと四省庁との癒着を助長し、脳改造を容認させちゃったんだ。そのせいで、ギガテックスはいつの間にか、『ユーザーの脳改造』を、積極的に押し進めるようになっちゃったんだ。



 本来、『義体ユーザーの精神を安定した状態に保つため』だった、つまりあくまでユーザー自身のためだった『脳改造』が、いつの間にか『人を、危険で過酷な作業に従事するロボットに改造するため』に利用されていたこと。一度改造された脳は、ある程度はともかく、完全に元に戻ることは決して無いこと。

 それが明るみに出た時、一番怒ったのは、当然ながらギガテックス製義体のユーザーと、その家族だった。誰もが凄まじいまでの非難を、政府とギガテックス社に浴びせた。マスコミも当然のようにそれを後押しして、ギガテックスの株は大暴落。世界中の病院から大量の義体を返品され、他の製品の売り上げもガタ落ちになって、わずか二ヶ月ほどで、倒産寸前になった。

 もちろんギガテックスだけじゃないよ。この一件のせいで、四省庁のトップはすべて辞任。最終的には内閣総辞職に至るという、ほぼ二十年ぶりの大疑獄事件になった。おまけに、ギガテックス経営陣とその家族、政府関係者合わせて十九名が自殺するという、悲惨な結末になった。もっとも、自殺した輩に同情する人なんて、ほとんどいなかったけどね。どう考えたって自業自得だもの。

 ギガテックス社も、なんとか倒産だけは免れたんだけど、事業は大幅に縮小され、『本業』であるロボット部門以外、すべてそれまでのライバル企業に売却されることになった。どうも裏で『技術の流出や散逸を防ぎたい』政府の意向があったらしいんだけど、詳しいことはわからない。

 で、義体部門は当然のごとく、我がイソジマ電工が引き受けることになった。でも噂によると、それについて、上層部は最初真っ二つに割れたらしい。『赤字部門が増える』ことに難色を示す人たちと、『義体市場を独占できるし、いざという時は(ギガテックスに続いてイソジマまで失うわけにいかない)政府が後押ししてくれるから、倒産の心配がまず無くなる』ことを喜ぶ人たちとにね。結局最後は、政府の意向が決め手になったらしいけど。



 この疑獄事件の結果として、イソジマ電工は世界の義体市場の2/3を独占することになったわけだけど、もちろん変わったのはそれだけじゃない。義体に関する法律も、この事件で大きく変わった。一番変わったのは、特殊公務員装備を持たない義体にも、購入補助が出るようになったこと。 『全身義体のユーザーに、特殊公務員になることを半ば強要する』ような政府の態度には、以前から批判が多かったんだけど、この事件の結果、それは完全にタ ブー視されるようになっちゃった。それを受けて政府は、特殊公務員装備を持たない義体にも、補助金を出さざるを得なくなったんだ。

 結果として通常型の義体には、特殊公務員装備は搭載されなくなり、特殊公務員になる人たちは、その時点で専用の義体に換装することが制度化された。特殊公務員装備を持たない義体は、重量・製造コスト共ほぼ3割減となり、維持費もそれに応じて安くなった。もっとも、それでも依然として高額だから、義体化一級の人たちがほとんど特殊公務員になるのは、これからも変わらないだろうけど 。

 もう一つ変わったことと言えば、義体化の際、容姿の変更が認められるようになったこと。事件の結果として、義体ユーザーの発言権が大きくなり、「生身の人が整形手術を受けることは認められているのに、私たちが容姿を変えることはなぜ許されないんですか?」という「正論」を、無視できなくなったらしい。過去、特別な場合(生身の時の容姿がかなり醜い場合など)に限って認められてき たことを、常に認めねばならなくなったということだ。

 ただし、容姿の全面変更が認められるのは一生に一度だけで、それ以降は加齢処置以外の変更は認められないという。まあ社会的影響を考えれば、制約されて当然だよね。そもそも義体の容姿変更は、『簡単にもやたらにもできない』整形手術と違って、『やろうと思えばいくらでもできる』からこそ、認められなかったんだから。



 イソジマ電工の社員になって初めて知ったことだけど、もともとイソジマが全身義体の市場に参入したのは、ギガテックスに対するアンチテーゼだったらしい。医療機器メーカーで、『患者さん自身のことを第一に考える』のが企業理念だったイソジマにとって、ギガテックスの『義体ユーザー個人より社会への貢献を 優先する』態度は、容認し難かったらしいんだ。

 以前から義肢や義眼、人工臓器などを製造していたイソジマだから、ギガテックスのことが無くてもいずれは全身義体を製造するようになったと思うけど、それに踏み切らせたきっかけは、やはりギガテックスへの反発だったらしい。

 一方、ギガテックスがああいう道をたどったのは、やはり歴史に原因が有ったらしい。全身義体のサイボーグが技術的に実現可能になった時、その実用化に協力したのがギガテックスなんだけど、その頃の技術じゃあ、生身の人のような生活ができる義体は作れなかった。義肢や義眼と同じような感覚で使うことは、不可能だったんだよね。だからギガテックスは、『生身では出来ない極限作業が出来ること』に、義体の存在意義を求めたらしい。

 つまりギガテックスの義体は、もともと医療目的じゃなかった。むしろ医療における価値は付け足しで、『サイボーグならではの能力を生かすこと』に、存在価値が有ったんだよね。それがいつの間にか、おそらくギガテックス自身も気づかないうちに、義体ユーザー個人を軽視する風潮を生んでしまった。生身に近い義体が製造できるようになった後も、それがずーと続くことになってしまったん だよね。

 無論、イソジマだって真っ白じゃない。ギガテックスが健在だった頃は、自社の義体を採用してもらうために、病院関係者を高級クラブで接待したり、ワイロを贈ったりはざらだったらしい。でも、10年以上働いて言える事だけど、イソジマ電工は、ギガテックスみたいに、ユーザー個人の人格を軽視するようなことは決して無いよ。常にユーザー自身のことを第一に考えている。それは嘘じゃない。



 というわけで、ケアサポーターの仕事に誇りを持ってる私だけど、この仕事をしていて一番つらいのが、悲しいこと、切ないことによく出会うことだ。義体化したせいで、家族や友人とうまくいかなくなるケースは未だ多いし、珍しくなったとはいえ、義体化しても助からなかった例もある。私の知る限り、その中でも一番切なかったのは、ある女の子のケースだった。

 その女の子は、全身を敗血症(血液中にバイ菌が入り込む病気)にやられて義体化したんだけど、退院後の定期検査の際、残った脳が少しずつ死んでいってることが判ったんだ。ありとあらゆる手を尽くしたんだけど原因は判らず、このままではあと一年保たないことが判った。

 その子には、親も兄弟も、恋人もいた。皆嘆き悲しんだけど、どうにもならず ───最後に彼女が望んだのは、彼のメイドロボットになることだった。自分の心が生きている内に、記憶と人格をAI化して、自分そっくりのロボットに入れることだった。身体だけでなく脳も死んでしまうのなら、せめて心だけは残して欲しい───そういうことだった。

 でも、彼女の死後起動されたそのロボットは、決して彼女そのものじゃなかった。普通のロボットよりは格段に人間臭かったし、態度も言う事も、口調も仕草も表情も彼女そのものだったけど、一つ決定的な違いが有った。

 彼女には───欲望というものが無かった。欲しいという気持ちそのものが無かった。他者に何かを求めることは決して無く、かつての恋人に、喜々として仕 えた───。それは、普通の人間がロボットに求める振る舞い、そのものだった。

 違いとしてはごくちっぽけだったかもしれない。ロボットとしては望ましいことだったかもしれない。しかしそれは、彼女があくまでロボットであり、元の彼女とは違う存在なのだということを、家族や彼氏に思い知らせる(実感させる) には充分だった。

 彼女は今でも、人間たった頃の恋人に仕えている。家族も彼氏も、彼女のコピー、亡霊なのだと解っていながら、手放せないでいるらしい。たとえロボットであっても、今の彼女の中に、彼女の心が残っているのなら───そう思えて仕方 ないのだろう。
 私だって、彼女と同じ立場なら、同じ事を望んだかもしれない。でもこれって、とっても悲しくて切なくて、しかも虚しい話だよね。では、あなたならどうだろう? もし彼女と同じ立場なら、同じことを望みますか?



 最後に、私自身のことを書き記しておくけど───かくいう八木橋裕子も、以前とは変わったんだよね。中身もずいぶん変わったと思うけど、外見も変わってるよ。イソジマで10年働いて、半年前、ようやく義体換装できたんだ。最新型のCS-41にね。ついでにその時、容姿の変更が出来る権利を行使させてもらった。と言っても、プロポーションを良くして、20代後半の顔立ちにしただけなんだけど。
 今の私、みんな色っぽいって言うし、自分で見てもそう思う。自慢じゃないけど、街を歩いてても結構モテるよ。でもそのせいで、課長には渋い顔をされちゃった。美人すぎて、患者さんと接するには、かえって問題ありなんだって。

 だから私、普段はかけなくなった眼鏡を、患者さんといる時だけは、かけるようにしてる。みんなが言うには、私は、その方が親しみ易いそうだから。あ、その眼鏡も、以前使ってたあの眼鏡じゃないよ。あの眼鏡は今でも私の宝物だけど、十数年使ったせいでフレームにガタがきちゃってね。だから今では、思い出の品として、戸棚の中で眠ってる。いつか、私があの世へいく時には、誰かに頼んで、あの眼鏡をかけてもらうつもり。





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